バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

6月のコーディネート 木綿を着尽くす(中編) 板締絞・長板中形

2025.06 15

会話の中で「なんちゃって・・・」と使うのは、その内容が本当ではないことを、冗談めかして相手に伝える時。この語句の背後には、嘘とか偽とかを誤魔化して茶化す姿が見え隠れする。こうして文章にしてみると、あまり程度のよろしくない会話慣習に思えるが、発する方も聞く方も、深刻に受け止めることは無い。何故ならそれは、日常生活の中で気軽に使う「俗語」として定着しているからで、誰も全く気に留めはしない。

ホンモノではない、あるいはホンモノを模造したと言う意味を持つ「なんちゃって」。となれば、なんちゃって商品とは、きちんと作られていない、あるいは似せて作ってある「いわば、似て非なるモノ」と定義することが出来そうだ。見かけは同じように見えるが、中身は全く違う。そして品物としての価値には、天と地ほど違いがある。

 

昨今、呉服屋が扱う品物・染織品の中にも、「なんちゃって的な商品」が多く存在するが、その程度をどのように見計らって「紛いモノ」と判断するのかは、非常に難しい。振袖を例にとれば、人の手を全く経ないインクジェット染は、迷うことなく「なんちゃって印」を付けられるが、模様に型を使った「型友禅」をどう考えるのか。これは、友禅の「糸目引き」の工程を端折って作っている品物で、若干だが「なんちゃって要素」を含んでいることになる。

そう考えれば、胸を張ってホンモノと認定できるものは、下絵から糸目引き、色挿し、地染め、そして付随する刺繍や箔、絞りなどの加飾加工全てを、人の手だけで成している品物ということになる。だが昨今では、こんな本格的な手描き・手挿し友禅の品物は、振袖生産全体の0.001%にも満たないはず。困ったことにこれでは、世の中に出回っている振袖のほぼ全てが、「なんちゃって商品」になってしまうのだ。

 

なので、ホンモノと紛いモノの境界をどこに置いて判断するのかは、なかなか難しい。だがその基準となるのは、やはり人の手、人の技術というものが、きちんと品物の中に介在しているか否かでは無かろうか。染織品というものは、長い時間の中で、その品物に携わった人々が積み重ねた技の結晶と見ることが出来る。もちろん時代と共に、省力化・効率化されてきた部分もあるが、品物を生む過程の中で、手の仕事が全く消えてしまうことは無い。その工程が尊重されていれば、全てが手仕事でなくても、それは「なんちゃって品」ではなく、「工藝品」と見做すことが出来るように思う。

今日も前回に続き、夏のカジュアルモノの代表・木綿の品物をご紹介していくが、それは何れも、見せかけだけの「なんちゃって品」ではなく、きちんと技術が踏襲されている「現代の工藝品」である。また前置きが長くなったが、始めることにしよう。

 

(雪華文様 板締雪花絞り 木綿着尺・藤井絞)

日本では有史以来、染や織の技を駆使して、様々な図案や模様が表現されてきた。縄文前期の貝塚からは、経糸に二本の緯糸をからめた「すだれ状の捩り織編み物」の断片が発見されていることから、この時代にはすでに、織機を使わない手作業の織物が作られていたことが判っている。そして弥生時代の遺跡からは、数多く紡垂(つむ・輪を回転させて撚りを施した糸を巻き取る道具)が出土し、唐古(奈良)や登呂(静岡)、安国寺(大分)などの各地の遺跡では、布巻きや緯入れ、緯打ちなど、織機として使う様々な道具も見つかっている。それは古墳時代以前、すでに機で織物を織っていたことを証明している。

倭の五王・ヤマト王権時代になると、豪族など有力者の古墳からは絹織物が出土し、初めは平織だったものが6世紀になると、経錦や綾文織が見られるようになり、8世紀直前には、金銀糸を用いた綴織までもが織られるようになる。飛鳥天平期の布・上代裂は、法隆寺や正倉院の幡(寺の儀式に用いる旗)に代表されるが、他にも様々な種類の染織品において、多岐にわたる技法が見られる。平織物や綾と錦の紋織物、羅と紗の捩り(もじり)織物など、現代に続く織物の四つの原型組織のうち、繻子以外は全てこの時代までに網羅されていた。

