バイク呉服屋の忙しい日々

にっぽんの色と文様

帝を象徴する最も高貴な文様  桐竹鳳凰文

2025.01 14

元旦の朝、その年最初に昇る太陽を迎え見ることは、古来より大変ご利益があるとされてきた。だから初日の出は「見る」ものではなく、「拝む」ものであり、神の社に詣でて願い事をする初詣と同じ意味を持つ、お目出度い年始行事である。

太陽が東から上り、夜は明ける。陽の赤い光があればこそ、人を始めとする生物や植物は生きることが出来る。色の「赤」の語源は、夜明けの「アケ」と言われているが、この命の源・赤い陽光こそが、神の色である。古代世界では、様々な地域で太陽を神として崇め、信仰の対象となってきた。古代ギリシャのアポロンや、古代エジプトのラー、古代メソポタミアのシャマシュ、南米インカ帝国のインティなど、古代神話に登場する太陽の神々は枚挙に暇が無い。

そして日本もまた例外ではなく、現在の皇室に続く「皇祖神・天照大神」は、太陽神である。だから日本人が、闇を切り裂く太陽の明かりをご来光として崇めることは、ごく自然なことであり、いわば無意識のうちに人の心に根付いた信仰とも言えるだろう。

 

こうした理由から、太陽の光の色は神々しい神の色と認識され、当然のことながら特別視されてきた。この色こそが、黄櫨色(こうろいろ)である。この色を染め出す原料は、櫨(はぜ)と蘇芳(すおう)で、その色相は櫨の黄色と蘇芳の赤を掛け合わせた強い橙色になっている。

平安初期の820(弘安11)年2月、嵯峨天皇が出した詔(公文書)により、天皇が儀礼の際に身に付ける服の色が黄櫨色と決められ、これによりこの色は帝以外、他の何人たりとも使用できない「絶対禁色(きんじき)」となる。すでに中国・唐ではこの色を皇帝の象徴と決めており、日本もそれに倣ったと考えられる。

そして、時代が少し進んで平安中期頃になると、天皇の儀礼服は色だけでなく、帝を象徴する装束の地紋図案が定められる。それが「桐竹鳳凰文(きりたけほうおうもん)」である。こうして天皇が儀礼に着装する束帯装束は、黄櫨染御袍として使用されるようになり、現在に至るまで、宮中の重要な儀式や祭祀の場で、天皇が着用する儀礼服として千年以上変わることなく使われている。

 

そこで今日は、今年最初の文様紹介の稿として、この恭しい桐竹鳳凰文を取り上げてみたい。当たり前だが、この図案は平安時代のように「帝専用の禁文様」ではないので、キモノや帯の意匠としても、広く使われている。現代の品物に、この高貴な文様がどのように表現されているのか、個々のあしらいを見ながら、説明していこう。新年に相応しい吉祥な文様をご覧頂き、皆様にはお目出度い気分になって頂きたい。

 

桐竹鳳凰文・地紋 別誂松葉色 無地着尺(マルシバ 白生地)

この文様を構成するのは、植物文の桐と竹、そして架空の鳥文・鳳凰。桐の図案は五三の桐で、竹の枝葉は三葉、その間に飛び交う鳳凰をあしらっている。御袍における基本的な桐竹鳳凰文の配置は、桐と竹は州浜の上に生い立つ姿で描かれ、その上部に二羽の飛翔する鳳凰が、左右対称に描かれている。現在キモノや帯に見られる文様の姿は、個々のモチーフの姿は変わらないものの、意匠として少しアレンジが加えられている。

鳳凰は中国で徳のある皇帝が生まれた時、出現する架空の瑞鳥とされ、その姿は鶏の頭と鶴の羽根、そして孔雀の尾を合体させた摩訶不思議で優美な姿に描かれている。そしてこの鳥は、桐の樹の間に棲んで、竹の実を食すと言い伝えられてきた。この故事が、桐竹鳳凰文が生まれた原典になっているが、今に続く伝統的な吉祥的文様の多くは、こうして中国から強く影響を受けて意匠化されてきたと、理解される。

 

誂え染をする前の、白生地状態での桐竹鳳凰文。模様が判り難いので、画像をクリックして拡大してご覧頂きたい。御袍を頂点とする宮中貴族の装束素材は、経緯糸の交錯による織生地で、平安中期頃に開発されていたのが二倍織物(ふたえおりもの)である。これは、地紋のある綾織物の上に別糸で文様を浮織した、いわゆる浮文綾と呼ばれる生地。この織生地を使い、延喜式に定められた染用度に従って黄櫨染が施された。

白生地を色染すると、鳳凰が浮き上がったように見える。平安当時の有職文様を現代で再現するとすれば、こうした浮地文の単色無地染が一番相応しいように思える。

宮廷の儀式一つ一つは、昔からの慣習=故実を踏襲して行われており、その研究対象は、法令を始めとして、官職の職務内容や服装、用度にまで及ぶ。それが有職故実であり、装束の文様や色相もその範疇に入る。平安から鎌倉期にかけて、宮中の通常勤務で着装されていた束帯や唐衣裳(からころも)は、次第に儀礼服化して、特別な場で装う装束となる。その結果として、誰が、いつ、何をどのように装うかという「着装法の定め」が出来上がったと考えられている。

 

白地 桐竹鳳凰文・唐織袋帯(山口美術織物)

