自然保護区とは、生物の多様性を維持している生態系を守るために、必要な地形や地質、あるいは水源を保全するために設けられた特定の区域を指す。この形態は、国や地方公共団体などの公的機関が設置・管理する場合と、私的な団体やNPO法人等により保全される所に分かれ、保護区における規制や規定は、各々で異なる。
国際的な自然保護区としてよく知られているのが、ラムサール条約に基づく保護区。これは水鳥の生息地を守るために、特定の湿原を保全している。現在この条約における日本の登録湿地は、釧路湿原や尾瀬など52か所である。
日本の自然保護区として最も認識されているのが、鳥獣保護区。ここは、国(環境省)や地方自治体によって指定・管理されているが、この区域内では、全ての鳥獣の捕獲は禁止され、埋め立てや干拓、また人工物の設置など、野生動物の生息に支障をきたす行為は、厳しく制限されている。
そして私設保護区の代表が、野鳥保護区。ここは、野鳥の生息環境を保全するために設置された区域で、自然環境保護団体が主体となって管理している。この活動を牽引しているのが「日本野鳥の会」で、公的保護の無い場所で希少な野鳥が生息している場合には、その土地が開発されないように買い取ったり、地権者と環境保全に関わる協定を結んだりしている。
こうした一方で、国際的な保護の形として「世界遺産」に認定されている地域、また日本国内では、国内法の自然公園法に基づいて「国立公園・国定公園」として指定されている地域がある。双方とも、指定区域の環境を保護することはもちろんだが、反面、前述した自然保護区ほど、動植物の生態を守る厳密な管理や規制がされていない。
例えば、世界遺産の登録地であっても、開発行為には厳密な規制は掛かっておらず、国立・国定公園内では、環境保護と共に利用促進を図ることも目的として掲げられている。つまりこれを考えると、完全に環境保全を目的とする、ラムサール条約に基づく湿地保護区域や鳥獣・野鳥保護区と、世界遺産や国立公園等の認定地域では、その意味するところと、各々の場所を訪れる人の意識が、全く異なっていることになる。
判りやすく言えば、保護区の主人公はあくまで鳥獣や植物であり、この生態系を守ることが、何より優先される。だからそこには、観光的な要素は全くと言っていいほど含まれていない。翻って世界遺産や国立公園を考えれば、「訪れる人間」のために道や宿泊施設を整備し、観光スポットとして発展させるという、いわば「観光業の目玉」として位置づけることが、ある意味で目的化されている。
動植物本来の姿や生態を守り、あるがままの自然景観を維持するのであれば、「保護区化」すべきことは自明の理であり、多くの人間がやってくる「観光地」になってしまえば、やがて荒廃していくことも間違いない。
日本では、観光地は知っていても、保護区を知らない人が何と多いことかと思う。そしてほとんどの旅行は、観光地を巡ることにしかなっていない。おそらく、そうしたことが、環境保護に対する意識の薄さの遠因となって、繋がっているのだろう。
コロナ禍の今年は、遠くへ出かけることが憚られているが、私は例年通り、10月の第3週に北海道を歩いてきた。もちろん、政府推奨の何とかキャンペーンとは関係無い。私は、自分が好き勝手に動く旅に、税金を投入してもらうことなど、あってはならないと思う。また訪ね歩く場所は、獣はいても人はいない場所ばかりなので、密になる心配はほとんど無く、感染リスクはかなり低い。しかも、宿泊は自炊宿である。
ということで、今秋のブログ旅は、人をほとんど遮断している野鳥保護区の道を歩き、人知れぬ湿原と荒涼たる海岸を辿るお話。毎回のことだが、私がバイク呉服屋ではなく、バックパッカーとして記す稿をお許し頂きたい。
(フレシマ湿原 東ホロ二タイ川流域 野鳥保護区 根室・別当賀)
フレシマ湿原と聞いて、その場所が何処にあるのかご存じの方は、ほとんどおられないだろう。それは北海道民はもとより、もしかしたら根室にお住まいの方でも、判らない人が多いと思われる。それほど、この湿原については知られておらず、それは、人の手が全く入っていない証とも言えよう。
フレシマのある別当賀を含め、霧多布から落石を経て根室へと続く太平洋沿岸は、ほとんど開発がされておらず、北海道の海岸線の原風景を今に残す、貴重な景観。そしてそこは、希少な動植物が数多く生息する楽園でもある。
