バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

2月のコーディネート  黒地の付下げで、キリリと華やかな着姿を

2022.02 28

もうすぐ成人年齢が、18歳へと引き下げられる。20歳を大人としたのは、1876(明治9)年の太政官布告というから、相当古い話である。これは、国の最高行政機関・太政官が公布した法令になるが、この太政官という機関は、遠く奈良期の律令制度下から設置されていた官庁の名称。それだけに、いっそう蒼然たる古くささを感じる。

ともあれ、4月から大人年齢が下がることに従い、これまでと変わることもある。すでに選挙権や国民投票権年令は引き下げられているが、親の承諾が無くとも様々なことに契約が出来たり、特定の資格を取得することも、18歳からとなる。これは親の庇護を離れることが、大人として容認されることを意味している。

そして、今回の改正で注目されるのが、女子の結婚年齢を引き上げたこと。これまでの16歳から18歳となり、男子と同年齢になった。女性が二年早く結婚できた理由は、男性が家庭を構築する責任者として、より高い大人としての成熟度を求められるからとされてきたが、これは性別による社会分業を助長する考え方で、まったく現代にはそぐわない。何故今まで放置されてきたのか判らず、政治の怠慢としか言いようがない。

 

さて、ようやく現代の成人は18歳になったものの、江戸時代の大人の儀式・元服を考えると、当時男子は15歳、女子は13歳頃には、すでに成人と見なされていた。大人になった証として、男子は前髪を切り落とし、頭頂部を剃って髷を結う。女子も髪を結い始めるが、16歳頃になると、頭上で髷を二つ折りにする島田髷(しまだまげ)を結うようになる。これを「十六島田」と称し、当時は結婚適齢期が来た印になっていた。

この時代の女子の結婚年齢は早く、二十歳までに嫁ぐ者がほとんど。そしてその姿は、結婚から子を持つに従い、変わっていく。例えば、結婚が決まると「初鉄漿(はつかね)」と言って、歯を白から黒へと変える。いわゆる「お歯黒」である。そして髪型は、島田髷から丸髷へと変わり、さらに子どもが出来ると、眉を剃り落とす。

江戸時代は、自分の置かれた状況で髪型や顔の細工が変わり、たとえ初対面でも、相手にその人となりや立場、身分が理解出来るよう提示されていた。これは、各々のプライバシーが著しく制限されていたことに他ならず、今の世ではとても考えられない。

 

成人すると歯を黒く染める風習は、すでに平安期の公家世界で始まっていたが、これは女性だけでなく、男性の公家や武士の間でも広まっていた。江戸期になると、男子は公家だけに習慣が残り、女子は成人の証としてではなく、既婚者であることの証明として、身分の上下に関わりなく全ての人が行っていた。

先に記した歯を黒くすること・初鉄漿とは、壺の中で発酵させた粥に鉄を入れ、それが一定時間が経つと、鉄分が溶けだして液体が出来る。これが、鉄漿(かね)である。お歯黒はまず、ウルシ科の白膠木(ぬるで)の木に出来る虫のこぶ・五倍子(ごばいし)の黒い粉を歯に塗り、そこに鉄漿を塗り付けると、歯は黒く変色する。これは、タンニン酸を含む五倍子を、布の黒染に使ってきたことが応用されている。

 

こう考えると、黒は大人を表す色であり、居ずまいを正す色とも言える。今も、黒留袖、喪服の第一礼装は黒地と決まっている。また先日ブログでご紹介したように、カジュアルの黒地はシックな大人をイメージさせる。前置きがかなり長くなってしまったが、今月のコーディネートでは、付下げに黒地を使う装いを試してみよう。どのような雰囲気になるのか、30歳以降からの着姿を意識しながら、品物を選んでみた。

 

(黒地 四季花模様 無線描き友禅・付下げ  白鼠色地 段柏文様・唐織袋帯)

黒留袖と喪服以外のフォーマルモノでも、地に黒を使うことはある。特に振袖における黒地は、他の地色よりも格が高いと見られ、結婚式で何枚かの振袖を着廻す際には、お色直しの一番最後に着用することが多かった。そのため黒地振袖は、未婚の第一礼装、それも自分の結婚式に着用する衣装の意味合いが強く残っている。そもそも昭和30年以前の黒地振袖には「五つ紋」を入れたものが多く、このことからも、黒い地は特別な格を持つことが認識されていたと判る。

