扱う品物によっても違うだろうが、家業店の店主が「主人」として仕事に携われるのは、凡そ30年ほどだろうか。何代も続く店や会社では、主人の交代時期は各々の事情によって変わる。そして子どもや縁続きの者が継承するのか、それとも外部の者に任せるのかで、違ってくる。だがどんな仕事でも、ある程度の経験を持たなければ、事業を統括する経営者にはなれないのが普通。前任者が、任せるだけの実力を付けたと判断できなければ、交代は難しい。
うちの店を振り返っても、祖父から父へ、そして父から私へと経営のバトンが渡ったのは、それぞれが40代後半から50歳近くなってから。つまり、この仕事に入って20~25年ほど経って、初めて「主人」として仕事を差配出来るようになる。裏返せば、それだけ経験を積む時間が必要ということだ。
もちろん、同じ業種を引き継ぐのであっても、全てを踏襲するようなことは無い。時代に即応した商いや経営が求められ、そこで新しい主人としての力が試される。この時に大切なのは、何を残して、どんなことを新たに取り入れるか。「不易流行」に対し、どのような意識を持つのか、ということになるのだろう。
そしてお客さまとの向き合い方にも、それは如実に現れる。無論、今までの顧客を大切に守っていくことは、言うまでもない。しかし、それだけでは到底、商いは維持できない。重要なのは、自分の代で、自分のお客様をどれだけ得られるか。普通に考えても、キモノが必需な時代だった祖父や父の商いと今とで、同じことをしても上手くいくはずがない。呉服を取り巻く時代の変化に伴い、新たなお客様へと入れ替わらなければ、いずれ商いは行き詰まる。不易流行というのは、これまでの顧客と新たな顧客の融合でもある。
こうして呉服屋を継承した者が、時代に応じた新たな方策を考えなければならない中で、どうしても欠かすことの出来ない大切な仕事がある。それが、品物の継承に関わること。先々代、先代と店が続く中で扱った品物を、求めたお客様が代を越えて装いたいと考える時、いかにスムーズに品物を繋ぐかが、店の跡継ぎには求められる。この時に、品物の状態に応じた手直しが出来なければ、品物を繋ぐことは難しくなる。この仕事には、「店の継承者の能力が問われている」と言い換えても、良いのかも知れない。
お客様に、代を越えて使うことの出来る良質な品物を提供する。これが、うちに代々伝わる店是であり、当主はこの意識無くして、仕事を続けることは出来ない。そこで今日は、暖簾の重みを実感する「受け継がれていく品物」について、話をしてみたい。母から子、そして孫へと継承される質の高い品物とは、どんなモノなのか。これから、皆様にご紹介することとしよう。
孫の絞り振袖・母の加賀友禅黒留袖・祖母の京友禅付下げ 華燭の典・三代の装い
これからご覧頂く三代・三組の装いは、半世紀以上も前からお付き合いを頂いているお客様が、うちから求めてこられた品物である。この度、お孫さんの一人が結婚することになり、その華燭の典で着用する品物として、改めて手直しと手入れを請け負った。それは、祖母が着用した黒留袖を母親用として直し、母親の振袖を娘用として直すことである。つまりこれは、各々の品物を代替わりさせる仕事になる。そして依頼主のお祖母さまからは、孫の晴れの日のために、新たな品物の誂えを依頼された。
総絞り振袖と加賀留袖は、私の父が30年ほど前に扱い、付下げは、今回私が扱った。
今回着用された品物のうち、次の代へと引き継がれた加賀友禅の黒留袖と総絞りの振袖は、いずれも私の父が仕入れた品物で、当時これを選んだのは、今のお祖母さま。振袖は、今回母として式に臨む自分の娘さんが成人した際に誂えたもので、黒留袖はその方の結婚が決まった時に誂えたもの。そんなことで、振袖のほうが若干早いが、どちらも80年代半ばから90年代初頭の品物になる。
どんな商売にも言えることだが、一人の方がその店の顧客となるのは、些細なことがきっかけである。50年以上にもわたるこのお客様との縁を繋いだのは、先々代の祖父。以前お祖母さまが、うちとの「馴れ初め」を教えてくれたが、それは、たまたま店の前を通りかかった時に、ウインドに掛かっていた御所解の訪問着に目が止まったからだと言う。この方が結婚される前なので、おそらく昭和30年代半ばのことと思われる。
ウインドを眺めていた若き日のお客様に声をかけ、店の中に招き入れたのが祖父であった。祖父は、「そんなに気に入ったなら、持って帰って、お母さんやお祖母さんと相談したら」と言って、快く品物を貸し出したそうな。「初対面の、しかもまだ若い娘に、よくぞ高価な品物を貸してくれたものです」と話してくれたが、大らかな性格だった祖父らしいエピソードである。
この数年後、この方は結婚されて子どもを産み、その子はやがて成人して結婚し、そしてまた子どもが生まれて大人になり、今度結婚する。中島みゆきの「時代」のように、「回る回るよ、時代は回る、喜び悲しみ繰り返し」と、この方が築かれた家族の節目には、うちで誂えた品物が装われ、その時々の仕事もうちで一手に引き受けて来た。そして品物は、母から子、孫へと三代受け継がれ、依頼される店も、三代目の私が仕事を請け負っている。それでは、思いの込められた三組の装いを、それぞれご覧頂こう。
(白地裾墨色暈し 躑躅と藤・辻が花模様 総絞り中振袖 藤娘きぬたや)
