バイク呉服屋の忙しい日々

にっぽんの色と文様

空想花文・唐花文のルーツを再考する(後編) 原点となる三つの植物

2021.09 19

どの国にも国歌と国旗があるが、国花や国鳥、そして中には国樹や国獣までをも定めている国がある。植物や動物において、何を象徴としているのかを見れば、その国の歴史や風土が判る。それこそ「お国柄」というものだろう。

日本は公的に「国花」を定めてはいないが、国を代表する花に値するのは、桜と菊で間違いなかろう。桜ほど日本人に愛される花はなく、毎年、誰もが春に花開くのを待ち望む。菊は、言うまでもなく天皇家のシンボル。ご紋章は、十六弁菊である。そしてもう一つ、桐も国の花に入るだろう。古来桐の紋所も、菊同様に天皇家の紋章であった。それが時代の為政者達に下賜されていくにつれ、分散し多様化した。現在「五七の桐」が日本政府の公式紋章となっているのは、そうした変遷があったからだ。

 

さて諸外国の国花を見てみると、アメリカやイギリスがバラで、オランダやベルギーがチューリップ、フランスは百合、ドイツが矢車菊。欧米諸国の国花は、何となくではあるが、その国や国民のイメージと重なる。華やかなバラは英国人好みであり、百合の気高さはプライドの高そうなフランス人を象徴する。また、清楚で堅実な雰囲気のある矢車菊は、いかにも真面目なドイツ人らしい花の選択と思う。

アジアに目を向けて見ると、お隣の韓国は槿(むくげ)の花。この花は、前回の稿でお話した宝相華のモチーフともされる「仏桑華」と同じ、アオイ科フヨウ属。中国では国花の規定は無いが、国民に人気が高いのは、やはり梅と牡丹。どちらもこの国の原産で、古来よりずっと人々に愛されてきた花。

 

そんな中で、唐花文のモチーフとなっている植物を「国花」としている国がある。それがインドの蓮であり、エジプトのロータス(夜咲きスイレン)であり、カタールのナツメヤシだ。インドや中東の国々で、歴史的に根付いている花々・オリエントの花こそ、唐花のルーツである。

そこで今日も前回に引き続き、この文様を探る話を続けてみたい。今回は、アカンサスとナツメヤシ、それにロータス。この三つは、いずれも唐花の原点とされる植物であり、文様を語る上では絶対に欠かすことは出来ない。それでは、花々の遥かな歴史を、辿ってみることにしよう。

 

アカンサス(葉アザミ)を主体とする唐草文。唐草や唐花と呼ぶ文様を構成している主な植物は、このアカンサスを始めとして、ナツメヤシ(棕櫚)、スイレン(ロータス)、牡丹、葡萄、蔦など。そこに、同じ時代を彩った聖なるイメージを持つ石榴(ざくろ)やイチジクなども顔を覗かせる。

この中で、文様の起源として重要な役割を果たしているが、アカンサス・ナツメヤシ・ロータス。いずれも古代ギリシャやエジプトを発祥としており、以後双方の図案は融合しながら、唐花の基礎的な図案を象っていく。それが、ナツメヤシあるいは忍冬を起源とするパルメット文様と、蓮が起源のロータス文様であり、その基礎形は茎を波状に描き、山と谷の間に葉や花を置くというものであった。上の画像のアカンサス図案を見ても、唐花の描き方は、この基礎形に沿うものと判るだろう。

前回お話した牡丹唐草や宝相華は、ヨーロッパやオリエントを起源とする文様が東方へと伝播し、中国から日本へと伝わる最終段階で、文様が形作られた、いわば変化に次ぐ変化を遂げた結果として出来たものであった。だが、今日の題材とする三つの植物は、唐花の基礎、いわば原点にあたるモチーフであり、この文様を探ることは、唐花の出自を遡ることに他ならない。勿論私の知識では、壮大な唐草文誕生の背景を事細かに説明することは無理なので、ほんのさわりだけ、かいつまんでお話してみよう。

 

(アカンサス唐草文 小紋・トキワ商事)

