バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

12月のコーディネート  小物の紅色で、黒絞り振袖姿を一新する

2024.12 17

撞木と衣桁は、呉服屋の店先を彩るディスプレイには絶対に欠かせない道具。撞木は、丸く巻かれた反物や平畳みの帯を、衣桁は、予めキモノの形で商品化されている絵羽モノを飾るために使う。反物は、無地や付下げなど一部を除けば、その多くがカジュアルモノ。また絵羽モノは、それとは反対に、ほとんどがフォーマルモノである。

うちの店内をみると、撞木は、ウインド内の3本を含めて14本を使用している。その一方で、衣桁は僅かに1本だけ。撞木を使う品物はほぼ小紋と紬と名古屋帯で、衣桁には訪問着や色留袖、黒留袖などを交互に飾っている。こうして道具の数だけを見ても、いかにバイク呉服屋の商いが、カジュアルモノに傾斜しているのかが判る。

 

多くの呉服屋では、一番豪華なフォーマルモノを、通りに面した正面のウインドなどに飾り、店内にも何本か衣桁を置いて、外からも目立つように陳列している。特に振袖の商いに力を入れている店では、やはりディスプレイの中心は振袖になっている。けれども、バイク呉服屋では振袖を店先に飾ることなど、ほとんど無い。なので割と頻繁に来店される方でも、うちの店内で振袖を見たという方は少ないはず。もしかしたら、うちでは振袖の扱いが無いと思われているお客様もおられるだろう。

確かに、成人式典の装いについては「我、関せず」であり、その場限りの衣装とする振袖を売ることには、忸怩たる思いがある。だから、店先に品物を飾ることに対して、抵抗があるのかも知れない。ただ在庫としては数点持っており、振袖に向く豪華な帯もある。もちろん売りたいとは思うのだが、積極的にウインドに飾ってアピールすることはしたくない。誠にアマノジャクな性格で、自分でも困っている。

 

新しい振袖を誂える依頼は、数年に一度だけだが、お客様がすでに持っている品物をリニューアルする仕事は、結構ある。私の祖父や父、そして私自身が若い頃に扱った品物が、20年、30年の時を越えて、店に里帰りしてくる。品物を着用したかつての娘さんは母となり、自分の娘さんを連れて、そしてお祖母さんになった自分の母も一緒に、親子三代が揃って品物を携えて来店される。

その時持参するのは、振袖と袋帯、長襦袢だけではなく、帯〆や帯揚げ、草履やバックまで、当時使った品物を全て持って来られる。まず最初に、汚れやヤケがないか品物の状態を確認し、寸法を当たる。母娘の間に寸法差があまり無ければ、直しも簡単に済む。私の経験上、極端に背丈や身巾が違うケースは稀で、やはり母と娘は体格も似るのだと思う。

こうして、母娘が同じ品物を装うことになるのだが、多くの場合、小物まで全部が一緒とはならない。どこかで新しさを出すこと、それは母から娘へと引き継いだ品物に対して、新たな個性を与えることになる。帯〆や帯揚げの色、そして刺繍衿の模様を変えるだけで、着姿が変わる。振袖と帯は同じだとしても、それは過去の母の装いではなく、今の娘の装いになるのだ。

つい先頃も、小物を全てリニューアルして、母から娘へと受け継ぐ振袖をイメージアップした。品物は、今では制作することが難しくなった豪華な黒地の絞り振袖である。これまでもブログで何回か、振袖の小物替えの姿をご紹介したが、今日は今年最後のコーディネートとして、一つの色を小物全てにリンクさせた装いを、ご覧頂こう。

 

黒地 露芝に揚羽蝶模様・総絞り振袖  金地 向かい鶴に菱松・袋帯

この黒絞り振袖と向かい鶴の袋帯は、今から30年前・1994(平成6)に、うちの店で求められた品物。成人式を含めて結婚するまでに数度手を通したが、嫁ぎ先へは持参せず、実家の箪笥にそのまま置かれていた。多くの場合このように、手入れや管理は実家の母に任せきりで、品物もそのままになっていることが多い。なので、おばあちゃんが健在な場合は良いが、もし亡くなったりしているとモノの所在が判らず、探すのに苦労することがある。

