数日前、京都の小さな工房で染めている蠟染の帯が、数点送られてきた。これは、ある取引先から、「ぜひ一度、目を通して欲しい」との依頼を受けた品物。話によると、「取引先のどなたかで、私の帯を見て頂き、気に入ったらぜひ求めて頂きたいのですが・・・」と、この作家から頼まれたそうだ。
実際作り手は、自分で品物を世に出すことは難しい。今はネットの時代なので、直接消費者に訴えることも可能なはずだが、実践している人は少ない。そこで伝手を使って、品物を見てもらう機会を増やし、販売に繋げていくことになるが、これも軌道に乗せるのは、容易では無い。一番良いのが、大手のメーカーに目を止めて貰い、それが契機となって、品物の受注を受けること。こうなれば、安定したモノ作りに繋がり、それは「自分の作品で飯が喰える」ことになる。しかしながら昨今では、新しい作家を探して品物を発注するような気概ある問屋は数少なく、デビューの場は限りなく減っている。
技を磨いて、日本工芸会あたりの会員に認定されれば、一応作家としての箔が付く。だがそれでも、今は安泰ではない。そもそも、趣味的なキモノや帯が大量に動くことなど考えられず、将来の確固たる需要を見通すことは出来ない。いくら品物を作っても、その仕事を理解して見初めてくれる人が居なければ、どうにならないのだ。
そして、品物を仕入れる呉服屋の立場からすれば、いくら手を尽くしたモノでも、それだけで扱うことにはならない。何より重要なのは、品物の図案や配色に、作り手の優れたセンスが感じられること。厄介なことに、仕入れを担う主人の好みは店ごとに異なり、一筋縄ではいかない。だから、同じような色合いや模様に偏れば、いくら作っても扱いは増えない。そして価格も重要で、特にカジュアルモノの場合では、一定額以上になるとどうしても仕入れに躊躇する。染織に関わる作家が自分の作品を世に出すことは、想像以上にハードルが高い。
今回見せて頂いた染帯は、薄いブルー地とピンク地。そこに淡い色の唐花が、ふわりと広がっている。手描きのバティックと同様に、チャンチン(細い管状の口が付いた蠟描きの道具)を用いて本格的に染めた帯。十分に手を掛けているのは判るのだが、品物として肝心な、描いた模様にポイントが欠け、帯としての個性が出せていない。いかにパステル好きなバイク呉服屋でも、淡く優しいだけの印象では、仕入れて扱うまでには至らない。唐花や唐草は、文様として確固とした形がなく、描き手のセンスが意匠に如実に出てしまうので、難しいモチーフである。この蠟染帯の場合は、やはりバティック・ジャワ更紗を意識した図案であろうが、癖が無さ過ぎて平板になってしまった。
キモノや帯にあしらう図案は、かように難しい。けれども、文様として確立している図案を使った品物は、消費者にも馴染みがあって判りやすく、店としても扱いやすい。つまり、安心して仕入れることの出来るモノとなる。それは、前回ご紹介した名物裂写し模様や、有職文様などがそれに当たる。ということで今日の稿は、前回に引き続き名物裂写しについて。現代のキモノや帯に、どのようにあしらわれているか、幾つかの写し模様について、品物を通してご覧頂こう。
帯模様としてあしらわれているのは、角倉金襴と鶏頭金襴。
前回の稿で記したように、名物裂は幾種類かの織品種に分れて伝来し、渡来した年代も異なっている。その大半は、茶道の発達に伴って現れてきたもので、仕覆などの茶入れ袋や茶室に掛かる軸の表装として、茶人に愛用されたのがその始まりであった。
金襴、緞子、間道、印金、錦、風通と織品種は様々あるが、複数の織にまたがって数多く使われているポピュラーな図案もあれば、一部の織にしか見られない特徴的な文様もある。元々が織で表現されている図案だけに、現代では帯の模様として、そのまま採用されているものが多いが、きらびやかな金襴によく見られる牡丹唐草文などは、フォーマルな振袖や留袖類の意匠としても使われている。また、縞モノの間道は、帯だけでなく紬や小紋の柄にも採用され、面白い図案や可愛い模様は、紬の絣模様や小紋のモチーフとして採用されている。
そして名物裂を使った表装には、印金の施しがよく見られるが、これはまず羅や紗、綾などの生地の上に、接着剤を塗った文様の型を貼り付け、その上に金箔を押しあてる。そして、乾いた後で模様からはみだした部分を拭き取り、図案とした技法である。この方法によれば、一つの模様の中に違う模様が入りこむことになり、極めて特徴的な図案の姿となる。この印金技法は後に、生地表面に直接金銀箔を貼り付ける摺箔や押箔による模様表現に繋がり、それは友禅における加工工程の一つとして、今も様々な品物で使われている。名物裂は、その模様あしらいだけでなく、表現技法としても受け継がれているのだ。前置きが長くなってしまったが、これから各々の文様を品物で見て行こう。