この振袖を誂えたのは、1984(昭和59)年。うちの店では、1970(昭和45)年頃から、求めて頂いた方と品物、そしてその誂え寸法までが記録として残っているので、この振袖に関することも正確に判る。記録を見ると、この時代にはかなり振袖の扱いが多く、年に数十枚の品物を誂えて納品している。とり立てて振袖の販売に力を入れていた訳ではないので、ごく自然に依頼を多く受けたということになるのだろう。まだレンタルがそれほど普及しておらず、誂えるお客様の絶対数は、今よりかなり多かったと類推できる。
呉服屋にとっては、とても商売環境の良い時代であったのだが、その頃に扱った振袖の中で、一番の売れ筋商品が「絞り」であった。そしてその多くは、名古屋・有松の絞り専門メーカーである藤娘・きぬたやが制作した品物。一目ずつ手で絞り、様々な絞りの技法を駆使して丁寧に作られる振袖は、その美しい模様表情から、当時多くのお客様に支持され、大切な娘の礼装品として選ばれていた。
扱った絞り振袖の中で、最も多かったのが白地。それはこの品物のように、裾に柔らかい色で暈しが入り、ほとんどの図案は、辻が花を想起させる躑躅と藤の花をモチーフとして使っていた。ご存じのように辻が花染めは、桃山後期の僅かな時代、小袖の模様染めとして流行した「幻の絞り染」であり、きぬたやの絞り製品も、このことを強く意識して制作されていた。
この振袖は、地の全体を疋田(鹿の子)絞りであしらい、模様には縫絞りや小帽子絞り、蜘蛛絞りなど複数の技法を使って、表現している。そして配色は、いずれもパステル系の明るい色を使い、それが絞りの立体感を伴って、優しい模様を映しだしている。この豪華さと可愛さを併せ持つ振袖姿が、多くのお客様の目を惹いたのである。
こうして振袖を眺めても、まったく古さを感じず、絞り模様から受ける優しい印象は、40年前と全く変わらない。現在も絞り一筋に仕事を続ける藤娘・きぬたやでは、「親子三代にわたり、受け継がれていくようなモノ作りを目指す」ことを掲げているが、こうして改めて品物を見ても、それが長い間きちんと実践されていることが判る。
職人が手を掛けた品物は、何年経っても、そしてどんな時代が来ても、決して褪せることはない。いやむしろ、輝きは増すばかりと言えるだろう。受け継ぐに値する品物とは、その条件としてどうしても質が求められる。
(本金箔地 唐花に瑞鳥・正倉院模様 袋帯 紫紘)
祖父の時代から今日まで、フォーマル帯の主役をずっと担ってきたのが、紫紘の帯である。絞りに合わせても、友禅に合わせても、どんな色、どんな模様の振袖も、ピタリと抑え込む。そんな力が紫紘の織り成す帯には備わっている。この上品で豪華な絞り振袖も、大胆に切り込んだ正倉院模様と華々しい金の箔地で、しっかり着姿をまとめている。もちろん振袖の優しい印象を消すことなく、それでいて帯の主張もする。この不思議な帯の力は、今も健在だ。
今回結婚される方の妹さんが、この振袖を着用されたのだが、この一式は、この姉妹お二人が成人された際にも手を通されており、その時にもうちで預かって、一通り手を入れている。以前のブログにも、この振袖と帯を取り上げた稿(2016.8.19)があるので、よろしければ、そちらもお読み頂きたい。
今回このキモノ継承三代の話は、一回で終わる予定にしていたのだが、この後に、母の黒留袖一式と祖母の付下げ一式の紹介をするとなれば、間違いなくかなり長くなる。読まれる方も飽きるだろうし、併せてバイク呉服屋の筆力が落ちているので、繰り越せば自分が楽になる。ということで、残りの二点は次の稿までお待ち頂くとしよう。
30年に一度か、50年に一度、あるいはもっと時間が空くのかもしれない。これは、上質なキモノや帯を第一礼装として着用した場合、お客様に新しい品物を誂えて頂く周期です。三世代が同じ品物を使うとすれば、50年以上は十分、その家の箪笥の中で出番を待ち続けることになります。黒留袖や色留袖、振袖、そして格調高い訪問着など「いわゆる式服」の出番は限られていますので、一人の方が装う回数もそれほど多くありません。ほとんどが、数回着用して次の代にバトンタッチすることになるはずです。
代替わりをする時間の間隔は、およそ20~30年。その間お客様は、きちんと品物の管理をしなければならないと同時に、次の代へ引き継ぐ準備をします。そしていよいよ代が替わる時、品物の状態を確認したり、寸法を直したりと、スムーズに受け継ぎが完了できるよう仕事を請け負うのが、最初に品物を売った呉服屋です。
上質な品物は、長く使ってもらうことを前提として、素材にも技法にも手を尽くします。そしてそれを扱う呉服屋も、求めて頂いたお客様には長く装って頂けるよう、工夫をして誂えます。品物が世代を跨ぐことは、当然視野に入っているので、その間に店主が交代していれば、仕事は次の代の者が担うことになります。ここにこそ、呉服屋が店先に暖簾を吊るして、長く商いを続ける大きな意味があるのです。
飛び切りの品物を先々代が売ったら、次の代とその次の代の仕事は、手直ししかありません。けれども、呉服屋の仕事はそういうものだと弁えることが大切で、それこそが商いの心構えとして、代々の主人が肝に銘じるべきことだと思います。一点一点の品物を大切に売り、それを大切に受け継いでもらう。これをきちんと心得て実践することで、はじめて、店の主人となる資格が生まれるのでしょう。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。