今回もそんな例に洩れず、この方の母親はすでに他界されていたため、どこに仕舞われているのか判らず、この振袖を見つけるまで大変だったようだ。そしてこの方にはお姉さんがおられて、その方の振袖も実家に保管されているので、襦袢や小物などは、どちらが使ったものか判然とせず、成人式に写した写真を頼りにして、判別したと話される。平成の初めあたりには、すでにカラー写真が一般化しているので、合わせた帯〆や帯揚げ、伊達衿や刺繍衿の色はすぐ判る。一口に30年と言うが、長きにわたって品物を保管し続けると言うのは、予想以上に大変なことである。

 

けれども、苦労して探した末に、久方ぶりに自分の振袖に対面すれば、その感慨はひとしおである。それは、「自分が着用したキモノを、自分の娘が装うこと」に対する喜び、と言い換えても良いかも知れない。本来の和装では、フォーマルモノに使う品物は上質なモノを選び、それを代を越えて使い続けるというのが、基本。祖母から母、そして娘へと女性の系譜が繋がると同時に、品物も受け継がれていくのである。そしてバトンタッチをする時には、母親は時の流れを実感すると同時に、同じ品物を装うまでに成長した娘への愛しさをも感じるのであろう。

さて、そんな想いを包み込んだ振袖一式は、飛びきりの技を駆使した総絞りのキモノと、本金糸を使った豪華な手機の帯。しかも図案は、振袖が露芝に揚羽蝶で、袋帯が有職文の向かい鶴。まごうことない本格的な古典文様であり、全く古さを感じさせない。いやそれどころか、ここまで手を尽くした品物は、もう制作することは難しいだろう。まさにこれは、時を越えて装うに相応しい一組である。

 

そこで今回改めて装うに当たり、平成の母の装いとは違う、令和の娘の装いを考えて欲しいと依頼された。結果として私が提案したのは、小物の色をひと色に統一して、イメージアップを図ることだった。もちろんこれだけ上質なキモノと帯を使うのだから、本来の雰囲気を変えてしまっては何もならない。それは受け継ぐ娘さんの個性を生かしつつ、若々しくて華々しい着姿がより表現できるよう、装いの脇役・小物を工夫するということである。では、具体的にどのようなコーディネートを考えたのか。まずはその前に、このキモノと帯それぞれがどんな品物なのか、説明するところから始めてみよう。

 

(黒地 露芝に揚羽蝶と菊花の丸模様 総絞り振袖・藤娘きぬたや)

振袖全体を露芝で割り付けし、その中には、鮮やかな挿し色の揚羽蝶と菊花弁を思わせる花の丸が、散らされている。半分の弧で描いた露芝が連続する図案は、見方によっては、青海波文のようにも見える。振袖の模様付けは、上前衽から身頃にかけて「裾模様」として描かれることがほとんどだが、この振袖は小紋の様に、キモノ全体にほぼ均等に模様があしらわれている。

そして図案は、揚羽蝶と菊を模した花弁だけの極めてシンプルなもの。蝶と花弁の大きさは均一ではなく、裾近くが大きく、袖や身頃上部に行くにつれて、少し小さくなっている。これは着姿で最も目立つ上前姿に、アクセントを付けようとする試みであろう。そしてこの振袖に愛らしさを与えているのが、華やかな蝶の挿し色。赤・黄・緑・青・紫の五色を基本とし、いずれもパステル系の優しい色で表現されている。これが絞り独特の柔らかい表情と相まって、若々しく可愛い姿を演出している。

 

上前から後身頃にかけての模様姿。蝶の模様は各々に違い、その図案によって挿し色の構成も変えられている。そこで特筆すべきは、一つ一つの蝶の姿では、それぞれに異なる絞りの技法が駆使されていること。これはその手間を考えれば、気の遠くなるような仕事になる。少しだけその一端を覗いてみよう。

この揚羽蝶と花の丸に使われているのは、縫絞りと鹿の子絞り、帽子絞り。蝶の輪郭や図案の区切りに使われている白い粒の連続は、予め生地に描かれた模様の線に従って木綿針で縫い、この縫い糸を引き締めて染めたもの。絞り技法としては素朴で単純なものだが、それだけに様々な模様を表現することが出来る。

