バイクでの仕事で一番恐ろしいのは、雨に遭遇すること。バイク呉服屋の体が濡れてしまうだけなら全く問題は無いが、もし品物を積んでいたとしたら大変である。濡れてしまったキモノや帯の修復は大変で、元に戻らないこともあり得る。大切な品物を「お釈迦」にしてしまったとなれば、それこそ店の信用は台無しになってしまう。
以前は気象の急変に遭遇し、あわてて屋根のあるところに駆け込んで、難を逃れることもよくあった。夏の間は、遠くで雷が鳴りだすだけで恐ろしく、そんな時はバイクのアクセルを全開にして、全力で帰路につかなければならなかった。
けれども最近は、雷を避けることが容易になった。ネットの「雨雲レーダー」や「発雷予測」を見て行動すれば、雨に遭遇することは無いのだ。得られる情報の確率は高く、信頼は出来る。良い時代になったものである。
では、雷除けに対して、全く情報が無かった江戸時代の人々は、何を頼りにしたのかと言えば、それは、何と「赤いとうもろこし」。江戸の文化年間、このもろこしを軒先に吊るした農家には、雷が落ちなかったので、それが転じて「雷除け」となった。
こんな赤い粒のもろこしは、今ほとんど出回っていないが、これは「もちとうもろこし(ワキシーコーン)」という名前の種で、古くから栽培されていたもの。粒の色は、雷除けに使った赤(赤紫)の他に、黒や白、黄色もある。通常のスイートコーンよりも粒のでんぷん質にもち性があるため、名前の通りモチモチした食感を持つらしい。
この霊験あらたかな「雷除け・赤もろこし」は、江戸の寺社縁日でも売られるようになり、特に浅草寺の功徳日・四万六千日にあたる7月の祭礼には、欠かせないものとなった。だが明治に入ってからは不作で、赤もろこしの屋台が出せなくなってしまう。そこで困った庶民達は、浅草寺にもろこしの代わりとなるお札を依頼する。こうして出来たものが、現在、7月のほおずき市開催の二日間だけに授けられる「雷除札」である。
一度のお参りで、四万六千回参拝したことになる「浅草寺・ほおずき市」と、色とりどりの朝顔の鉢が並ぶ「入谷・朝顔市」は、どちらも、東京に夏の訪れを告げる風物詩。そして、浴衣シーズンの到来を感じさせてくれるお祭りでもある。今日は、そんな江戸風情を感じながら着用して頂きたい、挿し色のある品物をご覧頂こう。
(グレー地綿紬・ほおずき 橙色ぼかし・麻四寸半巾帯)
今日はほおずき市に因んで、まずほおずき柄の浴衣から。ほおずき市と言えば浅草寺だが、実は、港区にある愛宕神社の千日参りの方が歴史は古い。千日参りとは、浅草寺の四万六千回には及ばないものの、一日で千回お参りしたことになる功徳日。この日に、社殿の前に設えた「茅の輪」をくぐってお参りすると、千回分のご利益が得られるとされる。
愛宕神社のほおずき縁日は、浅草寺の市より二週間ほど早く、今月の23、24日に開かれる。神社の境内で自生していたほおずきを、薬草として売り出したのが、江戸・明和年間(1764~72)というから、今から250年ほど前のことになる。ほおずきは、漢字で「酸漿」と書くが、この根の部分・酸漿根には解熱や咳止めの作用があるため、煎じて飲むと効果があった。
ほおずきは「酸漿」の他に、「鬼灯または鬼燈」とも書くが、これは色と形が提灯を連想させ、お盆で先祖が帰ってくる時に道を照らすものとして、仏壇や神棚に供えたことに由来している。7月の盆近くに開かれる愛宕神社や浅草寺のほおずき市には、そんな意味も含んでいる。
こうして画像で見ると、この浴衣のほおずきは、「燈明」のようなぼうっとしたほの灯りを連想させる。あしらわれた橙色ぼかしの色挿しは、鬼灯の名前にふさわしい。
生地は不規則な綿状の糸・ネップ糸を織り込んだ、綿紬。生地に自然に表れる独特の白い織りフシが、グレー地色を和らげている。実の橙色と葉の緑色は、ともにぼかしを効果的に使っていて、ほおずきの図案をやさしく描いている。
