チームスポーツの世界には、ユーテリティプレーヤーとか、オールラウンダーと呼ばれる人がいる。野球では、内外野を問わず守れる選手、サッカーだと、ディフェンス・オフェンスを問わずポジションをこなせる選手が、それに当たるだろう。専門性は高くないものの、どこでもこなせる器用さを持つ選手は、チームにとっては有難い。それは、アクシデントなどでレギュラー選手が退場した場合に、補える存在となるからだ。もちろん選手の方も、自分の特殊性を生かすことで、出場機会を増やすことが出来る。
面白いことに、呉服屋の棚に置く品物の中にも、装いの中で様々に形を替えて使うことの出来る「オールラウンダー的な染織品」がある。それは何かと言えば、型紙を用いて文様を染める「型染め」の着尺地・小紋である。小紋とは、小さな文様を型染めしたものだが、この名前は江戸期に、模様の大きい大紋や中形と区分けするために生まれた名称で、現在では模様の大きさに関わりなく、型染めした品物を小紋と呼んでいる。
型染小紋と一口に言っても、その制作技法は様々に違う。平安以前の上代期や中世では、版木に染料を付けてスタンプのように摺り込んで模様付けをしたり、文様を透かし彫りにした板の間に生地を挟んで染める・夾纈(きょうけち)や板締めという方法が主流であった。しかし後に、型紙に図案を切り抜き、そこに防染のための糊を置いて文様を染め抜くという方法が開発される。これが「型紙捺染(なっせん)」と呼ばれる技法で、今日「型染め」と呼ばれるほとんどが、この工程に基づいている。
しかしながら、この捺染には異なる技法が幾つか存在し、出来上がる模様姿は各々に異なる。型友禅や更紗は色数に応じた型紙が必要で、これを生地の上に置いて、ヘラで色糊(写し糊)を付け、後に蒸しを施すことで染め色を定着させる。また、江戸小紋は型紙で防染糊を置き、ヘラで色糊を引くように染める扱染(しごきぞめ)を施す。また浴衣の長板中型などは、型紙に糊置きした後、藍の甕に生地を浸して地色染めを行う。
このように型紙を使い、多彩な技法で型染めされる小紋だが、その中でも「型に嵌ることなく、独創的に制作される特徴的な小紋」がある。それが、自由な発想で描いた図案を型で表現する「型絵染(かたえぞめ)」と、沖縄で生まれ、京都や江戸にも広がった「紅型(びんがた)」である。小紋の中でも、最も作り手の個性が反映されるこの型染めは、装いの中に様々な形となって表現されている。
そこで今回から二回に分けて、型絵染・紅型に区分される品物について、その魅力を探ってみる。今日はまず、この型染を使った小紋は、どのような品物として使われているのか、その姿をオムニバス的にご覧頂こう。連休の前でもあるので、読むのが面倒な技法の解説はひとまず横に置き、見て楽しんでもらえるような稿にしたい。なお、今回ご紹介する品物は、これまでのブログの稿の中で取り上げた品物が多い。画像の下には、その時の稿の日付も記しておくので、興味のある方には、読み返して頂ければと思う。
(茜色地 連山に四季花模様 京紅型振袖・栗山工房 2015.1.21)
型染めされた品物には、小紋ではなく、このように振袖として形になるものもある。これは、民芸運動に影響を受けた京都在住の画家・栗山吉三郎が開いた工房で製作された京紅型。本場の琉球紅型では、顔料と天然染料を使うことで、色鮮やかな発色となるが、この栗山作品に代表される京都や江戸の紅型では化学染料が用いられるために、少し落ち着いた染め色の表情となる。
型絵染と紅型は、どちらも制作工程はほとんど変わらない。簡単に言えば、柿渋を施した紙・渋紙に模様を彫り込み、これを生地にのせて糊を置き、そこに色を摺り込む。この型紙に施される模様はそれぞれに独創的であり、そこに作り手の個性が表れる点は同じである。僅かに違うのは、型紙を彫る道具と技法で、紅型の場合は、小刀を上から下へと突き動かして彫り進める「突彫(つきぼり)」を使うが、型絵染は様々な彫刻刀を駆使し、多彩な技法を使いながら模様を彫り抜いている。だが何れにせよ、表現される模様の染め出し姿は、似通っている。
