日本人の細やかな感性は、春夏秋冬にうつろう豊かな風土が背景にあるからこそ、育まれてきたと言われている。変わりゆく自然の姿は、人々の日々の暮らしの中に溶け込み、豊かな彩りを映す。そして、月ごと季節ごとには、伝統に育まれた「年中行事」があり、時代こそ変われど、一定の様式が守られていて、生活の中に息づく。だから人々は、少しの気候の変化も敏感に気づく。この繊細さが、日本人の大きな特徴である。
日本にある四つの季節、これをさらに細分化して仕訳けた「暦」がある。これが、いわゆる二十四節気。そしてこの節目には、春夏秋冬に区切りをつける、いわば分水嶺に当たる日があり、それが立春・立夏・立秋・立冬である。
今年の立秋は、8月7日。暦の上では、すでに秋になって半月が過ぎた。季節の挨拶も、とっくに暑中見舞いから残暑見舞いになっている。ただそうは言っても、まだ秋の気配はほとんど感じられない。もちろん和装においても、今月いっぱいは薄モノで、来月に入っても、すぐに単衣には移行し難い。カジュアルの装いでは、まだしばらくは、麻を着用する方もおられるだろう。
だがキモノや帯の意匠では、薄物と言えども、一足先に秋のあしらいになっている。その代表的なモチーフが、秋の七草を多彩に組合せて文様化した「秋草文」である。まだ暑い夏を、秋の気配を感じさせる図案で、涼やかに見せる。これも季節を先取りした「日本人ならでは」の心情の表れだ。
そこで今月のコーディネートは、秋草文を図案とした絹紅梅を使って、今年最後の夏姿を考えてみたい。もう今年は夏キモノを着用しないと言う方も、来年の着姿の参考としてご覧頂ければ、有難い。
(小菊連ね模様 絹紅梅)
(撫子に露芝模様 絹紅梅)
秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花(万葉集巻8・ 1537) 萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花 または藤袴 朝顔の花 (同・1538)
秋の七草の発祥とされる、山上憶良の有名な歌。連作になっている二首は、最初に「秋の野に咲く花は、七つあり」と詠み、次に具体的に「萩、尾花(ススキのこと)、葛、撫子、女郎花、藤袴、朝顔(桔梗のこと)」と花の名前を挙げている。歌は、最初が五七五七七の短歌形式、次が五七七五七七の旋頭歌(せどうか)形式と異なった形式を採っている。
蛇足になるが、旋頭歌は五七七を二度繰り返し、通常上三句と下三句では詠手の立場が異なり、片歌を二人の問答形式にする。この憶良の連作のような形式は、万葉集の中では他に見られず、大変珍しいものだ。なおこの二つの歌は、奈良・春日大社の参道に歌碑として、設えられている。
七草に選ばれた花は、古くから秋を代表する花として認識されていたものの、文様化されたのは平安以降のこと。自然の風景を意匠化することが盛んになるにつれて、秋草もモチーフとして注目され、この万葉の七草に菊を加えたものが、文様を構成する花の題材となった。
和歌山・新宮の熊野速玉(はやたま)神社は、祭神用具として製作・奉納された古神宝類が千点以上あり、南北朝時代の工芸品を理解する上で、貴重な資料にもなっている。その中には、蒔絵をあしらった手箱が数多く残されているが、この意匠として使われていたのが、秋草文様である。
この蒔絵の様式は次の桃山時代にも受け継がれ、それは高台寺蒔絵文様として、数多くの逸品が製作された。高台寺(こうだいじ)は、豊臣秀吉の夫人・北政所(きたのまんどころ)高台院が、太閤秀吉の冥福を祈るために建立したもので、ここには数多くの蒔絵装飾や蒔絵所蔵品がある。夫人がことのほか好んだ秋草は、品物の意匠として様々にあしらわれ、今に至る「秋草の文様スタイル」は、この時代に完成されたとされる。
この時代秋草文様は、女性の生活用具の中に多く見受けられていたが、それは秋の野の楚々とした佇まいが、繊細な女心を捉えたからこそ、ではないだろうか。そして現代でも、夏から秋へ渡る代表的な文様として、和の装いにその姿を見せている。きっと昔も今も、文様をあしらう人の感性は同じなのだろう。また前置きが長くなってしまったが、今日はこれから、二点の秋草文・絹紅梅をご覧頂くことにしよう。
