夢というものは真にあやふやなもので、その内容が記憶されることはほとんど無い。人の睡眠は、深い時と浅い時を繰り返し、どちらの状態でも夢は見ているそうだが、覚えているのは、起きる直前、即ち浅い睡眠時(レム睡眠)に見た内容である。しかしそれは、起きた後の僅かな間で消えてしまい、後からでは全く思い出せない。
なぜ、夢は消されるのだろうか。それは、長らく謎とされてきたことであるが、脳内で睡眠中に活動が活発になるメラニン凝集ホルモン産生神経(MCH神経)というものの存在により、記憶が消されているということが、名古屋大学の研究者によって解明された。難しいことは判らないが、そもそも人には、夢を見るのと同時に、予めその消却装置が備わっていたことになるのだろう。
さて、新しい年があけてすぐに見る夢では、登場すると縁起が良いとされるものがある。これが良く知られた「一富士・二鷹・三なすび」である。この諺の由来は古く、江戸文政年間にまで遡る。この時代の著名な漢学者・太田全斎(おおたぜんさい)は、漢語や音韻学に造詣が深く、数多くの著作物を残しているが、その中に「俚言集覧(りげんしゅうらん)」という俗語集があり、そこで「一富士二鷹」が紹介されている。
この初夢は、見ると縁起の良い順番に並んでるが、三なすびの後には続きがあって、「四扇・五煙草・六座頭」と記されている。富士は不死に繋がり不老長寿が、鷹は高く飛ぶから運気上昇が、なすは実を沢山付けるので子孫繁栄が期待できるとされるが、続きの扇は末広がりで縁起が良く、煙草は煙が上に昇るので運気が上がり、座頭(剃髪した頭)は毛が無い、即ち怪我が無くて喜ばしいと意味付けられている。
古来より吉祥とされているのは、年初に見る夢ばかりでなく、複数の植物を組み合わせて、特定の数字を被せた文様も同じである。そこで今日は、新しい年の始まりにもあたるので、そうした図案を使った三本の帯をピックアップして、目出度い文様の話をしてみたい。厳しいスタートとなってしまった辰の年だが、吉祥な文様を紹介することで、少しでも邪気を払いたいと思う。
吉祥とされている植物重ねの文様 左から四君子文・三多果文・松竹梅文
キモノや帯の図案として、最も多く使われているモチーフが植物。一定の形式の中で、様々な植物を組み合わせて意匠化したり、器物や動植物を伴って、特定の文様を形成したりと、その使用範囲は限りなく広い。
単純に花だけを組み合わせた文様としては、丸文の一種に数えられる花の丸や、花筏や花熨斗、あるいは花籠や御所車(花車)などのように、特定の器物と共にあしらわれるものがあり、そしてまた、水引や糸を使って束ねた花束や薬玉などがある。どれも一定の形式はあるものの、構成する花のバリエーションは限りなく、また文様としてのデザインも作り手によって、様々な工夫が見られる。
こうした植物文様では、特に使えない花というものは無いのだが、フォーマル性の高い品物や特定の季節を前提にした品物では、自ずとあしらう花が決まってくる。特に春秋どちらでも安心して装える礼装を考えた場合では、春花の梅や桜、牡丹と秋花の菊や楓を一緒に意匠化することが多い。とりわけ、山水風景と四季花を組み合わせた御所解文などは、典型的な春秋花複合文と言えるだろう。
けれども、こうした植物組み合わせ文において、ある特定の花だけを三種、あるいは四種使うことにより、特に目出度さを強調して表現する文様がある。それが、これからご紹介する松竹梅文・三多果(さんたか)文・四君子文である。今日は、各々の文様をあしらった帯をご覧頂きながら、その図案の特徴と出自をお話していくことにしよう。
(松竹梅花の丸文 黒地 緞子九寸名古屋帯・紫紘)
松・竹・梅の三種を組み合わせた文様は、吉祥な植物重ね文の代表格。四季を通して緑を保つ松と竹は、その姿の永続性が不老長寿を想起させ、最も寒い時期に花を咲かせる梅は、清廉で雅やかな美しさを与える。この三種を「歳寒の三友」として、中国の文化人が賞すべき花姿としたことが、吉祥文様として確立した端緒になっている。