 

一方染に関しては、顔料を使って描いた壁画が高松塚やキトラ古墳に見られるものの、布に模様を染め出す技法として確立したのは、奈良期以降になる。もっとも初歩的な方法として、顔料や染料、墨などを使い、筆で直接模様を描く「描絵」や、染料を付けた模様の型を布に当てて摺り付ける「摺絵」が用いられた。

そしてこの天平期、最も革新的な染技法として多用されたのが、纐纈(こうけち)・夾纈(きょうけち)・﨟纈(ろうけち)の三纈と呼ばれるもので、これを現代の模様染技法に当てはめると、絞り・板締め・蝋染ということになる。このうち纐纈以外は、平安中期を境に徐々に廃れて使われなくなったが、江戸時代中期以降、板締めが友禅の技法や絣糸作り用いられ、蝋染が更紗染の技法として復活し、現在に至っている。今日はまず、三纈の一つ・夾纈板締めを用いて模様をあしらった木綿からご紹介してみたい。

 

(白地 雪華文様 綿麻紅梅浴衣・藤井絞)

夾纈という技法を簡単に説明すると、同じ模様を彫った二枚の板の間に、折りたたんだ布を挟んできつく締め付け、その上から模様部分に染料を注いで染めるというもの。この板に挟んで締めるという工程によって「板締め」という別名が付いている。

板締めによって生じる染模様では、折った布を広げてみると、折り目を境にして一つの模様が、対称的に連なった姿で現れてくる。板で締めるのは防染のためで、結果として、板の当たらない部分が染められて、模様を表現することになる。表現される図案は、布の折り方や彫られる板の形によって違ってくるが、様々な花文や麻の葉文、格子文などの幾何学的な連続模様が多い。

六角形の雪の結晶をモチーフにした、雪華文。これは江戸後期、古河藩主・土井利位がまとめた雪の結晶図鑑・雪華図説が発刊されたことを契機に意匠化され、愛好されるようになった。雪華文は図案の特徴から、板締によるあしらいが多く見られ、この浴衣もそんな品物の一つ。

雪華を染め出すには、まず生地を縦に三つ折りにし、細長い帯状にする。これを端から三角形に折り重ね、三角の板に挟み込んで紐で固定する。このまま三角の頂点・三隅を染め、紐を解いて広げてみると、この紅梅のような雪華文様が表れる。板締染の特徴は、模様の輪郭が暈したように滲み、独特の優しい模様気配となること。この紅梅もふんわりとした柔らかな雰囲気が漂っている。ではこの雪華を、より涼やかに印象付けられる帯を考えてみよう。

(青色地絣縞併用 八重山ミンサー 木綿八寸帯・石垣島 ミンサー工芸館)

沖縄の海と空を想起させるような、コバルトブルーを基調とするミンサーの木綿名古屋帯。八重山の半幅帯はよく見かけるが、八寸帯はそれほど多くないはず。キモノの雪華の美しさを際立たせるためには、すっきりと単純な帯模様の方が良さそう。帯地の中で模様は、青色のミンサー絣と縞とが3:7に分かれているが、シンプルな中にも模様の変化があり、その上に涼やかさも十分に感じられる。

前模様にミンサー絣を出すと、シャープな着姿になる。キモノと帯双方の配色がリンクしていて、合わせると共鳴して、色の統一感がそのまま装いの中で表現される。

 

(紺地 雪華模様 綿麻レーヨン混紡浴衣・藤井絞)

先ほどの雪華文は、大きな雪華の中に小さな雪華を入れ、水色と青磁色に分けて染め抜かれていたが、これは、各々の色に模様を彫った二枚の板を順番に使って、染料を注いだもの。一方こちらの雪華はシンプルで、一つの模様だけを紺一色で染め抜いている。こうして眺めていると、まるで万華鏡を覗いているみたい。