これまで、この環境を守るために様々な方策がとられてきたが、別当賀からフレシマ湿原に至る場所は、すでに1970年代には、タンチョウの繁殖地であることが確認されており、2005年には日本野鳥の会が203.7haの土地を地権者から購入して、野鳥保護区とした。そのため、区域の立ち入りは厳格に制限され、別当賀の駅から車が入るダート道は僅かにあるものの、保護区の前で行き止まりとなっている。
これまでの経緯を考えると、フレシマ湿原に足を踏み入れることは、事実上不可能なのだが、2003年、根室の厚床から別当賀に点在する酪農家のグループが運営者となり、「根室フットパス」を立ち上げたことで、別当賀駅を起点として、湿原から海岸線まで、歩いて到達することが出来るようになった。
フットパスとは聞きなれない名前かと思うが、これは、「歩きながら自然を楽しむ道」のこと。この運動の発祥地・イギリスでは、海岸線や森林、田園地帯、市街地など、国土の至る所に「歩くための散歩道」が張り巡らされている。いかにもウオーキングが日常の中に浸透しているこの国らしい発想で、この道を、自然回帰のために必要な文化と捉えている。
根室フットパスの目的も、イギリスのパスに習い、ゆっくり歩くことで見えてくる北海道の自然が、旅行者だけでなく、地元の者にとっても、生活する地域の再発見に繋がる試みと意義付けている。
根室フットパスの運営者名・AB-MOBITは、所在場所の厚床のAと別当賀のB、そして五軒の酪農家苗字(村島・小笠原・馬場・伊藤・富岡)の頭文字を表したもの。フットパスで歩く道は、五軒それぞれの牧場や土地を繋ぎ合わせて出来ている。現在コースは、別当賀パスの他に、主に農道を歩く初田牛(はったうし)パスと、牧草地を行く厚床(あっとこ)パスがあるが、野鳥保護区を通ることでパス上に鍵があるは、フレシマ湿原に向かう別当賀パスだけである。
さて前置きばかりが長くなってしまった。私がこの別当賀パスでフレシマを歩くことは、かなり長い間温めていた計画である。今年ようやく実行することが出来たが、そこは私の想像をはるかに越えて、とても日本とは思えない、厳しくも美しい風景が広がっていた。では湿原と海岸への道・パスを、ご案内することにしよう。
根室・別当賀周辺の大まかな位置。(1980年・国鉄路線図による)
今回の主な旅の目的は、フレシマ湿原と春国岱の砂丘をひたすら歩くこと。そこで気になっていたのが天候だったが、幸いなことに、どちらの日も快晴に恵まれた。フレシマは、北海道へ着いたその日のうちに歩く計画を立てていたので、出発地の根室線・別当賀駅には、いち早く到着する必要があった。
だが歩く前には、まず入域許可証・別当賀パスのルートマップを200円で購入し、野鳥保護区へ入る扉の鍵を借りなければならない。現在パスの案内所になっているのが、酪農家集団・AB-MOBITに所属している厚床明郷地区にある伊藤牧場。この牧場内にある酪農喫茶で、パスと鍵を受け取ることが出来る。
朝一番のエアドゥで釧路に9時半に着くと、空港ですぐ車を借りて、国道44号をひたすら東へ。お昼過ぎに伊藤牧場に着いて、すぐパスの手続きをして、鍵を受け取る。そして受付の方から、装備の確認を受ける。湿原への道では、頻繁にクマが出没しており、厳重に注意を払う必要があるとのこと。ひとりで歩くリスクは、結構高いようだ。「くれぐれも気を付けて」との言葉を受けながら、出発地の別当賀駅に向かう。牧場からだと、30分ほどで着く。
1時少し前、別当賀駅に到着。駅舎は、北海道でよく見かける貨車製。周りには、数軒の牧場がある程度。もちろん駅前には何もない。この駅舎の前に車を止めて、ホームで急いで昼食を摂る。フレシマ湿原を抜けて、海岸に出るまでの道のりは約5キロ。湿原での滞在時間を1時間と見ると、往復するのに3時間は必要だ。日暮れまでにここに戻って来るには、すでにギリギリの時間になっていて、悠長に食事をしている暇はない。
ホームで、もう一度装備品を確認。クマよけの鈴は、ザックとズボンのベルト通しに一つずつ付ける。「歩くには、鍵が必要です」と記されたパス証と、二万五千分の一・国土地理院地形図。磁石付きのホイッスル。保護区ゲートの鍵。そして一番重要な命綱、「クマ撃退スプレー」。鈴を鳴らしながら、駅を出発する。
