バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

背のデザインに、ささやかな個性を  自由な装飾紋のあしらい

2024.06 11

和装における特徴的なオシャレとは、何か。それはやはり、着姿から見えないところや目立たない場所に、華麗な色や意匠を凝らすことだろう。何かの拍子で、キモノの裾が返った時に見える八掛の色、袖の振りから僅かに覗く襦袢の模様、そして脱いだ時に初めて判る羽織裏の鮮やかさ。いずれもさりげなく、そして奥ゆかしい「あしらい」であるが、そこには装う人の美的センスが凝縮しているように思う。

無論、表のキモノの色や模様、そして帯との取り合わせで生まれる着姿が、装いの中心であることには間違いない。装う時と場合により、使う品物が変わり、コーディネートの方法も変わってくる。時には季節に応じた旬な姿を考えることもある。いずれにせよ、基本は「表から見える姿」であり、見えないところへのこだわりは、やはり二次的なこととなる。

しかしながら、和装に通じた人たちの中には、「見えないところにこそ、こだわりを持つ」と意識している人がいる。表地よりも裏地に凝る「裏優り(うらまさり)」こそ、粋の極みと評価する。洋装では、スーツのジャケットやスカートの裏生地が、表地より質やセンスの良いものを付けることなど、間違ってもあるまい。では、この和の装いならではの視点は、どのようにして生まれたものなのか。

 

「隠された美」を求めるようになった契機は、江戸期に幾度となく出された、衣服の統制令・奢侈禁止令である。幕府により華美な衣装を禁じられた庶民は、否応なく地味な色や模様へと向かう。それが茶や黒、鼠などの縞や格子、小紋染のキモノ。そして人々は、表向きにはほとんど目立たない色や模様に微妙な変化を付け、装いを楽しんだ。

これこそが、質素を美学に転じて粋とする「江戸の美学」であり、この延長線上として、着姿から見えないところに、個性的なあしらいをする意識が芽生える。その代表的なものが、女性の赤いキモノ裏地・紅絹(もみ)であり、男性の派手な羽織裏であった。表は渋いが、裏は派手。装いそのものは、決して目立つことは無い。江戸の粋とは、庶民の反骨心とお洒落にかける心意気から生まれたものであった。

 

そんな江戸庶民のあしらいの中で、背中に付ける紋を家紋としてではなく、着姿における小さなこだわりとして、装飾することがあった。それが、加賀紋あるいは伊達紋と呼ぶデザイン的な紋。もちろんこれは、キモノの格に関わる紋所ではなく、あくまでオシャレのための施しになる。

そこで今日は、最近預かった加賀紋が付く品物をご紹介して、そこにはどんな使い手の意図があるのか、その優れたデザインのセンスと共にご覧頂くことにしよう。

 

鼓に藤の花 加賀紋 (緋色 極鮫小紋のあしらい)

格式化し、公的・儀礼的な意味を持つようになった家紋・定紋に対して、私的で趣味的な紋として考案されたのが、替紋(代紋)である。家紋の発生は平安期に遡り、貴族が調度品や牛車、そして装う衣服に自分好みの文様を付け、他と区別したのが始まりである。その後鎌倉から戦国期の武家時代には、戦場での目印として、あるいは武家集団内の旗印として紋を付け始め、それは武具ばかりか衣服にも及んだ。武家装束の直垂(ひたたれ)には大きな紋・大紋が付き、袴や小袖の決まった位置にも、紋が付けられるようになった。家紋が明確な役割を持つようになったのは、こうした武家社会の規範が背景にあったからだ。

これが江戸期になり、武家や公家だけでなく庶民にも家紋を入れる習慣が広がると、先述したように公的な家紋ではなく、私的な替紋として装飾紋が考え出された。それは庶民の中から生まれたデザイン紋であり、正式な紋とは一線を画すあしらい。この装飾紋の代表が、加賀紋と伊達紋である。

 

加賀紋は、その名前で判るように加賀友禅を発祥とするもので、本来の紋の代わりに四季の草花を友禅で描いたもの。また伊達紋も、モチーフには花鳥や山水、そして文字なども用いられたが、こちらは刺繍であしらわれることがほとんど。加賀紋にしろ伊達紋にしろ、装飾紋であることには変わりなく、それは個人各々が遊び感覚で付けた「洒落紋」であった。

