十干は、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸。十二支は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・羊・申・酉・戌・亥。ご存じのように、暦の表記はこの二つを組み合わせた干支(えと)だが、これは時間や方角、角度等にも用いられている。起源は、BC11世紀以前の中国・殷代というから、今から3000年以上も前になる。
十干(じっかん)は、最近表記される場面が少ないので、あまり人々に馴染みはないのだが、十二支の方は、その年を代表する動物なので、生まれ年などを表す時にも用いられて、良く知られている。今年の干支は、辛丑(かのとうし)にあたるが、同じ組み合わせを辿れば、それは六十年前に遡る。ということで、今年還暦を迎えられた方は、1961(昭和36)年の生まれである。
さて、暦の表記として登場する「栄えある動物達」は、いかにして決まったのか。十干の使用は殷代だが、十二支に動物が当てられたのは、かなり時代が下がって、BC2世紀頃の秦代とされる。日本書紀によれば、中国から日本へと暦が入ってきたのは、554(欽明天皇15)年。それは、当時の中国・南朝の宋や斉で使っていた元嘉(げんか)暦だったが、それを基として、604(推古天皇12)年には、日本で初めての暦が作られた。もちろん、十二支それぞれの動物はすでに決っていた。
十二支の動物のことは、今に伝わる民話や説話に多く残る。最もポピュラーな筋書きは、まず神様が動物たちに対して、「年の初め、自分の所へ早く着いた順に十二番目までを、一年を代表する動物として認める」と宣言したことに始まる。そしてこの十二支争奪レースの結末は、足が遅いと自覚した牛が、最も早く神様の下へ向かうが、この牛の背中に乗った鼠が、ゴール直前で降りて一番を獲得。その後に、虎、兎、龍、蛇と続き、最下位に滑り込んだのが猪だった。
不思議なのは、ここに猫が入っていないことだが、猫はレースの日を聞き逃したので、鼠に確かめたところ、鼠は足の早そうな猫を除外するべく、その日を元日ではなく二日と教えた。そのため、猫はそもそもレースに参加できなかったのである。その恨みもあって、猫は鼠を追い回すだとか。また、神様の所へ行くまで、どういう訳か猿と犬は喧嘩が絶えず、いつも鳥が仲裁に入っていた。そのため干支も、申・酉・戌の順番。「犬猿の仲」というのは、ここから生まれたという説もある。
ということで、選ばれし十二の動物たちは、由緒正しき獣でもあり、装飾や文様のモチーフとしても度々使われてきた。もちろん染織品の意匠にも多く見られるが、その中でも卯=兎は、その愛らしい姿から様々にデザイン化されてきた。
月にウサギが住んでいる伝説は、BC3~5世紀の中国・戦国時代に生まれており、飛鳥期には日本へも伝わっている。それは、日本最古の刺繍作品ともされる中宮寺・天寿国繍帳に、薬壺を前にした兎の文様が描かれていたり、法隆寺・玉虫厨子の須弥壇の漆絵の中にも姿が見られることで、兎というモチーフの起源が理解出来る。そして、この動物が文様として盛んに使われるようになるのは、桃山時代から。代表的な文様は、名物裂の花と組み合わせた「花兎文様」である。そして、十三夜や十五夜といった名月が現れる秋の意匠として、秋草などと一緒に表現されることが多くなっていった。
昨年の10月にも、菊の小紋と兎の帯を使ったコーディネートをご紹介したが、やはり秋の定番として、この二つのモチーフはどうしても使いたくなる。そこで、皆様からワンパターンとお叱りを受けることを承知の上で、また菊と兎にタッグを組ませてみた。前回総柄だった菊の小紋は飛柄に、袋帯だった兎は名古屋帯に替えたので、昨年の組み合わせとは幾分雰囲気が変わっているように思う。それでは、ご覧頂くことにしよう。
(薄胡桃色地 菊花模様 小紋・紫鈍色 三つ兎模様 九寸織名古屋帯)
すでに古墳時代には、動物を文様のモチーフとした金属器や鏡、装身具などが作られていたが、図案は、大陸から持ち込まれたものをそのまま使ったものや、それを独自にアレンジした独創的な模様も見られた。そして、遣隋使や遣唐使の派遣により、公式に交易が始まった飛鳥~天平期は、唐草と動物を組合わせた、ある種の定型的な図案の配置方法を取り入れた文様が、多数生まれる。
