「おまえ百まで、わしゃ九十九まで、共に白髪の生えるまで」とは、能・高砂に出てくる老夫婦に因んで作られた謡曲の一節で、夫婦が仲良く、長く連れ添うことを願う意味で使われる故事として、よく知られている。そして、この能の中では「高砂や、この浦舟に帆を上げて、月もろともに出で汐の・・・」と謡われており、それは結婚する夫婦の和合と長寿に願いを込めて、江戸時代の祝言から現代の結婚披露宴まで、幾多の人に謡い継がれてきたお目出度い謡曲である。
この「高砂」の舞台となったのは、播磨灘に面した兵庫県西部・高砂市に建立されている高砂神社。境内には雄株と雌株が寄り添って生える二本の松があり、それはまるで一つの根から大きく成長した木のよう。古来こうした姿の松は、「相生の松」と呼ばれて、相生き(共に生きて)相老る(共に老いる)夫婦の象徴とされていた。この社の雌雄の松も、それぞれが「尉(おじいさん)」「姥(おばあさん)」であり、大木を、長い時間をかけて契りを結んだ、夫婦の姿そのものと見なしている。
三十六歌仙の一人で、古今和歌集の撰者としても知られる紀貫之は、歌論書・古今和歌集仮名序の中で、「高砂、すみの江のまつも、あひおひ(相生)のやうに、おぼえ」と記しているが、これは、高砂の松と住之江(大阪・住吉)の松があいおひ、つまり夫婦のように思えると自分の感慨を述べたもの。世阿弥はこれを基にして、能・高砂のシナリオを書いたと言われ、とどのつまりそれが、現代に続くお目出度い謡曲「高砂や~」に繋がっているのである。
さて今日は、そんな「高砂の祝言に相応しい婚礼衣装」の誂えをご紹介する稿の最終回となる。実際にお客様の装った姿で、誂染めをした無地の振袖と黒地の帯がどのように映ったのか、またそこにどのような小物を合わせて、晴れの場に相応しい姿としたのか、皆様にご覧頂くことにしたい。
今回この稿を書くにあたっては、誂えを依頼して頂いたお客様・Mさまから、着装した姿や品物の画像をお送り頂きました。そして同時に、これをブログに掲載することも、快く承諾して頂きました。そのことをまず最初に深く感謝を申し上げ、話を始めることに致したいと思います。
結婚式直前のお二人の装い。晩秋の東京・北の丸公園で。
深みのある牡丹色で染めた大シボちりめんの振袖、そして古典の極みのような黒地の檜垣取四季花文の袋帯。考え抜いた末に選んだ晴れの日の衣装は、果たしてどのような姿に映っていたのだろうか。誂えを請け負った私としても、着装した姿を拝見するまでは、今回提案させて頂いた品物が果たして正しかったのかと、確証が持てずにいた。もちろん納品時には、その出来映えを確認して「間違いない」と理解していたものの、実際に装った時の姿は、品物を置いたままの平面で見る時とは印象が異なる。
けれども、Mさまから送って頂いた優美で麗しい画像を見た時、今回の誂えを成功裡に終えることが出来たと確信した。自然光の中でも、室内の灯においても、牡丹あるいは躑躅のような振袖の色が、独特のこっくりした美しさを醸しだしている。こうした真紅と臙脂を掛け合わせて深めたような色の気配は、既存の振袖の中では見出すことが難しく、誂染でなければ表現出来なかったであろう。
文庫に結んだ黒地の帯姿が、シンプルですっきりとした着姿を上手く演出している。
そして帯に黒地を選んだことも、やはり正解であった。これだけ主張が強い麗しい色は、黒以外で抑えるのは難しい。そして、図案を区分けている金糸檜垣取と狂言の丸の金糸縁取が、帯の豪華さを高めている。締めた姿の方が、平面で見るよりよほど秀麗な帯姿であり、地色と図案双方ともに「この帯で良かった」と思わせるものだった。