もちろん、訪問着や付下げにも黒地はある。ただアイテム的に考えて、黒留袖や振袖ほど重々しくなりすぎては、使い難い。何故なら、これらの品物を着用する場面、また列席する立場が違うために、過度のフォーマル感は必要なく、仰々しさが邪魔になることもあるからだ。けれども、そうした限られた中でも、他の色では醸し出せない「黒地特有」の着姿を表現することは可能である。

今回のコーディネートが目指すところは、この黒という地が持つ独特のイメージを生かし、いかに個性的で優美な姿を形作るかである。明るい色目や華やかな図案の品物は、否応なく目を惹く。だが、華やかさの中にも落ち着きのあるシックな雰囲気は、黒地でしか表現できない。今日は、そんな印象を少しでも感じさせる着姿を考えてみたい。

 

(一越黒地 春秋花模様 無線描き友禅付下げ・菱一)

フォーマルモノを選ぶ時、一つの条件となっているのが、春にも秋にも安心して着用出来る模様であること。着用の機会が限られている訪問着や付下げでは、袷の時期を通して季節を問わずに使える図案であれば、それは使い勝手が良い。本来なら、春には春柄を秋には秋柄の意匠を着用したい、また我々呉服屋側は用意して頂きたいと思うが、着用の機会が少ないアイテムを、必要以上に準備するというのは、やはり贅沢なこと。

この品物は図案モチーフとして、春秋を代表する花を組合わせて使っている。これなら、10月~5月の装いとして悩まずに着用出来る。しかも意匠は花だけのあしらいなので、極めてシンプル。オーソドックスな柄行きは、着用する人にも安心感を与える。

 

模様の中心、上前の衽と身頃の模様を合せて見た。面白いことに、四季花模様は二段構えになっていて、模様の上部は紅白牡丹を中心に、梅や百合が脇を固める春の花、下部は菊をメインに、撫子や薄など秋草を描いている。そして刺繍や箔を使わず、染だけのあしらい。そのこともあって、模様の姿は写実的。

模様を拡大してみると、本来友禅に付いている模様の輪郭・糸目が見えない。だがこれも手描友禅で、染料を含ませた筆や刷毛を使って、生地に直接図案を描く方法を採っているもの。こうした技法で作られる品物は、「無線描き(むせんがき)」と呼ばれる友禅になる。

ただ生地に直接描くと言っても、そのままだと図案が滲んでしまい、きちんとした模様にはならない。そこでそれを防ぐために、まず生地に地入れ(じいれ)を行う。この工程を経ることで、生地に染料が浸透して、均一に染めることが可能になる。地入れに使うものは、膨張させた生の大豆を摺りつぶし、そこに水を加えて絞った液。この「豆汁」と呼ばれている液体にはタンパク質が含まれており、熱すると固まる作用があることから、友禅の模様染や小紋の引染に使っている。

メイン模様の紅白牡丹を見ると、花弁一枚ごとに暈しが施され、リアルな花の姿として描かれている。蘂には芥子色、葉の一部には金色を散らしてアクセントを付けるなど、手挿しの仕事が模様からも伺える。

こちらは白百合。地入れ生地の上に、染料液を含んだ筆を使い、自由に描いていく。糸目友禅とはまた違う、絵画的な雰囲気をより漂わせる図案となる。全体に伸びやかで柔らかい印象となるのも、無線描き友禅の特徴と言えようか。

そして、オーソドックスな優しい花模様が、より鮮やかで華やかに映るのも、地が黒だから。黒の持つ、模様を引きたてる力が、如何なく発揮されているように思う。黒地にありがちな印象のきつさは、絵画的な図案が上手く消している。つまりこの付下げには、地色と模様の相乗効果が見られるのだ。では、どのような帯を使えば、個性的な華やかさを演出出来るのか、試すことにしよう。

 

(白鼠色地 段柏模様 唐織袋帯・錦工芸)

一見してこの帯のモチーフは何かと、悩んでしまうほど図案化されたデザインだが、これは柏。二つの柏葉模様を交互に組合わせ、一つの図案としている。帯地の色は、ほとんど白だが、僅かながら鼠色を感じさせる。極めて白に近い、白鼠色になる。

紋のデザインにも採用されているように、柏はポピュラーな植物モチーフだが、意外なほどキモノや帯の模様には使われていない。この帯のように単独であしらわれることは稀で、複数の植物で構成される図案でも、柏が入ることはほとんどない。私がこれまで扱った品物でも、柏文様の記憶がない。

 

