数日前に甲府駅近くの踏切で、新宿行特急・あずさの通過を待った。この踏切は、駅のホームから50メートルとは離れていないために、電車のスピードが上がっておらず、外からでも車内の様子が見渡せる。バイクに乗ったまま、何気なく乗車している人の数を数えてみると、一両につき一人か二人、中には誰も乗っていない車両もある。12両もの長い編成のあずさ号に、僅か15人足らずしか乗っていない。
このガラガラに空いた列車を見たのが、平日の午前10時頃だが、普段この時間の東京方面への特急なら、大勢のビジネス客が乗っているはずだ。あずさは、山梨県内だけではなく、長野の松本や伊那方面から上京する人にとっても欠かせない路線であり、これほど人が乗っていないことなど、いつもならあり得ない。
先週、政府から非常事態宣言が出されて、首都圏と地方の往来は、出来る限り自粛するよう求められた。多くの人はこれに従い、不急な私用はもちろん、仕事での出張も余程でなければ、避けるようになった。
地方の者にとって、新型コロナが蔓延している首都圏へ行くことは、やはり躊躇される。それは、自分が「ウイルスの運び屋」となりかねないからである。また一方で、都会から人が来ることも恐れる。症状の出ていない人が、感染していると知らずに来て、ウイルスを落としていく可能性があるからだ。昨日には、全都道府県に緊急事態が宣言されたが、中でも「特定非常事態」と認定された13都道府県へ行くことは、特に注意を払わなければならない。
これほど東京と地方の往来が制限されるのは、もしかすると江戸時代以来かも知れない。その昔は、江戸と地方を結ぶ街道には関所が設けられ、人々の出入りが厳しく管理された。江戸の関所は、「入鉄砲と出女」を警戒するために作った関門。幕府に謀反を起こす道具=鉄砲の流入と、人質として取っている地方諸大名の奥方=女の流出を防ぐことが大目的だった。つまりは、治安維持のために必要な施設だったのである。
先ごろのニュースで、山形県では県境に「コロナ検問所」を設け、他県からの来県者には検温をする方針と聞いたが、まさにこれは「令和の関所」で「入りコロナ」を防ぐ対策。けれども、山形は置賜、村山、酒田と地域が分かれているように県の範囲が広くて、県境も多い。この現代の関所が、どこまで機能するかは少し疑問である。
今バイク呉服屋でも、首都圏のお客さまには、しばらく来て頂けないし、私の方からも伺うことは出来ない。3月以降に、来店を予定されていた方も何人かいらしたが、すべて延期になっている。そして、東京や京都の取引先へ出掛けることも控えているので、仕入れがストップしている。
そんな中で、家にいる時間が増えたことで、箪笥整理をする時間を作り、そこで、自分の持っているキモノを見直しているという方がおられる。そんな方々が、「この際に、キモノの手入れをお願いします」と、宅急便で沢山の手直し品を送ってくる。旧知のお客様とならば、染み抜きや洗張り、裏地替えや仕立替えくらいの依頼は、メールだけで内容をやり取り出来る。お会しなくても、仕事を受けることが出来るのだ。
新しい品物を誂えて頂くことは、とても難しい現状なので、こうした依頼を多く受けることは、本当にありがたい。私ももちろんだが、実際に手を入れる職人にとっては、生活の糧であり、何よりの助けとなる。
前回の稿からは少し時間が過ぎてしまったが、ただでさえ厳しい加工職人の現状について、また話を進めることにしよう。今日は、染み抜きや色ハキをする「補正職人」の仕事から、あるべき呉服屋の姿を考えてみたい。
色ヤケのため、色ハキが必要になった品物を検品する 補正職人・ぬりやさん
ウイルスの拡散を防止するためには、密閉された場所で人が密集し、さらにそこで、密接に関わることを避けなければならない。いわゆる「三密」の回避である。「人を避ける」となると、セルフで品物を籠に入れ、レジで精算すれば良いスーパーやコンビニはまだ良いが、お客様と話をやり取りしなければ、仕事を受けられない商売には、致命的な制約となる。
呉服屋の仕事は、品物を売るにせよ、直しモノを預かるにせよ、お客様との会話なければ何も始まらない。しかも、扱っている品物のほとんどは、「不要不急」に当たるだろう。このように考えてみると、とりあえず今は、店を開ける必要性が薄い。
