私は小さい頃から「アマノジャク」な性格で、みんなが右に行くと言えば左に行きたくなり、ここへ入っては駄目と言われると、何としても入りたくなった。そして集団行動が苦手で、ついぞ勝手をしたくなる。そもそも、みんなで一緒に同じ方向を向くというのが嫌だった。
そんな性格なので、「時流に乗ること」は今も苦手である。世の中に流行すること、あるいはスタンダードになっていることには、反発したくなる。周りがそうなっているから、自分も同じようにしなければならない。現代ではそんな「同調圧力」が強まっており、多数派から排除されないよう注意を払う人がほとんどだが、裏を返せばそこには、孤立することへの強い恐怖心がある。だが、他人は他人、自分は自分と割り切ってしまえば、どうということはない。一人の気楽さは、何物にも代えがたいと私は思う。
こうした身勝手な性格を反映するように、今の仕事では「顔の見えない相手」との取引を断り、現代社会で最も重視される効率や利便性など、ほとんど無視している。アナログの裏街道を脇目も振らず歩いてるのが、今の自分の姿であろうか。けれども、「人の行く裏に道あり、花の山」という格言もあり、人の行かない道にこそ、知られざる花が沢山咲いているように思う。まあ私は、裏道に花があろうと無かろうと関係なく、歩きたいから歩いているだけなのだが。
仕事において独創的なやり方を選んでも、それが必ずしも功を奏するとは限らないが、バックパッカーとして自分の足で歩いてきた裏道や集落には、思わぬ美しい風景が潜んでいることが多かった。それはまさに、裏道にある花の山である。そこは、廃止された鉄路の跡や誰も通らなくなった廃道、そして多くの住人が消えて自然に帰った場所。これまでもこのブログの中で、そんな「知られざる風景」を幾つもご紹介してきた。
毎年盆休みの稿として書く旅のお話、今回もバイク呉服屋が歩いて辿り着いた北海道の絶景を、皆様にご覧頂きたいと思う。例によって、全く呉服に関わる話では無いので、そこは是非ご容赦願いたい。
旧糠平国道・231号 不二川トンネルと不二川大橋(1956・昭和31年竣工)
現糠平国道・231号 糠平大橋(1983・昭和58年竣工)
どんなインフラもそうであるが、ある一定期間の耐用年数が過ぎると、新しいものにリニューアルされる。建物の場合ならば、まず古いものを撤去してから、同じ場所に作ることが多いが、道路や橋、トンネルなどの交通インフラでは、元の施設を壊さずにそのまま残されることがある。利便性の向上を目途とした付け替え道路の建設では、その傾向がより強くなる。
新たに整備される道は、当然元の道より幅は広く、橋やトンネルも大きく頑丈に作られる。特に国道は、広域にわたり人やモノの流通を支える大動脈と国が位置付けており、その整備の重要性は言うまでも無い。
国家の基盤を成す道路事業が、最も遅れていたのが、北海道である。江戸時代には、アイヌがコタン(村)を行き来する小道や、松前藩が沿岸警備を目的として付けた隘路くらいしか道は無かった。明治になり、開拓使が開発に着手してからようやく整備が始まり、1900年頃には、札幌ー旭川、旭川ー網走、旭川ー富良野など5000キロ以上もの道路が作られた。しかしその構造の内実は、技術が伴わない粗雑なものであった。
これが昭和初期になると、二度にわたる国の拓殖計画により、道内の道路整備事業が進捗する。現在も主要道になっている札幌ー小樽(札樽国道)や、十勝ー日高(黄金道路)が作られ、釧路の幣舞橋や旭川の旭橋が架けられたのもこの頃であったが、第二次世界大戦の勃発により、開発計画は途中で頓挫してしまった。
それが、戦後の1950(昭和25)年、北海道開発法が制定され、北海道開発庁と国の直轄道路事業を司る北海道開発局が設置されたことで、道内の道路整備は本格化する。折しも高度経済成長により、モータリゼーション時代が到来し、道路整備は国の喫緊の課題となる。そして北海道では、1952(昭和27)年~1993(平成5)年の間に、5000か所を越える国道の新設と改良工事が実施され、ここでようやく内地(道外)の道路水準に近づくことができたのである。