(縹色地 小菊連ね 絹紅梅・新粋染 白地 沖縄絣 紗八寸帯・帯屋捨松)
今日ご紹介する絹紅梅は、それぞれ作り手が違う。最初にご覧頂く小菊連ねは、新粋染。小さなメーカーだが、江戸小紋縞彫の人間国宝・児玉博の縁続きにあたる会社だけに、型紙にはこだわりがある。得意としているのは、江戸小紋のように細かい模様を連続させた図案。この小菊連ねは、いかにも新粋染らしい意匠。ここの品物は、どちらかと言えば、「玄人受け」するものが多い。
地色は、縹(はなだ)。青系の色の気配としては、濃すぎず薄過ぎずの中間色。縹色は、別名「花田色」とも称されるが、この花の色は、露草の色に由来するらしい。そう言われれば、確かにこの色は、友禅の下絵に使う「青花」の色だ。
菊は秋を代表する花だが、秋草文としては万葉七草の後で入ったモチーフ。ひっそりとした秋の野辺の風情が、この文様の特徴なので、菊と言えども大輪の花は使えず、あしらいは小菊となる。
反物巾いっぱいに小さな菊が並ぶ姿は、それこそ江戸小紋的。そして縹色と白抜きの菊が、およそ6:4の割合で付いている。このバランスが丁度良く、白い菊が程よいアクセントになっている。
絹52%・綿48%の混紡。生地面に、ワッフル状の畝が表れている。細糸の絹に太糸の綿を打ち込むことで生まれる凹凸が、さらりと心地よい肌触りとなる。綿糸番手の太細で生地を形成するのが綿紅梅だが、風になびくような軽やかさやしなやかさは、絹紅梅でしか感じられない着心地。
実はこの絹紅梅は、先ごろ見初められた方があって、すでに店の棚には無い。参考までに、誂え終わった姿も見て頂こう。こうしてキモノの形にしてみると、散りばめた白い小菊の花が印象に残る。では、型紙にこだわりのある大人の小菊絹紅梅には、どんな帯を合せると良いのか。考えてみよう。
(白地 亀甲に釜敷、碁盤琉球模様・紗八寸帯)
帯に付いているタグには、「沖縄絣模様」とある。製作した捨松が、琉球の絣模様を参考にしたものだが、全体の枠組みは亀甲模様を使い、模様の接点には四角の小格子と、四角の真ん中に穴を開けた図案が見えている。
これらのモチーフは、いずれも琉球絣の模様としてポピュラーなもの。沖縄語で亀甲はピッグー、小格子はグバン(碁盤)、穴あき四角はカマシキー(釜敷)。不思議な幾何学模様だが、配色が黒と緑だけのシンプルな姿なので、すっきりとした姿に映る。透けた捩り目のある紗の特徴を生かした、涼しげな名古屋帯。
模様が密な江戸小紋的絹紅梅なので、帯は地に空間のあるシンプルな図案の方が、キモノの良さを引き出せる。このような植物文と幾何学文の組み合わせは、やはり一番バランスが良いように思える。どちらも通好みの品物で、キモノを良く知る大人の夏姿と言えるだろう。
前の帯合わせを見ると、琉球絣の図案の面白さが判る。配色の少ないキモノと帯の組み合わせだが、きちんと色の差はついている。そして各々の個性を壊すことなく、夏らしい装いを作りだす。こんな一組が似合うのは、やはり夏キモノを着慣れた方と思う。
小物には、あまり目立たない色を使い、キモノと帯が持つ雰囲気を壊さないようにしてみた。特に帯〆の色を強調しすぎると、しっとりした姿が崩れてしまう気がする。帯揚げは判り難いが、白地に青と緑の小さな輪のあしらいがある。帯〆は色を抑えた鶸色。(帯揚げ・加藤萬 帯〆・龍工房)
(紅藤色 撫子に露芝 絹紅梅・竺仙 白地 市松割付に蝶 紗八寸帯・帯屋捨松)
先ほどの小菊連ねが、小粋で渋い江戸姿とするならば、こちらは万人向きでオーソドックス。そこで都会的なモダンな帯を合せて、若い方にも向きそうな組み合わせを考えてみた。絹紅梅を製作した竺仙は、浴衣メーカーとして最右翼。生地素材、型紙図案、染技法のどれをとっても多彩で、品物を数多く作る。秋草文のようなポピュラーな図案は、植物モチーフの構成を替えつつ、工夫を凝らしながら幾通りにも作る。
こちらの地色は、柔らかみのある優しい藤色。紫に紅を含ませたような色の気配だが、植物染ではこうした色を、藍と紅花を掛け合わせて作る。互いの染料濃度により様々な色の気配が生まれるが、こうして染められる色のことを「二藍(ふたあい)」と呼ぶ。藍が多く入れば青みが増し、紅花に偏れば赤みが強くなる。紫系の色は中間にあたり、僅かな調合の差によって、実に様々な色が生まれる。
