新年も二週間が過ぎて、すっかり正月気分が抜けた。最近こそ、コンビニの元日営業の是非などが取り沙汰されているものの、年末年始を問わずに、仕事を続ける店もまだ多い。昭和の頃だと、正月の三が日くらいは家で過ごすという人が多かったが、今や世間の正月気分は元日だけで、二日以降はただの休みに過ぎないようにも思える。
今日は14日なので、「小正月」にあたる。小正月は、14日から16日までの三日間。元日から7日までは、年神様を迎える大正月だが、小正月は、家族の無病息災や作物の豊作を祈願する行事が連なる。紅白の餅や団子を木に刺して家の入口に飾る餅花は、一年の五穀豊穣を祈願する飾り。また、門松やしめ縄などの正月飾りを燃やす「どんと焼き」も、この時期に行われる。
私が子供の頃には、まだ地域ごとに「どんと焼き」が行われていて、家の飾りを近くの小学校の校庭に持ち寄って燃やしていた。そして火の中に餅を入れて焼き、皆で食べる。また飾り物の他に、書初めで書いた半紙も燃やす。どんと焼きで習字を燃やすと、字が上達するはずだが、元々「象形文字」のようなバイク呉服屋の字は、火にくべたところでどうにもならず、少しも上手くはならなかった。
こうした小正月の行事は、もうすっかり影を潜めている。そして、正月遊びをする子どもの姿をまったく見かけない。凧揚げ、羽根つき、福笑い、双六、カルタとり、駒廻し・・・。これがどのような遊びなのか、全く知らない子どもも多いだろう。今や遊びとして熱中するのは、部屋の中に一人籠って画面と対峙するスマホのオンラインゲームばかりとは、何とも情緒の無い時代になったものだ。
伝統的な正月遊びは、平安や鎌倉期に遡るものが多く、特に囲碁と双六は正倉院の収納品として、それぞれ「木画紫檀碁局」「木画紫檀双六局」があるように、すでに天平期には遊びとして確立されていた。そしてこの遊びの道具は、器物文として、今もキモノや帯の中に姿を見せる。
そこで今日は、そんな遊びの道具として、最も優雅で貴族的な文様をご紹介してみたい。年の初めの稿に相応しい文様の優美さを、ぜひ皆様にも感じ取って頂こう。
四季の花々と宝尽し文を描いた貝合わせ文様。
平安貴族の優美な遊びとなれば、まず「歌を詠んで琴を奏でる」詩歌管弦が思い浮かぶが、これは遊びというよりも、貴人としてどうしても持たなければならない必須な教養という側面が強い。そこで、単純に「遊び」として楽しまれていたものとなると、外遊びなら、蹴鞠や独楽、石投(いしなご・石を使ったお手玉)があり、部屋遊びでは、碁や双六の他に、物合わせや偏継(へんつぎ・漢字の偏やつくりを隠して字を当てるゲーム)、州浜(すはま・海辺の風景を箱庭で再現する)などが挙げられる。
「物合わせ」とは、二組に分かれて物の優劣を競う遊びだが、歌を詠みあってその出来を競う「歌合わせ」を始めとして、お香を使う「香合わせ」や絵を使う「絵合わせ」があり、合わせには様々なものが使われたが、「貝合わせ」もその一つである。
平安時代の貝合わせは、集めた貝を持ち寄って出し合い、貝の珍しさや美しさを競う単純な遊びだった。そしてこの貝合わせは、同時に、貝を使って箱庭を作る州浜遊びと、歌合せが複合されていた。勝負は、貝の珍しさや州浜の出来栄え、詠んだ和歌の趣などを総合して判断された。
和歌の出来を競う「歌合わせ」を記録した書物・類聚歌合(るいじゅううたあわせ)には、1056(天喜4)年までに催された会の記録・十巻歌合と、それ以後の1127(大治2)年までの記録・二十巻歌合があるが、貝合わせの記載は、1040(長久元)年の斎王貝合日記に、初めて見ることが出来る。
貝遊びは、平安後期になると、蛤を使った「貝覆い(かいおおい)」に変化する。遊び方は、まず蛤の貝殻を蓋(地貝)と身(出貝)に分け、地貝は三重の円に並べる。そこで出貝を一つずつ取り出し、置いた地貝の中から合うものを選ぶ。使う貝の数は360個で、数多くピタリと合う貝を取った方が勝ちとなる。これは、いわばトランプ遊びの「神経衰弱」のようなものである。
貝覆いに使う蛤は、この時代にはまだ何の細工もされず、貝表面に出ている模様を比べて「合わせ」をしていたが、鎌倉期以降になると、二つに分けた貝の内側に同じ絵を描き、これを選び取るように変わっていく。特に江戸期になると、装飾はより豪華になり、金箔を使って源氏物語の一場面を描くような優美なものも作られた。
現在、キモノや帯の意匠として文様化しているのは、近世の「貝覆い」で使われていた優美な貝の姿である。前述したように、「貝合わせ」と「貝覆い」は遊び方が全く違い、本来ならば、この文様は「貝合わせ」ではなく「貝覆い」と呼ぶのが正しいように思うのだが、いつしかこの文様は「貝合わせ」となった。
では、貝合わせ文様はどのような姿で描かれているのか。具体的に品物で見ていこう。
(卵色ちりめん地 貝合わせ文様 染帯・トキワ商事)
二枚貝である蛤は、各々の蓋と身がピタリと一致する。そのことから、男女の結びつきを象徴するものとも考えられ、「めでたい文様」としても位置づけられてきた。江戸時代には、夫婦の契りを表すものとなり、特に大名家の婚礼では、まず最初に貝を入れた貝桶を嫁ぎ先に運び込んだ。この習慣は今なお残り、婚礼の席で新郎新婦が一対の蛤を合わせる「貝合わせの儀」を執り行うことがある。
