バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

9月のコーディネート  夏絣と型絵染帯で、季節の狭間を心地よく

2024.09 25

秋の折り返しとなる秋分を過ぎても、一向に涼しくならない。空の上では、未だに入道雲が幅を利かせ、イワシ雲やウロコ雲は一体どこへ行ったやら。日中の気温は平気で30℃を越え、その上夕方になると突如雷鳴が響き、ゲリラ豪雨が街を襲う。ここ数年、十五夜のお月見の時には、まるで秋が感じられない。

「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように、昼と夜の時間が同じになる秋分の頃を境に、季節は動くと人々に意識されてきた。そしてこの秋分の初候(二十四節気を三区分した七十二候)は、「雷乃収声(雷の鳴る声、収まる)」と表現されているが、それは文字通り、この時期に雷雨が終息することを意味する。けれども地球の温暖化は、季節のうつろいを示す自然界のサインを、簡単にうち消してしまった。

 

七十二候の中には、春分の末候に「雷乃発声(雷、声を発す)」があり、秋分の雷終息の候と対をなしている。七十二候の名前は、季節ごとの特徴的な自然現象や生き物の習性で表現されているが、これは農作業の一つの目安にもなっている。だから雷の始まりと終わりも、農事と大きな関りを持つ。

雷の別名は、稲妻。そのまま読めば、イネの妻と言うことになるが、これだと意味が全く分からない。けれども、雷が稲を成長させる道具と考えれば、合点がいく。古来から、雷が多い年は豊作と言われてきたのだが、後年の研究から、雷には空気中の窒素を変化させて、天然の肥料・窒素化合物を生成する力があり、それが雨と共に降り注ぐことで、作物を成長させると判った。つまり雷は、稲の成長を助ける妻のような存在だったのだ。いにしえの人々の、自然現象を見抜く力を感じさせるエピソードである。

さてそんな訳で、ここのところ9月のコーディネートでは、夏と秋の狭間で、どちらの季節にも対応できる品物を組み合わせて、ご紹介しているが、今年も「秋なのに、まだ夏」の今の気候そのままに、夏素材のキモノと秋素材の帯を使って、カジュアルな装いを考えてみよう。どっち付かずの季節なので、どうしても使う品物が輻輳するのだが、裏を返せばそれが、この季節だけに許される個性的な装いともなる。

 

(薄茶色 ヒチサギー模様・夏琉球絣  芥子色 小花に蝶模様・型絵染紬帯)

長い夏休みが終わり、新学期が始まる9月は、新たなスタートを切る月でもある。そして季節も夏から秋へと動くので、否応なく気持ちもリセットされる。けれどもここ数年は、学校が始まっても全く涼しくならず、ずっと夏の延長が続いている。なので、何となく釈然としないまま、日常が始まってしまったような感覚に陥っている。おそらく季節感の喪失と言うのは、こんなところから始まるのだろう。

和装においても、9月の装いは何をどのように組み合わるべきか、一番悩ましい月かと思う。長い間しきたりとして、6月と9月は単衣と決められていたが、今はそんなことも言っていられなくなった。すでに5月初旬には、日中の気温が30℃を越える夏日が記録され、それは10月初旬まで続く。人によっては、日本は温帯から亜熱帯の国に変わりつつあると言うが、本当に夏が長くなっている。これでは、装いの姿は必然的に変わらざるを得ない。

 

同じ単衣月でも、夏に向かう6月は、季節の先取りという意識もあって、一足早い夏姿にもそれほど抵抗が無い。けれども、秋へと向かう9月はすこし様相が異なる。夏と遜色がない初旬では、盛夏と同じ薄物を使うことに迷いはないのだが、秋分を過ぎる頃になると、いくら暑くとも秋らしい姿を意識する。これは、先々の季節の深まりを考え、相応しい装いをすることに思いを馳せるからだ。

心理的には秋を意識しながらも、体感的には夏。このミスマッチと言うか、バランスの悪さが、装う品物を迷わす大きな要因になっている。それでは、この悩ましさを少しでも解消して、腑に落ちる着姿を作るにはどうしたらよいのか。その一つの工夫として考えられるのが、夏秋双方の品物を併用すること。キモノと帯のどちらかに夏モノを使う時、片方は秋モノにするという「折衷案」である。

この時注意したいのは、使う品物の素材や模様が季節に偏らないこと。一方が思い切り夏で、もう一方が明らかに晩秋の風情ならば、恰好が付かなくなる。なので、夏物と秋物の境はあっても、中間的な要素を持つ品物同士の組み合わせが求められる。前置きが長くなったが、このテーマの下でどのような品物を組み合わせたのか、これからご覧頂くことにしよう。今回は9月の装いなので、まずは秋バージョンの帯からご紹介する。

 

(芥子色 連山に小花と蝶模様 型絵染紬九寸帯・岡本紘子)

