バイク呉服屋の忙しい日々

職人の仕事場から

桃の節句に、桜と桃の三歳祝着を誂える(前編・祝着編)

2023.03 06

家で、最後にお雛様を飾ったのはいつのことだったか。長女が小学生のうちは、飾っていた覚えがあるのだが、それでも、もう20年も前になる。立派な七段飾りで、家内の両親が奮発して贈ってくれた豪華なもの。子どもが小さい頃は、狭いところに住んでいたので、毎年春になると、少し広い私の実家の座敷に飾っていた。いつもきちんと赤い毛氈を敷いて、恭しく飾っていたお雛様だが、何処に何を並べるか覚えていないので、毎年説明書を見なければならなかった。

一番上段に、男雛と女雛の内裏雛を飾ざることくらいは判るが、左右どちらに並べるかを、まず迷う。正しくは向かって左が男雛で、右が女雛なのだが、これも明治時代までは逆であり、大正期に欧風化の影響を受けて、天皇と皇后の並び方が反対に変わった。そのために、雛の位置が現在のようになったとされている。今年の新年参賀式の立ち位置を見ると、確かに天皇陛下が向かって左、皇后陛下が右に立たれている。

二段目に飾るのは、内裏(宮中)に仕える三人の女官で、三段目が宮中の楽団・五人囃子。その下に随身(ずいじん)と呼ばれる、政治を司る左右二人の大臣が並ぶ。そして宮中を守る天皇の従者・仕丁三人が一番下である。普通に地位を考えれば、大臣が天皇のすぐ下と思えるが、飾りでは女官よりも楽団よりも下。つまり雛飾りでは、日常の宮中生活の中で、帝と接している頻度の高い者を、上から順番に並べていることになる。現在の段飾りは、平安装束を再現した江戸後期の有職雛が基と言われるが、雛壇で貴族生活の雅やかさを表したいがために、こうした並び順になったのだろう。

 

さて3月3日は、女の子の健やかな成長を祝う年中行事・ひな祭り。江戸までは旧暦で行われていたこの日は、現行の太陽暦だと4月22日あたり。「ひなまつり」の歌詞にあるように、この節句に桃の花は欠かせないはずだが、今は桃どころか桜もまだ早い。だがバイク呉服屋の地元・山梨では、ひと月遅れの4月3日に、多くの地域でひな祭りを実施している。この時期なら、毎年ピンポイントで桃の花は盛りで、甲府盆地では桜と桃が同時に咲いて、爛漫の春を迎える。まさに「桃の節句」に相応しい季節になる。

今年は、この3月のひな祭りまでにと限定して、依頼を受けた仕事があった。三年前に、双子の女の子・桜子ちゃんと桃子ちゃんのために誂えた、桜模様と桃模様を手描き友禅で染めた小紋の八千代掛け。このブログでも製作過程から詳しくご紹介したので、覚えている読者の方もおられるだろう。時が経つのは早いもので、双子ちゃんは三歳になり、掛け着を祝着に誂え直す時期が来た。すでに昨年のうちから、ぜひ桃の節句までに仕上げて欲しいと、お母さんから要望を頂いていたという訳である。

ということで、春3月最初の稿として今日から二回、どのようにして、桜と桃の八千代掛けを三歳の祝着に直したのか、その仕事の過程をご紹介するのと同時に、可愛く仕上がったキモノと、新しく誂えた被布の姿をご覧頂くことにしたい。今回はまず、産着・八千代掛けを祝着に誂えるまでの話をしてみよう。

 

三歳祝着に生まれ変わった桜と桃の小紋・八千代掛け。

このところの和装事情として、フォーマルな場面での装いをレンタル品で賄うことが、かなり定着したように思う。例えば、限られた方しか経験できない特別な場・叙勲の際も、ドレスコードとして決まっている色留袖の装いを、借りて済ませてしまう人が増えている。一昔前までは、こうした晴れやかな席に臨む時には、新たにキモノを誂えることが当たり前だったが、時代が進むにつれて、着用が一度だけと見込まれる「その場限りの衣装」を作ることは、勿体ないと考える人が多くなったのである。効率重視と言えばそれまでだが、フォーマルの極みとも言うべき場面ですら、レンタル品で間に合わせてしまうのは、和装を扱う者としては、少し寂しい。

