バイク呉服屋の忙しい日々

ノスタルジア

60年ぶりに、陽の目をみる  バイク呉服屋・五歳の祝着

2024.11 12

先日、七五三詣りの撮影を禁ずる神社が増えているとの情報を耳にした。本当なのかと驚いたが、これは家族が撮るスナップ写真ではなく、プロカメラマンによる出張撮影を制限したものだった。神前結婚式を挙げる際には、撮影を依頼する話はよく聞くが、子どもの七五三にまでとは思わなかった。世の中には、節目の姿を出来る限り良い写真で残したい、とこだわる家族が結構いるらしい。

江戸時代まで子どもは、「七つ前は神のうち」と認識されていたように、七歳まではいつ神に召されるか判らない、脆い存在であった。だから七五三の通過儀礼は、各々の年齢まで無事に育ったことを、神に感謝する重要な行事と位置付けられていた。もちろん、家族皆で喜ぶべきお祝い事には違いないが、あくまでも宗教施設内での儀式である。一歩でも神の領域に入れば、節度が求められるのは当然のことだろう。

 

撮影を演出する道具として、シャボン玉を吹いたり、枯葉を散らしたりするほか、写り込んでくる通りすがりの人をも移動させようとする。こうした過度の「記念撮影」が、参拝者との間でトラブルになり、お詣りを受け入れる神社側も対応に苦慮する。無論、祈願の場所として選んでもらうことは有難いが、あくまで儀礼であり、その家族だけが満足出来るイベントではない。きちんと場所を弁えて、事に当たって欲しいのだ。

昨今では七五三と成人式が、唯一多くの人がキモノに手を通す場となっているが、どちらも儀礼であることは横に置かれて、単なるイベントに成り下がっている。神社での勝手なふるまいもしかり、意味もなく続けられている自治体主催の式典もしかり。そして本質を疎かにした通過儀礼の装いは、残念ながら、すでに形だけのものになっている。

 

七五三の衣装や振袖は、「その日限りの装い」として、今やレンタルが主流。しかし昭和の頃には、子供が生まれると判れば産着を用意し、七五三が近づけば祝着を誂え、振袖はフォーマルの装いとして欠かせない品物と認識していた。そしてこうした儀礼用のキモノや帯は、一代で終らず、世代を越えて使うものと考えられていた。だからどの家でも、儀式が終わるときちんと手入れをし、長い時間仕舞うことに備えたのである。

うちの店にも毎年、夏が終わるころになると、子や孫が七五三詣りで装うために、家に保管されていた祝着一式が持ち込まれてくる。ほとんどの場合、寸法を直すなど少し手を入れただけで、十分に使えるようになる。多くが30年以上経過している品物だが、そこには家の歴史そのものが根付いており、重みのようなものを感じさせてくれる。これこそが、本来の通過儀礼の装いかと思う。

 

さて我が家にも、使われることなく眠り続けている「儀礼の衣装」がある。それが、私が五歳の祝いで着用したキモノと羽織、袴一式。私には娘しかいなかったので、装う機会はなく、すでに60年が経過してしまった。しかしながら先日、ある理由から箪笥から出して状態を確認することになった。そこで今日は、今月が七五三の祝い月でもあるので、久しぶりに陽の目を見たこの衣装を、皆様にも見て頂くことにしよう。

 

藍色地 格子模様五歳長着・羽織 茶鼠五歳絹縞袴・博多献上帯(1964年)

私が五歳の祝いをしたのは、1964(昭和39)年のこと。この年は、東京オリンピックが開催された年。もはや戦後ではないと言われた昭和30年代初頭から、オイルショックが起こった昭和47年頃までは、年に10%も経済規模が拡大する高度経済成長期。この間に開催された東京オリンピックと1970(昭和45)年に開かれた大阪万国博覧会は、それを象徴する一大イベントであった。

この頃の呉服屋商いは上り坂で、直後の昭和40年代にピークを迎えることになる。おそらく両親も祖父母も、仕事に追われる毎日だったであろう。私は、そんな中で生まれ育った。そして誕生した時には、だれもが「呉服屋の跡継ぎ」が出来たと喜んだのではないかと、想像に難くない。そんな子の五歳の祝いであり、ましてや呉服屋の倅である。当然その装いは、こだわり抜いて誂えた品物であることは間違いない。

 

この一式を選んだのは、父か祖父のどちらかのはず。柔らかい藍色の地に、茶とグレーを組み合わせた格子縞という、極めてシンプルな図案。そして袴も同じ茶とグレー二色の縞袴を合わせ、帯も茶の博多献上縞を使っている。上の画像を見ても、色合いも模様もピタリとコーディネートされており、やはり「プロが選んだ装い」であることを強く感じる。もちろん色柄だけでなく、素材もしっかりしている。こうして今見ても、シンプルな中にあっても、その個性が前に出ている。

それでは、各々がどのような品物なのか、一点ずつ具体的に見ていくことにしよう。

 

