バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

色と地紋に、誂えの特徴を見る  個性溢れる無地染め

2022.03 20

総務省統計局によって、1950(昭和25)年から開始された戦後の家計調査。この目的は、国民の家計収支の実態を把握することによって、国の社会経済政策を立案するための資料とすることである。家計収支は、月ごと、四半期ごと、年ごとに分けて細かく調査されているが、その動向を見ると、時代の変遷と共に移り変わってきた消費の実態が見えてくる。

和装品の年間購入数は、昭和40年代(1965~74)にピークを迎える。一世帯あたりの年間品目別購入数によれば、キモノは昭和45(1970)年の0.451枚、帯は昭和42(1967)年の0.21本がピーク。それが平成25(2013)年には、キモノは0.024枚、帯が0.017本と、どちらも約20分の1にまで滑り落ちている。

これは、年間支出額を見ても同様の傾向が見られ、ピークの昭和57(1982)年には、キモノ13.628円、帯4.750円だったものが、平成25年には、キモノ1.064円、帯781円と大幅に下落している。なお、購入数と支出額のピークに10年もの差がある理由は、品物の高付加価値化に伴う単価の上昇によるもので、すでに80年代初頭には、商品購入数には陰りが見えていた。そして平成のバブル崩壊以降は、購入数量、購入額共に急速に減少し、今に至っている。

 

調査結果は、和装市場の規模縮小を如実に表しているが、資料からは興味深いことも読み取れる。例えば、和服への支出額は依然として下げ止まっていないが、被服賃借料は、2002(平成14)年と2018(平成30)年を比較した時、約1.6倍に伸びている。これは、レンタル和装が増えている証拠であり、キモノは「買うより借りて装うもの」と考える消費者の意識の変化が見て取れる。

そして、被服賃借料の支出が最も多い世帯が、50~59歳。つまり、成人を迎える子どものいる家庭であり、これは「成人式衣装のレンタルによる支出」と想像が付く。2017(平成29)年、経済産業省が実施した「きもの着用に関する消費者調査」では、キモノ着用回数は20代が最も多いとの結果が出ているが、最も大きな和装の場面として、成人式が位置付けられている証拠とも言えよう。

 

さて、この調査でバイク呉服屋が注目したのは、キモノ着用回数の最も少ない世帯年齢が40代であること。結婚年齢が上がった現代では、丁度子どもが就学年齢に差し掛かる時期。仕事も子育ても忙しく、母親はとても「キモノどころではない」のだろう。

けれども、和装品購入数がピークだった1960年代には、子どもの入卒に付きそう母親の多くが、キモノを着用した。定番は、無地の紋付に黒の絵羽織。その姿は「PTAルック」と呼ばれるほど一般化し、このスタイルは儀式だけではなく、授業参観日などでも多く見られた。そのため当時は、色無地のキモノが嫁入り道具として、欠かせないアイテムになっていたのだった。

 

半世紀の時が流れ、結婚に際してキモノを誂える人もほとんどいなくなり、和装への意識は薄れてしまった現代ではあるが、僅かながら、見直される傾向も出てきているように感じる。それはここ数年、30~50代の方からの色無地を誂える依頼が増えているからだ。

もちろん、ほとんどの人が結婚の際にキモノを用意していない。それが子どもの通過儀礼や入学に際した時、和装を希望される。そこで何かと考えた時に、色無地紋付の誂えに行き着くのである。今日は、ここ数年で誂えられた品物の中から、どのような生地や色を選んでいるのか、振り返ってみることにしたい。折しも、卒業式、入学式のシーズンなので、装いの参考にして頂ければ幸いである。

 

別誂 引染め無地紋付キモノ  白生地・七宝花菱地紋織  染め色・刈安色

品物を求められるお客様に対しては、どのような場面で、またどのような立場で着用されるのかをお聞きすることが多い。相応しい品物を提案する際には、場の雰囲気を理解しておけば、より確実に見合うモノを選び出すことが出来るからである。

これが誂えとなれば、もう一歩踏み込むことになる。すでに出来ている品物を比較検討するのではなく、一から作り出さなくてはならないからだ。中でも色紋付は、着用する機会は何度も考えられ、しかも長きにわたって装うことが見込まれる。装う方が飽きずに、安心して使い続けることが出来る色を探さなければならない。