沖縄由来の紅型は、すでに15世紀には中国から伝来した技法によって、型染めが行われていた。名前の由来は、琉球で古くから染料を「ビンガラ―」と呼んでいたこととか、インドのベンガル地方にこの染の源流があるからとか、中国から琉球に帰化した「閺人(びんじん)」によってもたらされた技法であるとか、諸説様々ある。一方で型絵染との名称は、独創的な型染作家として知られた芹沢銈介が、1956(昭和31年に重要無形文化財保持者・人間国宝として認定される際に、型紙彫から染まで、一貫して一人で保持している技術に対して付けられたもので、それは芹沢が独自に切り開いた技術に対して、他と差別化するために付けられた名称と見ることが出来よう。
それではこれから、型絵染と紅型による品物を順にご紹介していこう。その装いの姿は、キモノ、羽織、帯と様々である。呉服屋が扱うオールラウンダーな品物として、どのように使われてきたのか、ゆっくりご覧頂きたい。
(紅色地 杜若に鳥模様 紅型小紋キモノ 2019.1.15)
70年代に私の妹が誂えた小紋を、次女の寸法に誂え直したもの。紅型だが、琉球ではなく京か江戸で、工房や扱い問屋は不明。地色、挿し色共に鮮やかで、若々しい姿を映し出している。
(白地 流水に四季花模様 江戸紅型小紋着尺・菱一)
紅型の多くは、型紙に彫った図案を繋いで連続して染められるので、品物は小紋や通し柄の染め帯などが主流になる。この小紋は白地なので、挿し色が鮮やかな、すっきりと可愛い姿に仕上がっている。
(鉄紺色地 四季花模様 京紅型小紋羽織・栗山工房 2016.11.15)
深い鉄紺色地の大シボ縮緬生地に、鉄線や楓、橘、梅などを少し大ぶりにあしらった京紅型小紋。挿し色は少ないが疋田を上手く使い、個性的な花姿に仕上げている。製作は栗山工房だが、扱いは菱一。この図案は菱一の留め柄(オリジナル品)だったので、もう染められることはないかも知れない。
上と色違いの紅型小紋を、同じように羽織に誂えた家内の姿。生地は同じ大シボの縮緬だが、色は深い鼠色で挿し色も違う。このように紅型や型絵染では、同じ型を使いながらも地色や挿し色を変えて、品物が作られている。(2015.2.20)
(銀鼠色地 葡萄模様 京紅型小紋羽織・栗山工房 2021.11.3)
こちらの栗山小紋にも、大シボの縮緬生地を使っている。ポッテリと垂れるような生地の風合いと、紅型らしい個性的な図案。この二つが相まって、キモノ生地ながらも羽織に誂えることが多い。特に長い羽織丈を考える時に、よく選ばれる小紋の一つ。
(柘榴染紬地 花鳥模様 型絵染帯・鈴木紀絵 2013.9.29)
この型絵染帯の作者・鈴木紀絵(すずきのりえ)さんは、戦前から芹沢銈介が主宰していた手芸サークル・このはな会の出身者で、美術団体として昭和初期に設立された国画会の会友・準会員として活躍。芹沢の下で型絵を学んだ作家として知られ、多数の作品を残した。この鳥にザクロ模様の帯は、昭和の終わり頃にうちで扱った品物。
(白地 唐花に釣鐘草模様 江戸紅型紬染帯・菱一)
モノトーン配色の中で、鮮やかな赤と黄色の唐花と釣鐘草が印象的。所々に見られる暈しは、紅型の技法として「隈取り(くまどり)」と呼ばれている。
(白地 小唐花模様 京紅型紗染帯・栗山工房 2020.8.25)
先にご覧頂いた小紋と比べて、かなり小さく図案を描いている栗山工房の紅型帯。夏帯には珍しいピンクを色の主体にしている。一般的に紅型の色挿しの手順は、最初に朱や臙脂系を挿し、次いで淡いピンクや黄色を、そして紫や青系色を入れて、最後に黒を挿しこむ。