やはり帯の色は、ほおずきの橙を使いたくなる。グラデーションを付けた橙一色は、浴衣のほおずきに挿した橙ぼかしと同じイメージ。下手に帯に模様を付けない方が、すっきりとした着姿になるだろう。キモノに使っている挿し色の中で、一番印象的な色を帯地色として使うことは、最もポピュラーなコーディネートの手段。
(藍色綿紬・業平菱 檸檬色ぼかし・麻半巾帯)
男モノの浴衣図案は、役者模様のくるわ繋ぎや三枡、菊五郎格子など幾何学模様が主流だが、女モノにはあまり使わない。この綿紬も、業平菱を重ねた意匠で、挿し色が無ければ男モノとして位置付けられるだろう。
菱文ほど多様に表現される幾何学文は少なく、この図案のように、右斜めと左斜めの線を二重、三重に重ねて「襷掛け」にするものも多い。業平(なりひら)菱は、太い線の両脇に二本の細い線をつけた三本一組で構成し、これを連続させる中に、細い線一本であしらった菱を組み入れる。
業平菱の名前は、「平安の色男・在原業平」から採ったものだが、この模様を業平が好んで身にまとったということではない。それはおそらく、この図案が、優美な平安王朝的な文様という意味で用いられたと思う。これは、地紙を重ねた模様構成・道長取と同じ発想のネーミングである。
業平菱の中の一本菱は、ある一定の間隔で横一列に並んでいる。そして挿し色が、水色、橙、黄緑の三色。男っぽい図案でも、この柔らかい配色が入るだけで、途端に女性らしくなる。
幾何学文は、夏植物や器物を使った浴衣とは違うシルエットとなり、モダンな印象を与える。そして生地が藍地の綿紬だけに、浴衣というより夏キモノっぽくなるだろう。
模様が密なので、この浴衣も無地っぽい帯でシンプルにまとめる。先ほどの橙色半巾帯の色違いで、こちらにもグラデーションが付いている。この通常より2分ほど幅が広い竺仙の麻帯は、僅かなぼかしが帯色に柔らかさを与えるので、とても使い勝手が良い。だから、毎年のように4,5色は仕入れて店に置いている。
(ベージュ地綿紬・立湧に桐葉 白地唐草の丸・博多絽半巾帯)
相対する二本の線の真ん中が膨らみ、両端がすぼんだ形の線が横並びする図案が、立湧(たてわく)文様である。これは、平安期の公家が装飾に用いた独自の模様様式・有職文の一つ。立湧は、図案真ん中のふくらんだ空間の中に、様々なモチーフを入れ込んで多様に表現されるので、そのバリエーションは広い。
この浴衣の立湧に入っているのは、桐の葉。桐は、花札では12番目の花。そして「ピンからキリまで」の言葉があるように、一年を締めくくる冬の植物というイメージがある。だが本来の桐花は、丁度今の季節、5~6月に紫色の花を咲かせる初夏の花。
旬を考えれば、もっと浴衣のモチーフになっても良さそうなのだが、意外と少ない。これは、桐文が高貴な文様として位置付けられることから、浴衣には少し使い難いのかも知れない。
桐は花を描かず、葉だけが立湧に添うようにあしらわれている。このため、模様全体が縦に流れ、伸びやかな図案になっている。こうした図案は、着姿をすっと立たせる効果がある。
配色は、立湧が濃い目の紫で、桐葉には紫からピンクへと暈しが入る。綿紬のベージュ地色と、葉のピンクぼかしが相まって、この浴衣を優しい雰囲気に仕上げている。いかにも女性らしい柔らかな色使いと言えるだろうか。立湧に紫色を使っているのは、桐の花が紫色だからなのだろう。花は無くとも、色で桐をイメージさせる工夫が、この配色には見受けられる。
帯は、あまり色を主張しないものを選んでみた。モチーフの花は、何とは特定できない唐花を丸く描いた「唐花の丸」。模様の配色は、ほぼ薄いピンクだけなので、着姿で帯は目立たない。このように、キモノと帯の色合いを同系の濃淡でまとめると、一つの色合いを着姿全体で表現することになる。帯にインパクトを持たせるコーディネートとは違う、一つの方法である。
グレー・藍・ベージュと三色の綿紬地に、それぞれの図案を生かす配色を施した三点の浴衣。帯合わせも、浴衣配色の中の一つを選び、考えてみた。
前回の「江戸・トラッド」では、挿し色の無い浴衣に対して、どのように帯を合わせるかがテーマだったが、今日のような挿し色を持つ浴衣に対しては、その配色を尊重しながら帯選びをすると、スムーズにまとまるように思われる。