染の加賀紋はその紋姿が上品なためか、上級武家の子女や富裕の町人が好んであしらい、縫いの伊達紋の方は、「伊達=粋」と意味付けられるように、遊びに長けた者が競って付けた。武士の中には、遊郭や芝居小屋で自分の素性を知られないために、この紋を使うことがあったらしい。

装飾紋の出現は、友禅が発生した元禄あたりからと考えられているが、1776(明和6)年には、伊達紋のモチーフを135個も集めた図案集(伊達紋袖鏡・だてもんそでかがみ)が、発刊されている。このことからも、当時いかに市中でこのあしらいが流行っていたのかが判る。後に伊達紋は、紋用だけではなく、文様としても使われるようになる。特に小さな柄を散らす時などは、以前伊達紋だった図案を使うことも多かった。現代の飛び柄小紋のモチーフにも、花の丸や花筏が頻繁に使われているが、この原型を考えれば、やはり加賀紋や伊達紋なのであろう。

さて前置きが長くなってしまったが、現代のキモノにはどのような装飾紋があしらわれているか、これから三点の品物を例に挙げて、見ていくことにしよう。

 

江戸小紋という品物は便利なもので、無地代わりにもなり、またちょっとしたお出かけ着としても使える、いわばフォーマルとカジュアルの間にあるアイテム。そこで、この品物の格を上げ下げする時に使われるのが、紋である。

染め抜き紋をあしらえば、否応なく格は上がり、刺繍の陰すが縫いを使って紋を施せば、それは略式の影紋となる。茶席使いの江戸小紋では、この縫い紋を入れることが多い。そして、このキモノのように装飾紋・加賀紋を使う場合は、装い手が、格式よりもシャレ感、あるいはカジュアル感覚を重視している証拠である。紋が入ると、どうしても仰々しくなって、気軽にどこへでも着ていくことが出来なくなる。かといって、江戸小紋の背に何も付いていないのも寂しい。そこで、自分で考えたこの「鼓に藤の花」を刺繍で施したのだ。

通常の女紋の直径は、鯨尺5分5厘(約2.1cm)と決まっているが、装飾紋を入れる当たっては、明確な寸法制限はない。この紋の巾は1寸2分(約4.5cm)もあり、通常の男紋よりも2分ほど広くなっている。

紋を拡大してみると、縫いの丁寧な施しが良く判る。この江戸小紋の装いを後から見ても、よほど近くに行かなければ、この紋の存在に気づくことはあるまい。けれども、そのあしらいには、手抜きなしの職人技を見ることが出来る。鼓本体や藤の花弁は、面を表現する「縫切り」を使い、枝や鼓の結合部など線を描くところは、「まつい縫」であしらわれている。目立たないところに、手を尽くす。その職人の施しこそ、装い手のこだわりであり、美学である。

キモノを広げたところでも、「背に何か付いている」くらいにしか認識されない。けれども、この小さな施しには、装い手のセンスが光っている。花でも器物でも、何をどのように描こうと許される装飾紋。これこそ、個性溢れるオシャレの象徴だろう。

 

菊に流水 加賀紋 (菊菱紋綸子 深紫色道行コートのあしらい)

目立たない背の装飾紋だが、やはりその図案を印象付けるには、無地場にあしらう方がインパクトがある。上の江戸小紋も、ある意味では無地的なアイテムだが、やはり刺繍の模様がはっきりと浮き立っている。もしこれが同じ小紋でも、大柄の総模様であれば、紋は模様の中に埋没してしまい、その存在がまるで判らなくなる。いくら「さりげなさを信条とする施し」でも、これではあしらう意味がなくなる。

その点、この深紫色の無地道行コートにあしらわれた流水菊の刺繍は、その色目と図案のセンスの良さから、結構際立つあしらいになっている。通常ならば、家紋を道行コートの背に入れるようなことはない。けれども着姿のアクセントになる背の装飾と考えれば、道行コートであろうと加賀紋を入れることは全く構わない。

