バイク呉服屋の忙しい日々

その他

2023年・卯年の初めにあたり  タイパ社会に、石を投げろ

2023.01 07

あけまして、おめでとうございます。三年ぶりに行動制限の無い年末・年始でしたが、皆様はどのように過ごされたのでしょうか。私は今年も、年明けはゆっくりと休ませて頂きましたので、例年通り人日の節句・今日7日が、仕事始めになりました。

 

さて今年は、ブログを書き始めて丸10年にあたり、いわば節目の年になります。最初の頃と比べると、更新する稿の数は減ったものの、一定の内容の記事を継続的に、何とか書き続けることが出来ました。これは、この10年間大きな患いをせずに、仕事を続けることが出来た証左であり、私にとってはとても幸運なことでした。

ブログ原稿の形式は変わることなく、一つのテーマを一回読み切りになるように書いているので、10年の間ずっと、面倒で厄介な読みモノになっていますが、それにも関わらず、毎日多くの方にブログサイトを訪ねて頂いていることを、心より感謝致します。どれほど皆様に楽しんで頂けているのか、またどれだけお役に立っているのかは判らず、もしかしたら私の自己満足だけの記事かも知れませんが、ささやかながらこれからも、自分の言葉で、情報発信を続けていきたいと思います。

そこで今年も、年の初めに当たり、呉服屋としてどのように仕事に臨むか、少し所感を述べたいと思います。例によってとりとめのない話になると思いますが、年明けの店内の様子ご覧頂きながら、お読み頂ければ有難いです。

 

年初めのウインド。鶸色地 七宝宝尽し模様・付下げ(菱一) 白鼠地 寿地宝尽し文・袋帯(紫紘) ちりめん白地 椿模様・型絵染帯(最上)

宝尽しと寿字を組合わせた吉祥文の付下げと袋帯でお正月らしく、そして春を待つ花の代表格・椿を型絵で可愛く表現した染帯で、明るい年明けの表情になるよう、ウインドを工夫してみました。また、前に置いた二点の帯揚げ(藤と薄桜)は、絞りでうさぎを模様付けしています。

 

「のべつ、幕無し」。現代社会を一言で表すと、この言葉に辿り着く。元の意味は、幕を引かずに演技が続くことだが、「のべつ」の「のべ」は「延べ」であり、これに助詞の「つ」が付くことで、「延期せずにそのまま」となる。幕無しはその言葉の通りに、「幕間の無いこと」。仕事も人間関係も情報の渦に翻弄され、常に時間に追われる。休む間どころか、息つく間も無いほど忙しい。

最近では、映画や録画したドラマを早送りで見る「倍速視聴」が、若者を中心に増えているそうだが、それほど、一つのことに時間を掛ける暇がないということか。またラインなどのSNSでやり取りする文章では、句読点を打たない者が多いとされるが、こうした流儀はどこから来ているのか。合理的か否かは別にして、私などそう簡単には受け入れられそうにない。

このような「ショートカット現象」は、現代社会に蔓延し続ける「時間の効率化」を最優先する動きに、大きな原因があるのだろう。仕事どころか生活全体に、時間当たりの生産性が重視される。この費用対効果至上主義が、多くの人の「時間に追われる行動」となって現れてくるのだ。わき目もふらず、一直線に一番正しい答えに辿り着くことが最大の目標。これが達成できるか否かで、その人の価値が決まってしまう。こうして文章に実態を書いてしまうと、誠に殺伐とした世の中に思えてくる。

 

日本の伝統芸能や武道には、それぞれに様式を重んじる作法が存在する。これは、そう簡単に変えられるものではなく、だからこそ時代を越えた美しさ・様式美となって脈々と息づいてきた。そして、その中で特に大切にされてきたのが、間のとり方や相手との距離感、さらに手順の重視などであったように思われる。つまりそれは、効率を優先する慌ただしい現代とは真逆な、静かで研ぎ澄まされた時間である、

例えば国技・相撲を考えてみよう。力士が取り組むまでには、様々な作法がある。初めに呼び出しが東西の力士の名前を呼び上げ、二人が土俵に上がると取組を捌く行司が、改めて双方のしこ名を呼ぶ。力士は土俵に上がると、まず力水を口に含み、塩を手にして土俵中央へ進む。たったこれだけの所作でも、それぞれに手順と厳密な決めごとがある。そして、仕切りを繰り返すこと数回、向き合った相手と互いの呼吸を整えて立ち合い、ようやく勝負が始まる。

神道に由来する相撲は、所作の一つ一つが神事にまつわる意味を持つ。それが長い時間をかけて、今日まで様式となり受け継がれてきた。だからこそ重厚で、比類のない強さと美しさを持ち、それが、スポーツの範疇では収まらない深遠さを醸し出している。

 

効率重視と様式重視。こうして二つの対照的な時間の捉え方を考えてみると、和装とはいかなるものか、その本質が見えてくるような気がする。和の装いは、着装するにあたり準備するものが決められ、その装い方にもルールが存在する。そのため、どうしてもある程度の時間を必要とする。そして装うキモノや帯は、素材ごとに、そして仕立て方によっても使う季節が限定されたり、晴れと褻、その装う場所によっても、品物の種類を変えなければならない。その上に、自分で管理することにも手間がかかり、直すことや保管することには、特に注意を払う必要がある。

全てにおいて手が掛かること、すなわち時間効率最優先の現代とは、真逆な行動様式。それが、キモノを着るということなのだ。ただ注意しなければならないのは、場当たり的な和装は、これに当たらないということ。例えば、自治体主催の二十歳の式典に出るためだけの衣裳とか、観光地で街歩きをするために借りるキモノなどは、むしろ「効率を重視する今的な装い」であり、伝統様式をきちんと弁えた装いにはなっていない。

