バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

6月のコーディネート(前編)  竺仙の夏姿・江戸トラッド編

2019.06 09

東京23区内のマンション平均価格は、7千万円以上。うちの取引先が集中する中央区人形町や浜町界隈も、ここ数年のうちに新しいマンションが次々と建設されていて、町の姿は、問屋街から居住区へと姿を変えつつあるが、都心に近い中央区や港区の物件は、生活や通勤の利便性に優れているため、価格はとてつもなく高い。

出張の際に、思わず見上げる新築のマンション。いかにも高級そうなエントランスを設え、特別感を周囲に漂わせている。おそらく価格は「億」を超えているだろう。この物件を購入出来る方は、一体何を生業としているのだろうかと、思わず考えてしまう。地方で小さな呉服屋を営んでいる者など、ひっくり返っても買えそうもない。

 

我が家は、甲府市北部の住宅街にある。店まではバイクで15分ほど。私は雨が降ろうと雪が舞おうと、毎朝ホンダスーパーカブを駆って、通勤している。以前娘達が小さい頃までは、店舗の三階に住んでいて、いわゆる職住一体だったが、大きくなるにつれ手狭になった。

当時の住空間は、たったの2DK。これでは、勉強部屋どころではない。そう考えて、今から17年前に思い切って家を建てた。甲府のような地方都市は、東京と違って土地が格段に安く、家の建築費も凝った設計にしなければ高くはならない。うちはサラリーマンと違ってボーナスはないのだから、均等払いでローンを払っていかなければならず、無理な借り入れは出来ない。今の家は、それに見合う「身の丈に合った家」である。

銀行から借りた20年ローンの支払いも、ようやく目鼻が付くところまで来たが、子どものために作った部屋は、みんな出て行ってしまい、すでにもぬけの殻。これでは、何のために家を建てたのかわからない。

 

そんなつつましい我が家ではあるが、小さな庭がある。敷地の入り口から玄関までは、煉瓦を敷いてあり、残った僅かなスペースが庭。皆様は、「煉瓦張りのエントランス」とは、何と高級感溢れる佇まいかと思われるだろうが、これは、建築費節約のために、バイク呉服屋が自分で作った代物。不器用なことでは定評のある私の仕事なので、思い切り低級感に溢れ、実に粗悪な姿になっている。無論、家族の評判はすこぶる悪い。

この不細工なレンガ張りを隠そうと、家内は沢山の鉢植えを置いたり、花を植えたりしている。最近は、バラを育てることに熱心で、10鉢以上ある。今は、ピンクや白、赤、黄など、色とりどりの花が咲いている。プランターには、夏の間楽しめる日々草やマリーゴールドが植えられ、ハイビスカスの鉢もある。

数日前、そんな庭の片隅に植えたあじさいの花が咲き始めた。数年前、鉢から植え替えて育ててきたが、毎年少しずつ花の数を増やし、今年はすでに7,8輪の花が芽吹いている。薄紫の小さな花は、夏の到来を告げ、朝の庭を爽やかに彩る。

鉄線から紫陽花、朝顔と夏の花が咲き始める頃、呉服屋の店先は浴衣の季節を迎える。今年も今日から二回に分けて、皆様に浴衣コーディネートをご覧頂くことにしよう。

 

(コーマ褐色地・瓢箪  サーモンピンク地に井桁菱・首里道屯綿半巾帯)

6月の浴衣コーディネートは、ここ数年、コーマ地、綿紬、綿絽と生地を分けて御紹介してきたが、今年はトラッド&ニュー、つまり伝統と新しさを感じさせる品物をそれぞれ区分けして、ご案内してみたい。今日は、江戸の薫りを今に伝えるような、浴衣本来が持つ情緒を意識した「江戸トラッド浴衣」を、ご覧頂こう。

 

今年の竺仙のポスターは、「どぜう屋」の前で撮った浴衣姿。モデルさんの年の頃は、20代半ばあたりか。褐色地に瓢箪柄の白抜き浴衣は、古風な印象を受ける。ここ数年、ポスターに使う浴衣はシンプルだが、今年の「瓢箪」は、江戸の姿を特に意識して選んでいるように思える。

皆様は、「どぜう屋」へ行かれたことがあるだろうか。どぜうとはドジョウの事で、どぜう屋はドジョウ鍋を食べさせる料理屋である。そして何と言っても一番有名なのは、台東区駒形に店を構える「駒形どぜう」。創業は19世紀初頭の江戸・文化年間。