大きな樹木の下で、鹿や羊を向かい合わせに置いた「樹下動物文」や、小さな丸を重ねて円を形作る・連珠式円文の中に、馬上から獅子を射る王の姿を描いた「四天王獅猟文」などは特に良く知られており、いずれの文様もシルクロードを通って、遠くペルシャから伝えられたものである。
ただ、こうした外来の天平的な図案やモチーフは、国風への意識が強くなった平安中期には、すっかり影をひそめる。そして文様として使われる動物の種類も、あしらわれる姿も、図案というより写実的に描かれることが多くなった。その代表とも言える作品が、平安末から鎌倉初期に製作されたとされる、京都高山寺の鳥獣戯画である。
全四巻からなる墨書き絵巻物は、動物を擬人化して、当時の世相を面白おかしく描いたもの。兎と蛙が相撲を取ったり、一緒に弓を引く姿は、つとに知られている。この戯画はほとんどの教科書に記載されているので、動物モチーフの図案と言うと、これを真っ先に思い浮かべる方も多いだろう。
そして、鎌倉から室町にかけては、再び外来の動物文から大きな影響を受ける。これが、中国の宋や明との貿易で輸入された絹織物のあしらい、いわゆる「名物裂うつし」である。鯉が波の上に跳ねる姿の「荒磯文」や、襷文の中に角ばった鹿が入る「有栖川文」、そして花の下に見返り兎を配した「花兎(角倉)文」等々。同じ外来文様でも、天平の文様とは一線を画した、形式も雰囲気も異なる姿として、表現されている。
その後動物たちは、それほどポピュラーなモチーフとして文様の中で使われていない。形式的に図案化されているのは、犬張子や唐獅子、春駒(馬文)くらいが思い浮かぶ程度。だがそんな中にあって、最も良く使われているのが、兎文であろう。十二支を考えても、一番愛らしい動物は兎。その姿は様々に意匠化され、どれをとっても可愛く仕上がっている。こんな動物は、他には無い。もちろんこの文様は、「可愛いモノ好き」のバイク呉服屋の心も捉えて離さない。また前置きがかなり長くなってしまったが、兎を帯に使ったコーディネートを、これからご覧頂くことにしよう。
(紫鈍色地 三つ兎文様 唐織名古屋帯・錦工芸)
兎をモチーフとした意匠は、やはり秋を意識したものが多く、アザミや女郎花、薄など秋草の咲く野に遊ぶ姿や、そのイメージ通りに、月の中で餅を搗く姿を描いた作品もある。兎のあしらいは、写実的でも図案化しても愛らしい姿となり、どちらにせよ品物の雰囲気は和ましいものとなる。
月の兎は、伝説の発祥地・中国では、不老不死の霊薬を搗き続けていることになっているのだが、日本の兎が搗くのは餅。これは、十五夜に見える満月のことを「望月(もちづき)」と呼ぶことから、薬が餅に転化したと考えられている。兎という動物に「旬」は無いのだが、こうした文様の成り行きを考えてみると、やはり相応しい季節は、仲秋の今頃ということになろう。
三羽の兎がうずくまっている「三つ兎」の文様。図案における兎の姿は、真正面から、真横から、上からと様々な角度から描かれている。特徴的なシルエットを持つ兎は、緻密に描こうが単純化して表現しようが、持つイメージから外れることは無い。その点では、実に重宝なモチーフと言えよう。
この帯に織り出されている兎も、正面、後、横と三方向に坐る三匹。お太鼓の真ん中にちょこんと居座る兎の姿は、なんとも微笑ましく映る。これは、着姿を見ている方にも、秋が感じられる意匠である。帯地の色も、墨色を基調とした鈍色(にびいろ)に、僅かに紫を含ませたような、深く落ち着きのある色で、秋の訪れを感じさせてくれる。
前の兎模様も、横向きと正面。手を回す方向を変えれば、異なる姿が前に出てくる。装う方が、スイッチヒッターのように、左右どちらにも手を回して帯を締めることが出来れば、二通りの前姿を楽しむことが出来る。
兎本体の色はほぼ白だけで、目にほんの僅かなピンクが見える。体に付いているギザギザの波がアクセント。緯糸が浮き上がって模様を形作る唐織の帯だけに、白い兎の姿が立体的にあしらわれている。
さて、愛らしく秋らしい三つ兎の帯には、どのようなキモノを合せると、より「仲秋」に相応しい装いとなるのか。これから、組み合わせるキモノを小紋で考えてみよう。
(一越 薄胡桃色地 菊模様飛柄小紋・菱一)
菊ほど、多様な姿で表現される植物モチーフは、無いだろう。今は、一年中欠かすことがない菊だが、元々はやはり秋を旬とする花である。多くの植物がそうであるように、奈良天平期に中国・唐から薬草として伝来したのが、始まり。