そんな訳で、今回の旅の稿のテーマは北海道の国道。そして幾多ある道の中から選んだのは、ひときわ開削に苦労をした糠平国道・273号である。但し注目したのは、現在使われている立派に整備された道ではなく、1983(昭和58)年まで使用されていた古い旧道。この道は今、車の通行が一切できず、歩いて辿るしかない「裏道」になっている。だがこの裏の道には、ここでしか見ることの出来ない特別な景色がある。
例によって前置きが長くなってしまったが、皆様にはこれから、私と一緒に裏の道を歩きながら、その先に広がる素晴らしい東大雪のパノラマを堪能して頂くことにしよう。
帯広からまっすぐ北に延びていた、旧国鉄士幌線。帯広から糠平までの距離は約60キロ、列車だと1時間40分ほどで着く。士幌線は、高度過疎地域となった糠平ー十勝三股の赤字縮小対策として、1978(昭和53)年12月からバス代行を実施する。そのため糠平は、鉄路での終着駅となっていた。
国道273号は、旧士幌線に並行して道が付いている。十勝の中心・帯広からオホーツク沿岸の主要都市・紋別に至るこの国道は、途中雄大な大雪山国立公園を縦貫しながら、道東と道北を繋ぐ。そして、上士幌町管内の糠平から三国峠までの区間は、糠平国道の名前で呼ばれている。
糠平国道の歴史は、1892(明治25)年に、広大な官有林の開発を始めるに当たって、その調査道を開削したことに始まる。当時の厳しい建設労働に従事したのは、十勝監獄に入っていた囚人たちであった。戦後になり、ようやく十勝ー上川間の開発道路として認定され、1957(昭和32)年に道道295号となり、現在の国道273号へと格上げになったのは、1970(昭和45)年であった。
1970(昭和45)年12月の士幌線時刻表。この時代はまだ、糠平ー十勝三股に代行バスは走っていない。当時三股には営林署や製材所があり、旅客以外にSLが引っ張る木材貨物貨車が何本も走っていた。帯広からの列車は、一日6便。所要時間は、糠平まで1時間45分前後、終着駅十勝三股までは2時間15分。
こちらは、同じ時のバス時刻表。運行していたのは十勝バスで、糠平までは、当時昇格したばかりの国道273号を通っていた。便数は一日4便で、帯広からの所要時間は1時間40分。この時代には、国鉄もバスも便数・所要時間がほとんど変わらなかったことが判る。
しかし並行していた鉄路と道路は、80年代になって大きく変化していく。士幌線が、国鉄分割民営化の直前・1987(昭和62)年3月に廃止された一方、国道273号は、国道昇格時から始められた道路改良工事が1983(昭和58)年に終わり、それまで狭く不便だった道が現在の高規格道路へと生まれ変わった。鉄道の衰退と道路の飛躍的な発展は、この時代の交通インフラが何に重きを置いていたかということを、如実に示している。
現在は、立派な橋やトンネルで繋がっている糠平国道。けれどもここには今も、鉄道や1983年まで使っていた旧国道の残滓があちこちに残る。では、もう誰も通らなくなってしまった道は、どんな姿に変わってしまったのか。そしてそこで目にする風景とはどんなものなのか。この歴史に埋もれた道を、これから辿ることにしたい。
黒いいびつな線が、旧国道。赤い線が、現在使われている国道。(国土地理院・2万5千分の1の微細地図なので、ダブルクリックで拡大してご覧頂きたい)
現道ではこの区間を、4つのトンネルと2つの橋で通り抜けていて、ほぼ直線になっているが、旧道にはトンネルと橋が1つずつしかなく、小刻みなカーブがある。また糠平ダムの提体上を通過しており、かなり特異な経路をたどっていることが判る。また旧道の糠平湖岸側には旧士幌線が走っていて、一部に線路とトンネルが残っている。
今回は、この新旧二本の国道区間を、行きに旧道・帰りに現道を歩いて往復してみた。旧道から現道、そして現道から旧道の姿を眺めてみると、その違いがよく判る。そして新旧の道から見える景色は、互いに違うものになっていた。それではこれから、画像を紹介しながら、道を歩いていくことにしよう。