パスの起点となる場所には、経路を示す看板が立つ。フットパスの所々には、こうした標が立てられているので、ほとんど道に迷うことは無い。
駅のすぐ前にある牧場のわき道から、フットパスに入る。
左右に牧草地を見ながら、一本道を歩く。緩やかな坂になっていて、先は見渡せない。
牧草地が尽きると、道幅は急に狭まって、森の中に入る。ここは、湿原にそそぐ川筋の一つ・五本松川の流域になる。春先なら、傍らに薄紫のエゾエンゴサクや、可憐な黄色の小花・シコタンキンポウゲが見られるところ。画像では、森が明るく映っているが、本当は少し暗い。この辺りは、いつヒグマが現われても不思議ではない場所。別当賀から落石にかけては、鉄道沿いでも出没が確認されている。
嫌な予感に苛まれながら、足早に歩いていると、突然、道の左から「ゴソゴソ」と音がして、大きな動物が飛び出してきた。一瞬のことで、体が全く動かなくなる。幸いなことに、ヒグマではなく、エゾシカの親子だった。こんな状態では、いくら撃退スプレーを持っていても、万が一クマに出くわした時には、正しく噴霧出来ないだろう。それよりも、「救心」が欲しい。何せ、心臓が止まるかと思うほど、驚いたのだから。
無事に森を抜けたところに、ゲートがある。そして、一気に視界が開けてくる。ここからが保護区で、いよいよフレシマ湿原への道が始まる。
日本野鳥の会が管理する「野鳥保護区」の赤い看板。ゲートには有刺鉄線が張られ、鍵がかかる。ここで、伊藤牧場で借りた鍵を使い、中に入る。動植物の環境を保護するには、厳密な入場制限はどうしても必要になるだろう。歩く人間は、生き物たちの生活場所に「入らせてもらっている」と認識する謙虚さが必要だ。ここが、保護区と観光地の大きな違いである。
小高い丘陵に囲まれた保護区内に入ると、丘へと向かう一筋の道が付いている。道の両脇は泥炭地で、傍らに東ホロ二タイ川が流れる。夏には、ハマナスのお花畑になる場所だが、今はすっかり草枯れしている。
道はカーブしながら、高度を増して、上へと昇る。遠くで、何か声が聞こえる。鳥か獣か、少し恐ろしくなる。
やがて道は、丘の上に出る。空の下に、柵とゲートが見えている。
そして、牧草地のゲートから右を見ると、遠くに湿原と幾つかの湖沼群、その向こうに海も見える。ようやくフレシマの端まで到達したが、まだかなり遠い。
丘を上がりきると、またゲートがあり、ここにも有刺鉄線が張ってある。だが鍵は付いておらず、柵を押すと。中に入ることが出来る。
さらに進むと、簡単なゲートの先は完全な牧草地となり、道が途切れている。例のフットパスの案内が付いていて、草地を直進する指示が記してある。
フットパスの指示に従い、そのまま草地を歩く。
周囲を見渡しても、何もない牧草地だが、ここは馬の放牧地になっている。そして草地の途切れた先には、海が見えてきた。微かに、波の音も聞こえる。
草地が途切れると、崖となって、海と湿原の風景が目の前に広がる。ようやく、フレシマに辿り着いた。海に出るには崖を下るしかないが、道が途切れている。ここからは、歩きやすい場所を探しながら、下に降りて行かなければならない。
薄原の向こうは、太平洋。湿原の色は茶褐色。この寂しげな風景は、いかにも晩秋。
沼の畔まで歩いてみる。水鳥の影は無い。晴れてはいるが、風は冷たい。高山植物が咲き誇る緑の季節は、今と全く印象が違うのだろう。
湿原の中の僅かな踏み跡を辿って、ようやく海岸へ出る。テトラポットに打ち寄せる波。画像で遠くに見える半島は、落石。別当賀の海岸線上には、風と波で浸食された地層がはっきり現れていて、一部は風化している。
海が見える小高い丘の傍ら、二基の筒のような建物が見えるが、これはサイロ。根室フットパスを運営しているAB-MOBIT、その一軒・馬場牧場の人たちが、三代にわたってこの地で暮らしていた。昭和初期から、半農半漁で生計を立てていたそうだが、この僻遠の地に、長きにわたって生活していた労苦は、如何ばかりかと思う。
サイロは、この当時としては珍しい、レンガとブロック作り。以前は家屋も残されていたらしいが、痕跡は見つからない。
