バイク呉服屋の忙しい日々

ノスタルジア

昭和の加賀友禅(11) 能川光陽・山水御所解文様 色留袖

2025.07 06

西日本ではすでに6月中に梅雨が明け、関東甲信越でも、この週明けには夏の到来が宣言されそう。今年はほとんど雨が降らない空梅雨。各地ではもう、日照りによる米の生育不足が心配されている。地球温暖化が叫ばれて久しいが、すでに日本の気候は温帯ではなく、亜熱帯か熱帯のような状況になっている。

猫の額のような我が家の小さな庭に咲く花々も、水不測のため、まるで肩で息をするように苦し気だ。そんな中、片隅にひっそりと佇む露草だけが、朝露に濡れて、瑞々しく輝く。その澄んだ青色の小さな花弁は、慎ましくも凛としていて、周りに夏の彩を放っている。道端でも畑の片隅でも構わずに咲く逞しい野花だが、楚々とした姿は、毎日見ていても全く飽きが来ない。

 

世の中の 人の心は花染めの うつろひやすき 色にそありける(古今和歌集795)

ここで「うつろひやすく(変わりやすく)」と詠まれている花染めの色は、露草で染めたもの。露草染は、時間が経つと簡単に色が褪めてしまうので、儚く変わりやすいことの例えとして使われてきた。露草は古来、鴨跖草(おうせきそう)とか、月草・着草(つきくさ)とも呼ばれてきたが、花は早朝に咲き、昼には萎んでしまう。これが朝露にも例えられることから、「露草」の名前が付いたのである。

露草は前述したように、色が落ちやすい。しかしその分、色が着きやすくもある。だから「着草」とも言われたのだが、こんな露草染の特徴が、手描き友禅の仕事の中で生かされている。それが、「青花=露草による下絵描き」である。この下絵は、水を噴霧すると跡形もなく消え失せてしまい、品物の上に全く痕跡を残さない。けれども、作品として模様を生地の上に描く最初の作業であり、絶対に欠かすことは出来ない。それこそ、我々が目にすることの無い、隠された重要な工程なのである。

さてそこで今日はノスタルジアの稿として、そんな青花による丁寧な下絵が施された、加賀友禅の逸品をご紹介してみたい。作者は、昭和戦前期から平成時代にかけて、長く第一線で活躍した能川光陽。描いた意匠は、江戸中期に流行し、後に最もオーソドクスな風景文として人気を博した御所解文様。どのようなモチーフを使い、それをどのようにあしらったのか、見ていくことにしよう。

 

(白茶裾焦茶暈し 御所解模様 加賀友禅色留袖・能川光陽 相模原市 T様所有)

青花を使った下絵描きとは、具体的にどのような工程を踏んで行われているのか。友禅を描く上で基礎となるこの作業のことは、残念ながらほとんど知られていない。折角なので、今日は作品の解説に移る前に、青花そのもののことや、これをどのように染料化して下絵引きに使うのかを、説明しておきたい。人の手を尽くすことにおいては、こんな隠れた仕事もあるのだ。

下絵染料となる露草は、そこらの野辺に咲いているものではなく、変種にあたる「大帽子花(オオボウシバナ)」を栽培して使う。これは従来の露草より背丈が大きく、花弁も倍以上に成長する。滋賀県草津市を中心とし、古くは栗太(くりた)郡と呼ばれた琵琶湖南岸地域が、栽培の中心地。驚くことに、本格的な友禅製作が少なくなっている現在もなお、数軒の農家の手により、青花原料・大帽子花の栽培は続けられている。

 

青花の染料は、まず夏の朝露のあるうちに、大帽子の花を摘み取ることから始まる。夏の暑い盛りの作業となることから、その辛さは言うまでもない。そんなことから、一時期草津の栽培農家では、この花のことを「地獄花」と呼んでいたらしい。

そして摘んだ花は食酢を加えた水に浸され、色素が抽出される。だがこの花の汁をそのまま使うのではなく、上質な和紙に刷毛引きされる。そして、汁を吸収させては天日で乾燥させるという作業を繰り返し、「青花紙」と呼ばれる染和紙を完成させる。