この文様が意匠化されたのは、室町期。染織品だけではなく、陶磁器や漆器、家具から建築デザインに至るまで、生活の様々な場所でこの図案が見られる。衣装として用いた図案として面白いものを一つ例にとると、江戸時代の大奥・高級奥女中の夏装束である腰巻姿で使われる「腰巻用小袖」がある。この時代の女中の正装は、まず茶屋辻模様の帷子(麻)を着て、腰には別の小袖を巻き付けるというものであったが、この腰巻小袖にあしらわれる図案が必ず吉祥文と決まっていたため、松竹梅文は宝尽し文と並んで、代表的な腰巻のデザインとなっていた。
この帯の松竹梅は、丸文の中のあしらいになっており、図案の形式は能衣装によく見られる「狂言の丸」と同様。お太鼓には松竹梅の丸が一つずつ、前姿には同様の図案で少し小さめのものが付いている。
松竹梅文は、吉祥的なイメージが強いために、留袖や振袖などのフォーマル性の高い品物で意匠として使われることが多く、従って図案的には、堅苦しくなりがちな文様である。けれどもこの紫紘の名古屋帯は、丸文を使ったことと、松竹梅各々の図案を思い切ってデザイン化したことにより、かなりカジュアル性が高くなっており、可愛い印象さえ受ける模様姿になっている。紫紘の帯意匠には、固い伝統文様をそのまま用いる時と、この帯のように、緩やかにデザイン化して模様とする時があり、その振れ幅はかなり大きい。つまりこれが、紫紘という帯メーカーの発想の豊かさ、そしてモノ作りにおける懐の深さになるのだろう。
この帯の生地組織は緞子(どんす)。五枚の繻子組織に模様を織りなしたものだが、糸の屈曲が少ないために、帯の手触りは滑るようになめらかで、表面は特有の光沢を放っている。地に少し厚みがあるものの、帯の質はしなやかで締めやすい。特に装う場面の多い名古屋帯では、こうした使い良さも帯選びの条件の一つになる。だから、どのような生地を使うか、あるいがどんな技法で製織するかが、意匠作成と共にきわめて大切になってくる。
地は黒だが、図案化された松竹梅だけに重苦しくはならず、カジュアルにも十分使えそうな模様姿。これなら、お目出度い正月に限定されるだけの装いにはならないはず。仰々しさを消して、軽やかに吉祥を表現するには、またとない帯であろう。
(三多果文 紅色地 紬九寸名古屋帯・川島織物)
この帯に登場する植物はいずれも果実で、桃・柘榴(ざくろ)・仏手柑の三つ。この文様のことを、三多果(さんたか)文、あるいは三果文と呼んでいる。吉祥文として位置づけられている図案なので、松竹梅文と同様に、表現されている三つの果実には、それぞれお目出度い意味合いを持っている。
まず桃は、染織品ではモチーフとなることが少ない植物だが、古代中国ではこの木を邪気を払う霊木としていた。そして漢代になると、中国の西方・崑崙(こんろん)の山の中には、仙女・西王母が棲んでおり、そこには三千年に一度実をつける桃の木があって、これを食べると不老不死でいられるという「西王母伝説」が生まれる。この伝説が背景となり、桃は松や竹と同じように、不老長寿的な意味合いを持つ吉祥文になった。
柘榴は、果実が熟すと皮が剥がれて、数多くの種子が現れてくるが、この種が多いことが、多産=子孫繁栄に繋がると考えられ、古代のギリシャやローマでは豊穣のシンボルとなり、唐草文のモチーフにもその姿が見えている。また仏手柑(ぶっしゅかん)は、インド東北部を原産とする蜜柑の一種で、その果実姿が仏陀の手のように見えることから、この名前が付いた。そしてこの「仏の手」が、福を呼び込む力があるとされたことで、三多果の仲間入りを果たしたのである。
模様の中で、白とピンクに色分けされているのが桃、黄土色で巾着のような形が柘榴、そして黄色と朱色の波形の果実が仏手柑。この三つの他に、松ぼっくりや松を模したような図案も見える。蔓と葉と果実が同じ枝の中であしらわれており、唐草文的な形状の意匠にもなっている。
