初めて本格的な恋愛小説を読んだのは、確か高校2年の時だった。作品は、武者小路実篤の「友情」と「愛と死」。何故、この作品を手にしたのだろうか。今となっては全く覚えていないが、実篤がこの年(1976年)の春に亡くなっているので、もしかしたら、その報に触れたことが、きっかけだったのかも知れない。
二つの作品は、一冊の文庫本の中に一緒に収められていたので、二日ほどで一気に読んだ覚えがある。一人の女性を巡る男同士の潔い「友情」も、それなりに心に残ったが、恋愛の絶頂の中で突然相手を失う「愛と死」は、その落差と非情さ、そして残された人の悲しみが胸に迫り、いつまでも記憶に残った。
愛と死は、主人公である小説家・村岡と、彼の尊敬する友人野々村の妹・夏子との恋愛を描いている。惹かれ合った二人は、結婚を夢見るようになるが、村岡は小説家として見分を広めるために、ヨーロッパへ行くことにする。二人は、帰国後に結婚する約束を取り交わし、村岡はパリへ旅立った。
二人は、パリと東京で手紙を交わし、純粋な愛を深め合っていく。もとより、手紙以外に気持ちを通わす手段が無い時代である。そして、半年間の滞在を終えて、村岡は無事帰国の途につく。まだ空路が無い大正の時代、ひと月半もの長い船旅を経なければ、日本には戻れなかった。
そして、日本に戻る寸前、村岡は野々村からの電報を船内で受け取る。それは、夏子が当時流行していたスペイン風邪で急死してしまったという、衝撃的なものだった。悲嘆にくれる村岡。小説の中盤からは、夏子との往復書簡を中心に話が進んでおり、会えない二人が手紙を通して愛を育む姿が、まばゆいばかりに描かれている。それだけにこの唐突な死は、読んでいる者にも、ショックを与える。
「死んだ者は、生きる者にも大きな力を持つものだが、生きている者は、死んだ者に対して、あまりに無力だ」。夏子の死に際した、村岡の心の叫びである。悲しみの淵に立つ村岡は、残酷な運命を必死に受けとめ、やがて生きる人のために働く決意をする。
実篤がこの作品を発表したのは、1939(昭和14)年であった。けれども、小説の冒頭に「これは、今から21年も前の出来事である」とあるので、舞台となった時代は1918(大正8)年頃と理解できる。執筆当時の年齢は、54歳。恋愛のみずみずしさが際立ち、とても年齢は感じさせない。そして実篤自身が、涙しながらこの作品を執筆したというエピソードも残っている。恋愛に対して、何と純な心を持つ人だろうと、思わず感嘆してしまう。
夏子の命を奪った大正期のスペイン風邪。これこそ、今の新型コロナウイルスと比較される世界的なパンデミック。流行は、1918(大正8)年~1921(大正11)年。日本の罹患者は、2380万人。そのうち死者は、38万8千人余りであった。
約100年ぶりに起こった、世界を震撼させる感染症。国ごとに様々な影響を与え、多くの人々の生活様式や働き方、生き方までもが変わってしまう。無論、我々日本人も例外ではない。そして、ささやかな私の日常でも、それは避けられまい。
今日は前回の続きとして、「新しい生活様式」が呉服屋をどのように変えていくのか。また、変わることはないのか。あいまいだが、未来を踏まえつつ、お話してみよう。
感染予防のために、店の入り口にアルコール消毒液と除菌ウエットティッシュを置く。お客様が、安心して店に滞在して頂けるようにすることは、どんな商売でも同じ。ウイルスが完全に終息するまで、続ける以外に手段は無い。
全く来店される方がいなかった4~5月に比べ、今月に入り、少しずつ店を覗いてくださる方が増えてきた。そして長野や静岡など、県外からわざわざお見え頂いて、ご用事を下さる方もおられる。こうして、往来自粛の解除を待ちかねたように、来店して頂けることは、本当に有難い。宣伝一つしないバイク呉服屋にとっては、こうしたお客様が店の生命線である。
さてこの週末に、うちを贔屓にして頂いてる茶道のお師匠さんと筝曲のお師匠さんが、久しぶりに店を訪ねてくれた。お師匠さんといっても、お二人とも私より一回り以上若く、その年齢もあって、若いお弟子さんを大勢抱えておられる。