縫い絞りを拡大したところ。白い粒の連なりが筋になり、一つの図案を構成する。筋の長さや形は異なっているが、それは模様に応じてあしらわれた丁寧な絞り仕事の跡。

菊花弁のような花の丸は、中心の花弁には縫絞りと鹿の子絞りを使っているが、外枠は色を白く抜いた小さな円のあしらいが見える。これはまず模様の輪郭を縫ってから中に芯を入れ、根元を糸で巻いて引き締める。それをさらにビニールで包んでから、固く縛って防染を施すことで、こうした模様姿が表れる。最初に生地を糸で括った形が帽子のように見えることから、この技法に帽子絞りという名前が付いている。

 

振袖の模様を区切る割付として、使われている露芝の図案。この文様は、地面に重なって繁る芝草の上で、玉のように光る水滴を表現したもの。この絞り姿でも、細い三日月状の葉を連ねているが、その輪郭部分と本体では技法を変えてあしらわれている。

模様を拡大すると、絞り表現の違いがよく判る。輪郭は丸い粒を連ねた縫い絞りで、他の部分は全て鹿の子絞りを使っている。模様以外のところを、びっしりと埋め尽くす鹿の子があるからこそ、鮮やかな揚羽蝶が浮き立ち、振袖全体を豪華な姿に映し出す。四角形の絞り粒を一つ一つ見ると、その黒い点の表情は各々に違っている。爪の先で一粒ずつつまみ、絹糸を6~7回巻いては止めるという括り(くくり)の作業を繰り返す。これだけの鹿の子を絞るのに、一体どれくらいの時間が掛かるのだろう。それだけを考えても、この振袖の価値が見えてくる。

振袖の前姿を写したところ。上前・下前共に衿から袖へと模様が繋がり、きちんと柄合わせが出来ている。蝶や菊の丸の配置もバランスがとれており、そこに露芝を重ねることによって、立体的な姿に模様が映し出しされている。絞り仕事の内容を見ていくと、これほど手を尽くした品物を制作することは、この先難しいようにも思えてくる。キモノの話がついぞ長くなってしまったが、帯にも少し目を向けてみよう。

 

(金地 向かい鶴に菱松重ね 袋帯・紫紘)

シャンパンゴールドと言われているような、控えめで柔らかい金の地色に、向かい鶴と菱松を重ねた、上品ながらも豪華できっちりとした古典的な袋帯。重厚な図案だけに、合わせるキモノの格を考えなければならないが、この黒地絞り振袖なら、十分にこれに見合うだろう。成人式の衣装というより、結婚式の衣装として装うに相応しい組み合わせかと思える。

菱形を重ねた二つの模様は、松と鶴という吉祥を代表するモチーフを使うことで、より重厚な晴れやかさを醸し出している。それ故に、少し堅苦しさを感じさせるかも知れないが、本来第一礼装として使う帯は、このような雰囲気が求められ、戦前まで使われていた丸帯の意匠では、こんな格調の高さが最も重視されていた。

菱の中の松は、何層にも重ねた姿で表現される。色は鮮やかな朱が目立ち、鶸色や紫、金色を効果的に使うことで、松模様を際立たせている。松というモチーフは、図案によっては渋くなりがちなのだが、こうして工夫することにより、振袖に合わせる帯として相応しい表情となる。

朱色の羽根を持つ二羽の鶴を、向かい合わせにした図案。このように、鳥を左右あるいは上下対称に向かい合わせてあしらう文様は、平安期の有職文様として古くから意匠化されている。この向かい文の代表的なモチーフが、鶴である。鳥文様の中では、最も格調が高く、代表的な吉祥鳥として意識されてきた。それでは目出度さの極みと言えるこの帯は、どのような小物を使って、新たに整えられたのか、これから見て頂こう。

 

お母さんの装いでは、帯〆と帯揚げ、伊達衿に鶸色を使っていた。淡い緑は、振袖の揚羽蝶や帯の松色として使われていることから、小物に用いたと考えられる。この色だと、黒と金という重厚な色の組み合わせが、少し和らぐ。ちなみに、長襦袢に付けた刺繍衿の地色はピンクを使っており、伊達衿の鶸色と重ねたことにより、重厚な中にも優しい雰囲気を漂わせていた。