地図上で、現道と旧道が交わっているところが、今回の出発点。以前ここには、糠平駅があった。十勝三股へ代行バスが運行される1978年以降は、実質的にここが終着駅になった。
画像で、現道と旧道の交差点を写してみる。右の道の先に駅があった。
代行バスが走り始めた頃の糠平駅。画像の左側には、僅かに道は見えているが、これが旧国道。当時まだ舗装されておらず、木材を満載したトラックが土煙を上げて走っていたのを思い出す。
駅前に停車しているマイクロバスが、十勝三股へ行く代行バス。このバスの運転手が、現在三股山荘を経営している田中康夫さんで、当時はまだ30代だった。上川へ抜ける三国トンネルは、1974(昭和49)年に開通していたものの、三股以北は冬季除雪されなかったため、当時の旧国道では、年間通して通行することは出来なかった。
現在この糠平駅の跡地には、上士幌町鉄道資料館が建ち、そこには様々な士幌線の史料が集められ、往時を偲ぶことが出来る。またその前は公園になっていて、当時走っていたディーゼル車両が線路と共に残されている。
資料館が発行しているパンフレット。士幌線沿線の歴史がよく判る。
終着駅・糠平に止まっているディーゼル気動車。1983年1月に撮影。この頃、年に何度も十勝三股を訪ねていたので、その都度士幌線に乗って糠平の駅に降り立ち、代行バスへと乗り継いだ。
当時、糠平の駅ホームの端から、廃止になった十勝三股方面を写したもの。画像を良く見ると、腕木式信号機に×の印が打たれ、使用が中止されている姿がある。ここを冬に訪ねると、いつもこうして雪が降り積り、大雪の山々は煙ってほとんど見えなかった。
線路だけがポツンと残される駅跡。画像の右端に白い柵が見えるが、ここに旧道が通っていた。糠平の駅と士幌線には沢山の思い出があるので、つい饒舌になってしまった。それでは駅跡を出発し、道を辿ることにしよう。
旧道は、駅跡に建つ鉄道資料館のすぐ脇から始まる。車止めの柵があり、通行止めの看板が立つ。資料館を訪れる鉄道ファンにも、この先に道があることは、ほとんど知られていない。
道の両脇には樹木が茂り、所々に落石も見られる。道は舗装されていたようだが、落ち葉が散り積もって路面が見えない。道の幅は3m程度と狭く、これでは大型バスやトラックのすれ違いは大変だったと思われる。80年代初めまでは、こんな道に定期バスが走っていたのだ。
全く手の入っていない道を少し歩くと、左下に糠平湖の青い湖面と錆びたレールが見えてくる。旧国道と士幌線は、糠平駅の手前で並行していた。このレールは、資料館の前からこの先の不二川トンネルまで続いている。道から線路に簡単に降りられるので、少し鉄路を歩いてみよう。
士幌線の糠平ー萩ヶ岡間は、山と湖の間を縫うようにレールが敷かれており、カーブが多く見通しが利かない。今も、車輪をきしませて苦し気に走るディーゼルカーの音が耳に残る。
カーブを曲がると、白い柵の上の旧道とレールの先には、並ぶようにしてトンネルが口を開けているのが見えてくる。これが不二川トンネルで、出口には糠平湖に入る川が流れている。
士幌線・不二川トンネルの入り口。長さは50mほどで短い。中には重機のようなものが、ブルーシートに覆われて置かれている。
トンネルの中にはアーチ形の窓があって、そこから湖面を望むことが出来る。士幌線に乗っていて湖が見えてくると、終着の糠平はもう近い。
トンネル出口の赤い柵から、外の様子を見た。鉄路はここで切れているが、この先には不二川を渡る鉄橋があった。そして右を見ると、橋が二つ並んでいるのが見える。これが国道に架かる新旧二つの不二川橋である。それでは、旧国道に戻ることにする。
不二川橋前後の現在地。地図上で黒い点線で橋の手前で切れているのが、旧士幌線。現道は橋の手前に長い糠平トンネルがあり、出口からすぐ橋になっているが、旧道のトンネルは鉄道同様に短い。では実際の姿を見てみよう。