さてそこで、このキモノと帯にどのような小物を使い、着姿を高めて行ったのか、見て行くことにしよう。キモノや帯を上手く選択しても、それにそぐう小物を使わなければ、装いは決まらない。相応しい小物を正しく選べるか否かは、いわば体操競技の最後の着地と同じであり、極端な言い方をすれば、これで着姿の印象が決まってしまうのだ。そして今回は花嫁衣裳でもあるので、使う色が限定されたり、特有の小物を使う必要もあって、なおのこと慎重に選ぶことが求められた。
装いに選んだ小物一式を、着姿のようにして写して頂いた。丸ぐけ綿入り・白帯締め、カナリア色・総疋田絞り帯揚げ、襦袢の刺繍半衿、お手製の筥迫、白の抱え帯など。
上の画像は、装う直前に品物一式を並べたものだが、着姿を見ずとも、小物の色のバランスが優れていることが良く判る。キモノも帯も、濃厚な色の気配を前面に出しており、見る者にはそれが目にも麗しい印象として残る。そしてそれを合わせた小物は、各々がキモノと帯を引き立て、豪華ながらも、どこか落ち着いた印象を残す着姿に仕上げている。
疋田絞り帯揚げの柔らかな山吹色は、キモノの赤紫と帯の黒の間に入って、しっかりと緩衝材の役割を果たし、そこに合わせた白の丸ぐけ帯締めと抱え帯が、清楚な花嫁姿を際だたせている。また水色の房を付けた小花模様の筥迫が可愛く、整然とした着姿の中で、良いアクセントになっている。そして実はこの筥迫は、Mさまが自分の手で誂えたオリジナル品である。今回の小物の中では、特筆すべき品物になったので、少し詳しくご紹介してみよう。
小花模様の筥迫の布は、小紋の残り布。生地を貼る表や内側に必要な材料を取り寄せ、そこに、持っていた自分の小紋生地を使って作っている。また紐や房も自分で考えた色を選んで付けて、びらかんざしと呼ぶ鎖状の付属品も、取り寄せて付けている。
江戸時代の中期辺りから、武家や富裕町人の晴れの儀式の中で、用いられていた筥迫。この小さい筥は、懐紙用と小物用に分れていて、薬や楊枝、櫛、鏡などが入れられていた。装い方は、キモノの胸元に挿し、房を下に垂らした姿で用いる。また鎖状のびら簪(かんざし)は、護身としての意味を持つ道具として付けられていた。現代では、花嫁衣装と七五三の祝着だけに残る小道具である。
筥迫姿がよく判る画像。筥迫に付いている白と水色二色の房と、もう一つ右側の末広の傍らに同色の房が見えるが、これは武家の女性が護身のために持っていた「懐剣(かいけん)」を模した房。筥迫や丸ぐけ帯締め、抱え帯、末広など、花嫁衣装を装う時に必要とされる小物が、この画像でよく判ると思う。
この筥迫は、制作を支援する店から材料を取り寄せて自分で作ったと、Mさまから聞いた時には、筥迫のような、和装でも限られた時にしか使わない小物を、材料を提供し、作り方も教えるような工房・店が存在することに少し驚いた。しかし考えてみれば、特別な花嫁姿を彩る小物だからこそ、そこには特別な思いもあり、それが自分らしいこだわりの品を制作することに繋がっている。おそらくこの筥迫にも、そんなMさまの装いにかける気持ちが込められているはずだ。
Mさまは、最初この筥迫は試作品のつもりで作り、本番用は金襴のような華やかな生地で、別に作ろうと考えられていた。けれども、選んで頂いた紫紘帯には、筥迫生地の小紋柄と良く似た配色の図案が入っていて、合わせて使っても違和感は無いはず。そう考えて、この筥迫をそのまま使うことをお勧めした。こうして装いの姿を見ると、改めて、この筥迫を選んで頂いて、良かったと思う。筥迫とそれに合わせた水と白の二色の房が、装いの中できちんと存在感を示しており、それが特にインパクトのあるキモノの濃い赤を、うまく抑えている気がする。小物全体を優しい色にすることにより、着姿全体がバランスのとれた仕上がりになっていて、この選択に間違いは無かった。
今回、合せて使った長襦袢と刺繍衿。(長襦袢・トキワ商事 刺繍衿・加藤萬)
着姿からだと、長襦袢は振りから僅かに覗くだけだが、振袖がはっきりした牡丹色であることを考え、赤やピンク色系は避けて、優しいカナリア色の襦袢を使うことをお勧めした。この振袖は、後に無地のキモノとして使われるが、その時一緒に使う襦袢として考えれば、おとなしい色の方が、安心して長く使える。