(白地 ペルシャ花模様 紬型染帯・松寿苑 2020.11.24)
デザイン化した花模様が特徴的な、ユニークな型染の帯。クローバーや太陽やヒトデのような図案には、どれも作り手の遊び心が感じられ、締めているだけで楽しくなりそう。カジュアル帯らしい、自由な伸びやかさが全体に表れている。
(白地 クローバー模様 紬型絵染帯・岡田その子 2022.10.27)
上と同じ型を使いながら、地色と挿し色を変えた帯。岡田さんの型絵染は、花や樹木だけでなく、雪だるまや楽器、飴玉に熱気球と、様々なモチーフを独自の視点でファンタジックに描いている。その帯図案は斬新ではあるが、不思議にも、合わせた時に上手くハマるキモノが多い。
この帯も、岡田さんの作品。魚のような、花瓶のような図案がとてもユニーク。生地は紗の夏帯で、地の空色が涼し気。紺や白系の縮や紅梅のキモノに使うと、爽やかで面白いコーディネートになりそう。
今日は、型紙に創作的な模様を彫り、また地色や挿し色にも作り手の個性が光る型絵染と紅型の品物を、画像を通して十点ほどご覧頂いた。この二つの染モノは、同じ型染めでも、行儀のよい江戸小紋や長板中型浴衣とは全く異なる雰囲気を持ち、また、糸目糊置きの友禅染にはあまり見られない、豊かなデザイン性がある。
筆描きで表現されることのない彫り図案のタッチや、挿し色の独特の施しは、型絵染や紅型だけに見られる特有の表情。こうして改めて作品を並べても、その意匠がいかに個性的で、魅力的なものかが理解出来る。皆様もこの型染モノに触れる機会があれば、そのユニークな模様姿を、ぜひゆっくりとご覧になって頂きたい。なお次回の後編では、型絵染というジャンルを世に知らしめた巨匠・芹沢銈介の仕事を、様々な観点から見ることで、もう少し型絵染の魅力を掘り下げてみたい。
考えてみれば、個人事業主というのは、究極のオールラウンドプレイヤーではないでしょうか。自分で店を経営したり、新しく事業を起こそうとする時には、仕事の何から何までを、一人で完結できる目途が付かなければ、独立することは出来ません。利点は、人との煩わしい関りはなく、自由に時間を使って、自分のペースで仕事を進めることが出来ることですが、一方では、誰に頼る訳にも行かず、良くも悪くも責任を全て背負わなければなりません。つまりは、リスクと背中合わせにあると言うことです。
個人の自由を選ぶのか、それとも、会社という組織に守られる安心感を優先させるか。働き方は、各々で大きく変わりますが、どちらも簡単なことではありません。しかし今、AIなどという、人間の存在を軽々と越えてしまうシロモノが、物凄い勢いで社会を席巻しようとしています。おそらく、この先人間から取り上げられる仕事も、数多くあるはずです。
そこで、これから考えなければならないのは、人工知能が及ばない仕事は何かということです。過去のデータに基づいて答えを出すAIが苦手なこととは、やはり合理的でない、人間の感覚が優先されることになるはず。そう考えると、例えばデザインや色を考える芸術性や、作り手一人一人で異なるセンスを理解することなどは、到底無理でありましょう。ですので将来、AIがモノ作りを監修するようになったとしても、そこに芸術度の高い品物など生まれるはずがありません。
いくら頭脳が進歩しようと、AIはクリエーターにはなり得ない。これが次世代の人間の仕事を考える上で、大きな指針となるような気がするのですが、果たしてどうなのでしょうか。今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
なお、5月3日~7日まで、店の営業はお休みとさせて頂きます。頂いたメールのお返事も遅れてしまいますが、何卒お許し下さい。