旧国道の不二川トンネルは、士幌線のトンネルより少し手前に入り口がある。画像で判るように、崖と湖に挟まれた僅かな隙間に、鉄路と道路二本のトンネルが掘られている。全長は76.8mで、竣工は1956(昭和31)年。すでに半世紀以上過ぎて、劣化が進んでいる。そのため入り口には、崩落危険の看板が立っている。立ち入りを止める柵が設えてあるが、今回はあえて自己責任で通ることにする。
中に入ると、コンクリート壁は所々剥げているものの、すぐに崩れてしまうような危険は感じない。舗装はされているが、何故か道路のライン表示が中心よりかなり左に寄っている。貫通するトンネルの幅はここまでの道路と同じ3m程度で、普通乗用車が何とかすれ違えるくらい。国道としては、かなり狭い。
トンネルの出口からは、すぐ先に架かる橋の姿が見える。鬱蒼とした樹木に囲まれた古い石橋が、秋の光を浴びて美しい。
旧道に架かる不二川橋のたもとは、落ち葉で埋め尽くされている。トンネルと同じ年、1956年に竣工した。
橋の脇に林立する木々の間から、橋と下を流れる不二川を写してみた。不二川は、川幅が広い割には水量が少ない。源流は、この橋の横に登山口がある天宝山(標高918m)の奥。東大雪の山としては低山で、山頂まで約1時間と気軽。頂きに立てば、糠平湖や周囲の山を俯瞰出来る。
橋の上から見た糠平湖。この湖は、1956(昭和31)年、音更川をせきとめて発電用に建設された糠平ダムの人造湖。周囲30㎞、面積8.2㎢と広大。この不二川流入部は、湖の南端にあたる。画像で判るように、橋のコンクリはかなり脱落しており、経年劣化がかなり進んでいる。
旧道の不二川橋から、現道の不二川橋の開口部を見上げる。旧道橋もかなり高い位置に付けられているが、現道はそれより7~8mは高く、川面からは30m近くある。実際にここを歩いてみると、その高さは怖くなるほど。だからこそ、眺望が良いのだが。
現道橋から、歩いている旧道橋を写したところ。古い橋とエメラルドブルーに染まる湖面、そして周囲の葉の色づき。美しい一幅の絵になっている。
真上から見下ろすと、こんな橋の姿になっている。
旧道に戻り、不二川橋から先へと進む。現道でここはトンネルで突き抜けているが、旧道は湖岸にそって迂回している。そして道は、現道と一度交差する。晩秋の晴れ渡る空の下、カサカサと葉を踏む足音だけが響いている。
現在地は、地図の一番左端。ここから糠平ダムの提体に向かって歩く。現道には、ダムに正対する大きな橋・糠平大橋が架けられている。
旧道の細道を下っていくと、やがて広い現道に行き当たる。画像の左側、両側に柵が付いて歩道のようになっているのが、旧道。この道は、正面に見えるトンネルの上を越えて先に続いている。
トンネルの左側にある旧道を上ると、眼下に糠平湖が見えてくる。道幅はこれまでより狭く、2mほどしかない。
トンネルの上を越えると、また現道に出てくる。そして今度はこの道を横切り、右手の山側に入る。そこがダムサイトへと続く道にもなっている。
現道の歩道を歩いていくと、糠平湖展望台への矢印看板が見える。この道が旧道で、ここから500mでダムサイトに出る。そして、この道の右側の少し開けたところには、糠平国道の開通記念碑が建てられている。
碑文には、苦難に苦難を重ねて完成に辿りついた道の歴史が刻まれている。
短い跨線橋とトンネルの入り口で現道を横断し、ダムへ繋がる道に入る。この道も、トンネルの上を越えている。なお、この跨線橋の下に旧士幌線が通っており、橋のたもとにその名前が刻まれている。
これも、簡単に車で通り過ぎてしまえば見落とされる鉄道の遺構であろう。
跨線橋を裏手から見たところ。廃線から40年以上経ち、鉄路の痕跡は見つからない。何度も乗車した士幌線だが、残念ながらこの場所の記憶が残っていない。
トンネルの真上に登ると、こんな感じに見える。歩く旅は、全く別の角度から同じ風景を切り取ることが出来る。道の脇にそれようと、傍らの崖を登ろうと自由自在。上がったり下がったり忙しいが、それが面白い。
