バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

1月のコーディネート  桟敷を彩る、初春の装い  七宝と松竹梅

2025.01 24

桟敷(さじき)と名前の付いた観覧席を持つのは、歌舞伎と相撲。どちらも長い歴史を誇る日本古来の伝統芸能と武道で、その催しを興行と呼び、鑑賞方法にも前近代的なしきたりが残される。桟敷はその名残であるが、それは他の一般席と明確に区分された、贅沢な見物席仕様になっているものだ。

古事記によれば、祭祀に使う神の依り代は一段高い場所に設け、それを仮庪(さずき)と呼んだが、これが現在の桟敷の語源になっている。この特別な席は、やがて平安貴族が見物する祭の席となり、後の南北朝期では、神事の場や寺社が席料を取って主催する芸能・猿楽や田楽で設けられるようになった。こうした歴史を踏まえて、神事に由来する相撲と民間演劇・踊り念仏に端を発する歌舞伎が、桟敷の文化を今に伝えている。

 

歌舞伎の桟敷席はひと席二人の定員で、東西に20席ずつの40人。座席数は、一幕だけ鑑賞できる幕見席を含めて1900席ほど。掘りごたつのように足を下して、ゆったりと演目を鑑賞し、幕間にはこの席でしか味わえない特別な幕の内弁当に舌づつみを打つ。この席料は演目によって違うが、だいたい1万7千円から2万円ほど。やはりここは、優雅に芝居見物をする特別な場所に違いない。

一方相撲の桟敷席は、一般に「升席(ますせき)」と呼ばれ、四方に区切ったスペースに座布団を置き、そこに座って観戦するようになっている。この席は、土俵から遠くなるにつれて傾斜角度が高くなっているので、ひな壇桟敷という名前も付いている。ほとんどの枡の定員は四人で、料金は4万8千円から6万円。これに飲食代や土産代を付けると、凡そ一人2万円くらいで、歌舞伎の桟敷席と同じくらいの料金になる。国技館の定員は1万500人で、そのうち升席に座って見物出来る客は6千人。桟敷で観戦する大相撲も、贅沢で特別な娯楽と言えそうだ。

 

さて歌舞伎や相撲を見る時には、やはり和の装いが良く似合い、桟敷や升席ではキモノ姿の女性を多くみかける。特に大相撲は毎日テレビで中継されるので、否応なくその姿が目立つ。土俵近くや東西の花道脇の升席のキモノ姿は、色目やキモノのアイテムまで分かるほど、鮮明に映される。なので、時に同じ女性が同じ位置の升席に15日間座り続け、その間毎日キモノが違うと、それがネットなどで話題になったりする。

相撲協会では、場所開催中に「和装デー」や「浴衣デー」などを設け、キモノ来場者に記念品などを渡して、和装での観戦を後押ししている。新年明けの1月場所も終盤を迎え、優勝争いも佳境に入っている。そこで今年最初のコーディネートとして、新春に相応しい桟敷を彩る装いを考えたい。日本を代表する伝統芸能・歌舞伎と国技・大相撲。そこには脈々と受け継がれてきたしきたりと文化があり、キモノとは切っても切れない歴史がある。

 

(薄胡桃色 七宝模様・飛び柄小紋  黒地 松竹梅丸文・九寸名古屋帯)

歌舞伎見物や相撲観戦の時の装いには、当然ドレスコードはなく、どんなアイテムの装いでも構わない。とは言え、留袖や色留袖、重厚な訪問着のような第一礼装を着用しないことは言うまでもない。では、何を着ているのか、歌舞伎座や国技館の桟敷を覗いてみると、紬や小紋姿が多く見受けられ、控えめな柄行きの付下げや訪問着もちらほらと目に入る。

面白いもので、歌舞伎と相撲では若干客層が異なるため、それに伴って装う品物にも違いがみられる。歌舞伎座の調査によれば、来場者の80%は女性で、そのうち40~60代が75%を占めているそうだ。この年齢層では、キモノを趣味とする方も多いので、各々がその場にそぐう装いを考える。色目や模様にも旬を取り入れ、自分らしい着姿を作る。着用されているキモノは、大島を始めとする紬や江戸小紋、飛び柄小紋など個性的な小紋姿をよく見かける。またそれに伴い、合わせる帯は名古屋帯がほとんどで、それは織帯と染帯のどちらにも偏らない。

