今年も、残すところあと3日。ついこの間まで、どうにもならないほど暑かったと思っていたら、いつの間にか、コートが手放せないほど寒くなっている。それどころか、ついこの間年末の大掃除を済ませたと思ったら、もうまた年の暮れが迫っている。一年が過ぎる速さは、一つ歳を重ねるごとにどんどん加速がついてきて、全くブレーキが利かなくなっている。
この年を取るにつれ、時の流れが速まるというのは、個人各々の感覚的なものではなく、フランスの哲学者・ポール・ジャネによって、心理学的にきちんと解明されている。この「ジャネの法則」によれば、人が主観的に感じる年月の長さは、年齢に反比例するのだと言う。つまりそれは、年齢が上がるにつれて、自分の人生における一年の比率が小さくなること。60歳なら60分の1で、6歳だと6分の1。であれば60歳の10日分は、6歳の1日分の長さになる。つまり、6歳の1年が、60歳では1か月足らずにしか換算されないことになる。なるほどこれでは、一年が早く通り過ぎると感じるのも、無理はない。
けれども、こうして年越しの稿をブログに書くことが出来るのは、今年も一年、何とか無事に仕事を続けて来られた証である。もちろんそれは、お客様から様々な依頼を頂くことが出来たからこそであり、同時に、バイク呉服屋が元気に店を開け続けることが出来たからでもある。さらには、仕事を担う職人さんたちの頑張りもあってのこと。小さな店だが、こうして多くの方に力を頂かなければ、暖簾は下げ続けられない。だから、店と関わりのある方全てに、感謝の他は無い。
改めて伝票を手繰って、今年請け負った仕事を振り返ると、和裁士の手を必要とする誂えは、新しい品物・手直しモノを含めて、全部で175点。また、しみ抜きや丸洗い、洗張りやスジ消しに紋直しなど、いわゆる悉皆依頼は210点であった。今年の特徴は、婚礼に関わる依頼が多かったこと。数年ぶりに新しい黒留袖誂えの仕事を頂いたり、手持ちの留袖に合わせる帯を見立てる依頼も幾つか頂いた。そしてまた、母親の品物の寸法直しや丸洗い、紋直しなど手入れ依頼も多く、それに付随して長襦袢や草履バックを新調される方もおられた。
コロナ禍もあって、ここ数年礼装に関わる仕事、特に婚礼関連はかなり少なくなっていたが、今年は少し復活した感がある。簡素化と言われて久しい結婚式や披露宴だが、やはりその場に相応しい装いがあり、こだわりを持ってその日を迎えられる方が、少なからずおられるということを再認識させられた。儀式としてきちんと捉える方の衣装はどうあるべきか。依頼を受ける呉服屋側では、いつでもきちんと答えを出せるよう、準備をしておく必要があるだろう。
ということで、今年バイク呉服屋では、主流となっているカジュアルに加えて、フォーマルモノに関わる仕事も多く頂くことが出来た。何も宣伝はせず、展示会一つ開かない小さな店としては、十分な依頼数であり、本当に有難いことだった。さてそこで、今年も仕舞いの稿となった訳だが、例年通りその年の干支・辰(龍)にちなむ文様の話をして締めとしたい。では、始めてみよう。
四神獣文・龍文 手機袋帯(泰生織物)
中国伝来の龍文は、万能の力を持つ神の獣とされ、帝を象徴する高貴な文様と認識されていた。龍は中国神話の上で、天界を司る四獣(龍・鳥・虎・亀)の一つで、それは各々に青龍・朱雀・白虎・玄武の四神と位置付けられていた。その中で龍は東方を守護する神で、四季の中では春を司っていた。
龍が架空の動物文様として伝来したのは飛鳥時代で、7世紀末に築かれた奈良・明日香村のキトラ古墳の石室には、四神獣を描いた古墳が残されており、また薬師寺金堂の薬師如来台座にも、四獣の姿が見られる。この時代、仏教を始めとする様々な文化が、日本国内で急速に受容されており、こうした文様もその一つであった。高貴な龍文は、日本でもそのまま恭しい吉祥文様となったが、中国ほど身分を象徴する図案とはならず、使用を規制されることも無かった。
お目出度い龍の図案だが、単独でキモノや帯の意匠となることは稀で、多くはこの帯のように四獣文の一つとして用いられている。なので、品物として龍文に出会うことは少ない。なお、この帯で龍と一緒にあしらわれている鳳凰は、龍と同じ時代にもたらされた文様だが、縁起の良い瑞鳥を意味するこの架空の鳥は、龍とは対照的に様々に意匠化されている。天皇の袍の文様・桐竹鳳凰文としても採用されているように、現代でも優美な吉祥モチーフの一つに数えられ、その人気も高い。