この生地は、綿75%・麻20%・レーヨン5%の混紡。化繊を含む混紡浴衣は珍しいが、このレーヨン糸には備長炭を入れ込んでいて、消臭効果も併せ持つ。ほぼ綿麻の生地質なので、軽くて肌離れが良い。連続した紺の雪華文は、誂えてキモノの形にすると、より涼やかさが増すように思える。雪に関わる文様の雪輪や雪華は、その冷たいイメージを逆手にとって、薄物に多くあしらわれ、夏の着姿で涼を表現してきた。だからこれは、夏の装いとして「王道」になる。

(茜色 首里やしらみ織 銭花模様 木綿八寸帯・起田奈津子)

二色の糸を交互に使って織りなした、やすりのような模様の表情。この帯は、そんな「やしらみ」と呼ばれる首里織の技法を使い、花織の最もポピュラーな図案・銭花(ジンバナ)が織り出されている。以前全く同じ色、同じ図案のやしらみ織・半幅帯を扱ったことがあるが、こちらは八寸。やはり模様が密な雪華キモノに対して、これも無地に近い感覚の帯を使っており、装いの意図するところは前と同じ。

市松文様のように、交互に二種類の銭玉模様が浮き上がっている。キモノ同様、帯の色合いもシンプル。けれどもその模様あしらいには、板締絞りと紋綜絖を用いた浮織という、伝統に裏付けられた緻密な技が込められている。木綿と言うなかれ、普段の装いとするには、贅沢過ぎるほど手が尽くされた品物と言えよう。

雪華文の浴衣二点には、どちらも沖縄の木綿織帯を合わせてみた。浴衣模様のモダンさと沖縄らしい帯図案をコラボさせた、爽やかでかなり個性的なコーディネート。品物の質をよく知る方の装いとも言えるだろうか。

 

(むじな菊模様 正藍本染 綿縮中形浴衣・竺仙)

稿が長くなってしまうが、次に手を尽くした木綿のカジュアルモノとして、絶対に欠かすことは出来ない浴衣を取り上げてみる。模様の基となる型紙、そしてその型を繋いで反物に染付ける型付け、さらに用いられる天然の藍染料による染付け。何れも各々に精緻な技を持つ職人の手を結集して作った、いわば究極の浴衣。これこそが江戸庶民が存分に愛用した日常着であり、伝統に培われた江戸の浴衣である。

中形というのは小紋染の一つであるが、その文様の大きさが小紋より大きいことで、その名前が付けられた。小紋はまず武士の裃や小袖に用いられ、江戸中期からは町方の女子にも普及し始めたが、それはどちらかといえば格の高い品物として使われていた。一方中形の方は、その柄行きに絵画的なものが多かったことから、木綿に染めて浴衣として使われていた。なので当時は、中形と言えば浴衣の代名詞でもあった。

江戸期の浴衣に施された中形染は、表裏両面に糊を置いて染められているので、汚れると裏返しにして縫い直した。長く使うことを前提にして作られ、しかも生地が木綿であることから、江戸庶民は浴衣としてだけではなく、最後は布として、生地が擦り切れるまで使い倒した。そんな生活に最も密着した「家着」には、製作過程においてどんな工夫がされていたのだろう。では、拡大した模様の画像を見ながら、この品物の「何が凄いのか」をこれからお話しよう。

 

あしらわれた図案は、菊の花びらを幾重にも重ね、反物の幅いっぱいに敷き詰めた「ムジナ菊」。ムジナとは聞きなれない名前だが、これは穴クマとか狸、ハクビシンなどの獣を指すが、言葉は「得体のしれない怪しい動物」という意味を持つ。そして上のような菊花模様が、狢の毛並みによく似ていることから、図案にその名前が付いた。

画像を拡大してみると、一枚一枚の花弁の細やかなことと同時に、その形が不均一であることが見て取れる。放射状にあしらわれている花弁は不揃いで、花弁同士の間隔もまた統一が取れていない。いや統一感は十分にあり、遠目から見ただけでは全く判らない。しかし、よくよく模様を見れば違っているのだ。