ドジョウを酒浸しにして酔わせ、丸のまま鉄鍋へ投入。それをタレと一緒に煮込み、そこに大量のネギを降りかけ、好みで山椒や七味を使って食べる。かなり昔、バイク呉服屋もこの店を訪ねたことがあるが、ドジョウの泥臭さはほとんど感じず、骨までプキプキと柔らかく食べられた。但しこの時は真夏だったので、鉄鍋の熱と暑さで、大汗をかいた記憶がある。

ドジョウは、田んぼに生息する魚であり、誰でも簡単に獲れる身近な食材。江戸庶民にとって、安価なドジョウ鍋をつつくことは、ささやかな楽しみであっただろう。ポスターのキャッチコピー・「まぼろしの江戸」は、そんな江戸の味と江戸浴衣をコラボさせている。

瓢箪は、古くから、酒や水を入れる道具として愛用されてきた。おそらく江戸の頃には、街道を歩いて旅をする人々の必需品であっただろう。庶民の身近にある瓢箪は、真ん中がくびれている形のユニークさもあって、江戸の中型浴衣の図案としても、よく使われていた。だから、この浴衣の瓢箪模様そのものにも、強い江戸への意識がある。

だが、この「江戸トラッド浴衣」を、そのままの姿として着こなすのではなく、若々しい姿として現代の女性が着こなすためには、帯を工夫することが必要になる。このサーモンピンクの首里帯は、着姿に柔らかさと若々しさを演出する役目を果たしているだろう。もしこれが、献上縞の帯ならば、それこそカチカチの江戸姿になってしまう。帯の使い方一つで、トラッド浴衣の表情が変わる。褐色に白抜きの瓢箪模様は、現代の女性にも美しく着こなすことの出来る「スタンダードな浴衣」となった。

 

(コーマ白地・松  ピーコックグリーン地に黒縞・博多紗半巾帯)

浴衣のモチーフとして、松を使うことは珍しい。松は、吉兆文を構成する代表的な植物なので、堅苦しいイメージがどうしても残る。また、正月の門松を想起させ、冬の印象が強い。けれども常緑樹の松は、四季を通してその姿を変えないので、浴衣の図案としても使うことが出来る。

枝ぶりには松の硬さが見えるが、葉と実が図案化され、少し見ただけでは松とはわからない。葉は黒ではなく、僅かに茶を含んだ色で染められ、実の所々には、臙脂と蛍光的なグリーン色が見える。松の特徴でもある伝統的な堅苦しさと、モダンなデザインを融合させた意匠。

松の緑を意識しながら、帯合わせを考えてみた。地色としては珍しい、蛍光的な孔雀緑色に黒縞をあしらった個性的な帯だが、これは現代的な感覚で、堅い松を着こなす試みと言えるだろうか。

 

(コーマ褐色・籠目  山吹色と白リバーシブル・麻半巾帯)

竹かごの網目の形を、そのまま図案とした籠目文様は、水辺の風景文や御所解文の中にあしらわれる枝折戸や垣根として、よく使われている。また、横の線と斜めの線が交差する幾何学的デザインの面白さから、帯の図案としても使う。

単純な籠目の連なりは、すっきりとした江戸の着姿を感じさせる。小粋でお洒落な町人が、ひょいっと着こなしている姿を想像させてくれる。褐色に白抜きだからこそ、この図案が映える。男女問わず、使うことの出来る浴衣。

シンプルな浴衣には、シンプルな帯が良く合う。紺系には、相性の良い黄色系を使いたくなる。この山吹色のような少し濃い色目を使うと、キリッとした着姿になる。もう一方の白地を使うと、爽やかになるだろうか。その時は三分紐を使い、帯留めでアクセントを付けるのも面白い。男モノとして使う時は、芥子やモスグリーンの角帯が良さげ。

 

江戸トラッドを生かしながら、帯を多様にアレンジすることで、現代の着こなしとする。若い方に、いかに伝統模様の良さを認識し、着用してもらうか。これが、竺仙のモノ作りにおける最大の「テーマ」なのだろう。もちろん品物を扱う我々も、このコンセプトはお客様に品物を選んで頂く時に、大切になる。

 

(綿絽白地・露芝  納戸色変わり華皿と独鈷リバーシブル・博多半巾帯)

細い三日月形の葉に丸い水玉をあしらう露芝(つゆしば)は、芝草に露の雫が付いた姿を文様化したもの。文様の形状は、この浴衣のように芝を連続させ、水滴を模した水玉は二つあしらうのが定番。