刺繍を拡大すると、菊葉にグラデーションが入っていることが判る。葉脈にはまつい繍を使い、葉は菅繍。5枚の菊の葉は、いずれも色の表情が違う。こうした細やかなあしらいが、加賀紋の存在価値を高める。これこそ、「装飾された紋」である。

このお客様が、なぜこの図案を選んだかは定かで無いが、コート生地が菊模様の紋織であり、刺繍の色目もコートの深紫色を薄めたもの。つまり加賀紋の図案も色も、道行コートにリンクしたもので、だからこそこの模様が、背にピタリと納まっている。小さな施しの中に、装い手のこだわりが見えるあしらいと言えよう。

同系色の濃淡を刺繍糸に使っていることもあり、思ったより紋が目立っている。そもそもコートに紋を入れる発想が無いので、この後姿を見た人は驚かれるかも知れない。けれども同時に、装い手のオシャレ度の高さをも感じることだろう。

 

横笛に紐 加賀紋 (ベージュ裾暈し 花籠刺繍訪問着のあしらい)

一般的に訪問着に紋を入れる場合、キモノの格を上げることを念頭に置く。だから、こうした装飾紋を施すことは少ないのでが、この場合は、紋というよりも背に置いた図案の一部という見方をした方が良いかも知れない。

飾り紐が付いた横笛は判るのだが、その下に置いた筒状のモノは何だろうか。いずれにせよ、装飾紋のデザインは、依頼した装い手が何らかの理由で考えた図案であり、それにこだわる理由も必ずある。このような器物モチーフなら、それを使う場所に着ていくからとか、季節の花なら、その花の旬の時期に装う機会があるとかで、様々なことを想定した上で、模様を組み立てている。

房飾りの糸が撚れた姿も、刺繍によって上手く表現されている。模様ごとに相応しい色を考え、それを各々の繍技法によってあしらう。図案は小さくとも、装い手が考える唯一無二のオリジナルデザイン。着る人の美的センスを、キモノ図案の中に反映させるというのは、とても難しいことだが、楽しいことでもある。

画像を見て頂ければ判るように、この訪問着の意匠は、花籠の中に梅・橘・楓・銀杏と四種類の春秋花が入り、その周囲には吹き寄せのように花が散らされている。そして模様のあしらいは、全て刺繍である。背に刺繍加賀紋を入れたのも、意匠に刺繍が尽くされていたことが、大きな理由のように思う。「縫いという技法を、着姿の前面に出す」そんな意図が、装い手にあったのではないだろうか。

 

今日は、隠れたオシャレなあしらいとして、装飾紋・加賀紋の話をさせて頂いた。紋を入れる、あるいは紋付のキモノを装うと言えば、やはり居住まいを正したフォーマルな場面が思い浮かぶが、それはある意味、堅苦しい姿になる。けれども、紋と名前が付いていても紋の意味を持たない「飾り紋」は、着る人が自在にモチーフを選び、それを図案化したもの。しかもそれは、二つとないデザインであり、その着姿は家紋を背負う紋付とは対照的な、自由な装いになる。

装いのオリジナリティという点では、これほど個性を出せるあしらいは他に見当たらない。どうか皆様も、自分だけの図案を背に映す「加賀紋」の装いを、試して頂きたい。そして、江戸庶民のお洒落にかけた心意気も、ぜひ感じ取って欲しいものだ。

 

うちの店の紋仕事を一手に引き受けている、紋章上絵師の西さん。その仕事場の前には、二つの紋を並べて染め抜いた暖簾が掛かっています。この二つ並びの紋のことを、比翼(ひよく)紋と言います。これは、相愛の男女が、相手の紋と自分の紋を並べてあしらうもので、加賀紋や伊達紋と同様に、江戸の中期に庶民の間で大流行しました。

暖簾の左にある「丸に三階松荒枝(あらし)付」は、西さんの紋。右の「丸なし下がり藤」は奥さんの実家の紋。愛し合うご夫婦各々の紋が、仲良く並んでいます。今日の本題・加賀紋ももちろん、西さんのところであしらうことが出来ます。その時、図案の型はご主人の西さんが作り、刺繍は奥さんが施します。二人三脚であしらう加賀紋は、まさに意思の通じたご夫婦ならでは仕事と言えましょう。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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