下絵を描く時には、この和紙をちぎって皿に入れ、少量の水を足して色を戻す。これを毛筆に付けて、生地の上に模様を線で描いていく。友禅の他の工程では、全く修正することは出来ないが、唯一この下絵描きだけが、消して描き直すことが出来る。作家の草稿を、現実に生地の上で模様とする時には、修正を必要とする時もままある。だから、消すことの出来る青花が、どうしても必要になるのだ。なお、青花は古くなると褐色を帯びてしまい、水洗いをしても消えずに、下絵に痕跡を残してしまうこともあるので、出来るだけ新鮮な花を材料として使う。

それでは、本題の能川光陽作品の方へと、話を進めることにしよう。

 

春秋の草花を霞や雲取り模様の中に配し、その間に家屋や楼閣を置く。また、所々に水を流して、時には柴垣や網干など水辺文のモチーフも交える。このように、ある程度パターン化された形式を持つ風景模様が、「江戸解(えどげ)」とか「御所解(ごしょどき)」と称される文様。この定義に照らせば、この能川光陽の手による色留袖が、典型的な御所解文を表現した意匠であることが見て取れる。

では、なぜこの風景文を御所解とするのか。そしてこのパターン化された模様配置と模様構成は、どこから生まれたものか。その出自には諸説あり、明確に定義されてはいない。けれども、この文様のルーツに当たると思われる染色方法と、それを用いて模様表現をした品物が、友禅染が発達する以前からあった。これが「茶屋染(ちゃやぞめ)」と言われる染技法で、主に大奥や大名の奥方が盛夏に装う「帷子(かたびら・麻や生絹など夏の単衣モノ)」のあしらいに使っていた。

 

茶屋染に使う生地は主に麻で、その生地の両面から模様を、筒の先端に付けた口金に糊を入れて線描きする「筒描き」や、竹楊枝の先に糊を付けて伸ばしながら模様を描く「楊枝糊」の技法を使って描く。そして、地の部分を防染糊で伏せ、藍だけを使って染める。こうすると、地は白のままで、両面に付いた模様部分が、すっきりとした藍一色で浮かび上がってくる。友禅では、糊を置いた模様の輪郭や、糸目がそのまま模様となる「白上げ」部分が白く残るが、茶屋染では、それとは真逆の方法を使って、模様を描き出していることになる。

この茶屋染による帷子の文様は、草木や楼閣、そして流水や花鳥などを使い、その情景を細やかに描いた風景文。そしてそれは、後に御所解文様と称される意匠と酷似する。藍一色の茶屋染は、もとより夏の衣裳に用いたものなので、その模様も自然に涼やかで夏らしい、あっさりしたものとなる。だから御所解文様が、控えめな山水図案のあしらいとなっていることに、合点がいく。今も、御所解文のことを「茶屋辻文」と称することがあるが、それはこんな理由からなのだ。

ではこの色留袖には、どのようなモチーフを使って、御所解文が構成されているのか。図案ごとに見て行くと同時に、作者の能川光陽は、この意匠をどのような視点から表現しているのか、考えてみる。

 

模様の中心、上前の衽と前身頃の図案。庭園の入り口に置かれる簡単な木戸・柴折り戸が、模様のポイントとして描かれている。また霞文や花の枝は、糸目をそのまま使う白上げで表現されている。そして、一つ一つのモチーフは小さく、裾周りをぐるりと囲むようにあしらわれている。

この品物は色留袖なので、当然裾だけにしか模様は付いて無いのだが、こうした模様形式は、18世紀半ばの江戸・宝暦年間に始まり、主に町人女性の小袖に用いられ、後に一般化した。これがいわゆる「島原褄」とか「江戸褄」と呼ばれるもので、それは模様が衿まで達しておらず、褄下、つまり裾周りと褄だけに限定されていたので、その名前が付いた。褄模様では、小さな単位の模様を各々の部分に巧みに配し、それを一つの繋がりにして、意匠としていた。そう考えると御所解は、まさに裾模様だけの「江戸褄」や「色留袖」には、真向きの文様と言うことが出来よう。