こんな具合なので、結婚式で花嫁・花婿の母親が着用する黒留袖も、新しい誂えは本当に少なくなっている。さらに振袖も、今現在おそらく半数以上の人がレンタルで済ませていると思われ、この傾向は時代を追って、もっと上昇するであろう。そして振袖と共にレンタル率が上がっていくと見込まれるのが、子どもの通過儀礼・七五三の衣装である。この衣装を主に貸すのは、呉服屋よりも写真屋であり、和装と洋装を組合せ、何パターンでもレンタル出来ると宣伝する。衣装を替えて貰えば、それだけ写す写真の枚数も増える訳だから、衣装の品揃えにも力が入る。

こうして多くの消費者の意識の中には、キモノは「借りて装うモノ」というイメージが植え付けられる。そしてキモノはレンタル店で着付けてもらうので、様々な知識は持たず、品物のことは判らなくても、簡単に和装を経験出来てしまう。「形だけ、その場だけの装い」を良しとするならば、おそらくこれで十分なのだろう。

 

けれども、全てが簡易的になり、和装そのものが形骸化してしまったら、購入に値する良質な品物は必要なくなり、またそれに伴って、長く使うために必要な手直しの仕事も、当然必要でなくなる。つまり、手仕事の職人は、作り手も直し手も、仕事の場を失うことになるのだ。果たしてこれを、「時代の流れなので、仕方が無い」と簡単に済ませることが出来るのだろうか。

私は、こうした現状を見聞きするにつけ、やり場のない虚しさを感じる。やはり和装の根本は、「良質な品物を、長く使うこと」に尽きるはずである。もし今、少しでも形骸化を防ぐために自分が出来ることがあるとすれば、行っている実際の仕事の姿を伝えることしかない。今日これからご紹介する、子どもの通過儀礼の装いは、産着・三歳・五歳・七歳・十三歳とその都度手を入れながら使い続けるもの。職人の仕事を知って頂く、そして一枚のキモノを大切に使い続けることに関しては、恰好の材料と言えよう。また前置きが長くなってしまった。そろそろ、話を始めることにしよう。

 

帽子と紐が付いた桜と桃の八千代掛け。この状態で、産着として納品していた。今回祝着に誂え直すにあたり、まず最初に行う仕事は、解いて縫い目を消し、付いている胴裏を外すこと。つまり、八千代掛けとして仕立てる前の、反物の状態に戻すことである。

人形町の洗張り職人・太田屋さんで解き、スジ消しを終えて戻ってきた小紋。着用が限られるお宮参りの産着は、ほとんど汚れていないので、元の縫い目を消すスジ消しだけで済む。八千代掛けの誂えは、品物に裁ちを入れずに施されるので、画像で判る通り、完全に元の反物の状態に戻すことが出来る。胴裏も切っていないので、新品同様に見える。仕立て直しのために、通常洗張りやスジ消しを施す品物は、一旦解いて仕事を終えた後には、再度各パーツを繋いで反物にする「ハヌイ」という作業を行う必要があるので、それだけ手間がかかるが、この掛け着にはそれが不要である。(なお、この八千代掛け小紋の具体的な製作過程は、2019年11月の稿で詳しく書いているので、よろしければそちらをお読み頂きたい。)

 

誂え終えた桜小紋・三歳祝着の後姿。

反物に戻ったところで、ここからが本格的な誂えの始まりとなる。まず最初にやらなければならないのは、着用する子どもの寸法をきちんと測ること。これを間違えてしまうと、いくら工夫をして仕上げても、全くダメな品物になってしまう。なので、寸法を測る呉服屋の責任は極めて重大となる。そこで注意するのは、寸法を測る時期である。

