本来なら、湿度が低く晴天が続く10月下旬から11月初旬は、キモノの虫干しや湿気抜きには絶好の季節だが、今年は10月半ばを過ぎても涼しくならず、25℃以上の「夏日」が続く。なかなか、秋特有のカラリと澄んだ空気に入れ替わらないので、キモノに手を入れるタイミングが難しくなっている。
夏の間着用した薄物や単衣モノは、汚れを点検しながら片付けて、仕舞っておいた冬モノを出す。昔なら、箪笥のたとう紙に入っているキモノや帯を全て出して、部屋で陰干しして風を入れたものだが、最近では面倒で、なかなかそこまで手が回らないとの声も聞く。もしも大変なら、たとう紙を開くだけでも、あるいは箪笥の引き出しを開けるだけでも、何もしないよりは効果がある。とにかく、品物廻りの空気を入れ替えることが大切。この作業は、品物を良い状態で長く使うためにはどうしても必要で、皆様には何とか励行して頂きたいと思う。
さてこの時期には、日本最大の虫干し事業も行われている。それは、奈良東大寺の宝庫・正倉院で執り行われる宝物の点検と確認。その際同時に、宝庫の掃除や防虫剤の入れ替えも行われる。正倉院には、整理中の宝物が置かれている東宝庫(1953年建築)と、整理済の宝物が収蔵されている西宝庫(1962年建築)があるが、毎年秋に点検されるのは、収蔵済みの西宝庫。
この正倉院の宝庫は、たとえ職員でも、いつでも自由に開けて入れるという訳にはいかない。点検は毎年10月~12月と決められており、宝庫を開ける時には「開封(かいふう)の儀」が恭しく執り行われる。そもそも正倉院の蔵は、天皇の命令により封されている場所であり、開くには天皇の認可・勅許(ちょっきょ)を必要とする。開封の儀は、その儀式なのである。
今年も、今月2日に開封の儀があり、現在は職員が約9000点にも及ぶ宝物を、一点ずつ丁寧に点検している。そしてこの虫干し整理期間に合わせるように、毎年正倉院展が開かれる。第76回となる今回は、10月26日から11月11日までの約半月間。場所は例年通り、奈良市の奈良国立博物館。今年は初出品10件を含む57件が、一般に公開される。
と言うことで、今月のコーディネートでは、正倉院収蔵品に数多く見られる、天平唐花・唐草模様をあしらったキモノと帯を使い、あまり畏まらない、軽やかなよそ行き姿を考えてみたい。今年のコーディネートでは、8月に使った栗山工房の型絵染帯以外、唐草系の品物は登場していない。この手のあしらいが好きなバイク呉服屋には、意外なことである。それでは、始めてみよう。
(藤袴色 紋綸子 道長取唐花模様・付下げ 金地 ペルシャ唐草文・袋帯)
元々、正倉院の蔵は三つ(北倉・中倉・南倉)に分けられ、それぞれに意味合いの異なる品物が収蔵されていた。北倉は、光明皇后が奉献した聖武天皇縁の品物が収蔵されており、優美な宝相華文に彩られた鏡や琵琶などの用度品、あるいは大きな唐花をあしらった花氈(かせん・敷物の一種)などに代表される。
今回の正倉院展で公開される北倉の代表品は、紫地鳳形錦御軾(むらさきじおおとりがたおんしょく)。軾とは、朝廷行事の際、主席者がひざまずいて礼拝する時に引く布のこと。ここにあしらわれている文様は、葡萄唐草を用いた円のまん中に鳳凰を置き、その傍らには菱形の唐花文が添えられている。鳳凰は中国発祥で、唐花は西方アジアからやってきた図案。つまりこれは、東西の文様を融合させた模様になる。この文様は、1998(平成10)年の正倉院復元事業の中で、再生されている。北倉は、室町期から天皇の許可が無いと開けられない「勅封倉」となっており、三つの倉の中で最も重要な収蔵倉と認識されていた。
中倉の収蔵品は、武具や装身具、遊戯具からガラス製品までと、広範囲に内容は広がっているが、特に箱類は螺鈿や獣の皮、漆に金銀泥で文様を描いたものなど、多彩な品物が見られる。今回中倉から出品されるものは、紅牙撥鏤尺(こうげばちるのしゃく)。撥鏤尺は物差しの一種だが、計測用ではなく儀礼の中で使われたと考えられる。
この物差しの図案は、長さを10区画に分けて、唐花文と頭に花を乗せた鹿・花鹿や天を駆ける馬・天馬の姿を交互に描いている。天馬は、ササン朝ペルシャの文様によく登場しており、シルクロードを経て奈良の地まで辿り着いた、天平モチーフの一つ。