けれども各々の呉服屋には、その店の仕事を請け負う加工職人が付いている。和裁士を始めとして、紋章上絵師、しみぬき補正職人、洗張り職人等々。職人達は、店で扱う仕事が無ければ、自然に仕事がなくなり、当然収入が無くなる。立場を今の職業区分で考えると、ある種の「フリーランス」に当たるだろう。
職人は呉服屋の社員ではないが、かと言って、店側が放っておくことなど出来ない。出来る限り、常に仕事が行くように配慮しなければならず、そうでないと、いざという時に、無理を聞いてもらえない。急ぎの仕事などを依頼して、快く引き受けてもらえるのは、普段からの信頼関係があればこそ、である。だから店と職人は、ある意味「運命共同体」であり、今のような苦しい状況でも、店は何とか仕事を見つけて、職人の手を空けないよう努力しなければならない。だから、こういう時に依頼をして下さるお客様には、感謝の他は無い。
刷毛で色を刷くぬりやのおやじさん。補正の仕事は、長年の経験がものを言う。
補正職人の仕事とは何か。この職人の存在は、多くの消費者に知られていない。シミや汚れを落とす仕事なので、クリーニング店の仕事と同一視されがちだが、実際はかなり違う。よく、クリーニング店の店先には、「キモノのしみぬき致します」という幟が掛けてあるが、クリーニング屋のしみぬきと、補正職人のしみぬきでは、持っている技術の違いから、手法がかなり異なる。
では、何がどのように違うのか。それは、端的に言えば、和装に特化した手直しに対する知識の違いということになるのだろう。
色ハキと地直しには欠かせない道具・刷毛。仕事台も年季が入っている。
ヤケ直しや地直し、黄変直しの時に使う道具・筆。使う色ごとに分けている。
以前、補正職人の技術は、国が資格として認定している特別なものであることを、お話した。染色補正士とは、キモノに付いた汚れが原因となって表れる生地の不具合、色抜けや黄変色、色ヤケなどを修復する職人を指すが、国(当時の通産省)として、この仕事を染色補正業と名付けたのは、1967(昭和42)年のことだった。そして5年後の昭和47年、資格を認定する試験が始まったのである。
この資格試験の内容を見ていくと、染色補正士とはどのような技術を有する職人なのか、よく判ると思う。そこで、具体的にどのような試験が課されているのか、少しお話することにしよう。
染色補正士の資格技能には、1級と2級の区分けがあり、試験の難易度が異なる。高い技術を要求されるのは、無論1級だ。検定試験は、二年に一回実施され、実技と筆記に分かれているが、試験にはどんな課題が出されているのだろうか。昨年の内容を、例に挙げてみる。
1級検定の実技課題は、三つ。まず最初の課題は、生地に入っている「丸に木瓜紋」の丸を消すこと。これは紋消し技術の確かさを測る試験。次に、生地の左右に2センチの段が付いた暈しを、正しく直す課題。これは、段違いの暈しをきちんと合わすことが出来るかが、試されている。最後は、予め二通りの汚れが付いた小紋生地を、元の地色に修復する。これは、変色をどのような作業で直し、元の小紋に戻すのかが課題である。制限時間は、5時間。実技の合格ラインは、60点。
では、筆記試験にはどんな問題が出されているのか。2、3挙げてみたい。解答は正誤形式と、正解を探す選択式に分かれている。正誤問題では、幾つかの染料を配合して染色すると、単独染料より彩度が高くなるか否か、天然繊維は合成繊維より静電気を起こしやすいか否か、マンセルの表色系は、色を数値化して表しているか否か、などが出題されている。染料の特質、繊維の特徴、表色系の知識など、染色だけでなく、生地や色の知識を幅広く問うている。なお、筆記の合格点は65点。
実技と筆記、二つの試験内容から判ることは、まず基本として、キモノの基礎的なこと、例えば生地の質とか、各種の染技法などを理解してないと、とても解けないということだ。そして、補正の技術は、しみぬきや汚れ落としを基礎とし、そこからもっと難しい地色の修復や、模様の修復に発展していくということ。つまりここが、補正職人が持つ力である。