この芝草に限らず、夏の朝、露に濡れた植物の葉が、朝の陽射しを受けて光る姿は美しい。日が高くなると露は消えてしまうが、日本人はその「はかなさ」を文様の中に切り取った。露芝文の出自は古く、鎌倉末期に描かれた石山寺縁起絵巻の中にその姿が見え、この文様を使った「白地露芝文摺箔」は、江戸中期の代表的な能装束である。

白地に藍濃淡だけで表現されている露芝は、いかにも涼しげ。浴衣でありながら、小紋のように見える。型紙染めの美しさが際立つ品物であろう。

白藍の浴衣を爽やかに映すためには、やはり紺系の帯が効果的。博多帯の代表的な図案・独鈷文と華皿文を両面にあしらった帯で、着姿を引き締める。博多献上帯のポピュラーな文様は、密教仏具をモチーフとした独鈷と華皿に縞を配したもの。この帯の華皿は通常とは異なり、かなり図案化されている。独鈷の方は、帯巾に一本だけこの文様が付いた「一本独鈷」。

 

(綿絽藍地・菱に露草  水色変わり華皿と独鈷リバーシブル・博多半巾帯)

朝に花が開き、昼にはしぼんでしまう露草。花が朝露のようなはかなさを持つことで、この名前が付いたとも言われている。万葉集にも露草を題材にしたものが何首かあり、古くから日本人の心に残る花である。

そしてこの露草は、友禅の仕事にとっても欠かすことの出来ない花。それは、この花弁から抽出した液を下絵描きに使っているからである。仕事の現場では、露草のことを青花と呼んでいるが、この花は、色が定着することなく、消えてしまう特徴を持つ。そんな色質が、下絵の材料として生かされている。

下絵具として使う場合、まずコバルトブルーの花弁から採った液を和紙に吸収させ、生乾きの状態で下絵を描く者に渡す。この紙を切って皿に載せ、水に浸す。この青い液体に筆を付けて、下絵描きをする。この線描きは、後に糸目糊を置く線となり、図案として重要な役割を持つ。青花の下絵は、糸目糊を置いた後で、生地の表面に水を霧吹きし、裏からタオルで水分を拭い取ると消えてしまう。だから、痕跡は何も残らない。

古くは、「世の中に 人の心は花染めの うつろひやすき 色にぞありける」(古今集・795)と詠まれているが、露草の花は、まさにこのイメージなのだろう。

菱組みの中に、露草の葉だけを描いている模様。花が無いことで、藍地に白抜きの爽やかさが前に出る。これも、模様が連続する小紋的な浴衣。

やはり先ほどの露芝同様に、青系濃淡を意識して帯合わせをしてみる。こちらは、浴衣地の藍より淡い水色を使う。使った博多帯の文様は同じだが、黄色と青いドットがイメージを変えている。このように、同じ図案でも配色を工夫することで、帯の印象が変わることがよくある。

 

「露のはかなさ」を題材にした、二点の浴衣。どちらも、日本人の感性によって生まれた伝統的な図案。それを、藍と白だけで表現し、浴衣本来の涼やかな着姿を映しだす。素材に綿絽を使っていることで、より模様が生きてくるように思える。こう考えると、どの図案をどの素材で作るかということが、かなり重要ではないだろうか。

今日は、「伝統=トラッド」を模様に強く意識した浴衣を御紹介した。何れも挿し色を極力付けず、シンプルさに徹した品物。そんな江戸姿を、現代の着姿としてどのように表現するか。それは着用される方のセンス次第であろう。皆様も、古くて新しい江戸トラッドを、ぜひご自身でアレンジして楽しんで頂きたい。次回は、新しい感覚で作った多色使いの浴衣を御紹介してみたい。

 

うちの奥さんは、毎朝30分以上かけて、一鉢ずつ丁寧に水遣りをしています。そして、大切に育てた花が色とりどりに咲き誇る庭を、毎日嬉しそうに見つめています。きっと、それだけで心豊かになれるのでしょう。

私の方は毎朝、自分が不細工に敷き詰めたレンガの間から延びる雑草を、何気なく見ています。どれだけ抜いても、次から次へと生えて来る草の根性たるや、見上げたものです。特に小さなカタバミやツメクサなどは、つい応援したくなり、そのままにしておいてやりたくなります。

手を掛けなくても、勝手に育つ。これは、人間の育て方としても理想ですね。少々のことではめげないたくましさが、これからの社会で生きる人には必要なのではないかと、蔓延る草を見ながら感じています。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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