バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

6月のコーディネート・涼風編  浴衣姿で、忘れていた夏に出会う    

2023.06 19

毎日のように、お客様から受ける手直しの依頼。その中でも特に多いのが、しみぬきや色ハキ、生洗い等のいわゆる補正に関わる仕事である。これを一手に引き受けてくれているのが、職人のぬりやさんだ。この方の仕事に関しては、ブログの中でも度々紹介しているので、この職人さんの名前に覚えのある読者もおられるだろう。昭和から平成、令和と半世紀以上にわたり、補正一筋に生きてきた方で、私の仕事では絶対に欠かすことの出来ない、とても大切な職人さんである。

このぬりやさんの仕事場兼自宅が、東京の下町・下谷にある。地下鉄日比谷線・入谷で降りて、言問通りを鶯谷駅の方向へ歩くと、程なく「恐れ入谷の鬼子母神」で知られている真源寺の前を通る。鬼子母神を祀る法華宗本門流のこの寺は、七福神の一つで、幸福・封禄・長寿の三つの徳を具現化した神・福禄寿も祀られており、入谷七福神巡りの札所にもなっている。この寺の先を曲がった路地におやじさんの家があるが、通りを一歩入っただけなのに、東京の真ん中とは思えないほど、実に閑静な場所である。

 

この真源寺をさらに有名にしているのが、毎年七夕の前後、三日間開催される入谷の朝顔市。江戸の後期、観賞用の夏花として庶民から最も愛されたのが、朝顔と鉄線。特に朝顔は、気軽に栽培が出来ることから、夏を彩る花として街中に咲き誇っていた。

入谷界隈は、江戸期から植木屋が軒を並べていた町で、ここでは当時から朝顔を盛んに栽培していた。植木屋各々で育てる朝顔は、大輪の花をつけるものや、花粉の交配によって多様な花姿となる「変わり咲き」などが人気を呼び、通りはその花を一目見ようとする人で溢れた。朝顔市は、当初鬼子母神・真源寺の敷地内で行われていたことから、今もこの境内を中心とする言問通りに沿って、朝顔の鉢を売る店が軒を連ねる。

大正の初期、入谷から植木屋が姿を消したことで、一旦は中止になった朝顔市だが、戦後の1948(昭和23)年に、戦後の入谷復興のシンボルとして再開され、現在に至っている。江戸情緒を感じさせる下町の夏の風物詩として、多くの人が訪れる朝顔市はまた、浴衣姿の似合う風情ある催しでもあった。ただこの3年は、思いもよらぬコロナ禍に見舞われ、中止を余儀なくされていたが、今年は久しぶりに賑わいが戻りそうだ。

 

朝顔市に限らず、お祭りや花火大会など夏のイベントが自粛されていたため、ほとんど着用の機会を失っていた浴衣。けれども今年は、行動制限が大幅に緩和されたこともあり、ようやく元の姿で催しを開くことが出来そう。このブログでも、毎年6月になると浴衣コーディネートをご紹介していたが、やはり実際に装う機会を見込めるとなると、書く方も力が入る。これから江戸東京では、朝顔市や浅草のほおずき市を皮切りに、8月にかけて各地で花火大会が開かれる。ぜひ今年は浴衣姿で、「これまで忘れていた夏」に会いにいって頂きたい。

今日の浴衣コーデは、まず前編として、紺地に白、あるいは白地に紺といった、挿し色の入らないシンプルな品物を中心にご紹介してみよう。涼風が吹き抜けるような、そんなさわやかなイメージで着姿を表現出来れば良いが。では、始めることにしよう。

 

竺仙の伝統的な江戸浴衣。紺(褐色)地に模様白抜き、白地に模様紺抜き。

ここ数年、お客様が関心を持たれる浴衣の傾向として、二つのことが挙げられる。一つは、絹紅梅や綿紅梅、奥州小紋など「夏キモノ」的に装える品物の人気が高いこと。そしてもう一つは、一般的な浴衣の中では、色の入らないシンプルな品物に注目する方が多くおられて、求める機会も増えていることである。上の画像に見られるような、紺地に白、あるいは白地に紺で模様を挿す、昔ながらの浴衣が見直されているのだが、はっきりと模様が浮かび上がり、着姿から清涼感を醸し出すことが魅力のようである。これまで多色に慣れた方の目からすると、こうした浴衣には、潔さが感じられるのだろう。

