野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。立蔀・透垣などの乱れたるに、前栽どもいと心苦しげなり。(枕草子・第200段)
この「野分のまたの日こそ」は、枕草子の中でも有名な段の一つであり、中学・高校の古典教科書の中でもよく取り上げられている。試験になると、「野分」とは何を指すのかと出題されるが、もちろん台風のことだ。
著者の清少納言は、台風が過ぎ去った翌日の様子を、「いみじうあはれにをかしけれ」と書いているが、これは「大変趣深く、味わいがある」という意味である。そして野分の残した爪あとを、次のように続けて記している。
大きなる木どもも倒れ、枝など吹き折られたるが、萩・女郎花などのうへによころばひ伏せたる、いと思はずなり。格子の壺などに、木の葉をことさらにしたらむやうに、こまごまと吹き入れたるこそ、荒かりつる風のしはざとは覚えね。
大まかに訳すと、設えた垣根は乱れ、庭の植え込みも痛々しい姿になっている。大きい木が倒れて、枝も風に吹き折られているが、それが萩や女郎花などの上に横たわっているさまは、思いもかけないことである。そして格子の目に、木の葉がわざとらしく細かく吹き入れられているのは、荒い風の仕業とは思えない。
確かにこの、秋草の上に散らばっている枝や、風に吹き飛ばされた葉が格子に挟まっている姿などは、台風の翌日でしか見ることは無い。こんな非日常の様子を、清少納言は「をかし=趣深い」と捉えたのであるが、現代に生きる我々からすれば、こんな悠長な平安びとの心持を、到底理解することはできない。
先日首都圏に襲来した15号台風は、千葉県を中心に甚大な被害をもたらした。特に、台風の進行方向の右側に当たった地域では、風速50m以上の猛烈な風が吹き、送電線を敷設した鉄塔や電柱をなぎ倒してしまった。その結果、広範囲に停電や断水が発生し、今も復旧していない地域が数多くある。
台風がどこを通過するか、ほんの僅かなズレで、被害を受ける地域が大きく変わる。今回災害を受けた方々は、本当にお気の毒で、不運としか言いようが無い。一日も早く元の生活に戻れるようにと、ただ祈るばかりだが、ここ数年続いている激しい気象変動は、一過性のものではないだろう。こうしたライフラインが止まる災害は、日本中どこでも起こり得ることであり、平時の備えを決して怠ってはならないと思う。
立春から210日、あるいは220日が経った今頃は、最も台風が襲来する時期に当たる。そして、台風が去るたびに空気が入れ替わり、次第に秋に近づいていく。
今は、そんな季節の狭間にあたるが、先日あるお客様から、秋をモチーフにした上質な訪問着をお預かりした。色・図案ともに見事に季節を表現し、それを精緻な技で描ききっている。今日は、この素晴しい友禅の仕事を、ご覧頂くことにしよう。
葡萄・芥子染分け 秋草に吹寄せ文様・手描き京友禅訪問着 甲斐市 A様所有
訪問着と付下げは、どちらもフォーマルモノとして使う品物であり、着装の場面はほぼ同じであるが、一般的に、訪問着は模様に嵩があり、キモノ全体を一つの図案として描くことが多い。一方付下げは、図案に繋がりがなく、あっさりとしている。
以前にもお話したが、訪問着と付下げの違いは、そもそも製作する過程が異なるからである。訪問着は、まず白生地を裁断して、キモノの形に仮縫いした上で、下絵を描き始める。このようにキモノの形にすることを、「絵羽付け(えばづけ)」と言うが、予めキモノの形にしてあるからこそ、全体を一枚のキャンバスに見立てて、図案を考えることが出来る。だから、模様に広がりと繋がりが生まれ、華やかな意匠が生まれる。
一方付下げは、絵羽付けにせず、反物のまま仕事が進められる。もちろん図案は、予め身頃や衽、袖、衿にどのように模様を配置するか、設計した上で仕事に掛かる。だが訪問着とは異なり、反物の状態で製作するために、模様の嵩は少なく、あっさりとした意匠になりやすい。付下げには、衿から胸、袖へと模様が繋がる品物が少なく、中には衿に模様の無いものもある。おとなしい意匠が多いのは、そんな理由からだ。