馬場牧場の跡から続く丘へ、登ってみる。途中から湿原を見下ろすと、ご覧のような絶景が広がる。冬の初め故、彩は無い。だが、この日本離れしている景色は、そう見られるものではない。
ここは、旧馬場牧場の上にある台地ということで、「お台馬場」と呼ばれている。上からは、すり鉢状に広がる湿原の全景を見渡せる。
逆光になってしまったが、台地から西側、西ホロ二タイ川流域に広がる湿原と湖沼群。ここがフレシマ湿原の中央部。ありのままの風景を、きちんと画像に残せなかったのが、なんとも歯がゆい。
海に流れ込む西ホロ二タイ川。海岸線は、霧多布方向へと続いている。
お台馬場に残るモニュメント。2005年に設置されたもので、別当賀パスの標にもなっている。ほとんど人工物が無い中で、唯一ともいえる目印。
お台馬場から、東海岸を望む。海辺から見た時より、落石半島の姿がはっきりと見える。この先端に、昨年歩いた落石岬がある。さて、歩き回っているうちに、陽が傾き始めた。ここまでは、1時間ほどで着いたが、見る場所が多くて全く時間が足りない。ただ、暗くなってから、あのクマの出そうな森を歩くのはリスクが高いので、後ろ髪を引かれつつも、戻ることにする。時刻は、すでに3時半近い。
影が伸び始めた湿原を見つつ、帰路につく。季節を違えて、もう一度来てみたい。
もと来た斜面の道を、今度は登らなければならない。歩いている時には気づかなかったが、こうして見てみると、かなり勾配がきつい。だが、週に二回、12キロの山道を往復して鍛えているので、今回のフットパスの行程は、全く苦にならなかった。体は正直なので、日ごろの鍛錬こそが大切になる。
丘を登り終わって、最後のフレシマの海と湿原を写す。次はいつ来られるだろうか。それとも、これが最初で最後になるか。いずれにしろ、しっかりとこの風景を目に焼き付けて、帰りたい。
牧草地を抜けて、東ホロ二タイ流域まで、戻ってきた。日が傾いているせいか、枯れ色が、より色濃く映っている。こうして画像で振り返ってみると、フレシマへの道は、「果て遠き道」である。
湿原の入口ゲートでは、次の旅人を迎えるために、しっかりと鍵をかける。そして改めて、フレシマへと思いを馳せる。遮るものが何もない、北海道の原風景は、想像以上に素晴らしかった。
ヒグマに出会うことなく、無事に森を抜けると、夕映えが道を包み始めた。
別当賀の駅に帰り着くと、まもなく、夕陽がレールを染めて、さいはての小さな駅舎は、オレンジ色に包まれていった。フレシマへの旅のフィナーレを飾る、心に染み入る夕暮れ。
このフレシマ湿原を含む、初田牛・別当賀・厚床から根室にかけては、湿地帯が多く、開拓当初に原生林の伐採が進まなかった。それが、今も水場と森が多く残り、野鳥をはじめ希少な動植物が生息することに繋がってきた。そしてそのことが、結果として、貴重な北海道の原風景を残すことになったのである。
別当賀フットパスが生まれて、すでに20年近くになる。今年は特にだが、ここを訪れる人は本当に少ない。英国人と違い、日本人にはフットパスの理念が浸透しないのだろう。ただ、皮肉なことだが、人が入らない方が環境は守られる。だからフレシマの姿は、これからも、変わることはあるまい。もう一つの「果て遠き道の先・春国岱編」は、またいつか後編として、書こうと考えている。
(フレシマ湿原への行き方)
JR花咲線・別当賀駅より5K(往復10K) 別当賀フットパスと野鳥保護区の鍵を、厚床・伊藤牧場で準備する。往復の所要時間は2時間程度だが、湿原や海辺歩きに2時間ほど必要。4時間あれば余裕をもって往復出来る。
詳しいことは、www.nemuro-footpath.comで。他に準備するものとして、ヒグマ対策の鈴や撃退スプレーは必ず。靴は、トレッキングシューズで。そしてなるべく、複数人で行く方が安全と思われる。もし私のように一人で歩くなら、それなりの覚悟が必要。
一人で歩いている時は、何も考えず、無になります。そして、人の手を全く加えていない場所は、まさに「無為自然」と言えましょう。目指す生き方として、「何もせずに、あるがまま」というのが、私には理想に思えます。だから時折、こうした旅に出てしまうのでしょう。
次回の稿から、また呉服屋の日常に戻ります。ここまで長い話を読んで頂いた方、本当にありがとうございました。