 

店の真ん中に置いてある飾り台。生成色 小鳥尽し模様・小紋(最上) 橙色 樹下小鳥模様・刺繍名古屋帯(貴久樹)

キモノも帯も、小鳥をメインモチーフにした珍しい意匠。小紋の小鳥は大きすぎず小さすぎず、反物巾一杯に、自由に舞い飛んでいます。帯図案は、木の下に二羽の鳥が対照的に並ぶ「樹下鳥文」。ペルシャに端を発した図案で、正倉院所蔵の夾纈屏風にも、同様の形式が幾つか見られます。キモノも帯も、色と図案に特徴ある可愛さが見られるので、あえて鳥文コーデネートを試みてみました。

 

バイク呉服屋に来られるほとんどのお客様は、とりたてて特別な方ではなく、多くの方が普段は仕事に追われながら、忙しい日々を送っておられる。けれども、効率が優先される公の仕事時間と、自分のペースをきちんと組み入れる私的な時間とを、見事に仕分けしている。それは、生活を一定方向だけに流さず、きちんと間のとり方を弁えている証である

キモノと向き合う時間は、日常から離れて、自分らしさを取り戻す時間と考える。まず何を着るか、そしてどのように帯や小物を合せるか。時には、羽織やコートにも考えを及ばす。コーデネートに悩むところから、自分の時間が始まるが、それもまた楽しい。カジュアルに何を装うか、答えなど無い。自分が着たいように着れば、それが一番だ。何よりも、キモノを装うと決めた時から始まっている自分の時間が、とても愛おしい。

用意するものは、キモノや帯の他に長襦袢、帯〆、帯揚げ。そして半襦袢や裾除けなど下着はもとより、着装の時に必要な伊達締めや腰紐、帯板に帯枕に衿芯にコーリンベルト、それに足袋まで。また、草履と併せ持つバッグ類も考えなければならない。和装は準備段階から手間が掛かり、そこに着装時間も加味しなければならない。着姿を作ることは、洋装とは比較にならないほど面倒だけれども、和装の探求者には、効率など端から念頭にないので、それが全く気にならない。

 

呉服専門店としての存在価値は、様式を尊びながら、楽しみつつ自分のキモノ時間を持とうとされているコアな和装ファンに、どれだけのことが出来るか、その一点に尽きるように思う。効率性や利便性を重視して、その時限りのキモノを装いたいとされる方には、それを目途として仕事をしている店がいくらでもある。だから基本的には、「着て頂くための方策やサービス」を考える必要は無い。語弊があるかもしれないが、大多数の消費者が求める仕事には手を出さず、知識や知恵を特に必要とするニッチな仕事に重心を置くことが、専門店の使命のように思える。

おそらく、こうした私の店のような姿勢を傲慢と捉えられる方も、多くおられるだろう。けれども、批判されようがどうしようが、限られた一部の方を対象にする商いは、どうしても存在しなければならない。和装の本質は、伝統に培われた様式の美しさ。それを求めて止まない数少ない方々にとっては、効率も生産性も利便性も、「蚊帳の外」になる。なので、そんなお客様を受け入れる店の姿勢は、どうしても現社会のアンチテーゼの側に立たなければ、存在価値を満たすことは出来ず、店としても機能しない。

 

店内の飾り棚。飛び柄小紋三点(左から菱一・一文・トキワ商事) 織名古屋帯三点(左から泰生織物・錦工芸・みやこ織物)

飛柄小紋は、茶事にも使えて、時には街着にもなる便利なアイテム。パステル地色は、装いを春らしくします。合わせる帯も、淡いクリームや白地で柔らかく。

店内の撞木に掛かる品物。縞と格子本場大島三点(伊集院リキ商店) 石下八寸帯(奥順)と米沢紙布八寸帯(粟野商事)

色の柔らかな縞や格子の大島は、地味で古くさいイメージを一新し、都会的で気軽な着こなしを演出できるように思います。キモノも帯も決して高価ではありませんが、使いやすさを主眼に置いて選んでみました。

 

時間当たりの生産性ばかりが重視される、現代の「タイムパフォーマンス(タイパ)社会」。時間に追われることは苦しいと判っていながら、ここから抜け出すことは容易ではありません。より速く、より効率的に、より良い結果を出す。それを至上命題として社会全体を覆っているのが、今の日本であり世界でありましょう。そして、この命題に臨む時に必需な道具としてPCやスマホが社会の隅々まで普及し、社会的なネットワークを築くためのシステム・SNSから発信される情報やAI(人工知能)に基づく行動指示により、人々は自分の時間を切り取られています。

そんな息苦しい世の中にあって、キモノや帯を嗜むことは、まさに生活に「潤いの時間」を与えることになりましょう。これを効率重視の価値基準に照らせば、「無駄な時間」と一瞥されてしまいそうですが、逆に無駄の貴さを理解出来ない方は、和の装いだけでなく、心の豊かさの何たるかを知ることも、永遠に出来ないように思います。

 

バイク呉服屋の仕事は、今年も、きちんとお客様に向き合い、丁寧に希望を聞きながら、ゆっくりと時間をかけて進めることに変わりはありません。考えてみれば、この10年ずっと、世間の裏街道を歩いてきた商いだったように思います。タイパに背を向けなければ、成り立たない仕事もある。その意思を強く持って、これからの一年を過ごしていきたいと考えています。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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