秋の色を考える時、どうしても季節の深まりが念頭にあるので、臙脂色や朽葉色、葡萄色など、落ち着いた深みのある色を選ぶ傾向がある。朧げな春にふわっと装いたくなる、淡いパステル色とは対照的だ。ただ、まだ暑さの残る時期の装いであることを考えると、あまりに深い色の表情だと、尚早感が強くなる。

この帯の地色は芥子なので、確かに秋らしさを持つ色であるが、模様は連山に小花と蝶をあしらった可愛い小紋柄で、型絵染らしい豊かなデザイン性を持っている。挿し色は赤・黄・緑の三原色をふんだんに使っているが、それが紅葉という感じでもない。つまり、この帯には季節を秋と限定する雰囲気があまり見られないことになる。季節性を感じさせないことで、使いやすくなることも多いが、この帯もそんな品物の一つである。

 

梅花と菊花、蝶と蜻蛉をモチーフにし、思い切り図案化した可愛くて楽しい帯模様。幾層にも切り込まれた花弁や蕊、そして白場を生かした蝶の羽などには、図案を切り抜いた型紙の表情が、作り手の個性としてそのまま表れている。挿し色も明るい色しか使っていないので、模様全体が躍るような感じ。

良く見れば、山とお花畑の間には白い水玉と黄色の水玉が飛んでいる。菱形に切り込まれた山の姿は、その一つ一つが不揃いで、型紙に刻まれた手仕事の跡を残す。友禅では模様の輪郭・糸目に作者の個性を刻むが、型絵染の場合には、図案を紙に切り抜ぬいているため、独特の摺り模様となって表れる。

 

作者の岡本紘子さんは、型絵染の巨匠・芹沢銈介の弟子。1942(昭和17)年、東京・目黒に生まれ、女子美術大の短大部で生活美術を専攻。学生時代に師事したのが、後に学長となる柚木紗弥郎(ゆずきさみろう)である。柚木は、戦前に東大文学部で美術史を学んでいたが、学徒動員により頓挫、戦後は岡山の大原美術館で働いていた。そこで出会ったのが芹沢銈介の作品群で、これに感銘を受け、芹沢の下で型絵染を学ぶこと決意。女子美の講師をしながら、芹沢が主幸していた制作集団・萌木会へ入会する。なお芹沢自身も、1949(昭和24)年に女子美の教授に着任している。

岡本さんは、中学から女子美の付属へ通ったが、中学2年生の時に大学部の文化祭で、工芸科に所属する学生の作品を見たことで、染に関心を持つ。そんな彼女が大学で柚木と出会ったことで、卒業後に芹沢が蒲田の自宅で開いていた「芹沢染紙研究所」に入り、本格的に修行の道に進むことになった。そして、同じ芹沢門下生の岡本隆志氏と結婚後、1976(昭和51)年からは神奈川・湯河原町に工房を設け、ご主人と二人で型絵染の製作を続けている。

岡本さんの図案は、小さな花と小さな鳥を生地いっぱいに散りばめているものが多い。この帯も、お花畑の中を蝶や蜻蛉が楽しそうに飛び回っている。どの作品を見ても、明るい色のリズムが全体から感じられるので、否応なく気持ちが前向きになる。

遠山の姿も、度々岡本さんの作品の中で顔を出す。師・芹沢銈介も山の連なりの中に、四季の植物や風景を描いた作品(1967年・津村四季文地白色入り縮緬キモノ)を残しているが、構図や花の散らし方など、どことなく似ている。もちろん岡本さんの図案はオリジナルだが、偉大すぎる師匠だけに、その名残が所々に伺える。

型絵染とは、図案作成から型紙彫、糊置き、色染、糊落としという作業を、一貫して一人で行うことから、分業で進められる型染と分けて名前が付いた。これは、芹沢銈介という型絵染の先駆的作家が、重要無形文化財保持者に認定されたことが契機であった。

岡本さんは、型染の基礎となっている型紙には、和紙の奉書紙を六枚貼り重ねたものを使用し、模様を防染する糊は、みずから糯米と糠を配合したものを使っているが、これは何れも、芹沢の教えを忠実に守っていること。こうして模様や色が美しく写し出されるのは、そんな地道で隠れた努力を怠らないからであろう。ではこの個性的な型絵帯には、どのようなキモノで初秋に相応しい姿とするか、考えてみよう。

 

(薄茶色地 ヒチサギー図案 カベ上布夏琉球絣:大城廣四郎工房)

以前ご紹介したことがあったが、この夏絣は、土壁のようなザラザラした風合いを持つ「カベ上布」。細い撚り糸を使って織り上げたこの紬は、織り表面に微細な隙間を生じる。これにより通気性が高まり、肌離れが良い。夏の絹織物の中でも、抜群の着心地を誇る品物の一つ。

本来は盛夏に装うカジュアルモノだが、暑さが残る秋口にも十分に使える。麻モノを使うには少し時期が遅く、風を通さない単衣にはまだ早い。なので、この壁上布辺りが着心地を考えても、今の季節ではタイムリーな品物となる。しかも地色がごく薄い茶色で、絣色も濃茶。品物全体の色の気配は、十分に秋色である。