上の画像の帯は、龍村美術織物製。角倉金襴と鶏頭金襴を交互に配置し、市松的な規則文様になっている。黒地の方は、名物裂金襴の姿をそのまま帯地で表現しているが、全く同じ模様配置でも、クリーム地の方は優しい雰囲気で、金襴の華やかさが消えている。だがこれはこれで、違う帯の一面を見せていて、悪くはない。今年は兎の年でもあるので、まず愛らしいウサギが印象的な角倉・花兎模様からご紹介しよう。
横向きの兎が後ろを振り返り、前足を軽く上げる。振り返った所には、兎の背中にそうように樹木があり、その枝には小さな花が咲いている。名物裂における花兎模様は、押しなべてこの構図である。前回、名物裂の文様には、愛用した人の名前を付けたものがあるという話をしたが、この花兎模様もその一つで、角倉文様と名乗っている。角倉とは、桃山時代に活躍した京の豪商・角倉了以(すみのくらりょうい)を指す。
注目して頂きたいのは、図案の中で兎の下に土が敷いてあること。これは根付いた土壌を示している表現・造土(つくりつち)模様であり、大変特徴的。そして、この帯の中に一緒にあしらわれている鶏頭文様も、兎同様に下に土が敷いてある。こうした造土の文様姿は、花兎文と鶏頭文だけに見られるものだ。なおこのような金襴文様は、小堀遠州が大坂・堺の庵「在中庵(ざいちゅうあん)」から譲り受けた茶入れ袋の中に、数多く見受けられている。
可憐な兎図案の角倉文は、織だけでなく染モノのモチーフにもなっている。この薄ピンクの反物は、今は亡き菱一が染め出した飛柄小紋。この小紋は、地色違いを何色か染めたはずで、うちではピンクと水色、青磁色を扱った覚えがある。もう10年くらい前になるだろうか。
緞子模様として最もポピュラーな図案の一つ・笹蔓文様。画像の二点はどちらも名古屋帯で、西陣・斉木織物製。同じモチーフを使っていても、図案の大きさや配色のちがいによって、帯の雰囲気が変わってくる。名物裂写しの場合、文様としては図案が固定化しているが、このように形や色を様々にアレンジしながら、数多くの帯やキモノの中で表現されている。
この文様の基本モチーフになっているのは唐草だが、これは天平期の外来的な唐草文と様相が異なり、どことなく和的な感じを受ける。図案を良く見ると、唐草と言っても蔓の所々に付いているのは笹の葉であり、そこに松ぼっくりに似せた丸い図案・松毬文(別名・いちご文)と六弁の小花をあしらっている。またこの文様の特徴は、図案が全て斜めに流れている点にある。これは、どことなく和的にアレンジされた折衷唐草文であり、だからこそ格調高くきちんとした印象を受ける。名物裂写しの代表的文様となっているのも、こうした模様姿があってのことだ。
この笹蔓文には、中のモチーフを違えてあしらわれた図案が幾つかある。上杉謙信が使用した胴服(室町期に小袖の上に羽織った羽織)には、この同じ笹蔓文様形式で、松毬を菊に替えた図案が使われている。また他に松毬を雲に入れ替えた文様や、蔓の間に鳥をあしらった図案など、さまざまアレンジが見られる。現代のキモノや帯に見られる笹蔓文は、そこまで模様をいじっておらず、基本的な図案を忠実に守っている。
絣模様に採用されている笹蔓文。帯の織模様とは異なり、絣の模様姿は優しく柔らかい。その上水色とグレーが基調の配色で、爽やかな印象を残している。この紬も、菱一の品物。昔は、メーカーが模様をデザインし、それを産地の機屋が織ったオリジナル品(止め機)が数多く存在した。これは菱一が、十日町の機屋・根啓織物に依頼して作った絣紬で、「橡(つるばみ)紬」という名前を付けて売っていた品物。この笹蔓絣は売れてしまったが、同様の紬がまだ棚に三点ほど残っている。
牡丹唐草文は、金襴にあしらわれた図案として最も多い。名物裂写しにおける唐草系文様としては、笹蔓文と双璧だが、模様の華やかさから、格調高いフォーマル系の品物にあしらわれることが多い。上の画像に見える金襴牡丹唐草は、夏袋帯として龍村が織りなしたもの。画像で見たところでは、とても夏帯には見えない豪華絢爛な意匠である。