 

一方で、相撲見物に国技館を訪れる客はまだ男性の方が多く、最近になってポツポツと女性の姿も目立つようになってきた。近頃では、相撲好きの女性を「スー女」などと呼ぶそうだが、20~30代で相撲に関心がある女性は、まだ全体の一割程度である。なので相撲協会でも、女性に足を運んでもらおうと考えて「和装デー」などを設けているが、テレビで和装姿が大写しになると、それだけでかなり印象に残る。

そんな国技館で見かけるキモノ姿は、歌舞伎見物の装いとは少し異なり、様々なアイテムが見受けられる。夏の場所中に「浴衣デー」があるように、浴衣姿で観戦する女性客がいる。かと思えば、派手な訪問着を着て、砂かぶり近くに座る方もおられる。テレビ中継では否応なく映るので、その姿はかなり目立つ。歌舞伎座では浴衣姿がほとんど見られず、目立つ色の訪問着を着ている方も見かけない。それを考えれば、相撲の方がキモノの自由度が高いかもしれない。これは来場者の層の違いにも、関りがありそう。

ともあれ、どちらでも何を着てはいけないという決まりは無いので、来場者それぞれが自分で装いを考え、桟敷で歌舞伎や相撲を満喫出来れば、それで良い。そこで今日は、新春に相応しい桟敷姿のコーディネートを考えてみたい。では、始めよう。

 

(一越地胡桃色 七宝模様 飛び柄小紋・千切屋)

七宝ほど、様々な文様の構成図案として登場する模様は無い。宝珠や丁子、打出の小槌などで構成される宝尽し文様では、金銀を含む七つの宝玉を七宝、仏教の法具や荘厳具を八宝、そして珊瑚や丁子、そして輪違文の別名・七宝を雑八宝として、図案の中に取り込んできた。

七宝の形状は、二つ以上の輪が互いに交錯した状態になっているが、これを幾つか繋いだり、連続させたり、また散らしたりして、キモノや帯に意匠化されている。この図案の一単位は、紡錘状の円を四つ繋いでおり、従来はこれを、四方襷(しほうたすき)とか十方(じっぽう)と称していた。この十方が転化して、七宝(しっぽう)という呼び名になったと考えられている。

そして、一つだけの図案はただの七宝となり、連続模様を七宝繋ぎと呼ぶようになる。さらにその形はアレンジされ、円が一部途切れている図案は破れ七宝、円の中に花菱を入れたものを花輪違い、あるいは七宝花菱と呼ぶ文様に転じた。七宝文は、公家装束の文様・有職文の中で最もポピュラーな図案となり、束帯や鎧だけでなく調度品にも用いられ、後には家紋にもなっている。

 

この小紋では二連と三連の七宝が、向きを変えながら散らされている。七宝は、模様の繋ぎが自由で大きさにも変化が付けられることから、その組み合わせにより、文様の形は多様に広がる。なので単純に七宝文様と言っても、キモノや帯の意匠となると千差万別であり、あしらう品物が小紋なのか付下げなのか、またフォーマル系の袋帯なのかによっても、かなり変わってくる。また、吉祥文として強く認識されているために、広範囲のアイテムに使われており、それがスタンダードな図案として位置づけられる大きな理由になっている。

飛び柄小紋のモチーフとしても、七宝はよく使われているだけに、図案の形状や散らし方、配色などで品物に個性を出したい。この小紋意匠では、あしらう七宝の数を一つ、二つ、三つと変えながら散らし、挿し色はシンプルに墨色と黄土色だけ、そして中に疋田を入れて図案のアクセントにするという工夫を凝らしている。

地色は、胡桃の実のような淡い土壁色で、優しい雰囲気。挿し色がほぼグレー濃淡だけなので、控えめで上品な印象を残す。そして無地場の多い飛び柄だけに、合わせる帯によって、自由に変化が付く。では、この目出度い七宝小紋をより新春らしく、そして桟敷を彩る姿に演出出来るよう、帯を考えることにしよう。

 

(緞子黒地 松竹梅花の丸文 九寸名古屋帯・紫紘)

宝尽し文と並んで、お目出度い文様の双璧を成すのが、この松竹梅文。寿司屋や鰻屋では、そのランク付けとして上から、松・竹・梅などと使っているが、本来この三つの植物文に優劣の差はない。松と竹の一年を通して変わらぬ緑を保つ姿は凛々しく、一番寒い時に花を咲かす梅の花は清らかに美しい。この三つの花が揃って吉祥文様として、それが一般化したのは室町期あたりからである。