錆びついたまま残されているのは、蛇行注意の黄色看板。この坂を上れば、突然目の前が開けて、雄大な東大雪のパノラマが迎えてくれるはず。
道路は二車線となって、これまで歩いてきた旧道経路の中で一番広い。左側には、水を湛えた糠平湖が広がっている。この先に展望台があるので、ここだけは旧道でも例外的に車の通行が可能。車線が広いのも、そのためと思われる。
道の左から、糠平湖を写したところ。奥行きのある湖の正面、白い雲のすぐ下には、東大雪の山々が姿を現す。二ペソツ、ウぺぺサンケ。石狩岳、西クマネシリ岳、ビリベツ岳。いずれも2000m級の山々が並び立つ。
糠平湖は人造湖だが、入江のような半島が幾つもあり、そこには深い原始の森が広がる。湖に生息しているのは、オショロコマやヒメマス、カジカなど。またワカサギやニジマスも放流されており、真冬になるとワカサギ釣りのテントが湖面を彩る。けれども観光施設はほとんど無いため、手つかずの自然が残る。こうして画像で見ても、とても人造湖とは思えない美しさだ。
糠平ダムは、道東の主要電源を担う重要な水力ダム。ダム堤高(高さ)は、76mと道内3位で、貯水量は4位。発電用として、北海道を代表するコンクリートダムと位置付けられるだろう。産業構造物ながらも、大雪の自然の中に溶け込んでいる独特の美しさがある。
道の傍らに立つ大きなトドマツの先には、ダムの天端(てんぱ・一番高い場所)に続く道が見える。旧糠平国道では、このダム頂上の道路を国道として使っていた。このように、天端を国道として使っているダムは、城山ダム(神奈川・413号)や、天理ダム(奈良・25号)、松原ダム(大分・212号)など幾つかあるものの、いずれの交通量も多くない。またこの糠平ダム同様に、新道を建設して天端から離れるダムも多い。
通行止めの看板と鎖で、道が封鎖されている。私は歩きなので、通行禁止標識をまたいで、天端の道・旧道へ入る。
天端の幅は、およそ5メートルくらい。対面通行の道としては、やはり狭く思える。しかもここは、堤高76mと身のすくむような高さ。確かに眺めは絶景だが、通るときに恐怖を感じるほど高い。だからここが国道だった時には、車を道の真ん中に止めて、優雅に景色を眺めるドライバーなど少なかったように思える。
天端から右を見ると、現道のダムに正対した赤い橋桁の糠平大橋が、迫力ある姿を見せている。深い峡谷をひと跨ぎして、道を繋ぐ。そして山の紅葉が、このコントラストに彩を添えている。
そして左は、東大雪のパノラマを一望出来る。正面に間隔を開けて同じ高さで二つ並ぶ山が、西クマネシリとビリベツ。この山容から「オッパイ山」と言われている。ご覧のように、天端の旧道からは、左右360度に絶景が広がる。こんな景色に触れられることこそ、歩いてきた者へのご褒美。歩いたこの日は、10月下旬とは思えないほど暖かく、風もほとんど無かった。天気に恵まれるか否かで、歩く場所の印象は変わるが、やはり晴れてくれるに越したことは無い。
それでは反対側の現道・糠平大橋側から、旧道が通っていた糠平ダムの姿を見てみよう。幅が7m以上ある橋は、さすがに広々としている。そして、この橋の上から下を眺めるのは怖い。それほどに高さがある。
堂々と迫力のある姿を見せるダム本体。開口部(水の流れを調節する場所)も、かなり大きい。これまで歩いていたのはダムの一番上で、空に近い場所。
絶景のダムの上からは去りがたいが、そろそろ旧道を辿る旅も終わりに近づいた。最後の森を抜けて、現道に戻ることにしよう。
ダムの天端を渡って右に曲がると、この道に出る。「糠平4キロ」と表示された矢印付青看板が、文字が消えたまま残され、ここに旧国道が通っていたことを示している。
ここにも「警笛ならせ」の交通標識を残す。だが車も通らなければ、人も通らない。そして40年前と同じ姿で、道は残る。歩いていると、何だか密やかな楽しみを一人で堪能しているような気分になる。