長着(キモノ)を後ろから写したところ。前身頃と同様、背から両袖まで格子模様が繋がっている。地色は、紺より少しだけ柔らかみのある藍色。男児の祝着では、黒や濃紺、あるいは濃茶など深い色が主流だが、薄くなると表情が優しくなる。

模様の格子縞を拡大してみた。よく見ると格子は、薄茶色の太縞を交差させた中に、鼠色の細縞交差と緑色の極細縞交差を入れている。つまりこれは、太さと色の異なる三種類の格子を複合させた幾何学文になる。直線で構成される格子は、単純だが、組み合わせ方によって多種多彩な図案が形作れる。この格子にも、優れたデザイン性を感じる。

男の子の祝着と言えば、兜や鷹など、戦国武将になぞらえて、強さや逞しさ、あるいは格好の良さが前に出る模様が一般的で、このようなデザイン的な幾何学文様だけをあしらった品物は、最近ほとんど見かけたことがない。だからこそとても斬新で、すっきりとした姿にみえる。今から60年前は需要も旺盛な時代で、「レンタルで済ませる家」は少なかったはず。だからその分、様々な意匠を考えて、品物が作られていた。おそらくこの時代は今のように、「男の子の図案はコレ」とは決まっていなかったはずだ。

羽織の格子模様も、キモノと全く同じ位置に同じようにあしらわれている。肩揚げで隠れているが、胸にも紋が入っている。羽織・キモノ共に五つ紋付で、子ども衣装であっても「第一礼装」の装いであることが、きちんと意識されている。

男児の祝着は、色と図案を揃えたキモノと羽織をセットにして売られているが、それは昭和の時代も同じであった。羽織紐は、白と紺の二色組で地色とリンクしており、しっかりと前姿のポイントになっている。羽裏も、礼装を弁えた白地の綸子。

キモノと羽織の後姿を並べてみた。藍の地色と格子を構成する色とのバランスが良く、着姿全体に規則性が生まれている。男の子らしさを優先する模様ではなくとも、祝着として引き締まった姿が演出出来る意匠。格子というさりげない図案でありながらも、その着姿はとても個性的。いかにも、品物に精通した呉服屋が選んだ一式と言えよう。

袴は正絹で、グレーの地に茶と鼠色の縞を交互に付けた米沢平。子ども袴と言えども、しっかりと織り込まれていて、地厚。最近の縞袴の色は、黒とグレーの組み合わせがほとんどなので、こうした茶色縞は見かけない。帯も博多の献上縞で本格的。色を袴の茶に合わせているので、ピタリと着姿が決まる。

袴の縞を拡大すると、鼠縞はほんの少し緑を含む薄い鶯色のように見える。キモノと羽織にあしらわれている格子の茶色と、袴縞の茶色、さらに帯の茶色がリンクしている。ポイントになる色を茶色と定めて、この一式をコーディネートしていることが見て取れる。何を基準に考えれば、着姿が決まるかということを、よく理解している人が選んだ品物。この辺りに、呉服屋の息子(孫)に相応しい祝着を用意しようとした、父や祖父のこだわりが見える。

60年ぶりに箪笥の中から引き出された、五歳の祝着。改めてその品物を見ると、その当時父や祖父が抱いた「私への思い」が判る気がする。通過儀礼で使われる装いには、子どもの成長に対する家族の喜びが込められている。そして時代を経て、改めてその品物に出会った時、それがとても大切なモノだったことを再認識する。世代を超えて、再び着用しようとする理由は、そんな思いが背景にあるからなのだろう。

 

(墨暈し地 市松宝尽くしに松模様 型友禅男児産着・千切屋)

今回、私の祝着が陽の目を見たのは、この初宮詣りの産着に理由がある。それは、私の長女に男の子が生まれたから。箪笥の中からは、私が使ったと思しき掛けキモノ(産着)は見つからず、結局この新しい品物を誂えることになった。ただその時に目に触れたのが、ご紹介した五歳の祝着だったので、ついでに状態を確認したという訳である。

品物には目立った汚れもなく、良い状態で保管されていたので、五年後には安心して使えることになる。初孫が誕生し、バイク呉服屋もとうとう本当の爺になってしまった。嬉しいような、残念なような、少し複雑な気持ちがしている。

 

恥ずかしながら、バイク呉服屋・五歳の祝着姿をお目にかけましょう。60年前にはまだ、カラーフィルムがあまり普及していませんでしたが、ご覧の通り「総天然色」の画像が残っています。これを見ると、今日ご紹介したキモノと羽織袴の地色や模様が、どのように映るのかが判ります。わざわざカラー写真で着姿を写しているくらいですので、家族はよほど私の成長が嬉しかったのでしょう。

家内は何度も、私の母から、「あの子(私のこと)の小さい頃は、本当に可愛い子どもだったのよ」と聞いていたそうです。実際に私が高校生の頃、よく「昔は可愛かったのにねぇ」と残念そうに呟いていました。顔も性格も、これほど可愛げが無くなるとは「想定外」だったに違いありません。今思えば、大変申し訳ないことをしたような気がします。果たして私の孫は、どんな子に育つのでしょうか。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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