また刺繍半衿は、白地で細かな四季花を散りばめたもの。模様の配色は薄ピンクと白が主体の、きわめておとなしく、上品な意匠。衿元は、キモノの濃色をすっきりと見せるために、あえて白を基調とした小物を使う。画像の着姿を見ても、衿の白さが清潔な美しさを感じさせる。
画像は、前撮りした時の装いと式当日の装いの両方を送って頂いた。上の画像は前撮りの姿で、この時は自分の髪で、格調高く文金高島田を結い上げている。厳かな中に、重厚な美しさを感じさせる佇まい。これは、極めてシンプルな無地紋付振袖だが、シックな帯と小物でしっかりと古典的な姿を形作っているので、こうして本格的な日本髪を結いあげて装ってみると、なお居ずまいを正した美しい花嫁姿となる。
こちらは式当日の着姿。ショートヘアにつまみ細工の髪飾りで、装いをイメージチェンジ。この髪飾りでも、水色がポイントとなっていて、筥迫の房や帯の模様色と連動して着姿に彩を与えている。重厚な日本髪も良かったが、こんな軽やかなショートヘアでは、伝統衣裳として威厳をもちながらも、現代的でモダンな雰囲気を残す。この振袖の牡丹色はとても不思議な色で、重厚さと柔軟さを合わせ持っている。だから、髪型を大きく変えても、花嫁衣装としての厳かさを失うことは無い。
最後の画像は、振袖の袖を長く垂らして、伏し目がちに物思いにふける姿。花嫁となる初々しさが、画像からも伝わってくるようだ。
メールで誂えの依頼を頂いてから、5か月。無事に、思い描いた衣装をまとって、Mさまは晴れの日を迎えられた。こうして頂いた画像を拝見しながら、一つ一つの仕事のことを稿にして見ると、何より大切なのは、お客様が望まれている姿をきちんと把握し、それを丁寧に具現化していくことと思う。それには、密接にコミュニケーションを取ることが、どうしても求められる。「聞くこと、話すこと」は、仕事の出発点であり、リアルに向き合うことでしか、互いの思いは理解しえない。誂えの仕事を請け負うたびに、同じことを感じる。
Mさまからは、当日列席されて着姿を見た友人の方から、「似合う色とは、こういうことかと思った」と言って頂き、それは最高の誉め言葉だったと話して頂いた。それは、今回仕事をさせて頂いた私にとっても、最高の誉め言葉になった。
残して置いた布の色を、誂え染の色に使い、大切に保管していたひいおばあさまの振袖に付く八重向梅紋を、そのまま紋とする。さらには、手作りした筥迫が胸元から覗いて、着姿に彩を与える。今回の衣装の中には、Mさまの家に繋がる長い歴史や、Mさま自身のこだわりが、散りばめられている。ご自身の婚礼衣装に対する強い思いが無ければ、この美しく麗しい衣装は、生まれなかった。バイク呉服屋は、そのお手伝いを、少しさせて頂いただけである。
最後に、Mさまご夫妻の末長いお幸せを祈りつつ、三回にわたるこの稿を終える。
共に白髪が生えるまで、仲良く寄り添うのは、縁あって結婚した夫婦の願い。それは、誰しもが思うことかと思います。バイク呉服屋夫婦も、私はもうかなり白髪が目立つようになり、というより白髪の方が完全に多くなり、家内も定期的に染めなければならないほど、白髪が増えてしまいました。100歳と99歳どころか、60歳を少し超えたあたりで、我々は共白髪になってしまったのです。
「自分は染めてないのに、私には黒く染めなさいと言うのは、男のエゴ」だそうですが、それはパートナーである奥さんに、いつまでも若々しくいて欲しいという、願望の表れです。それをわがままと言われてしまっては、どうにも返す言葉がありません。白髪をそのまま生かす「グレイヘア」を試してもらっても良いのですが、どうなのでしょう。皆様は、白髪をどう扱いますか。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。