奇数を陽とする中国の陰陽思想においては、その極である9の数字が重なる9月9日は、従来陽の気がみなぎり過ぎて「不吉」と見なされていたが、次第に「陽の重なりは吉祥の証」と考えられ、祝い事を行うようになった。そして陽を重ねた=重陽(ちょうよう)の宴は、盛りを迎えた菊の花を愛でて、菊酒を飲んで長寿を願う「節句」になる。それは古来から人々が、菊には、邪気を払う力と、長寿を司る力が宿ると信じてきたことに由来している。
小紋にあしらわれた菊の花。小菊の枝を添えた大小の菊が、地を空けて飛んでいる。菊が文様として意匠化されたのは鎌倉期以降で、室町から桃山期にかけては、日本的文様の代表として、染織品や漆器類の装飾に数多く見られるようになった。
染織品に見られる菊の姿は、豪華な大輪の花から、楚々とした野菊まで様々。そして、尾形光琳が描くところの、細やかな花弁を一切省略した「光琳菊」に見られるような、極端にデザイン化された花から、花弁を一つずつ丹念に描いた精緻な花まで、その描き方も本当に多彩である。
飛柄だけに、誂える際には、模様の配置には十分気を配らなければならない。地空きの部分のバランスや、模様大小の位置取りが不均衡になると、どうしても着姿に不自然さが生まれてしまう。こうした小紋は事前に、呉服屋と和裁士の間で「模様積り(もようつもり)」、いわば誂えの設計をしておく必要がある。どのような着姿に形作るかを決めて鋏を入れなければ、仕上がった時に「思わぬ姿」になってしまうことがあるからだ。失敗してからでは、取り返しがつかない。
地色は、薄いベージュにやや茶色の気配を感じる、胡桃に近い色。薄い色だが、これもまた秋を意識させる温かみのある色。胡桃そのものも、秋の季語として使われる。
小紋の菊配色も、極めてシンプル。花弁は赤みのある紫が基調で、暈しを付けた大きい菊と、染疋田を使った小菊の二種類。そこに白と黄の二輪の小菊を添えてある。色使いが単純で規則性があることから、より菊の模様がクローズアップされ、この品物が「菊のキモノ」として印象付けられる。
では、どちらもすっきりした意匠の兎の帯と菊の小紋をコーディネートしてみよう。
キモノ地と帯地が、同じ系統の色の濃淡になるので、双方の雰囲気がそのまま着姿に現れる。またキモノが、模様間隔の広い地空きであり、帯模様は、お太鼓の真ん中に図案が集まっていることから、合わせた時に全体がすっきりと見える。またキモノが植物文、帯が動物文と異なることも、キモノと帯のバランスが上手く取れる一因になる。
小さいながらも、帯の前模様にある「ワンポイントうさぎ」は、それなりに主張があって目立つ。むしろ、控えめな姿だからこそ、この図案が着姿の中に生きるのだろう。
小物の色は迷ったが、少し個性的にと考えて「真紅」にしてみた。くっきりと鮮やかな赤で、着姿を引き締めてみる。赤は兎のイメージカラーでもあり、小物に使うと可愛さが引き立つ気がする。また、もう少し落ち着いた色を使えば、秋らしさをもっと前に出せるように思う。(帯〆・加藤萬 帯揚げ・木屋太今河織物)
今日は、十五夜・仲秋に因んで、うさぎと菊をモチーフにした品物をコーディネートして、旬の姿を表現してみた。四季のある日本には、見ただけで人々に季節を意識させる道具がある。それは目に映る植物であり、動物であり、気象であり、そして季節ごとに繰り返される年中行事であろう。
これを意匠として、装いの中で表現できるキモノや帯は、日本人の美意識を象徴するもの。秋には秋の、春には春に相応しい姿を、装う方それぞれが考えて演出する。これこそ、最も大きな和装の楽しみ方ではないだろうか。皆様もどうか、ほんの少しでも良いので、着姿のどこかに季節感を匂わせて頂きたいと思う。
最後に、今日ご紹介したした品物を、もう一度どうぞ。
十二支に選ばれし動物ですが、国により若干の違いがあるようです。神様の所へ最後に着いた猪ですが、日本以外の国では豚になっています。また、タイやベトナムでは、兎の代わりに猫が、モンゴルでは虎ではなく豹、またアラビアでは龍に代わって鰐が入っています。どのような経緯で、各々の動物が入れ替わっているのか、良く調べて見ないと判りません。それこそそこには、それぞれの「お国の事情」があるのでしょう。
私は、一昨年干支が一回りして、還暦を迎えました。果たしてあと何回、自分の干支・亥を迎えることが出来るでしょうか。おそらくは、多くてあと1~2回でしょう。そう考えると、持ち時間はあまり残されてはいません。ですのでこの先、せいぜい悔いのないように、自分らしく時間を使いたいと思っています。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。