真っ赤に色づく木々の向こうに、現役国道が見えてきた。今回も、クマさんに出会うことなく、無事に任務完了。
旧道と現道の合流点。歩いてきたのは、右側から。見えているのは、泉翠峡トンネル。この下流には音更川が狭くなる谷があり、それを泉翆峡(せんすいきょう)と呼んだ。ここには旧士幌線のアーチ橋が幾つも架かり、今なおその姿を見ることが出来る。
最後に、合流した現道の清々しい秋の空を写して、短くも楽しかった旧糠平国道・273号の歩旅を終えることにする。やはり今回も裏道には花の山があり、思う以上の風景に巡り合うことが出来た。国土地理院の地図を片手に、道を巡る旅。なかなか止められそうにない。
今の時代、見知らぬ場所に出かける時は、事前にスマホを使って経路検索をすることがほとんどだろう。頭の良いこの機械は、頼みもしないのに最短経路ばかりか、所要時間まで教えてくれる。また交通機関を使う場合だと、乗換駅を教えるだけでなく、乗る電車やバスまで指定し、料金も提示してくれる。これで誰でも、難なく目的地に着くことが出来る。早さや効率を求めるタイパ優先社会のニーズに、十分答えられるような機能が備えられている。
しかしこれは、徹底的に「無駄」を排除することを、至上としている。そして「自分で考えなくて済ませること」が優先される。これを突き詰めると、いずれ人が皆同じ方向を向くことになる。非効率が罪悪とみなされ、すべてIT頼みで、何でもAIにお伺いを立てなければ事が始まらない。これでは、世も末だ。
地形図はその名前の通り、土地の形状や利用法、そして道や集落の様子を、そのまま忠実に伝えているだけ。リアルな姿は、行くまで分からない。だから情報の少ない場所であればあるほど、楽しみが増える。地図の旅は、想像する旅である。なるべく、画像検索などしない方が楽しめる。下調べをしないことが、とても大切になるのだ。やはり裏道に行くには、それなりの手順が必要になり、それを弁えなければ、殻は破れない。
初めて糠平の駅に降り立ったのは、もう44年も前のこと。そして今も毎年のように、国道273号を走っています。以前から旧道の存在は分かっていましたが、実際に歩いたのは今回が初めて。昔よく乗った士幌線のこと、あるいは未舗装が続いていた旧国道時代のこと、また変わりゆく糠平の街の姿。それぞれに、様々な想い出があります。そんなノスタルジーに浸りながら、道を歩くことが出来ること。それは、長く裏道を歩いてきたバックパッカーへのご褒美かと思います。
地図を歩く旅は、歩く体力と気力が無ければ始まりません。だからこの先も長く続けられるよう、普段から体を鍛えておく。それが、呉服屋という今の仕事をも、長く続けることに繋がると思います。またまた長く書きすぎて、誰にも読んで頂けないと思いますが、もし最後までお読み頂いた奇特な方がいらっしゃったなら、心からの感謝を申し上げます。
(旧糠平国道 糠平駅跡~泉翠峡トンネルの歩き方)
糠平までは、帯広からバスで1時間47分 十勝バス 一日4便 帯広空港から車で2時間半。
旧道の始点は、バス停(十勝バス糠平営業所前)から、少し戻った上士幌鉄道資料館の脇にあります。そこから現道との最終合流地点・泉翠峡トンネル出口までは、約4キロほどです。案内図など何もありませんので、事前に国土地理院の地図で確認してから出かける方が良いでしょう。
往復旧道を歩いても良いし、帰りは現道を歩くのも良いでしょう。但し現道は歩道が狭く、トンネル内はかなりのスピードで車が通りますので、注意してください。またヒグマ対策ですが、もう道内ではどこでも出没すると考えた方が良いので、クマ鈴やホイッスルはもちろん、撃退スプレー等も身に付けて歩いて下さい。所要時間は、往復で2時間もあれば、十分道は楽しめると思います。
最後に本業について、お知らせします。今日から22日(木)まで、夏季休業させて頂きます。少し長く休みを頂くので、ご不便をおかけしてしまいますが、お許し下さい。なおこの間は、メールのお返事も遅くなりますので、どうぞよろしくお願い致します。