茶道も筝曲も、どちらかと言えば古い慣習が幅を利かせる世界だが、お二人とも、お弟子さんが、気軽に日本の文化に親しむことが出来るよう、堅苦しくなり過ぎないことを心がけているという。無論、基本を崩すことは無いのだが、時代に即応した工夫で作法や技術を伝えている。若い感覚を持った指導者の存在は、とても貴重である。
お二人とも、今月に入ってようやくお稽古を再開したが、この先、お茶会や演奏会の予定は全く立っていないという。少なくとも今年中は無理だが、来年の春には何とかしたいとの希望はある。しかし問題は「新しい生活様式」で、これを基準にすれば、今までと同じように開催することは、到底難しい。
「密を避ける」だの、「出来るだけ向き合わない」だの、「人と人の間隔を2m以上開ける」だのとは、普通に考えても、これを守っていてはマトモに生活出来ない。だから、音楽や演劇、芸術文化の発表の場ではなお難しく、それぞれのパフォーマンスを十分に発揮することが出来ない。
茶道でも筝曲でも、お茶会や演奏会が無いと、お弟子さんのモチベーションが上がらず技術も向上しないと、二人の若いお師匠さんは口を揃える。つまり、練習をするだけでは続かないのだ。この辺りは、試合の出来ない各種スポーツと同様であろう。
そしてお二人は、「発表の場には、和装は欠かせない」とも話される。お茶会のキモノ、お琴演奏会のキモノは、お茶を嗜む方、お琴を演奏する方にとって、習い事として続ける「最大の動機付け」になっている。つまり、キモノが着用できるから、お茶やお琴を習うという方も多いのである。
呉服専門店にとって、最も品物の質を見極め、理解してくださる方は、「どうしてもキモノを必要とする方」である。茶道や華道、書道を始めとし、邦楽、演劇、話芸、武芸など、日本の伝統芸能と和装は、切っても切れない縁で繋がっている。見方によっては、一心同体とも言えよう。
こうした芸能では、おいそれと様式を変更することは出来ない。それは、いくら「ウイルス対策のために必要」であっても、である。だから、ウイルス対策が完全に確立され、以前と同じ日常に戻らない限り、復活できまい。それまでは、キモノを着用する機会が無いということになる。
これでは、呉服屋としてもう待つことより他にはなくなる。無論、対策も立てようが無い。呉服屋の商い様式云々など、関係ない。何をどうしようとも、着用の場を得られない限り、需要など絶対あり得まい。伝統芸能でパフォーマンスの場が喪失されること、それは当然、使う衣裳の出番が無くなることに繋がっている。
三連鷺の暖簾の先には、消毒液。ウインドからは、店内の夏姿が見える。
政府は、密集を避けること即ち、最大のウイルス対策と捉え、家族以外のリアルな人との関りを、極力避けるようにと警告している。これが、推奨する「新しい日常」の原点だ。その内容は、皆様ご承知の通り、「テレワーク」の推進や、通販の利用を始めとして、無用な会話をしないこととか、同一店舗に長く滞在しないことなど、事細かな日常にまで口を出している。
外出と往来を自粛させれば、否応なく「新しい日常」になる。商いも、お客様とリアルに向き合えなければ、これも否応なく「ネットに向かう」他は無くなる。これは、現在のように自粛が解除されても、簡単に元には戻らない。まだワクチンも特効薬も開発されておらず、いつ再燃するとも限らない。こんな薄氷を踏む日常では、リアルな買い物を始め、外に出かけることは、多くの人が躊躇する。
こうしたことを考えれば、これからの商いは、当分買い手と売り手が顔を合わせない「オンライン」が中心になり、コロナ収束後も、リアルには戻らないだろう。今や、ネットで買えない品物などほとんどないのだから、この先「リアル店舗」の存在は、どんどん薄れるばかりとなっていくことは、容易に予測が付く。