松竹梅が植物の代表的な吉祥文とすれば、動物の吉祥文を構成するモチーフは、鶴と亀になる。このお目出度い文様同士を組み合わせると、吉祥の意味合いは否応なく高まり、ここぞという礼装の場に相応しい意匠となる。この松竹梅鶴亀文は、江戸期の能衣装や友禅をあしらう小袖に多く見受けられ、各々のモチーフは写実的な表現だけでなく、松皮菱文に代表されるように、図案化されることも多かった。

帯の前模様は、お太鼓の図案より一回り小さい丸文で松竹梅があしらわれている。このように太鼓と前の模様が違う時は、各々に紋図を作らなければならず、その分手が掛かってくる。堅苦しくなることが多い松竹梅文も、こうしてデザイン化されると、モダンな帯姿に変わる。お太鼓の梅の丸などは、見ようによっては猫の足のようにも見える。

地が黒だけに、三つの丸文が地から浮き上がり、その分帯姿が印象付けられる。帯で着姿が変わる七宝小紋だけに、この松竹梅はかなりインパクトがある。それでは合わせるとどうなるか、試してみよう。

 

キモノの胡桃色が大人しいだけに、帯の黒地で着姿が引き締まり、その上に松竹梅それぞれの丸文が地から浮きあがって、思ったより目立つ姿に映る。キモノの七宝、帯の松竹梅ともに、代表的な吉祥文様だが、双方を合わせた相乗効果により、めでたさの度合いが上がっているように思える。控えめなキモノだが、松竹梅の帯姿にかなりンパクトがあり、新春の装いであることをしっかりと印象付けている。

キモノも帯も丸い図案だが、それを重ねたくどさは全く感じさせない。七宝と花の丸という、いずれも文様化された丸文なので、各々に独立性があり、それを合わせたところで、違和感は無い。

前模様の松竹梅の丸は小さく、そしてオリンピックの表彰台の様に、微妙に三つ図案の位置をずらして模様付けしてあるので、自然でバランスのよい帯姿に見える。しかも図案化されている丸文なので、堅苦しさを感じさせず、シャレ感が強くなっている。そこには少し粋な気配もあるので、桟敷の装いとしても映えるように思える。

落ち着きのある着姿の中に、少し色気を出したいと考えて、帯〆には深い臙脂色ドットの内記組を使ってみた。帯揚げは、小紋の胡桃色に近い丁子色で、鱗文が付いている。(帯〆・中村正 帯揚げ・加藤萬)

帯揚げに見える三角の図案は、蛇の鱗(うろこ)を模したもので、鎌倉期に鱗文と名前が付いた。この文様は魔除けの力を持つとされ、武具や戦陣服に用い、後には家紋としても使われるようになった。これも、蛇年の新春を飾る隠れた一工夫と言えようか。

 

今日は、新春の歌舞伎見物や相撲観戦に相応しいキモノ姿を、お目出度い文様を使って、考えてみたが如何だっただろうか。仰々しさを除いて、さりげなく控えめに旬を表わす。これこそ究極のカジュアル姿だと思うが、どのように感じられただろうか。和装を楽しむ場所は、桟敷に限らず、クラッシックのコンサートホールや落語の演芸場、美術館や博物館など様々な場所があり、小洒落たレストランでの食事などにも、遠慮なく着用して出かけて欲しい。

皆様には今年一年、様々な機会を捉えて、自分らしい個性的な装いで、大いにキモノライフを楽しんで頂きたい。最後に、今日ご紹介した品物を、もう一度ご覧頂こう。

 

現代では、歌舞伎は演劇、相撲はスポーツと括られていますが、他と明らかに違うのは、双方には伝統に裏付けられた「様式美」があることです。そこで表現される「型」には、他に類を見ない美しさが内包されています。この美を求め、そこにある非日常を感じたいがために、人はそこに足を運ぶのです。

この変わらない様式美は、和装も同じです。そして加えて、この国の四季のうつろいも、着姿の中に映すことが出来ます。もの凄い勢いで変わりゆく今の社会の中で、決して変わらないこと、そして変えてはいけないことがあります。それを見失うことのないよう、今年もこの仕事を続けていきたいと思います。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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