この力の裏付けがあると分かっているからこそ、品物を預かった呉服屋は安心して仕事を任せられるのだ。先述した、クリーニング店との違いは、キモノに関わる幅広い知識に裏付けられた技術の差。例えば、クリーニング屋の店主で、紋を正しく消すことが出来る人は、そうはいないだろう。つまりは、「和服に特化した直しの技術の有無」が、染色補正業とクリーニング業を分けている。
色ハキは、補正職人の本当の腕が試される仕事だと、ぬりやさんは言う。
けれども残念なことに、高い技術を有するこの染色補正士のことは、あまり知られていない。現在多くの消費者は、シミが付いたとなると、クリーニング屋へ品物を持ち込んでいる。無論、クリーニング店の仕事で十分にきれいになる汚れもあるが、補正士の技術でなければ、修復できないこともままある。
では何故、この職人の知名度が低いのか。その原因を端的に言えば、呉服屋の「手直し」に対する意識の低さからと言えるだろう。本来なら消費者は、購入した店に手直しを依頼するのが、自然である。しかし、売り捌いた店が、直しに目を向けていなければ、消費者へ品物の扱いについて伝える機会は少なくなり、いざ「しみぬき」を依頼する時に、消費者は近くのクリーニング店で済ませてしまう。
また仮に、手直しをある程度重視する店であっても、補正士の技術を認識していなければ、各種洗浄機等の機械で直しを済ませてしまう業者に品物を委託して、仕事を済ませてしまうだろう。これでは、呉服屋として本当に手を尽くしたことにはならず、難しい手直しには対応できまい。
だが現状では、染色補正士の仕事を理解する呉服屋は、かなり少なくなっている。これは、呉服屋を営む者、あるいはその後継者が、職人の仕事を理解すること=呉服屋としての基礎知識を、きちんと学習せずにいることの裏返しである。そして、もしこれが、仕事の効率や利益を優先する時の口実となっているのなら、絶望的である。何故ならば、一度職人の仕事をないがしろにすれば、元に戻ることはほとんどないからだ。
私は、呉服屋としてのあるべき姿が、全て昔の通りで良いとは思わない。けれども、モノを直す、あるいはモノを作る職人の仕事を理解することは、やはり商いをする者として最低の条件かと思う。そうした上に立って初めて、伝統衣装としての、キモノや帯を扱うことが出来るのではないか。これを疎かにすることは、土台の揺らぐ土地の上に、家を建てるようなものであろう。
現在、「東京都染色補正しみぬき組合」の組合員は47名。ぬりやさんは組合の重鎮の一人だ。組合加盟の補正士の中には、親子が7組。数は少ないが、この道で生きていこうと技術を受け継ぐ人がいる。果たしてこの細い糸が、何処まで技術を繋いでいけるのか。それは、これから商いをする呉服屋が、職人の仕事をどれだけ重視するかに、全てが懸かっていると言えよう。そして出会うお客さまに、職人の仕事をどれだけ伝えられるか、それがとても大切になる。
職人をリスペクト出来ないようなら、この仕事には関わるべきではないと、私は思う。
私は毎年、正月が明けると、ぬりやさんの仕事場へお邪魔していますが、元気な姿を見るとホッとします。おやじさんも、「仕事をしている方が、調子がいい」と言いますし、傍らにいる奥さんも、「まだまだ頑張ってもらいますので」と言ってくれます。
呉服屋の仕事は、卓越した技術を持つ何人もの職人が、支えてくれています。未曾有のウイルス感染で、先を見通すことが極めて難しい現状ですが、こんな時こそ、職人と手を携えて、頑張りたいと思っています。
なお、東京都染色補正しみぬき組合のHPアドレスは、hoseikumiai.jp です。ここには、所属する組合員の名前が掲載されており、店名の明記もあります。中には、クリーニング店主で加盟している人がいますが、染色補正の資格を持つクリーニング店というのは、「汚れを落とすこと」にかけては、かなりレベルが高い店ではないでしょうか。
加盟している職人さんは、東京や神奈川、埼玉に多いですが、青森や山形、栃木にもいます。もし、皆様が直しでお困りの時には、お近くの補正組合員に相談されると良いと思います。ぜひ、HPを参考にご覧になって下さい。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。