前の合わせを見ると、向かい鶴と菱松の模様が、かなり前で目立つことが判る。だが、これくらい帯姿が強調されていなければ、この絞り振袖には対抗できない。そこで、柔らかな鶸色の帯〆と帯揚げを使った意図は、個性的な振袖と帯の間に入り、緩衝材の役割を果たさせようと考えたからに他ならない。けれども今回のリニューアルでは、小物は脇役に徹するのではなく、各々に存在を主張して、着姿を引き立たせる試みをしてみた。それでは、新たなコーディネートをご覧頂こう。

 

今回、小物の色を考える契機になったのは、この振袖に付いていた八掛けの紅色。裾と袖口に僅かに覗く八掛の色は、着姿からは目立たないようでいながら、印象に残る。この色は蝶模様の中でも使っているが、そもそもが黒と白の鹿の子絞りが基本となっているキモノなので、若々しさを表わすためにも、八掛けには明度の高い色を用いる必要があり、この鮮やかな紅色を選んだと思われる。

つまり、この紅色は「着姿の中で、八掛けを主張させるための色」になっていたのだ。では、これを他の小物の色として使えば、八掛け同様に、小物各々の存在を装いの中で主張させることが出来るのではないか。そしてそれは、この振袖と帯の組み合わせを、なお引き立たせることに繋がるのではないか。このように考えて、使う小物全てに紅色を取り入れることにしてみた。

 

帯揚げはシボの大きいちりめんで、桜と梅の小花が縫い取られている。帯〆は貝ノ口で、少し大きめの花を立体的に組み込んでいる。伊達衿は紋綸子。いずれも色は紅色。この小物は全て加藤萬の品物だが、こうして作り手を同じメーカーとすることで、色は特定されやすくなる。

八掛けの色と小物を合わせてみると、その統一感が良く判る。全てに紅色を使うことで、キモノと帯を小物がピタリと抑え込んで、着姿の中にポイントを作っている。つまり、全体をまとめ切る役割を果たしていることになる。黒と金に対抗できるのは、鮮烈な紅・くれないの色を置いて他には無い。

そして草履とバックにも、紅色を採用してみた。このバックには帯揚げの生地をそのまま使い、広い牛革草履の鼻緒は、刺繍衿と同じ生地を使っている。双方とも加藤萬が制作した品物なので、小物全体に統一感があるのも当たり前か。

長襦袢の衿は、白地に紅色の梅と桜、菊を散りばめて、草履と同じ雰囲気を持つ。

装いの中で小物は脇役かもしれないが、それがきらりと光って存在感を示すことにより、キモノと帯それぞれが持つ色や模様を前に引き出し、そしてあしらわれた特徴的な技まで、鮮明にする。今日の組み合わせで言えば、絞りという技の凄みと帯の華やかな織姿であろうか。

どんなに時を経ても、決して飽きることの無いスタンダードな品物。それは、延々と受け継がれてきた古典文様を、人の手で絞り、人の手で織った品物。この「手を尽くす」ことの価値は、どんな時代になっても変わることは無い。世代を越えて使う品物に求められてきたのは、まさにこれである。価値あるモノを、長く大切に使う習慣は、時代と共に消え去ろうとしている。せめて、母から子・孫へと繋ぐ仕事を依頼された際には、新しい装い手に見合った個性的なコーディネートを考えたいものだ。最後に、今日の振袖と帯の画像を、もう一度ご覧頂こう。

 

今年も12回、出来るだけ季節に応じた品物を使って、小物までの組み合わせを考えてきました。ブログの稿は月4回から3回へと減ってしまいましたが、来年も月一度のコーディネートだけは、変わらずに続けて行きたいと思っております。上質な品物を、丁寧に長く使い続ける。もうそれは、効率優先の今の時代では難しいことかも知れません。しかしこの考え方を無くしたら、この装いの根幹が、そして長い間培われてきた技の本質が失われてしまいます。

人の手を尽くして作られた品物は、汚れを落とし、寸法を直し、小物を考え直しながら、人の手を通して次世代に引き継がれていく。それは何も、特別なことではありません。人の手を蔑ろにすることが、いかに哀れなことか。それに気づいた時には、もう取り返しはつきませんね。今日も、長い話にお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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