ご承知の通り、子どもの成長は早く、数か月で身長などが変わってくる。そこで、予め着用時期を聞き、凡そ2~3か月前を目安に寸法を測るようにする。なぜなら、寸法を早く測ってしまうと、誂えている間に大きくなってしまい、長さが変わることもあり得るからだ。今回の双子ちゃんの祝着は、11月の初めに来店して頂いた時に、私が採寸したものを基準とした。

誂え終えた桜小紋・三歳祝着の前姿。

さて寸法を測り終えたところで、今回の誂えの中で最も重要な「裁ち」の仕事に入る。もちろんこの仕事を担うのは和裁士であるが、裁ちを行うに当たって、特に注意しなければならないことがある。キーワードは、「将来を見越す」こと。この意識無しには、仕事を一歩たりとも前に進めることは出来ない。

先述したように、この小紋は三歳の祝着だけでなく、この先七歳、そして十三歳あたりまで着用することを想定した品物である。つまりそのためには、大きく成長した時に使えるだけの工夫が必要ということだ。ご承知のように、八千代掛けには裁ちが入らないので、反物を切るのは今回が初めて。そして、ここで大きくなった時の寸法を想定して、正しく鋏を入れておかないと、将来取り返しのつかない事態、つまり大きくなって使えないキモノになってしまうのである。だからこそ、慎重を極める仕事になるのだが、具体的にどのような工夫を施しているのか、パーツごとに説明してみよう。

 

桜祝着の身丈寸法は、1尺8寸(約68cm)。この祝着は腰上げを施しているので、二か所に付いている紐を結んでそのまま着用出来る。つまり、この1尺8寸という寸法が、現在の身長に照らし合わせた長さになる。

この祝着は腰上げとして、上げヤマを中心に約4寸5分ずつ(合計9寸)生地をつまんでいる。とりあえずは、身長が大きくなるにつれて、この上げを下して身丈を長くしていけば良い。しかし、13歳・身長150cmほどで想定される身丈の寸法は、3尺9寸~4尺であり、現状の三歳丈の倍以上が必要となる。この腰上げを全部下したとすれば、身丈は2尺7寸。そこで残りの1尺3寸ほどは、キモノの内側に中上げとして入れておかなければならない。つまりこの祝着は、腰上げと中上げという「二重上げ」の構造になっており、そうしなければ、将来的には使えない。

こうして身丈寸法を長く裁つことが出来るのは、この小紋が子ども用の四つ身ではなく、長さが3丈3尺以上(12m50cm)の、大人用反物を使って染めたものだから。最初の八千代掛けを誂える時には、将来のことも見越して反物を選ぶ必要がある。

 

次に裄の寸法だが、今回の誂えでは9寸5分(約36cm)。子ども寸法の一つの目安として、身丈の半分程度が裄になっている。このキモノでも、身丈が1尺8寸なので、この裄寸法はそれに準じていると言えよう。そして、子どもモノなので、当然肩上げを施している。

肩上げの幅は、上げヤマを中心として約2寸ずつ(合計4寸)生地をつまんでいる。身長と共に手も長くなるので、ここで裄を調節する。また肩上げと同時に、袖付と肩付のところに生地の縫込みが入る。先述したようにこの反物は大人用なので、反物の長さ同様に反物の巾も長い。

この反物の巾は9寸7分ほどで、これだと裄全体で4寸ほど生地が余り、これが袖付と肩付のところに入ることになる。この反巾で考えられる最も長い裄の寸法は、凡そ1尺7寸8分くらいなので、これは13歳で誂え直したとしても、十分に足りる長さであろう。どんな場合でも、反物を横に切り落とすことは無く、裄寸法の限界は、使う反物の巾次第となってくる。

 