こんな模様姿になるのは、人の手で型紙が彫られているからであり、そこにはどうしても、微妙なブレや地空きの違いが生まれてしまう。この型紙は、刃先が一つの模様となった彫刻刀・道具彫で作られているが、不均一な細長い紡錘形の花弁姿にこそ、手仕事の痕跡が残されていると言えるだろう。それこそが、型彫職人の努力の証なのである。他に道具彫であしらう模様は、小桜や亀甲、鱗に菱など様々なものがあり、これにより均一な文様を組み合わせ、多様な図案を表現することが可能になった。

そして中形浴衣のもう一つの特徴は、先述したように、表裏一体となって模様の型付けがなされること。反物を置いた上の画像では、左が裏で右が表。どちらも全く同じように、ムジナ菊が染め出されているが、この模様の位置がピタリと重なっていなければ、模様そのものがぼやけてしまう。なので型付け職人は、何が何でも表裏同じ場所で型を付け、合わせていかなければならない。ここが中形の仕事でもっとも難しく、また肝要なところである。こうして表裏がピタリと模様が重なることを、裏が返ると言う。

両面同じ位置で型付けをし、糊を置いた生地は、藍の甕の中に3~5回ほど浸して染め、空気に当てて発色させた後で、水洗いをして干す。藍甕から引き上げた時には、色は澱んでいるものの、空気に触れるに従って藍は酸化し、鮮やかな藍色へと変わっていく。薄い色の甕から濃い色の甕へと浸染し、最後は生地を大きく広げて空気にさらすのだが、こうして空気に当てることを「風に晒す」と言っている。ただこんな天然藍を使った浴衣の泣き所は、やはり色落ちするところ。出来れば、染めてから2~3年ほど時間を置いてから着用する方が良いが、そうもいかない時は、浴衣と帯の間に晒などを入れて、色落ちを防ぐ対策を講じる必要があるだろう。

それでは、この手を尽くしたムジナ菊の中形浴衣には、どのような帯を合わせて楽しめば良いのか。考えることにしよう。

 

(生成色夏紬地 団扇に千鳥と桐模様 手描染名古屋帯・湯本エリ子)

少し前の稿で特集を組んで取り上げた、友禅作家・湯本エリ子さんの手による夏染帯。様々な花を独創的に描き、モダンで可愛い模様あしらいになるのが、湯本さんの作品の特徴だが、この帯の様相はそれとは少し異なり、小粋で江戸っぽさを感じさせてくれる。二本の団扇の柄は千鳥と桐で、しかもそれが、ほぼ藍の濃淡だけで表現されているので、すっきりと涼やかな姿に映っている。

このような、全体が小さな模様で覆われる江戸小紋的な中形浴衣は、遠くからだとほぼ無地モノのように見えるので、装いの印象は合わせる帯で変化させる。こんな手描きの帯を合わせると、浴衣のはずの中形が、何とはなしに小紋のキモノっぽくなってくる。

前の帯模様は千鳥と桐のニパターンで、手の廻し方を変えると、どちらの模様も楽しむことが出来る。まず千鳥を前に出してみたが、輪郭線と細い足だけで単純に意匠化されている図案の可愛さが、着姿に反映されているように思う。配色も白と青と水色だけ。それが藍染中形の色合いと上手く重なり、爽やかですっきりした表情を見せている。

帯〆の色は、一番濃い千鳥の青に合わせて、涼やかさを強調してみた。水色を使うと少し着姿が和らぐかも知れない。帯揚げに焦茶と銀鼠の暈しを使って、アクセントを付けてみた。(高麗組小田巻夏帯〆・二色暈し絽帯揚げ 共に加藤萬)

もう一方の団扇と桐は、お太鼓に描かれていた図案と同じ。千鳥の可愛さとは違い、粋な姿が前に出ている。こうして前模様を比較してみると、明らかに雰囲気が違う。染帯の場合、このように意識して着姿を変える模様付けを試みることも、よくある。