もちろん呉服屋も、この騒ぎが起こる以前、すでに多くの店がネットで商いを展開している。そして、それなりに実績を上げて、利益を出している店もあると聞く。けれども、呉服屋が扱うキモノや帯、また和装小物を含めて、画像だけで判断するには、とても難しいアイテムであることに間違いない。
画像で本当の色を表現することは困難を極め、生地の質など手で触れてみなければ全くわからない。そして、どんな施しがされていて、どれほど手が掛けられているのか、きちんとした説明を必要とする。もちろん、ネット上での記載は出来るが、やはりリアルに売り手の言葉を聞かないと、実感は伴うまい。価格が高い品物だけに、買い手が納得出来るだけの要件を、全てネット上に表することは、ほぼ困難と言わざるを得ない。
この他にも、ほとんどの品物はそのまま納品出来ず、着用する方の寸法に合わせて「誂え」をしなければならないこと。さらには、キモノや帯、小物類をトータルで提案することが多いこと。そして、しみ抜きや寸法直しなど、商い後に品物の手直しに関わる必要があることなど、リアルにお客様と向き合わなければ、きちんと仕事が受けられないと思われることが、山ほどある。
私には、とてもとても「顔の見えないネット商い」など、恐ろしくて出来はしない。私は、お客様との信頼関係は、リアル商いでしか構築できないと確信している。これは、コロナ云々は関係ない。だから、いかに政府が「新しい生活様式」を提唱しようが、これまでのやり方を変えることは、決して無い。
そして、自分が信じるやり方で商いが行き詰まったとしたら、躊躇なく辞める。その覚悟は出来ている。だが、私の店に来て下さる方、そして仕事を依頼して下さる全てのお客様は、「リアルな商い」こそが、呉服屋のあるべき姿と理解して下さっている。
このお客様がおられることが、仕事を続ける最大の動機付け。そして今回のコロナ禍で、しばらく仕事が減ったとしても、何とか頑張れる力の源にもなっている。バイク呉服屋の商い、その全ては、そうしたお客様に支えられて成り立っている。だから今は、感謝の他無い。
このところ様々な所から、今回のコロナ禍で大きく影響を受けている呉服業界・特に小売屋の話を聞き及ぶ。例えば、ほとんどの店で売り上げを作っていた展示会が、「新しい生活様式」のために開催出来なくなり、苦慮しているとか、この先どうなるかわからない「成人式」、これを始めとしてフォーマル需要の不透明さが、多く店の先行きに影を落としているなど、ネガティブな話題には、事欠かない。
けれども、私によそさまのことを気にする余裕はなく、また何の関わりもない。だから、何がどうなろうと、どうでもよいことだ。自分は、自分らしく仕事を続けるだけ。これまで同様、自分のポリシーに従い、真摯にお客様と向き合いながら、丁寧な「スローワーク」を心がけていく。この禍を期して、なお、そこにはこだわって行きたい。
今日のテーマは、「新しい生活様式で、呉服屋の商いはどうなるか」だったが、バイク呉服屋の結論は、「何も変わらない」。こう考えると、今日のタイトルの意味は、ほとんど無きに等しかった。
武者小路実篤が「愛と死」を発表した1939(昭和14)年は、日中戦争が始まっていて、若い人たちの間では、戦争による理不尽な死が、すでに身近なことと受け止められていました。実際実篤が、この小説を執筆した動機は、「愛する者同士が戦争で引き裂かれる現実に触発された」と言われています。
幸福の絶頂から、不幸のどん底へ。これほど、「暗転」という言葉が似つかわしい小説は無いですね。読んでいる者には、ビルの屋上から地上へとたたきつけらるような、そんな衝撃を覚えます。尊いのは、突然一番大切な人を失っても、なお生きようとする、主人公の「人としての強い意思」ではないでしょうか。
手紙を通して、懸命に愛を交換し合う二人。「忘れていた、純粋に人を愛する気持ち」を思い出すにも、またとない作品と思います。もしよろしければ、ぜひご一読下さい。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。