アカンサスの日本名は葉アザミだが、この花そのものはアザミとは無関係で、ただ葉の形がアザミのそれと良く似ていることから、この名前が付いた。実際の葉を見ると、楕円形で深い切れ込みがあり、縁に刺がある。Acanthusの由来は、ギリシャ語・akantha(刺)であるが、元来この葉と根にはタンニンが含まれていたことから、下痢止めや止血など薬用として、古くから使われてきた習慣がある。

この葉形はまず、古代ギリシャの建築様式に用いる柱の頭頂部の装飾に使われた。アカンサス葉を象った柱のことを「コリント式」と呼ぶが、これはこの時代の彫刻家・カリマコスが、古代ギリシャにおけるポリス(都市国家)の一つ・コリントにおいて、少女の墳墓に捧げられた籠の周囲に咲くアカンサスの美しい姿に感銘を受け、それをヒントとして装飾的柱頭を創造したことから生まれたもの。年代は、およそBC5世紀頃のことである。こうした柱様式は、後にローマ人から支持を得て多くの建造物取り入れられ、その代表的な建築に、パルテノン神殿がある。

アカンサスの花は、この小紋図案にもあしらわれているように、唇のような形をしており、色は白地に紫。これが、長い穂の上で伸びるように咲いている。柱頭装飾に用いられたのは、アカンサスだけではなく、ナツメヤシやロータスも同様であり、このような「葉飾彫刻」が後の唐草文の源流となっていることは、間違いないだろう。

 

(アカンサス唐草文 友禅染帯・トキワ商事)

ギザギザの葉先に特徴があるアカンサス唐草。葉アザミは、最初の小紋のように、単独のモチーフとして使うこともあれば、この帯のように、唐草文様を構成する図案の一つとして用いられることも多い。

帯の太鼓部分のあしらい。横に伸びた蔓の形は忍冬文の様式で、その中の葉や花はアカンサスだけでなく、パルメットやロータス的な図案も見受けられる。要するに様々な唐花モチーフが、まぜこぜにあしらわれているもので、現在キモノや帯の文様として意匠化されている唐花文は、こうした総花的な図案がほとんどである。

また、正倉院に収蔵されている文物にあしらわれている宝相華文を見ると、こんな刻み葉形をしたアカンサスと思しき模様を見出すことがあり、それは、棕櫚のようにも忍冬のようにも見えている。それはつまり、唐花のデザインが複雑化すると、融合されて本来のモチーフがはっきりと判らなくなることを示しているのではないか。

 

(ナツメヤシパルメット唐草文 染帯・松寿苑)

この帯は、以前ブログでご紹介した家内用に誂えた品物。画像に写っている型絵染の小紋に合わせる帯として、私が選んだもの。濃い墨色の吹雪地に、天平の空想鳥・花喰鳥と一緒にあしらわれている唐草のモチーフが、ナツメヤシ。

ナツメヤシは、名前でも判るように椰子科の植物で、主に熱帯の乾燥地帯に生えている。強烈な太陽の下でも、決して枯れることのない生命力を、古代のエジプト人は、生命の根源と見なして尊重した。そして人々はこの樹木を、人類の誕生を象徴する「生命の木・聖なる樹」とし、崇拝の対象としたのである。

椰子をラテン語で書くと、palma。諸説はあるものの、ナツメヤシをモチーフとする図案を「パルメット文様」とする理由の一つに、こうした言語的な背景がある。

帯の前模様には、ナツメヤシだけがあしらわれている。その図案の形をみると、二つに分かれた葉の基部を分岐点として、扇形に渦巻模様が付いている。葉の下端を曲線的にデザイン化してあることが、この文様の大きな特徴である。

パルメット文様は、葉の先端をみれば棕櫚図案と理解できるが、流線形の流れのある蔓の姿を見ると、それは明らかに忍冬がモチーフになっている。だから、ナツメヤシとスイカズラを融合したものが、パルメット文様になるのだろう。これは、知識の浅いバイク呉服屋の見解なので、聞き流して頂きたいが。

 

(ロータス唐草文 九寸織名古屋帯・都織物)

文様の起源として重要な役割を果たしている三つのモチーフとして、最後にご紹介するのは、ロータス(スイレン)。この花はエジプトの国花であり、エジプトの人誰もが、大切にしている植物。スイレンは太陽神と縁の深い花であり、再生の象徴と見なす。この国でこう位置付けたのは紀元前3000年前というから、気が遠くなる。