唐織は、絵緯糸を刺繍のように浮かして文様を表現することから、浮織の二倍織物と図案の表れ方が似ている。なので有職文様をあしらう上では、その姿がわかりやすい形状になる。この文様は、先述したように装束が儀礼化するに従って、位階や家柄によって使う図案が固定化されるようになり、模様が地位を特定することになる。もちろん、天皇が用いる桐竹鳳凰文は最上位に位置する文様であり、他者が使うことの出来ない「禁文様」であった。

州浜の上には三つの竹枝が背を伸ばし、そこに五三の桐が組み入れられている。そして下には麒麟の姿が見られる。麒麟(きりん)は鳳凰と共に、中国古代の四神獣の一つ(残る二つは亀と龍)で、皇帝の徳が広く行き渡った時に現れると伝えられている。蛇足だが、キリンビールがこの霊獣を、会社名やシンボルマークに使っているのは、ご存じの通り。

この文様が出来上がった平安中期には、桐と竹と鳳凰だけのあしらいだったが、平安末から鎌倉にかけては、これに麒麟が加わって、御袍の文様が出来上がった。この麒麟をプラスした文様は、従来の桐竹鳳凰文と区別して、桐竹鳳麟筥形文(きりたけほうりんはこがたもん)と呼ぶこともある。なお筥形とは、州浜の上の木立を方形で模った図案を指している。

桐竹の筥形の上には、五三の桐を真ん中に置いて、左右対称に鳳凰が位置している。この帯にあしらわれている桐竹鳳凰文の配置は、現在皇室で使われている御袍の模様姿をほぼ踏襲している。なお、奈良・広隆寺に所蔵されている現存する最古の105代・後奈良天皇御袍(1535・天文4年即位)は、やはり麒麟が入る筥形桐竹鳳凰文であるが、この文様様式となったのは、1168・仁安3年に即位した80代・高倉天皇からという説が有力である。それ以前は、こうした筥形ではなく、模様が全体に散らされていたとも考えられている。

 

橙色地 桐竹鳳凰文・袋帯(川島織物)

現代における桐竹鳳凰文は、前の帯のように、天皇御袍の図案をそのまま意匠化しているものは少なく、かなり自由にアレンジが加えられている。この川島の帯はかなり以前に扱った品物だが、確かに桐と竹と鳳凰をモチーフとしているものの、模様の大きさも配置もかなり大胆にあしらわれている。

そしてよく見ると、桐の葉は五三ではなく五七になっており、鳳凰の尾は尾長鳥のように長い。こうした鳥の姿は、正倉院の天平文様を彷彿とさせる。また竹は七宝の中に描かれており、全体的に動きのある文様になっている。同じ桐竹鳳凰文と言えども、その文様姿にはかなり違いがあることが判ると思う。ただこの帯地には橙色が使われているので、ここに太陽の色・黄櫨色の意識があるのかも知れない。

 

今日は、天皇の御袍に見られる最も高貴な有職文・桐竹鳳凰文様を取り上げ、その定型的文様姿と、アレンジされた文様姿を比較してご覧頂いた。世が世ならば、決して一般人は身に付けられなかったこの文様には、やはり恭しさと優美さが垣間見えている。

この文様に限らず、平安以来の公家文・有職文には、それまで染織文様のあしらいの中心となっていた唐草唐花文に代表されるような、空想的、あるいは異国的な雰囲気は無い。題材として選ばれたのは、ごく身近にある植物や器物、また自然現象などが中心で、それに菱や波や襷を組み込んで文様化している。天平文様と比較すれば、極めて淡白な和風の様式であるが、そこには平安貴族の洗練された美的感覚が包括されていると言えるだろう。

和文様の原点とされる有職文。これを意匠とするキモノや帯は、やはり古典の極みとなる。ぜひ皆様にも、この和文の美しさを装いの中に取り入れて頂きたい。

 

皇居では、毎年1月2日に一般参賀が行われますが、おそらく多くの国民は、この行事が天皇陛下を始めとする皇族方の年明け最初の公務と思うでしょう。しかし元旦の早朝、皇居ではとても大切な宮中祭祀が行われています。それは天皇が、神話に出てくる天地四方の神を拝して、国内の平安や五穀豊穣を祈る「四方拝(しほうはい)」です。

早暁5時半から始まるこの祭祀で、天皇が身にまとう束帯は、黄櫨染御袍。この時天皇が拝するのは、神話の神・天津神と国津神だけではなく、明治・大正・昭和の天皇が祀られている天皇陵と初代・神武天皇陵、さらに伊勢神宮を始めとする社(埼玉・氷川神社、京都・上賀茂神社、下鴨神社、石清水八幡宮、愛知・熱田神宮、茨城・鹿島神宮、千葉・香取神宮の各社)戦前まではこの祭祀があるために、元日は四方節とも呼ばれていました。

こうした宮中祭祀については、世間的にほとんど知らされてはいませんが、今なお脈々と続いていることを考えれば、やはりこの国が神話に基づいた国であると思わざるを得ません。かなり前に、当時の森喜朗首相が「日本は天皇を中心とする神の国」と発言して物議をかもしましたが、天皇中心というのは誤りですが、神の国というのはその通りかも知れません。年が明ければ、天皇は新年祭祀を行い、国民は初日の出を拝み、社に詣でる。このことを見れば、日本という国の出自がどこにあるのか、判る気がします。今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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