露芝の中に散りばめられた撫子。実際には、自然の中でこんな姿は無いのだが、露芝というモチーフは植物文を取り込んで、実に様々な図案を作る。朝日が昇り、気温が上昇すると消えてしまう露。この姿を美しいと感じたからこそ、文様化されたもので、そこにはいかにも、豊かな感受性を持つ日本人らしさが伺える。
露芝は、様々な秋草との組み合わせに使われる、実に便利なバイプレイヤーの役割を果たしている。細い三日月型の芝図案は、このように連続してあしらうことがほとんどで、ほぼ定型化している。
色の気配は地色の紅藤色だけで、模様は白抜き。絹紅梅や綿紅梅のほとんどは、模様に色の気配が無い。夏姿には見た目の涼やかさが求められるので、どうしてもシンプルになる。後は帯で、各々がどのように工夫して個性を出すか。この選択が、難しくも楽しくもある。では、バイク呉服屋のコーディネートはどうか。ご覧頂こう。
(白地 市松割付に蝶模様・紗八寸帯)
同じ捨松の紗八寸だが、琉球絣とはかなり雰囲気が違う。模様の位置取りも表し方もモダンで、立体的。面白く図案化した蝶には、いかにもクセのある捨松らしい個性が見える。堅苦しさを感じさせず、カジュアルな着姿を上手に演出させる。そんな作り手のコンセプトが伺える帯。
帯面を四角に区分け、蝶模様と無地場を交互に配置する、いわば「市松取り」の形式。判り難いが、模様の抜けているところは全くの無地ではなく、水色と黄色で小さな三連菱文が付いている。
この絹紅梅も連続性の強い「密な模様」なので、帯はすっきりとまとめたい。お太鼓を作ってみると、市松の模様配置が効いている。そしてこちらも、植物文の秋草と蝶を組み合わせ、モチーフの種類を変えて着姿を映す。
前に出る蝶は、真ん中に一つだけ。それだけに、見た目にもインパクトが出てくる。キモノ地の薄紅色が、帯の蝶の配色にもある。こうしてどこかにリンクする色があると、着姿に自然さが生まれる。
小物合わせは、撫子の色を使う。柔らかなピンク色は、紅紫と同じ「二藍」から生まれる色。こちらも帯〆を強調せずに、全体を優しいイメージでまとめてみた。 (帯揚げ・井登美 帯〆・龍工房)
今日は、薄物納めのコーディネートとして、秋草文をあしらった絹紅梅と捨松帯の組み合わせをご覧頂いた。模様で秋を感じさせつつ、夏の終わりを装う。着る人はもちろん、着姿を見る人にも、うつろう季節を感じさせる。きっと来年こそは、そんな夏のキモノ姿を多くの方に楽しんで頂けると思う。また、そうなっていると信じたい。 最後に、今日ご紹介した品物を、もう一度どうぞ。
銀も、金も玉も、何せむに 勝れる宝 子に如かめやも (万葉集・巻5 803)
秋の七草を特定した山上憶良の、もう一つの代表作。「子どもの尊さに比べたら、金銀財宝など取るに足らない」。この短い三十一文字の中には、子を想う愛情が全て詰まっています。
憶良の本業は役人でしたが、詠む歌の題材は重税に苦しむ農民や、防人の夫を送り出した妻や家族の姿が多く、それは死・病・貧・老などをテーマとした、いわば市井の弱者に降りかかる社会の矛盾を描く「貧窮問答歌」でした。
先日、千葉県柏市で、コロナ感染した妊婦さんが、予定日より早く産気付いたものの、受け入れてくれる病院が無く、自宅で出産した末に赤ちゃんが亡くなってしまうという、本当に痛ましい出来事がありました。逼迫した医療現場の現状は理解出来るものの、それでも何とか出来なかったのかと、思ってしまいます。
律令制度下の奈良時代も、多くの公民(国民)は重税と兵役に苦しみ、厳しい生活を強いられました。そして1500年を経た令和の時代も、理不尽な疫病に対して、あまりにも政府の施策が脆弱なために、人々は不安な毎日を送っています。先の大戦もそうですが、結局いつの時代も政治の貧困の矛先は、普通の人の当たり前の暮らしに向かい、次第に人々は追い詰められる。これは、決してあってはならないことだと、思います。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。