最後に南倉だが、ここの収蔵品は東大寺に関わるものが多い。大仏開眼会で使われた裁文(さいもん・文様を透かし彫した金属板)や仏具類、あるいは、歴代の天皇が献納品を載せた几褥(きじょく・机の敷物)、さらに螺鈿製の鏡や、銀の薄板を文様に切って漆を塗り、後で文様部分を剥ぎ取る「平脱(へいだつ)」という技法を使った鏡箱も見られる。
今年の公開品は、黄金瑠璃鈿背十二稜鏡(おうごんるりでんはいのじゅうにりょうきょう)。十二稜形とは、花の中心に六弁唐花を置き、その周囲を小さな六弁唐花が囲む。さらにその周りに渦巻状の六弁唐花が囲み、一番外枠に隙間から先端だけを覗かせる六弁花を置く。そうすると、美しい曲線を持つ十二稜形の宝相華文様となって現れる。この装飾鏡は、黄色と緑、薄い緑の三種の釉薬で背面の宝相華を表現した七宝細工。
正倉院の装飾にあって、切っても切り離せないのが唐花文様。その豊かなデザインは、現代のキモノや帯の意匠として様々に表現され、品物の中に息づいている。また前置きが長くなってしまったが、今回取り上げるキモノと帯には、どのような唐花のあしらいが施されているのか、これから見ていくことにしよう。
(薄金地 ペルシャ更紗文様 袋帯・紫紘)
いつもはキモノから紹介することが多いが、今日は帯から話を始めてみたい。今回のコーディネートでは、どちらかと言えば帯の図案の方に斬新さがあり、制作したのが平安・国風的な意匠を得意とする紫紘という点も見逃せないところだ。
地はやわらかな金色が主体で、8つの小さな三角形を輪郭にして繋げ、その円の中に小花を散らして入れている。三角の部分だけ白地になり、模様全体はどことなく「ダビデの星」の変形のようにも見えている。花卉のモチーフは特定できず唐草的ではあるが、模様の配置や蔓で繋がらない構図から考えれば、正倉院的な文様ではなく、室町から桃山期に伝来した更紗文であることが判る。
模様を拡大すると、あしらいがよく判る。花に囲まれた中心には孔雀や鳳凰のような鳥が見える。更紗の発祥はインドだが、制作された地域によってモチーフや図案は異なる。古くは4世紀あたりから海外へ輸出されており、ヨーロッパや中東地域では、インド更紗やジャワ更紗の模様を模倣しつつ、地域ごとに特徴ある意匠の工夫を凝らすようになっていった。
更紗を模様付けしたイスラム圏への輸出品は、礼拝用のマットや掛け布が多く、従って図案は唐草の葉や蔓をモチーフにしたアラベスク文様が中心となる。イスラム教では偶像崇拝が禁じられていたために、古代から装飾の中心は唐草・唐花であった。つまり更紗文様と言えども、その図案の源流は、天平文様として使われているのと同じ、聖樹文や唐草文なのである。この辺りに唐草というモチーフの奥行きの深さと歴史の連続性が伺える。
特定は出来ないが、孔雀的な鳥や鳳凰と思しき鳥の姿がある。更紗には花や鳥だけでなく、人物や各種獣、あるいは雲や石など様々なモチーフが使われる。そして模様の形式も、格子や石畳文や輪違文、螺旋の連続文など、幾何学的な図案を反復するものと、この帯模様のように、絵画的な花鳥を表現したものに分けられる。
この幾何学形式と花鳥模様を繋ぎ、一つの装飾模様として完成させる役割を持つ模様がある。それが「イセン」と呼ばれるもので、代表的なモチーフは卍文やウロコ文である。ウロコと言っても、日本の鱗文のように三角形を積み重ねた図案ではなく、青海波文のように円弧を繋いだもの。この帯図案の全体を見れば、それがまさに三角鱗を重ねた構成文であると判る。更紗文は、幾何学文と花卉文の融合であることから、この帯意匠のような、空間の少ない密集した模様となることが多い。
三角の囲み模様を中心にお太鼓を作ると、何ともモダンな帯姿となる。更紗を構成する花は小さく、唐花特有の洋っぽさを感じさせる。袋帯として堅苦しい雰囲気はなく、図案の可愛さも目に付く。それではこの帯に相応しく、気取らないフォーマルを演出出来る付下げを考えて、合わせることにしよう。
(藤袴色 割菱紋綸子 道長取に唐花模様 型友禅付下げ・菱一)
秋の七草の一つ・藤袴の花色は、僅かに白っぽい紅色を含んだ薄い紫色。この付下げの地色は、そんな藤袴の小さな花を思い起こす、控えめな色。綸子生地の地紋は、割菱の中に小さな唐花を入れたもの。図案の形式は、ごくオーソドックスな道長取りで、それほど模様の嵩はなく、フォーマル使いの付下げと言えども、仰々しい感じは受けない。小紋を使うのではなく、少しだけおめかして出掛ける際には、こうした気取りのない付下げが重宝するはず。