 

上前にあしらわれた柴折り戸の屋根は、茅葺。木の枝や竹を組んで簡単に作る開き戸は、御所解文様には欠かせない道具の一つ。この茅や柴垣には、精緻な糸目を使った模様あしらいが見られる。加賀友禅の場合は特に、糸目がそのまま模様の表情となることが多く、そこに作者の技術の高さが如実に表れる。単純に加賀友禅と言っても、作品に技量の差があり、それはそのまま作家各々の力の差とも言えるだろう。

もう一つの折り戸の周囲には、岩や小さな花を配している。この色留袖は、上前衽の褄下から前身、そして後身頃の裾にかけて、少し濃い茶色で暈されているが、こうした地色の使い方は色留袖によく見られ、着姿で裾模様を強調する効果がある。

網干に、松を背景にした苫屋(とまや・茅葺の侘しい小屋)の風景は、典型的な水辺文様のパターン。こうした水際の風景も、江戸御殿女中の夏小袖の模様としてよく使われていた。御所解文は、水辺文や網干文を融合させた、いわば複合的な文様なのである。

後身頃の模様は、落ちた苫屋の屋根と砂を平らにする熊手の組み合わせで、なかなかユニーク。海辺のあばら家は、風で飛ばされて屋根だけが残ったのだろうか。

落ち着いた配色の桔梗。その色遣いに、秋の侘しさを感じる。挿し色一つで、作者がどの季節を念頭に置いて模様を描いているのかが判る。白上げで表現された流れるような枝ぶりと、花葉の巧みな色暈しに、この作品の豊かな写実性が伺える。

菊も桔梗と同様の配色。どちらの花も小さく描かれ、楚々としている。昭和期の加賀作家の一人は、10円玉より大きい花は描かないと語っていたが、確かにこの時代の作家は、模様を小さく描く傾向が顕著で、やはりその分、絵画的で写実性が高い作品に仕上がっている。

この植物は、葦(よし)。水辺文や海賦文を描く時には、必ずと言って良いほど傍らにあしらわれるイネ科の水辺植物。能に「葦刈(芦刈)」という演目があるが、この色留袖の意匠からは、それを題材としている意識も見て取れる。

 

能川光陽の落款は、「光」のひと文字を巧みにデザイン化したもので、実に恰好良い。このブログでは二度目の登場で、前回紹介した作品は花の丸図案の訪問着だった。花の丸は、友禅初期の意匠として最も人気が高かった図案であり、今日の御所解は、江戸後期に文様形式が確定した最も雅やかな図案。どちらも江戸以降、明治から今に至るまで、その優美な模様姿を多くの人の着姿の中に見せている。

 

こうしたオーソドックスな図案を、如何に美しく描くか。多くの作者が手掛ける意匠だけに、ありきたりになりがちで、どうしても作り手の個性が発揮し難い。けれども昭和の加賀友禅レジェンドの一人・能川光陽の作品には、糸目ひと筋、そして挿し色一つにも、御所解特有の優美さが感じられ、この伝統文様の気位の高さが、品物全体から溢れているように思える。では最後にもう一度品物をご覧頂いて、今日の稿を終えよう。

 

夏の野花と言えば、まず酢漿草(かたばみ)や沢潟(おもだか)が思い浮かびますが、この二つの植物は、キモノや帯の図案の中でもよく見かけますし、家紋のモチーフにもなっていることから、かなり馴染みがあります。けれども、露草を描いた品物というのは、あまり見かけません。

これは5年ほど前に扱った、竺仙の白コーマ浴衣。私が思い浮かぶ露草模様の品物は、これくらいですが、こうして浴衣のモチーフとして使うと、色目のすっきりとした涼やかさに花姿の可愛さも相まって、なかなか良い模様姿になっています。そもそも、庭や道の片隅で咲いているので、目立たないことこの上ない夏植物ですが、図案としてもっと使われても良い花です。

朝咲いて昼には閉じる露草の花を、模様から消されることが前提の青花・下絵描き材料として使う。それは、人に見られることを嫌う、この花らしい仕事の役目のようにも思えます。今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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