こちらは団扇の柄の黄色を、小物の色に使ってみた。帯地が白に近い生成色なので、帯〆の色とあまり差がない。なので、それほど着姿を引き締めることにはならないが、優しく添えるような感じとなり、これはこれで品の良いまとまり方になっている。帯〆・帯揚げ共に、最初に合わせた品物の配色違いを使っている。

手を尽くしたムジナ菊中形浴衣に、粋な染帯を合わせ、個性的な夏姿を演出してみた。こんなカジュアルな装いの中に、考えられないほどの技が組み込まれているが、その隠れた仕事は全く前に出てこない。だが、その奥ゆかしさこそが、本当に良い品物の証。その質を弁えつつ、さりげなくその品物を装うことこそが、キモノ上級者の本分と言えるのではないだろうか。

次回の後編では、様々な生地の浴衣と半幅帯を使って、もう少し気軽に楽しめる夏姿を考えてみたい。ぜひこの続きも、お読み頂ければと思う。

 

私はこのブログでは、あまり価格のことに触れたくはないのですが、このムジナ菊中形浴衣の値段は11万5千円です。竺仙では小売価格をきちんと決めており、扱う店もそれを忠実に守っているので、たとえバイク呉服屋で買おうが、三越で買おうが、竺仙が運営するネットのオンラインショップで買おうが、全部一律同じ値段になります。価格設定が曖昧なこと夥しい呉服屋の品物の中で、こうしてきちんと価格設定がなされていることは稀であり、それは裏を返せば、この品物に信用があるとも言えましょう。

ではこの11万5千円という価格、皆様はどのように思われるでしょうか。おそらく浴衣で10万以上なんて、高すぎると言われるでしょう。けれども、品物にあしらわれる人の手の掛け方、そしてその技術こそが、比例して価格に反映されるものと定義するのであれば、この値段は安すぎると私は思うのです。

 

小さな彫刻刀を使い、小さな花弁を一枚ずつ彫り進めて、型紙として完成させるのは、気の遠くなるような作業。仕事の間は、一時も気を抜く事は出来ません。もし一か所でも失敗すれば、全てが台無しになってしまいます。そして、表と裏全く同じところに型紙を置いて、型付けをする作業。もし少しでも位置がずれてしまえば、これも品物が台無しになってしまいます。ここの仕事は、本当に失敗が許されないのです。また型付けの後には、藍染料で染めるという作業もあります。いやその前に、そもそも藍という染料を作る職人がいて、さらに前には、原料である蒅(すくも)を育てる職人もいます。そしてもっと言えば、藍という植物を育てる農家も存在しています。

一体、一枚の中形が仕上がるまでに、何人の職人がいて、どれほどの技が必要なのでしょうか。そしてこの全ての仕事をお金に換算すると、どのくらいになるのでしょうか。私には、この小売価格の11万5千円で収まるとは、到底思えません。

 

しかしその一方で、まるで人の手を介さず、工業的に単純に量産されるインクジェット振袖が、粗悪な帯や小物を合わせて、30万、40万セットととんでもない価格で売られている。手を尽くした工藝品の価格が低く抑えられ、なんちゃって工業品がベラボーな値段とは、まったく理解できません。呉服を扱う者が、品物の質から目をそらし、帳面ずらの数字だけで日々の商いをしているから、こんなことになるのでしょう。こんな「なんちゃって呉服屋」が行使する商いが、業界を席捲してしまう。残念ながら、良貨は悪貨に駆逐されてしまったと言わざるを得ません。

品物の内容を理解し、それに携わる職人の仕事を尊重し、そしてそこに手厚く賃金が行くようにする。それがなされなかったところに、業界が衰退した最大の要因があったように思います。つい怒りに任せて余談まで長くなり、申し訳ありません。今日も、最後までお読み頂いたことに、感謝申し上げます。

なお、17日(火曜日)から22日(日曜日)まで、都合により休業致します。その間、頂いたメールのお返事も遅れてしまいますが、何卒お許し下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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