そして生地に何を使うかも重要で、着姿に地紋の表情が浮かび上がる紋綸子系にするのか、それともフラットに色を見せる一越や、シボ立ちが特徴的なちりめんを使うのかによっても、違ってくる。同じ色で染めても、生地が変われば品物の印象は大きく変わる。この辺りから説明しなければ、納得のいく染には辿りつかない。

ご紹介するのは、これまでブログの中で「誂え無地」として取り上げた品物ばかりだが、求められた方の年代や主な着用場面は、各々で異なる。早速、見て頂こう。

 

主に茶席着用を考えて、誂えられた無地紋付。私より少し若い方からの依頼で、最初から色は黄色系と決められていた。ただ色見本帳の中には、これという色が見つからず、出来上がった帯の地色を参考に染めたもの。地紋は、格調のある有職文・七宝花菱を選ばれた。

画像の左に見えるのは、色染めの参考にした黄地色のちりめん染帯。染職人には、この帯をそのまま送った上で、仕事をしてもらった。画像からはよく判らないと思うが、帯生地はシボのあるちりめん。同じ色を目指したとしても、全く同じに染上がらないのが色染めの仕事。並べて見ても、紋織生地の方が、柔らかい色に映っているものの、「色の気配」は同じ。仕事として、気配を違えないことが重要と、染屋さんは話す。

 

別誂 引染め無地紋付キモノ  白生地・一越ちりめん四丈  染め色・紅藤色

依頼された方は、退職を控えた小学校の校長先生。最後の卒業式に臨むにあたり、誂えられた無地紋付。壇上で光が当たり、必要以上に色が目立つことのないようにと、おとなしい一越生地を選ばれた。普段の洋服では地味な色が多いと話す校長先生に、「思い出に残る春の色を」とお勧めした紅藤色。優しく上品な色に染め上がった。

ライラックを思わせる優しい藤色は、色見本帳から選んだ色。小さな染見本と比べると、ほんの僅かに紅の気配が強いように感じるものの、ほとんど齟齬の無い染上がりになっている。四丈モノの生地を使っているので、八掛も表地と全く同じになる。

一緒に合わせる袴の色を紺とお聞きしたので、この色をお勧めした。はっきりとした袴色の上は、柔らかみのある藤ピンク。しっかりとコントラストが付いた上で、着姿が優しくなる。教師生活のフィナーレを飾るに相応しい、そんな装いになったと思う。

 

別誂 引染め無地紋付キモノ  白生地・葡萄唐草地紋織  染め色・水色

まだ子どもが小さい、若いお母さんが誂えた無地紋付。茶道の嗜みもある方だったので、茶席に入卒にと、幅広く着用することを考えて染めた一枚。この方からは、予め使う生地を葡萄唐草文様の紋織と指定されていた。正倉院文様の中でも代表的な図案だけに、白生地地紋としても一般的で、探すことは苦もない。生地の中に表れる模様の大きさは様々だが、この反物は巾に三つの模様が入る「ミカマモノ」。

選んだ見本帳の色と比べると、やや染めた反物の方が淡さが残る気配。見本帳が空色なら、染め出しの色は水色になるだろうか。どちらも淡い藍色の系統になるが、抜けた感じの空の色に対して、水の色は透き通るように見える。この辺りの色の差異は微妙で、染め上げた時に比較しても、依頼された方が選んだ色のイメージに齟齬は無い。

背紋・丸に梶の葉は、刺繍を縫い詰めて日向紋に仕上げる。使う糸はベージュピンク。繍紋は、一般的に紋姿が陰紋になるのだが、このように模様を縫い詰めることにより、日向紋の形になる。ただ日向と言っても、染め抜き紋ではないので、仰々しさを感じさせない略紋の様式。こうしたひと手間を工夫することで、変化の少ない無地紋付も個性的な装いとなる。

 

別誂 引染め無地紋付キモノ  白生地・一方付蝶文様  染め色・薄藤色

優しいパステル系の色を好む方から、特に依頼を受けて誂えた無地モノ。指定されたのは、蝶が舞う地紋生地。先ほどの葡萄唐草ほどポピュラーではないが、蝶文も探せば見つかる。この生地は、付下げ仕様になっており、裾や袖下に位置する蝶文は大きく、身頃上部や衿は小さな蝶が舞い飛んでいる。このような、地紋で裁ち位置が決まっている白生地も珍しい。

選んだ色は極めて薄い藤色で、少しグレーを感じさせるもの。どこか朧気で、春を予感させる色でもある。地紋の蝶が浮き立つような、薄色。紋生地の特徴を生かした染色の選択と言えようか。