そして、この伝統浴衣の意匠が極めてシンプルなことも、目を引く要因であろう。図案は、植物図案なら一つのモチーフだけ、また文様を使っても、単純明快なものが多い。余計な図案を組み入れなければ、否応なくすっきりとした着姿に映る。シンプル・イズ・ベストと良く言われるが、この単純さこそが、新鮮なのである。

そこで今日はまず、この浴衣の古典とも言うべき、白紺・紺白浴衣から5点の品物をご紹介してみたい。すっきりとした浴衣に対して、どのような帯でより夏らしい姿を印象付けていくのか、コーディネートに注目してご覧頂こう。

 

紺(褐色)に白抜き・コーマ地 竺仙浴衣  朝顔・流水に杜若・鬼灯

浴衣のモチーフとなる植物は、初夏を旬とする草花、盛夏に盛りを迎える草花、そして秋の七草に代表されるような、立秋を過ぎて出番を迎える草花とに分けることが出来る。お気づきの方もおられるだろうが、浴衣に限らず、薄物と呼ばれるキモノや帯には、夏植物の姿が少なく、むしろ初秋を感じさせる萩や桔梗、撫子に菊などを多く取り入れている。

もともと夏の草花に、意匠として文様化されているものが少ないこともあろうが、暑い盛りに着用する衣装として、少しでも涼やかさを感じられるようにと、季節を先取りした秋草文や、水辺をモチーフとした図案を用いるのであろう。そんな中にあって、この三点の紺地コーマ浴衣は、いずれも6~7月に盛りを迎える夏の花を題材にしている。これは、涼風の立つ秋口ではなく、暑い夏の盛りに装うに相応しい浴衣と言えようか。

では、冒頭で朝顔市について触れたので、朝顔模様の浴衣から個別に見ていこう。

 

この深い紺色は、褐色(かちいろ)と呼ばれている色だが、「褐」とは本来、突くという意味を持つ「搗(かつ)」のことであり、藍の色を濃く染めるために、生地を搗くという意味を含んでいる。つまりこの色は、濃厚な藍色という訳だ。竺仙は昔から、紺地の浴衣としてこの色を使っているが、この深い紺があるからこそ、模様の白がくっきりと浮かび上がる。

江戸時代から市が立つほど、庶民の人気を集めていた夏の花・朝顔。浴衣のモチーフとしては、定番中の定番であり、典型的な江戸浴衣の意匠である。それだけに、竺仙の描く朝顔にも様々なものがあるが、この図案は、花と葉を単純化して蔓を絡ませた姿。写実的に描くより、こうして少し図案化した方が浴衣らしくなる。

(合わせた帯 ローズピンク色濃淡 麻半巾帯・竺仙)

こうした紺白や白紺のような、模様に挿し色の入らない浴衣は、合わせる帯の色で印象を変えられる。すなわち、使う帯に自由度が増すということだ。そして浴衣のモチーフに植物を使っている時は、その花の色を帯の色に採ると、おしゃれな着姿になりそう。このローズピンクの帯も、当然朝顔の花色を意識している。またこの浴衣の朝顔図案が割と密なので、色の濃淡だけを付けた帯で、すっきりとさせてみた。

 

次は、朝顔市のすぐ後に、浅草で開催される「ほおずき市」に因んで、鬼灯(ほおずき)の浴衣。丁度今頃から黄色の花をつけ始め、それが膨らんで鮮やかな橙色の実となる。「鬼のともしび」と字が当てられるのは、提灯のように見える実で、鬼が悪霊を追い払うという意味があるから。実際にほおずきは、お盆の迎え火の代用として、盆の棚に飾られることがある。

このほおずき図案は、実を沢山付けた枝が二本並んで、まっすぐ上に伸びている。このように上に向かう植物図案は、誂えて着用すると、その姿が伸びやかに見える。鬼灯の橙は、夏の始まりを告げる色。やはりこの浴衣の帯には、この色以外は合わせ難い。

(合わせた帯 橙色濃淡 麻半巾帯・竺仙)

最初の朝顔と、帯コーディネートのコンセプトは全く同じ。ワンパターンで、工夫なしと言われるのを承知で、この橙色帯を合わせた。そしてこれもまた、浴衣のほおずき模様が前に出るよう、模様の入らない無地濃淡を使った。