四獣勢ぞろいの文様は、霊格の高い特別な雰囲気を醸し出すが、この帯図案は丸文として中央に配され、そこにデザイン性の高い唐花文を添えることにより、上品さと華やかさを兼ね備える吉祥模様となっている。それは、飛鳥や白鳳期の装飾を想起させるような、優美な帯姿になろうか。
龍の文様は染織品では少ないものの、金工品などには数多くあしらわれ、特に6世紀前半・古墳期に伝来した刀剣(高麗刀)の環頭(かんとう・太刀の柄の部分に付けた環状の飾り)には、走る龍の姿が精巧に表現されている。龍に代表される四神文は、仏教美術の文様が確立される直前に海を渡って伝来したもので、黎明期の外来文様の一つと位置付けることが出来よう。
この帯は、柔らかな橙色地の女郎花模様・加賀友禅訪問着(宮野勇造)と組み合わせている。取っ付き難い龍の姿も、こうして図案を工夫することで、品の良い帯姿として表現出来る。この帯には、本金引き箔糸と銀の蒸着糸を併用して使っており、それを手機で織ったもの。重厚な金地色な帯だが、驚くほど軽くしなやかで、その風合いからも質の良さが伺える。
龍は、水の中に棲み、雲に乗って飛翔して雨を降らすという空想動物で、全ての生き物の祖とされる。その形は時代のごとの思想により変化し、頭は駱駝で胴は蛇、角は鹿で目は鬼、さらに鱗は鯉で耳は牛、そして爪は鷹で掌は虎に似る。時に翼を持ち、火焔を噴射し、宝珠を握る。その形姿には、それぞれに意味を持つ。万能の力を持つ龍の文様は、吉祥を表現する最上のモチーフ。鳳凰ほどポピュラーでは無いが、高貴なることの象徴的な図案であることには違いがない。
龍や鳳凰文、また四神獣文に限らず、吉祥文様の多くは、留袖や振袖などの第一礼装のあしらいに用いられている。今年は、久しぶりに婚礼に関わる依頼を幾つかお受けしたが、やはり選ばれた品物には、目出度さを象徴する吉祥的な意匠を施したものが多い。やはり厳かな中で映える文様は、時代を問わず変わらないことを、改めて認識した。
龍から蛇へと、同じように鱗を持つ干支へとバトンが渡されるが、古来からウロコの文様は、魔除けや邪気を払う力を持つ縁起文として、武具や家紋、旗印などに使われてきた。今年は年明けから能登で地震が起こり、激しい気象による災害も頻発した。また世界を見渡せば、ウクライナやパレスチナでの戦争は一向に収まる気配はなく、新たな対立を生み出す要因も世界各地に見える。来る蛇の年は、その文様の力にあやかっても、災害が無く、平和な年になるようにと願わざるを得ない。
今年は職人さんの中で、亡くなられた方がおられたり、体調を崩して休んでしまう方もおられて、仕事を進める上で困ってしまうことが何度かありました。改めてバイク呉服屋にとって、「職人さんの存在が生命線」であることを認識しました。経験豊富な方は、もうすでに得難くなっており、探したところで簡単には見つかりません。「直すこと」を基本とする呉服屋では、「直せる人」がいなくなったら、暖簾を掛けることが出来なくなってしまいます。
そしてきちんと手をかけて誂えた品物も、極端に少なくなっているようです。質の高い価値ある品物を求める方が減ったことで、モノづくりに携わってきた職人さんの仕事も無くなり、コロナ禍以降、次々に辞めてしまいました。「作る人」がいなくなれば、当然良質な品物を店に置くことも難しくなり、これまた暖簾を掛けることが出来なくなってしまいます。
直し手と作り手が消えていく割合は年ごとに加速し、何れ全くいなくなってしまうでしょう。その時がいつになるのかはわかりませんが、残された時間はどうやら少なそうです。質の良い品物を求めて頂き、それを長く使って頂く。難しい時代になりましたが、出来る限りこのコンセプトを守り、来る年も自分らしく頑張りたいと思っています。
最後になりましたが、今年関りを持たせて頂いた全てのお客様に感謝をしつつ、ブログの稿を閉じたいと思います。本年も、最後までお読み頂き、ありがとうございました。なお新年は、6日・月曜日から店を開ける予定です。