細かいようだが、この牡丹唐草文は茎の様相や花の大小により、幾つかに分類されている。例えば、京都東山の名刹・高台寺に伝わる牡丹唐草金襴には、蔓が一重と二重のものがあり、花の大きさが3~4.5cmの中牡丹。同様の一重蔓中牡丹唐草には、他に南禅寺裂と本願寺裂があり、同じ一重蔓でも1.5~3cmの小牡丹は、銀閣寺金襴のあしらいに見られる。
華やかな金襴という意識を横に置いて、唐織で織り出された牡丹唐草。薄い黄色地と淡い牡丹の色合いから、優しい印象を受ける帯。文様の基本は同じなのに、織り方と使う糸の色合いで、これほどイメージが変わってしまう。だが時には、こんな上品な牡丹唐草も良い。
名物裂の織として、天正年間(1573~92年)に伝わった技法に風通(ふうつう)織がある。これは表裏に違う色の糸を使って平織の二重組織とし、文様箇所は表裏の糸が反対になるように織りなす。これで表裏の糸が交差する部分以外は、袋状となる。つまりは、地と模様とが別々に組織される二重織となるが、これを風通と呼んでいる。この風通の織文様として、最もよく知られているのが、上の画像にある糸屋輪宝手(いとやりんぽうて)文様。この図案の裂を、大坂・堺の豪商である絲屋が所有していたことから、この名前が付いた。画像は、龍村が手掛けている光波・元妙帯のひと柄。
龍村では、この織生地を使った鼻緒も作っている。これは上の帯と色違いの、濃グレーの糸屋輪宝手。この放射状に開いた八花弁・輪宝は、仏教で心の煩悩を破る説法の道具として認識されている尊いもの。模様の表情からは、金糸で縫い取るようにあしらっている姿が見て取れる。
文様にキリが無いので、あと二つほどは簡単に。この帯図案はよく知られた七宝文であるが、名物裂の緞子の中には、この帯のように、七宝の中に宝尽し文や梅鉢文を入れて繋いだ意匠が見られる。この文様は、安土桃山期に千利休、津田宗及と共に「茶の湯・天下の三宗匠」と称された今井宗久の息子・宗薫が愛用した裂にあしらわれていたもので、「今井緞子」と名前が付いている。なおこの袋帯は、紫紘の手による本金引箔帯。
法隆寺に伝来する赤地の錦を「蜀江錦」と称するように、中国四川省・蜀は、織産地としての歴史が古い。この帯のあしらいに見られるのは、お馴染みの八角形図案を連続させ、中に唐花を入れ込んだ、いわゆる「蜀江文」である。ただこれが、文様として確立したのは、宋から明の時代になって織られた錦からであり、これも名物裂に連なる時代の文様と見ることが出来る。この帯は、牡丹唐草文と同様、龍村の夏袋帯。
二回にわたって、名物裂の織と写し文様について話をさせて頂いたが、判り難い歴史的な背景や織技法を長々と説明しすぎた感があり、面白みに欠ける稿になってしまったようにも思う。私のブログには、いつもその傾向が付きまとうが、皆様には画像だけでもご覧になり、各々の文様を少しでも記憶に残して頂ければ、それで十分である。
天平期の正倉院文様とも、平安期の有職文様とも違う、室町桃山期の名物裂写し文様。中国の宋や明からやってきた裂図案なので、外来文様であることに間違いは無い。けれども文様の姿や全体から受ける雰囲気には、どことはなしに日本的・和的なものを感じる。私が文様から受ける感覚では、中国大陸のエッセンスと日本の美的感覚が折衷し、普遍的な姿になっているように思える。だからこそ、今なお多くのキモノや帯の意匠として、飽きることなく、用い続けられているのではないだろうか。
またいつか機会を捉えて、名物裂写しの文様を施した品物について、ご紹介したいと考えている。
唐花や唐草は私の大好きなモチーフですが、正倉院的唐草と名物裂写しの唐草では、模様から受ける印象が違います。正倉院模様には、強く異国の匂いを感じますが、名物裂の方は、もう少し身近な感じがしますね。中でも角倉文のうさぎの姿などは、可愛さだけが前に出ていて、この図案を使ってる品物を見ると、思わず仕入れたくなります。
作り手は、文様として確立されている図案をどのようにアレンジするか、そのセンスが求められています。各々のデザインの中には、遠い国の、そして日本の、様々な文化のエッセンスが散りばめられています。そして文様の歴史こそが、人々の美意識の系譜と言い換えても良いかも知れません。モノ作りには厳しい時代ですが、売り手に「ぜひ扱ってみたい」と思わせる良品を、一点でも多く作って頂きたいと思います。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。