 

杜若(かきつばた)と組み合わせているのは、小舟と流水。この花が咲き誇る水辺の情景を、そのまま文様にしている。杜若と言えば、板のかけ橋を組んだ川の中にあしらわれる「八橋(やつはし)」文が良く知られているが、いずれにせよ、水と縁の深い植物であることから、浴衣の図案として、多彩に表現されている。

この浴衣の杜若は大きく、しかも前後左右に並んでいるので、誂えてキモノにしてみるとかなり目立つ姿になりそう。ただ、舟や水が緩やかに蛇行して描かれており、そこに水辺の涼やかさも十分感じられる。定番の杜若を巾一杯に描いた、いかにも浴衣らしい意匠であろう。

(合わせた帯 ミント色濃淡 麻半巾帯・竺仙)

杜若の花と言えば、ビビッドな青紫色が思い浮かぶが、その色だと少し暑苦しくなりそうなので、葉色の緑を帯色として考えてみた。このパステル系のミント色ならば、着る人も見る人も、爽やかで涼やかな着姿を感じられるだろう。

三色の濃淡麻半巾帯で、伝統的な褐色江戸浴衣の着姿を演出してみた。単純な色の浴衣には、やはり単純な色の帯が似合う。浴衣コーデの原点のような、組み合わせ。

 

白に紺(褐色)抜き・コーマ地 竺仙浴衣  千鳥流水・石蕗

昔から、白地の浴衣は夜に着て、紺地の浴衣は昼間に着ると言われてきた。挿し色の入らない白地ほど、明るく見える浴衣は無いだろう。この、白地ならではの涼やかさを、ぜひ着姿の中で生かしてみたい。二点の図案は、変形の流水千鳥と石蕗(つわぶき)。紺地の伝統的な植物文とはまた違う、デザイン性のある意匠を選んでみた。

 

水辺の風景文・波に千鳥は、薄物や単衣モノの意匠としてよく使われるが、浴衣としてもかなりスタンダートな文様で、様々に工夫を凝らしてあしらわれている。ただこの白コーマのように、波を花の輪郭のように描き、その中に千鳥を入れ込む図案というのは、かなり珍しい。描きつくされた感のあるこの水辺文様も、デザインの工夫一つで、斬新さが出てくる。

(合わせた帯 山吹色 菱繋ぎ模様 綿半巾帯・竺仙)

もともと千鳥は可愛いモチーフだが、こうして波頭の立つ花に囲まれていると、より愛らしさが増す。そこでパステル調の黄色い帯を使い、ユニークな千鳥の姿を優しく印象付けてみた。この菱絣模様の帯は、今年初めて竺仙が制作したもので、素材は木綿。綿紬っぽい生地だが、軽くて締めやすい。

 

一見して、何の葉なのか判らないと思うが、これは石蕗(つわぶき)の葉。この植物は、濃い緑色の厚い葉と太い茎が特徴で、冬に黄色い花をつける。岩場などの厳しい環境でも育つことから、石のように強い蕗に似た植物ということで、この名前が付いた。冬の季語にもなっている石蕗を、あえて浴衣のモチーフとしているのは、着姿に、冬の冷気を呼び込む意図があるから。これは、雪輪や雪の結晶文を夏の浴衣にあしらうのと、同様である。

(合わせた帯 ミントブルー色 菱繋ぎ模様 綿半巾帯・竺仙)

千鳥浴衣に合わせた菱繋の綿帯の色違いを、使ってみた。葉っぱだけの図案なので、単調にならないように、帯で爽やかさを吹き込む。この帯のミント色は、少し蛍光的な目立つ色だが、このくらい明度が高ければ、渋いモチーフの石蕗浴衣でも着姿が地味にならず、若い方でも十分装って頂ける。

白地の清潔さが印象的な、二点の浴衣合わせ。個性的な図案を生かしつつ、帯によって明るい着姿を作る。挿し色が入らないからこそ、こうした合わせ方が効果的だ。

 