(コーマ白地・朝顔 薔薇色小花菱模様・博多風通紗半巾帯)
最後に、夏を代表する植物を使ってリアルに花色を描いた、いかにも浴衣らしい品物を二点ご覧頂き、しめくくりとしよう。
江戸中期から、庶民の間で観賞用の植物として人気を集めた朝顔。恐れ入谷鬼子母神近くの言問通りでは、毎年7月6日~8日にかけて、盛大に市が立つ。江戸安政・嘉永年間に始まったとされる朝顔市だが、戦前には中止されていたものが、戦後の1948(昭和23)年に復活し、今年で71回目を迎える。
浴衣の植物図案には、萩や撫子、桔梗など秋草系のものが多いが、朝顔は鉄線と並んで、盛夏を代表する植物。古くから人々に愛されてきた夏花だけに、浴衣図案としての歴史も長い。いわば、使い尽くされてきた、もっともスタンダードな浴衣のモチーフ。
朝顔の花色として最もポピュラーな藤紫色を挿し、葉や蔓は緑の濃淡で描く。どこから見てもリアルな朝顔だが、この意匠の単純さがかえって潔く、白い地にも映えて爽やかな着姿となる。
このように、植物そのままの姿を模様で表現する時には、地に色を付けない方が良いだろう。白地だからこそ、本来の姿がすっきりと浮かび上がる。そしてそこには、夏の清潔さも強く感じられる。
単純な浴衣だけに、帯合わせも単純に考えて、朝顔の花色を使ってみた。薄紫より少し強い薔薇色で、小さい菱が浮き上がる風通織。紗の透け感が、涼しげに映る。
露草は、ひっそりと咲く夏の野花の代表。前回、色挿しのない葉だけをモチーフとした綿絽の品物を紹介したが、この浴衣は、露草本来の姿をそのまま図案にした浴衣。
この花は、道端や庭の片隅に自生するので、夏の間はどこでも見ることが出来る。そして花は朝咲き、昼にはしぼむ。そんなつつましさやはかなさが、人の心を捉えて、歌にも数多く詠まれてきた。まさに、「日本人好み」の花と言えよう。
二弁の花びらが左右対称に並ぶ、露草の花。こうして図案にしてみると、より可愛らしく見える。花のコバルトブルー、蘂の黄色、葉の緑。夏花として色のバランスが絶妙で、見ているだけで爽やかになる。前の朝顔同様、白地であることで模様が生きる。
帯は、蘂の黄色を使う。織り出された小さな花菱の色が、露草の花色とリンクした水色なので、より合うように思える。こちらも、前の帯と同様に紗の風通織。
花の姿と色を見たそのままに描く。ありふれていると言えばそれまでだが、何の衒(てら)いもない素直な意匠は、浴衣本来が持つ涼やかさや爽快さを引き出してくれる。このような、浴衣の原点に戻るシンプルな着姿が、見直されても良い気がする。
二回にわたり、色を挿さない「江戸トラッド」と、挿し色を付けた「令和カラー」、それぞれ5点ずつ全部で10点の浴衣を御紹介してきたが、如何だっただろうか。
それぞれに特徴があり、合わせる帯を工夫することで、また着姿の印象が変わっていく。何を選ぶかは、着る方次第。江戸では、夏を告げる祭りもそろそろ始まる。皆様も、お気に入りの一枚で、ぜひお出掛け頂きたい。そして浴衣は、一番気軽な和の装い。キモノに慣れている方も、そうでない方も、一緒に楽しんで欲しいものだ。
やはり梅雨時は、バイク乗りにとって憂鬱な季節です。仕事には使わなくても、通勤する際には、合羽の着用を余儀なくされます。そこでバイクの製造元・ホンダには、スーパーカブ専用の、自由に取り外しが出来る「庇(ひさし)」を開発して頂きたいと思うのですが、無理な相談でしょうか。
そうでなければ、やはり荷台に「赤いとうもろこし」を括り付けて、雨除けを祈願する他に手段がありません。とは言っても、赤もろこしなどどこで売っているのかも判らないので、そこは浅草寺のお札で代用するしかないでしょう。
そのうち、竹串に挟んだ三角形のお守り札を、ナンバープレートの上に張り付けたバイクが、甲府の街中を疾走するはずです。もし見つけたら、ぜひ声を掛けて下さい。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。