最後に注意しなければならないのが、袖丈の寸法。この祝着は、1尺2寸(45cm)の誂え。現状の身長では、これ以上袖丈を長くすると、地面に触れてしまう。しかし、七歳、十三歳と大きくなるにつれて、当然袖丈は長くしなければならない。子どものキモノこそ、袖が長く無ければ可愛くないので、それを想定した施しをする。

画像でも判るように、通常の子どもキモノでは入らない「袖の上げ」が、このキモノには施してある。長さはヤマから3寸(合計6寸)。この袖上げを下すと、1尺8寸の袖丈を作ることが出来る。また袖下の内側にも1寸5分程度縫込みが入っているので、袖上げにプラスしてこれを使うと、2尺近い袖を作ることが出来る。13歳のキモノとして考える時には、袖を少しでも長くしてあげたいので、必然的にこうした工夫になる。

 

誂え終えた桃小紋・三歳祝着の後姿。

一つ一つ将来に向けた誂えの工夫を説明してきたが、端的に言えばそれは、生地を全部キモノの中に閉じ込めておくことになるのだろう。腰上げ・肩上げ・袖上げを外側に付けると同時に、身頃・袖付・肩付・袖下と内側に縫込みを入れる。つまりそれは、大人用の反物生地全てを、三歳の子が背負い込むことになる。これは、着用時には明らかに重くなり、正直に言えば、一つのリスクになる。

誂え終えた桃小紋・三歳祝着の前姿。

けれども、この祝着を試着した時の双子ちゃんの様子をお母さんから聞いたところ、苦もない様子で喜んで着ていたとの話なので、少しホッとする。三歳で大丈夫なら、この先体が大きくなるにつれて、生地の負担は軽減していくので、上げや縫込みの多さは、それほど心配事にはならないだろう。

 

三歳での祝着誂えは、この先長くこのキモノと付き合っていく、その手始めとなる。そして、先を見越した様々な施しは、ここでやっておかなければならない。大きくなるにつれて上げを下し、七歳や十三歳の節目には、キモノを解いて誂え直しをする。その都度、必要な帯や小物を準備するが、キモノはずっと変わらない。

生まれた時から、大人の入口に立つ中学生になるまで、通過儀礼の象徴として装う祝着。きっと親御さんは、キモノに手を入れるたびに、その子の成長を実感出来るはず。これこそ、一つの品物を大切に長く着用する、キモノ本来の姿と言えよう。おそらく「品物への愛着」とは、こんな向き合い方をしなければ生まれてこないだろう。

そのために役割を果たすのが、呉服屋であり、それに関わる様々な職人達である。そしてまた、長く使うに耐え得る品物には、必ず職人の技と魂が込められている。まさにそれは、作り手と直し手、そして売り手が三位一体とならなければ実現できない、和装本来の姿と言えるのではないだろうか。

次回は、被布の誂えを中心に、襦袢のことなども含めながら話を続ける予定。そして最後に、完成した三歳祝着の姿を、皆様にご覧頂こう。

 

「MENS SAMA IN CORPORE SAMO KENSONS IN CORPORE」。ラテン語で「健全なる精神は、健全なる肉体に宿る」と書かれた言葉が、私の母校・県立甲府第一高校の体育館の前で、塑像と共に掲げられています。これは、OBで東京タワーの設計者としても知られる内藤多仲(ないとうたちゅう)の言葉を引用したもので、今なお、幾つかある校是の一つともなっています。

この言葉をもじって使えば、私は「健全なる仕事は、健全なる精神に宿る」ように思います。品物の扱いに対して、作り手と直し手と売り手が真摯に向き合うこと、すなわち健全な精神をもって臨まなければ、未来を見据えた仕事にはならないということです。和装の将来を考えれば、残すべき仕事は、何とか残していかなければなりません。

大切に品物を使い続けたい方は、決して消えてしまうことはありません。時代は変わろうとも、仕事を続ける限り、その方々のために努力を惜しんではならない。そう思っています。今日も、長い話にお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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