白地・綿絽 竺仙浴衣 麦の穂

居酒屋でお酒を嗜む方の様子を見ていると、皆さんまず最初は、何はともあれビールのようだ。真夏の夕暮れ、カラカラに乾いた喉に流し込む冷たいビールの味は、さぞかし格別なのだろう。下戸のバイク呉服屋も、最近はノンアルビールで晩酌の真似事をしている。さてこの綿絽浴衣は、ビールの原料・大麦をモチーフにしているが、麦を刈り取る季節は5月から7月にかけて。この収穫が近づいた初夏の時期が、「麦秋(ばくしゅう)」で、それが夏の季語にもなっている。

今が旬の麦の穂模様だが、この浴衣ではご覧のように写実的に描かれている。浴衣図案は、多少なりともモチーフを図案化してあしらうのが一般的だが、このように見たままの姿を模様にするのは珍しい。茎も穂も、筆で描いたように先端が擦れていて、無線書き友禅のように見える。挿し色は、深緑と萌黄の緑系二色だけで、麦が匂い立つような、爽やかさを感じる。

(合わせた帯 鉄紺色 菱繋ぎに細縞模様 博多半巾帯)

帯は最初、明るい黄緑系を選んでみたのだが、何となく浮いてしまって決まらない。そこで、この深緑と紺の中間のような渋みのある鉄紺色にすると、ピタリと引き締まった姿になった。写実的な麦の穂だけに、帯をすっきりした幾何学模様にすると、バランスが取れる。浴衣の生地が透け感のある綿絽だけに、より涼やかに見える。

 

菱枡繋ぎ模様 男物 コーマ地染浴衣・万寿菊模様 綿紬浴衣 共に竺仙

稿が長くなっているので、役者柄男モノ浴衣と万寿菊浴衣は、簡単にご紹介しよう。男モノの方は、菱形の三枡模様を縦に並べ、これを白紺交互に繋いでいる。見ようによっては、算盤玉の変形にも見えようか。歌舞伎役者が、楽屋でひょいっと羽織っていそうな、そんな小粋な柄。

一方万寿菊は、毎年のようにブログで取り上げているのでお馴染みかと思うが、傘菊とも呼ばれるこの図案は、竺仙の浴衣の中で最も江戸を感じる意匠である。万寿菊はこれまで様々な生地を使い、また色挿しを施したものなどもあるが、私としては、このシンプルな藍色の綿紬白抜きが、一番の好み。

(合わせた帯 男物・紺地ミンサー木綿角帯  万寿菊・鎖繋ぎ紗八寸博多帯)

男モノは、紺にミンサー絣の入った角帯、万寿菊は、白地に縦に鎖模様を織り込んだ博多の名古屋帯を合わせてみた。どちらのコーデも、白と青を基調として涼感を前に出しているが、浴衣の粋さを消さないよう、模様は単純なものを選んだ。

 

最後は駆け足になってしまったが、今日は6月恒例の浴衣コーディネート・前編として、8点の浴衣と帯の組み合わせをご覧頂いた。今回は挿し色の入らないシンプルな浴衣で、どのように涼しさを装うかをテーマにしてきたが、次回は「華風編」として、様々な色の浴衣を使って、華やかな夏姿を演出してみたい。

いずれにせよ、今年は久しぶりに、大手を振って浴衣を装うことが出来そう。どうか皆様も、大いに出番を作って、忘れていた夏に会いに出かけて頂きたいものだ。

 

朝顔市が開かれる下谷の鬼子母神辺りは、戦前には坂本町という町名が付いていました。鬼子母神裏にあった台東区立坂本小学校は、言問通りを一歩入った路地に正門がありましたが、とてもモダンな校舎で、歴史を感じさせる建物でした。

調べてみるとこの校舎は、1923(大正12)年の関東大震災の起こった後、復興事業の一環として建てられたもので、当時ヨーロッパで流行していた「表現主義」を基にしたデザインを、取り込んでいました。この表現主義建築とは、個人の内面を形として自由に表現したもので、優美な曲線の使い方が、一つの特徴になっています。

在りし日の坂本小学校。正面玄関のアーチ型扉は、表現主義デザイン特有のもの。大正期の建築として、東京で現存する最も古い校舎でしたが、残念ながら、昨年の2月に取り壊されてしまいました。東京の街歩きをしていると、こんな面白い歴史発見をすることもあります。ぬりやさんのお宅へ伺う度に、目にしていた美しい坂本小学校の校舎。何とか、残してもらいたかったですね。

今日も、長い話にお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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