こうしたことから、貝合わせ文様は、入れ物として使う貝桶文様とともに、フォーマルモノのモチーフとして使うことが多く、振袖や黒留袖にその姿が数多く見える。
梅・桜・笹・葵・楓 四季の花々を描いた蛤。
打出の小槌・丁子・分銅・宝巻・宝袋・七宝 宝尽し文を描いた蛤。
貝合わせ文の中に描く図案の多くは、四季の花々を散りばめたものだが、宝尽文や松竹梅文などの吉祥文や、源氏車文や雅楽器文の器物文を取り込むこともあり、どれも優美な貝の姿として描かれている。
帯の前姿。貝合わせのように、花を施した一対の貝を描いている。地色がかなりビビッドな黄色・卵色で、しかも貝だけを大きく描いたものとなれば、かなりインパクトのある帯姿となるだろう。挿し色も地色に負けない鮮やかな配色を施し、貝の姿を印象付けている。
この帯は昨年暮れに仕入れたものだが、二週間も経たないうちに売れてしまった。やはり、この帯の強い個性が、思わずお客様を引き入れたということになるのだろう。
(紫紺色地紋綸子 貝合わせ文様 京型友禅振袖・菱一)
これは数年前に扱った振袖だが、生地いっぱいに折々の花を付けた貝だけを描いた、まさに「貝合わせそのものの振袖」である。地色は、深い紫色だが、一枚一枚の貝の鮮やかさが見る者を惹きつける。
一つのモチーフだけで、これだけのあでやかさを演出するとは、「貝合わせ文恐るべし」である。優美さと華やかさを兼ね備えたこの振袖は、王朝雅な雰囲気を醸し出す個性的な品物と言えよう。
楕円形の蛤がひしめき合う意匠。あしらわれている花それぞれには、様々な友禅の施しがあり、決して単調にはなっていない。
上から、桜・杜若と沢潟・菊・楓。表現している貝の数は、五十ほど。画像でご紹介した四つの他に、梅・椿・牡丹・藤・蔦・橘・葡萄・女郎花・松・竹・笹など。キモノの意匠として使う花の全てを、網羅していると言っても良いだろう。そして、一つとして同じ姿は無く、押し箔や切り箔、金砂子など箔の技や、駒縫や縫い切りなどの刺繍の技を駆使し、図案を多様に表現している。
季節に彩られた貝が所狭しと並ぶこの振袖は、見る者に強い印象を残す。それはやはり、あしらわれた仕事の精緻さが、はっきりと模様に映し出されているからであろう。残念ながら、こうした単純で美しい個性的な古典図案の振袖は、あまり見かけなくなっている。
(黒ちりめん地 貝合わせ・貝寄せ文様 京紅型小紋)
このキモノは、三日ほど前に、手直しのためにお客様から預かった小紋だが、今回の稿にふさわしい貝合わせ模様だったので、ここで使わせて頂くことにした。
装飾を施した蛤と、数種類の貝を合わせた「貝尽くし文」。花びらを散らした花散らし文はあるが、こうした貝散らし模様は珍しい。黒地に明るく彩られた貝が鮮やかで、若々しく可愛い小紋になっている。
ここでも、貝合わせ文の主役・蛤には、小花を描いている。小さな貝殻は、巻貝やサザエ、帆立貝など。貝は様々な形を持ち、種類も豊富なことから、キモノのモチーフに古くから使っており、特に江戸期には貝の姿をアレンジした小袖が数多く作られていた。
紅型特有の鮮やかな色調が、様々な貝の姿を引き立てる。ユニークなモチーフが型染めを使うことで、なお際立っている。これも個性的な品物と言えよう。
貝合わせに使う貝を納めた貝桶。江戸期には、嫁入り調度品として重要視され、嫁ぎ先へ着いた時には、貝桶を引き渡す「貝桶渡し」の儀式が執り行われた。貝桶は、その多くが六角形で、表面には蒔絵が施され、華麗な姿になっていた。
その美しさから、貝合わせと同様に文様化し、今も多くの品物にあしらわれている。上の画像は色留袖に使った貝桶だが、やはり貝合わせと同じく、花や有職文を装着させて美しく描かれている。現在キモノや帯のモチーフとしては、貝合わせよりも貝桶を使う方が多いように思う。この貝桶文については、また別の機会に品物をご紹介しながらお話することにしよう。
今日は、年の初めでもあることから、縁起の良い遊びの道具・貝合わせ文様を取り上げてみた。これまでもブログの中では、様々な文様について話を進めてきたが、まだまだ語り尽くせない。時代ごと、季節ごと、場面ごとに生み出されてきた文様は、とても奥が深く、一筋縄ではいかない。
キモノや帯で表現されるそれぞれの文様は、和装の根幹を為す。私も、皆様により関心を持って読んで頂けるように、深く文様の知識を身に付けて、お話出来るようにしたいと思っている。
正月を始めとして、伝統的な年中行事は、どんどん形骸化していくようです。それと時を同じくして、和装も形骸化の道を辿りつつあり、このままでは、日本人特有の感性・美意識までもが、失われてしまうような危惧を覚えます。
和装とは、和を装うこと。すなわちそれは、四季のある日本の風土で生まれた自然のうつろいや、日々の営みの中で感じ取られた文物をデザインとした、「文様」を装うこと。文様に日本の文化が包括されているからこそ、和=日本の装いと認識されるのでしょう。
どんな色、どんな文様で、自分らしい着姿を作るか。和装を文化として嗜む皆様の一助となるよう、今年もブログを書き進めたいと思います。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。