柏紋として一般的なものは、葉を三方向に広げた三ッ柏紋か、二枚を抱き合わせた抱柏紋。そして蔓を付けた蔓柏紋も、たまに見掛ける。その中でも三ッ柏は、ポピュラーな紋として認識されている十大家紋の一つ。落葉樹でありながら、新しい芽が出るまで葉を落とすことがない柏は、絶やすことの無い木として、古来より神木の扱いを受けてきた。端午の節句に柏葉で包んだ餅・柏餅を供えるのも、そんな理由から。

けれども柏紋の中には、高木のように縦長に二つ、三つ並べたものがある。上の三ッ並柏や並び柏が、それに当たる。どうやらこの帯の柏デザインの基礎は、この並び系の柏紋にあるようだ。そして蔓があるのは、蔓柏紋がヒントなのかも知れない。

大きく単独で付いている三ッ並びの柏葉は、桐にも見える。また六枚柏葉を横に二つ並べた図案は、蔓が中心にあるせいかペルシャ的な文様にも見える。一応モチーフは柏になっているが、思い切り図案化されており、実にモダンな帯姿に仕上がっている。

またこの帯は、絵緯糸を浮かして文様を織りなす唐織。橙・紫・水色の糸で縫い取るように織り込まれた柏デザインは、刺繍のように立体感のある模様姿となっている。では、絵画的な黒地の四季花模様付下げに合わせると、どのように映るのだろうか。

 

絵画的な黒地のキモノに対して、モチーフが判り難いほど図案化された帯。対照的な組み合わせだけに、個性が際立つ。どんなアイテムでもそうだが、黒という地は、合わせる帯によって着姿が変化する。いわば自在な色だが、それだけに帯選びが難しい。今回合わせた段柏文は、どちらかと言えば「変化球」になろうか。もっと堅い正統な古典的模様を使えば、言わずと着姿は整然としてくる。付下げなので、着用する場面ごと、そのフォーマル度合いに合わせて、帯を変えてみたい。

キモノの挿し色はおとなしく、帯の模様色はインパクトがある。特に橙色の柏葉をお太鼓の中心に出すと、かなり目立つ。六通なので、藤色や水色をメインにすると、帯の印象は抑えることが出来る。帯模様の出し方一つで、着姿の雰囲気が変わることがよくあるが、こうした抽象的なデザインの図案では、それが顕著になる。

前模様では、二つの模様が交互に並び、その色目も三色が交互に出てくる。お太鼓とは全く違う図案の印象になる。前の方が、キモノの写実性と帯のデザイン性の対比がよく現れ、不思議な馴染み方をしている。

今回の小物は、前模様の中心に橙色図案が来ることを想定して、同系でまとめてみた。おそらく中心の模様色により、小物の色が変わるだろう。帯〆は金と橙の貝の口組、帯揚げも橙色の横段暈し。(帯〆・平田紐 帯揚げ・加藤萬)

 

今回は黒地の付下げを使い、色の特性を生かしながらも、華やかで個性的な装いを考えてみた。他の地色では醸し出せない雰囲気を持つだけに、その使い方にも工夫が少し必要になるだろう。だが裏を返せば、黒地ほど個性的な装いを表現出来る色は無い訳で、一度は試してみる価値はある。

ここ二年、フォーマルを装う場面はかなり限定され、ほとんど出番はなくなっている。けれども明けない夜は無く、いつかまた、必ず陽の目を見る日は来る。そう信じつつ、これからも様々なフォーマルな場面を想定しながら、相応しい品物をご紹介して行く。着用機会は無くとも、ご覧になった皆様が少しでも楽しんで頂ければ、私は嬉しい。 最後に、今日ご紹介した品物を、もう一度ご覧頂こう。

 

結婚すれば歯が黒くなり、子どもが出来れば眉が無くなる。つい150年前までは、こんな女性の容姿が当たり前だったとは、実に驚くべきことです。この時代には、「元服劣り」という言葉があったようですが、これは大人として変化した姿が、若い時と比べて「見劣りする」ことを、意味しています。

今時眉が無いのは、ヤンキーか暴走族関係の方々(どちらも絶滅危惧種だが)くらいで、もちろん歯が真っ黒な人など皆無。風習とは言えども、江戸の人がこの姿に違和感を持たなかったことが、不思議でなりません。そしていくら封建社会とはいえ、未婚既婚や子の有無を容姿で分けることに、疑問は無かったのでしょうか。男尊女卑の源流が、こうしたところにあるような気がします。

男女同権が叫ばれて久しい現代ですが、ジェンダー差別が根強く残っているのは、脈々とした意識が引き継がれているからと、歴史は教えてくれます。人の固定観念を変えることは、何と難しいことでしょうか。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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