ロータスをモチーフとする装飾文様は、唐草モチーフの中でも、最も古い。古王国時代の2千数百年前の墳墓や、1350年前のツタンカーメン王の墳墓からは、ロータス文様をあしらった装飾品が多数出土している。

横に整然と並ぶ、ロータス的図案の帯文様。花弁の上下にヒゲのように伸びている蔓が何ともオリエンタル的で、模様全体が柱頭装飾のようにも見える。あしらわれた遺物の古さを考えると、ロータスこそが唐草の起源であり、それは古代エジプト時代に始まったと位置づけることが出来よう。

東京芸術大学教授・美術史家の伊藤俊治氏の著書「唐草抄ー装飾文様生命誌」の冒頭にも、「唐草は、古代エジプト時代に始まる」とあり、その序文の中では、唐草は草花文様の一種だが、重要なのは文様そのものより、縦横無尽に空間を埋め尽くす「潜在的なエネルギー」と述べている。唐草文の背景にあるのは、各々の地域でそれをモチーフとして使う「人々の熱」ということになるのだろう。その上で唐草の母体は、古代エジプトに見られる「弧を描いた植物文」や「帯状の渦巻文」であり、ギリシャで派生したアカンサスの曲線を原型とすると、結論付ける。

 

つまり、文様の原点となる植物はいずれも、各々の地域の人々にとっては、偶像的な存在、それはおそらく、信仰の対象物に近いものだったと推察される。そうした、植物を「生命の樹」と見なす「樹木崇拝」が背景にあるからこそ、文様として使う意図が生まれる。それは単に、装飾に使うだけには止まらない「奥深さ」を持っているのだ。

そしてこの、聖なる樹木をモチーフとした空想的な植物文は、融合と発展を繰り返しながら、形を変えていく。それは、伝播した地域それぞれの新たなモチーフを取り込みつつ、多様で多彩な文様となって次々と形作られていく。

紀元前3000年以上前、古代エジプトで始まった唐草は、メソポタミアやペルシャへと派生し、ギリシャに至る。そして紀元前3世紀あたりから、オリエント地域を侵略支配した者の手で、アジアへと流れてくる。六朝時代の中国・朝鮮半島を経て日本に伝来したのは、5世紀のことだ。そして1500年が過ぎた今もなお、染織品の中にその姿を見せている。知るほどに、この深淵たる文様への興味は尽きない。またいつか、別の視点から話を続けてみたい。

 

唐花文様が融合・拡散する大きな契機となったのは、ギリシャ・マケドニア帝国の国王・アレキサンドロス3世(通称アレキサンダー大王)の東方遠征と言われています。支配した地域は、ギリシャ・メソポタミア・ペルシャ・インド。当時の世界主要都市すべてを手に入れ、事実上の世界征服者となりました。その範囲はアドリア海(地中海海域)から、インダス川流域まで。今では、とても考えられない膨大な広さです。

大王は支配を広げながらも、制圧した地域を融合する政策を実行します。もちろん文化的な交流も積極的に支持し、その結果、東西の異文化を融合した「ヘレニズム文化」が生まれました。もちろんそこでは、ヨーロッパ的なアカンサスと、エジプトやメソポタミア発祥のパルメット・ロータスの融合が促進され、それがインドへと伝播したのです。つまり大王は、唐花文様が世界へと飛躍するきっかけを作ったと言えるのです。

 

文化の進展は、支配する者の匙加減次第であり、理解がない者が為政者となれば、破壊することなど何のこだわりも持ちません。今も、メソポタミア文明発祥の地・イラク南部のシュメールの遺跡や、古代ローマの建築様式が多く残ったシリア・パルミラ遺跡など、数多くの貴重な歴史遺産が「現代のならず者」の手で破壊されています。

祖先が作った文明の証を壊すことは、自分たちの存在を否定することに繋がると思うのですが、平気でテロを実行し、人を殺めることを厭わないような連中に、通じる道理ではありません。

 

ですがこれは、中東の人々の本質ではないはず。唐花という文様を切り口にすると、遠い国の未知なる姿、本来の姿が見えてくるような気がします。これも歴史から理解出来る面白さになるのでしょう。今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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