着姿のメインになる上前身頃と衽を合わせたみた。道長取りは二重構造になっていて、上が四弁唐花を二つ重ねた文様で、下が菱文の内側に小さな六弁唐花をあしらったもの。色も上が赤茶色で下が鶸色と、はっきりと区分けされている。道長取りの特徴を生かした、流れのある図案構成になっている。
宝飾的な要素の強い唐花は、モダンで華やかな印象を持たせるには、格好のモチーフ。しかも、蔓や葉で花を繋ぎ合わせているので、自由な雰囲気のある意匠に仕上がることが多い。唐花文は、季節性が重視される植物文とは全く異なる、デザイン優先の空想花文。だから、使い勝手が良いのだ。
菱取唐花の図案の間には、小さな唐草を這わせている。模様の挿し色がほとんど淡く、それがおとなしい地色と相まって、このキモノに優しく控えめな印象を与えている。道長取は、平安貴族の中で流行した、装飾和紙を接ぎ合わせた料紙の姿に端を発しており、それはある意味で和的な模様構成と言える。けれどもモチーフに唐花を使ったことで、一気に天平的な図案へと変化する。となるとこの付下げの意匠は、和風と唐風を折衷したものになろうか。
ではこのキモノを、唐草を一面に散りばめた更紗帯と合わせると、どのような装いになるのか、試すことにしよう。
キモノと帯双方の、図案も色もそれほどインパクトはない。けれども、唐花・唐草模様の特徴でもある自由なモダンさが着姿全体に表れるように思う。まさにそれが、気取りのないフォーマルである。目立つことは無いが、きちんとした装いになっている。付下げというアイテムは、こうした場面で力を発揮する。
モチーフがリンクしたキモノと帯を合わせると、少しくどくなることがあるが、自在なデザイン性を持つ唐花や唐草だと、その心配はあまりない。こうして前姿をみると、帯の唐草とキモノの唐花のあしらい方に明らかな違いがあり、その出自による模様付けの変化が見て取れる。更紗文と唐花文との違い、ということになるだろうか。
小物はあえて目立たせずに、着姿の中にそっと添えるような色を考えた。似た者同士とも言えるこのキモノと帯のコーデでは、あえて帯〆でポイントを付ける必要がなく、全体を同じトーンでまとめる方が、品物が持つ個性を生かせると思えたからである。 (鶸とベージュ貝ノ口帯〆・龍工房 鶸色雲取暈し帯揚げ・加藤萬)
今回は唐花と唐草を使って、肩の凝らない「よそいき衣装」を試してみた。規則性のある花弁図案と自在に伸びる蔓。この二つが加味されることで、無数の模様デザインが生まれる。抽象性を持ちながら、華やかさが演出出来るモチーフ。これは、唐花・唐草だけが持つ特異性であろう。その美しさは、和模様のように定型化されない図案の自由闊達さが、大きな要因となっている。やはり唐花文様は、人を飽きさせない。
最後に、今日ご紹介した品物を、もう一度ご覧頂こう。
一般的に古代からの遺物と言えば、それは地中から出土した品物を思い浮かべます。けれども正倉院の宝物は、海をこえてやってきた伝来品であり、またそれを基として当時の人々が制作したオリジナル品です。これを1200年以上もの間、ずっと宝庫で収蔵し続けてきたこと。そして今に至るまで、当時のままに美しさを保っていることは、まさしく奇跡的なことと言えましょう。
奈良期に成立した律令制度や条里制など、国家を成立させるために基本となることは、すべて唐の制度が模範になっています。ですので当然大陸の文化に対する憧れは強く、それを受容しようと強く望むことは、必然であったのです。結果として、大陸から多くの美術工芸品が届き、東西融合の文化を象徴する文様もやってきました。
唐草文や唐花文は、シルクロードを通じて、各々の国の文化を受容しつつ形作られた文様であり、それはいわば、世界共通の「装飾文様」でもありましょう。いつも感じることですが、こうして現代のキモノや帯の意匠となっている文様を探ることは、歴史の深みを垣間見ることに繋がっているように思います。今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。