自由な発想でデザインすることが出来る訪問着だが、その模様配置はほぼ決まっていて、凡そ定型化していると言っても良いだろう。そして地の色は一色だけか、せいぜい裾にぼかしや同色の濃淡を使うくらいで、色の配置や模様を切り取ったり、染め分けて組み合わせるような品物は少ない。
だが、鎌倉期の直垂や桃山期の衣装には、キモノを左右を半身ずつに分けて、異なった模様の生地を使って誂えた品物が見られる。これを「片身替り(かたみがわり)」と呼ぶが、江戸期の小袖には、この片身替りを思わせる意匠が少なくない。
特に新たな技法・友禅染が始まった元禄期以降は、模様のあしらいに自由度が増したことから、地色を染め分けたり、切り取ったりする斬新な意匠が数多く考案された。上前と下前とですみ分けて、全く違う色と図案をあしらう「片身替り」はもちろん、中には、キモノ全体を真半分にすみ分け、上半身と下半身とで、全く違う図案を表現することもあった。
今日御紹介する訪問着は、キモノを鋭角な三角形で切り分け、それぞれに異なる地色と文様を施している。見る者には、強烈な印象を残す大胆で斬新な品物であるが、そのあしらいを見ると、手を尽くした友禅の真髄とも言うべき、精緻な仕事がなされている。では、どのような品物なのか、じっくり見ていくことにしよう。
このキモノの大きな特徴は、何と言っても、全体を不規則に四分割して切り取った姿にある。切り取り方は鋭角な二等辺三角形だが、均等ではなく、片身替りや、上下で分けるような、すっきりとした形にはなっていない。
そして切り分けた四つを、二つの色に分けた上、その図案のモチーフもすみ分けている。地色として使っている色は、葡萄色と芥子色。葡萄色は、その名前の通りに「秋」を想起させる色だが、平安王朝の時代から、高貴な人達に愛された色でもある。
枕草子の83段・「めでたきもの(素晴しいもの)」の中には、「葡萄染の織物。すべてなにもなにも、紫なるものはめでたしこそあれ。花も糸も紙も。」という記述があるが、古来より高貴な色とされていた紫が、いかに尊ばれていたのかが判る。蛇足だが、この葡萄を思わせる紫染めを、葡萄染(えびぞめ)と呼ぶが、この色の材料は葡萄ではなく、紫草に酢と灰を使って色を出したもの。もう一方の芥子色も、色づく葉を思い起こすことから、やはり秋のイメージカラーと言えよう。
着姿から目立つ上前の衽と身頃の一部は、芥子色。上前身頃から後身頃には、逆三角形に葡萄色が入り、続いてまた芥子色となる。目立たない下前身頃と衽は、葡萄色。
このキモノの前姿を作ってみた。剣先のやや上から衽と前身頃の裾に向かって、三角形に芥子色・秋草模様が付いている。面白いのは両袖で、長方形の左右の袖はほぼ真半分に分割され、二つの色を対比させた三角形になっている。また胸と衿は、葡萄色。
この図案構成を見る限りでは、芥子色が主役で、葡萄色が脇役になっている。従って、芥子色にあしらわれた図案・秋草模様が、このキモノのモチーフと考えられよう。
後身頃の芥子色・秋草模様。萩・桔梗・撫子・女郎花・葛・尾花(薄)・藤袴の秋の七草が、オールスターキャストで描かれている。また、菊と芙蓉も賛助出演している。
秋草は、万葉集に収められた山上憶良の歌・「萩の花、尾花葛花なでしこの花、をみなへしまた、あさがおの花 (巻8・1537)」を発祥としていることはよく知られているが、キモノや帯の意匠の中で使う場合は、この花の中からいくつかをピックアップして、寄り添うようにあしらわれることが多い。もちろん、本来は秋を表現するものだが、秋草を構成する花々は、季節を先取りして、夏薄モノや浴衣の図案にも良く使う。
上前から後身頃にかけて付いている秋草模様。撫子・藤袴・萩・桔梗の姿が見える。では、どのようなあしらいを施しているか、花ごとに見てみよう。