 

模様は縦横に三本の縞が均等に並び、一定の間隔を空けて交差している。この三本縞各々の交点には、黒い十字模様が見える。これが右角・真ん中・左角と横並びし、段が下がると反対から並ぶ。結果として画像で判るように、段々の十字が「ハの字」に並ぶ模様姿となる。縞の交わりを絣に見立てた面白い図案だが、幾何学文をあしらう時には、こうした「目の付け所」が特に大切になる。

よくみると交点の色は、茶から黒へとグラデーションが付いている。この暈し具合が色の掠れとなり、絣と見間違う役割を果たしている。そして縦横の縞も、所々色が飛んで掠れており、単色ながらかなり凝った色配置になっている。なおこの図案のように、絣が段々に下がる模様を「ヒチサギー(引き下がり)」というが、これは三段になっているので、「ミダン・ヒチサギー」となる。

品物を制作したのは、大城廣四郎工房。現在は廣四郎さんの長男・一夫さんが代表を務めており、琉球絣の工房として産地の中心的な役割を果たしている。この品物の糸染には、カテキューが用いられているが、この原料はアセンヤクノキとかアカシアカテキューと呼ばれるマメ科の喬木。これを煮詰めると、タンニン酸を主成分とする濃茶色の液体が生まれる。この植物染料は古く奈良時代から使われており、茶系の色を生み出す最もポピュラーな材料と認識され、別名・阿仙茶の名前が付いている。

ではこのユニークな壁上布・夏琉球絣=夏キモノと、可愛い型絵染帯=秋帯を合わせると、どのような着姿になるのか。きちんと夏と秋の狭間に相応しいコーデとなるか、試すことにしよう。

 

地の色合いは、キモノの薄茶と帯の芥子で割と近く、すんなりと馴染む。模様も琉球絣は地空きの幾何学文で、型絵染帯は小さな図案が密集する小紋柄。対照的な意匠であり、帯模様の挿し色が鮮やかなこともあって、バランスの取れた着姿になりそう。キモノが通気性の良い素材なので、陽ざしが強い日でも、それほど苦にならないはず。下の襦袢に麻やアイスコットンを使うと、なお心地よく装えるように思う。

涼やかさよりも、秋の気配を感じさせる暖かみのある装い。これはやはり、残暑ではなく初秋が似合う組み合わせであろう。夏と秋、どちらの季節にも顔を立てて、和の装いにとって悩ましい9月を乗り切る。こうして、二つの季節を折衷する装いを試せるのは、一年のうちでも今の時期だけかも知れない。

キモノの図案はモダンだが、少し単調。その上、使っている色の気配が渋いので、地味な印象を受ける。けれども、花と鳥を散りばめた小紋柄の型絵帯を合わせると、雰囲気はガラリと変わって、若々しくなる。型絵ならではの豊かなデザイン性と挿し色のセンスの良さが、コーディネートを引き立て、着姿のイメージを変えている。

帯揚げには、黒と茶と鶸色の三色染め分け地に、疋田絞りで模様付けをしたものを使って、前姿をふんわりさせる、帯〆は白二本と、白の中に臙脂と芥子と紺を入れた一本を合わせた鴨川組で、すっきりとまとめる。なお、帯揚げ・帯〆共に冬モノ。(帯揚げ・加藤萬 帯〆・龍工房)

 

今日は、季節の狭間にある9月の装いを、夏キモノと秋帯で考えてみた。この時期は、日ごとに気温も湿度もかなり変化するので、装いもそれに合わせて、変えていかなければならない。つまりは、臨機応変の対応が必要となる。そのために重要なのは、やはり品物の選択肢を広げておくことかと思う。

ここ数年夏が長くなり、それに伴って薄モノを使う時期も、以前よりかなり長くなった。今回とは逆に、単衣キモノに夏帯を合わせるケースも、このところよく見かける。何をどのように装うのか悩ましい9月だが、季節の垣根を越える折衷コーディネート、一度はお試し頂きたい。最後に、今日ご紹介した品物を、もう一度どうぞ。

 

雷の声が収まると、虫は地中に潜り始める。七十二候・雷乃収声の次は、「蟄虫坏戸(虫隠れて戸を塞ぐ)」です。本来なら、夏に外に出て活動していた虫たちも、寒さを覚えて冬支度を始める頃なのですが、一向にその気配はありません。最近では10月近くなっても、庭に出ればやぶ蚊に刺され、バッタやカマキリも我が物顔で飛び回っています。そして秋を告げる虫たちの美声は、まだあまり届いていません。

温暖化は人の暮らしだけではなく、自然界全体に影響を及ぼしていますが、この先、生態系はどうなっていくのでしょうか。四季がある日本だからこそ、繊細な感性が生まれたと言われていますが、このままでは、微妙な季節のうつろいを愛でる心も、失われていくのではないかと危惧されます。だから時間が来たら、きちんと涼しくなってくれなければ困るのです。今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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