キモノの中央部にあたる剣先辺りでは、地紋の蝶柄は中程度の大きさ。光の当たり方によって地紋の見え方が変化し、動きのある着姿が演出できる。色よりも、使う生地の地紋に重きを置いた無地誂え。

 

染替え・誂え 浸け染紋付キモノ 左から無地染替、八千代掛色染、古生地色染

最後に、新しい生地を用意するのではなく、既存の品物を染め変えたり、色をかけたりして、無地紋付に誂えた三点を見て頂こう。これは一人のお客様からの依頼で、娘さんやお嫁さんのためにと作り直した品物。

この誂え無地の前の状態が、上の画像。左の掛けキモノ・八千代掛けは、抹茶色に、真ん中の鮮やかなパロットグリーンの無地は、渋い鳩羽紫色に、そして少し汚れのある古い白生地は、薄柿色に染められた。

観世流水地紋の無地は、一度解いて洗張りした後、色を完全に抜いて白生地に戻す。この色抜きの際に、元の色が僅かでも残ってしまうと、求める色に染めることが出来ない。つまりは色が抜けるか否かが、新しい色に誂えるキーポイントになる。ちなみに、濃い色を抜く仕事は「本抜き」と言って、専門の職人の手で行われるが、高い技術を要する。

花筏の地紋が付いた白生地で、鋏を入れずに誂えた八千代掛けは、解くと反物に戻る。この掛け着の場合は少し時間が経過していたので、縫いスジを消すだけでなく、洗張りをした後に色染めをした。

最後は小花散らし地紋の生地だが、これは長い間箪笥に仕舞ったままになっていたので、画像で判るように、全体が白からベージュへと変色している。また所々には、シミも見えていた。こうした場合は、まずシミを抜いて一度反物を洗う。そして染める色を決める時、変色したベージュ地色がそのまま隠れるような、同系の少し濃い色にすると上手くいく。選んだ薄柿色には、そんな意図がある。

既存の品物を染め変える時には、状態を見ながら仕事を工夫し、選ぶ色も考えていく。それぞれの品物に臨機応変の対処が、どうしても必要になる。まったく新しい誂えよりも、別の難しさがあるが、上手く染めることが出来て、新たな品物に生まれ変わった時の喜びは大きい。

 

今日は、これまでブログでご紹介してきた「誂えの無地紋付」について、改めてあしらった色や使用した生地を振り返りながら、どのような方が、どのような目的で依頼されたのかをお話してきた。

こうしてそれぞれの誂えを見て行くと、無地紋付の染めは単純なようで実に難しい仕事だと判る。染める色も、使う白生地の種類も千差万別。そんな中から、ただ一枚の品物を誂えなければならない。その全ては、バイク呉服屋と依頼されたお客様の共同作業で、決めていくことになる。仕上がるまでは、上手くいくか否かと不安が先に立つが、納得のゆく染め上がりになった時の満足感は格別だ。

そして無地は、古い品物を染め替えて、新たな色紋付として再生することも可能である。皆様も自分で色を決めて、自分だけの無地モノを誂える楽しさを、ぜひ一度は経験して頂きたい。その点で、今日の稿が少しでも誂えのきっかけになれば嬉しく思う。

 

改めて、ここ何年かの間に依頼された無地誂えを振り返ってみましたが、いずれの仕事も、その時に交わしたお客様とのやり取りも含めて、よく覚えています。それは裏返せば、いかに慎重で丁寧に誂えに臨んでいたか、ということにもなりましょう。

誂え仕事に限らず、品物を求めて頂いたり、難しい直しを請け負ったりする日々の仕事の記憶は、かなり残るものです。そしてまた、残るようでなければ、きちんと向き合ったことにならないでしょう。これからも、沢山の仕事を求めず、一人のお客様、一点の品物に心を寄せていきたい、そう思っています。

 

先日お知らせしましたように、ブログサーバーの切り替え作業により、三週間ほど新しい記事の更新が出来なくなります。何卒ご了承下さい。なお、ブログサイトへの訪問は問題なく出来ますので、この機会にこれまでの稿を読み返して頂ければ、嬉しく思います。またメールのやり取りはこれまで通り可能ですので、ご要望なりご質問は何時でもお寄せください。

それでは、しばらくお休みを頂きます。次回の更新は、4月15日頃を予定しています。今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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