遠目から見ればさりげない撫子の小花でも、近接してみると、そこには手を尽くした刺繍のあしらいが見える。白と紅藤色の花弁は、双方共に模様を立体的に表現する技法・刺し繍を使っている。しかも、一色だけではなく、金糸を併用することで、模様に陰影が付いている。全体から見れば、ほとんど気に留めることもない小さな花にも、これだけ丁寧な仕事を施している。
上が女郎花で、下が藤袴。女郎花の中に付いている金の点は、判り難いが繍である。この技法は、点を表すときに使う・変わり格子繍で、このように図案そのものを表すというよりも、模様を表現する中で補助的に使うことが多い。
藤袴を見ると、こちらも、水色や藤紫、臙脂色の刺繍でハート型の小花を表現している。そして花の先には、二本のヒゲのようなものが見える。これがこの花の特徴でもあるが、そんなごく小さなところにさえ、銀糸で繍を入れている。これは、線を表す時に使うまつい繍だが、よくぞここまで丁寧な施しをしたと、ついぞ感心してしまう。
品物を見る時、模様の細部にどれだけ手を掛けているかで、その質が理解出来る。この訪問着のように、微に入り細にわたってこれだけ技を駆使したものは、なかなかお目にかからない。
芙蓉と菊の花。秋の七草には入っていないが、どちらも秋に咲く。ここにも、細やかな刺繍の表現が見える。ベージュ色の芙蓉は、輪郭が駒繍で花芯はまつい繍。紫色の菊は、花弁と花芯に縫い切りを使っている。また、刺繍を使わない花にも、部分的に繍を入れているので平板にはなっていない。
そして、図案の基礎となる輪郭・糸目は、葉の形や葉脈を見ると、どれ一つとして同じではないばかりか、自然な揺らぎやブレも見て取れ、これが人の手による仕事だとはっきり理解出来る。
上前身頃から後にかけて、葡萄色・逆三角形の切り込みがあるが、模様は吹寄せ。これは、様々な落ち葉が地面に吹き集められた姿を、文様化したもの。吹寄せを構成するものは、楓・銀杏・松葉などが一般的。風に飛ばされた葉は、否応なく秋の深まりを演出してくれる。
丁寧に色挿しされた楓と落葉。模様の中にある葉の色目は、やはりすべて違っている。一枚ごとに挿し色を工夫し、深みのある模様姿とする。ここに手描き・手挿し友禅の美しさがある。
松葉には、糸目だけで模様を表現した「白上げ」を使う。散り落ちた松葉が一本ずつ解けた姿を図案化しているが、吹寄せ文の中で使う松葉は、ほぼこのように彩色の無い白上げになっている。
色は、芥子と葡萄。模様は、秋草と吹寄せ。どれも、秋を演出するに相応しいものだが、キモノ全体を、こんな構図で表現しているものは、稀であろう。そして、この訪問着の本当の価値は、モチーフや図案の斬新さもさることながら、これを手を尽くした仕事で表現していることに尽きる。
画像と共に御紹介した技は、全体から見ればごく一部であり、実際には、これが全ての図案に手を抜くことなく施されている。まさに気の遠くなるような仕事と言えよう。
お客様の話では、この品物を求めたのは30年以上前というから、これは昭和の友禅になる。上質な仕事を施したものは、何年経とうが色褪せることはなく、それどころか輝きは増すばかりだ。この先、こうした手描き友禅をどれだけ作ることが出来るだろう。稿を書き上げて、そんな懐疑的な思いになった。最後に、もう一度品物を見て頂こう。
野分のまたの日こそ、いみじうあはれにあやしけり。JR・地下鉄などの乱れたるに、通勤者どもいと苦しげなり。大きなる木どもも倒れ、枝なども吹き折られたるが、線路などのうへによころばひ伏せたる、いと思はずなり。
及びもせぬ風のしはざにとまどい、そのつくろひにわずらふ、鉄道会社のものども。然りては、そのつくろひの遅さに、まどはされるものども。さらには、業を休めとは決して言はない、会社をいとなむものども。どれも、すさまじきものばかりなり。
けふも、終いまで読んで頂き、かたじけなし。