この名古屋帯は、お太鼓と前模様が同じ図案になっているが、こうした形状のことを「送り柄」と呼ぶ。実はこの三多果帯、赤い地色の名古屋帯を探していたバイク呉服屋が、川島の営業マンに特に依頼して製織してもらった品物。以前、深緑地色で同じ図案の帯があったので、これは地色違いになる。帯の設計図=紋図が同じならば、製織はそれほど難しくはないのだが、一本だけ織るという訳にはいかないので、会社としてもそれなりにコストは掛かる。担当者のH君は、「松木さんのところ以外では、こんな赤い帯なんて売れない」と言いながらも、別織してくれた。全部で5、6本織ったそうだが、果たして捌けただろうか。
多寿(桃)・多子(柘榴)・多福(仏手柑)の三多果文。各々の意味合いからも、この文様は中国由来のものと考えて良いだろう。最初の松竹梅文が日本的な吉祥文とすれば、三多果は大陸由来のお目出度い文様。それがモチーフそれぞれの姿にも、意匠全体の構図にもよく表れている。
なおこの模様姿は、すこし立体的な浮織になっているが、これは多色の絵緯糸を用いて文様を織りなす朱珍の一種・モール織を使っている。こうした形状の織姿になると、図案にはボリューム感が生まれてくる。画像で分かるように、お太鼓の幅一杯に模様が広がっているので、後ろから見ても華やかな帯姿となる。地色の紅色は、落ち着きのある赤で、これは「大人の赤」だと私には思えるのだが。
(四君子段文 黒地 九寸織名古屋帯・川島織物)
最後は四君子文だが、君子というのは、中国で徳のある人とか、高貴な人という意味を持つ。だから、ここで表現されている梅・菊・蘭・竹の四つは、いずれも格調の高い植物ということになる。厳寒に咲く梅は気候に負けない秀でた花、菊は延命長寿の助け、蘭は花のそばにいるだけで香しさに感化され、竹は中身は空洞だが有益。
こうしてこの四植物は四君子と名前が付き、中国の宋代より尊ばれてきたが、元々は文様としてではなく、水墨画のテーマとされていた。これが江戸期の詩文や絵画を嗜む人物、いわゆる「文人墨客」達に好まれ、染織品の中で文様化していった。
枝に見立てた横段を連ね、そこに四植物・四君子をあしらった模様姿。前の三多果帯と同様、お太鼓と前の図案が同じ「送り柄」になっている。金糸を使っていることと、地が空いた控えめな模様姿になっていることが、渋みを感じさせるフォーマル向きな名古屋帯をイメージさせる。
同じ四君子でも、花の丸や立涌ととり合わせると、雰囲気は柔らかくなりそうだが、この段重ね四君子は、いかにも固い。ただこれが悪いわけではなく、きちっとお目出度さを醸し出したい初春や初釜の装いには、真向きな帯姿になりそうだ。
地に黒を使ったことで、よりきちんとした印象になった四君子帯。三多果と同様に中国に由来する吉祥文様だが、こちらの方が、よりフォーマル的で、模様姿も多様にあしらわれている。キモノや帯の意匠としても、三多果は稀だが、四君子はポピュラー。植物重ねの吉祥文としては、松竹梅と双璧である。
今日は、今年初めての文様の話として、三つの吉祥植物文について話を進めてきた。目出度さなど微塵も感じられない今の空気の中で、この稿を起こすことは大変気が引けたが、呉服屋の仕事は年中行事と密接な関りを持つため、今回、年明けに相応しい新たかな文様の話をさせて頂いた。どうかお許しを願いたい。最後に、ご紹介した三本の帯の画像を、もう一度ご覧頂こう。
よく、夢をかなえるとか、夢をあきらめないとかと、自分の願いや希望を「夢」に置き換えることがありますが、現実には夢は記憶に残らないので、望むことが実際に夢に現れたかどうかはわかりません。そして夢には見続けたいものと、そうでないものがありますが、良い記憶も悪い記憶も後腐れなく、きれいさっぱり消えてしまいます。
あやふやで、後に何も残らないのが夢。現実と夢とは相容れないと、自覚しておいた方が良いように私は思うのですが、それこそ「夢がない」ですかね。今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。