突然だが、皆様には「自分の心の中に秘めている思い出の人」は、おられるだろうか。無論、今の配偶者や恋人以外で、である。
では、その懐かしい人を思い出すのは、どんな時だろうか。おそらく、普段の生活の中で、リアルにその人のことが甦るということはあまりなく、ふとしたことで昔のことを思い出す、という方が多いのではないか。
思い出すきっかけとなるものは、着ていた服の色や模様であったり、好きな花だったり、その人特有の仕草やクセであったりと、人それぞれに違うだろう。けれども、一番強烈なのは、においのような気がする。香水はもちろん、その人が使っていたコロンやシャンプー、リンスの匂いは、遠い記憶を呼び覚ます特別な力がある。中には、くちづけの時の「煙草の薫り」という方もおられようか。
そんな中で、「昔の恋を思い起こさせる花」として、平安の昔から存在している花がある。それが、橘の花。花言葉は、「追憶」。晩春から初夏にかけて、小さな白い花を付ける。古くは柑子(こうじ)、判りやすく言えば蜜柑の花だが、平安期から文様化され、「伴大納言絵詞」や「春日権現験記」などの絵巻物にも、数多く描かれている。
そして江戸期には、小袖の意匠として、実と葉のデザインを定型化した橘文様が使われる。今でも、この文様は、数多くのキモノや帯の中で見ることが出来る。今日は、今の季節にふさわしいこの「橘の花」を取り上げ、なぜ追憶の花となったのか、そしてこの花が、文様として長く愛されている理由を、稿の中でご紹介していこうと思う。
(コバルトブルー地 橘尽し模様 塩瀬染名古屋帯・菱一)
五月待つ 花橘の香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする(古今集・巻3 夏歌139)
五月を待ちかねて咲く橘の花。その花の香をかぐと、昔愛していた人の袖に付いていた香と同じ匂いがして、その人のことを懐かしく思い出す。
橘の花香を題材にしたこの歌が詠まれたのは、平安初期あるいはそれ以前の奈良期。醍醐天皇の命により編纂され勅撰集・古今和歌集が成立したのは、905(延喜5)年頃だが、この歌集には万葉集から洩れた古い作品も収められている。
「詠み人知らず」のこの歌だが、伊勢物語の中には、詠まれた時の背景が記されている。それが第60段・「花橘」の帖である。では、この歌にはどのような場面で、どんな心情があったのかを、少しご紹介しよう。
この歌の作者は、宮仕の役人だったが、仕事が忙しかったために、日頃妻の相手をすることが、あまり無かった。そんな時、妻に思いを寄せる者が現れ、妻はその男に付いて家を出て、他の土地へ行ってしまった。ある時、作者は国からの使いとして、ある国を訪れる。そこで接待として出てきたのが、元妻である。妻は、この土地の接待役人の妻になっていたのだ。
男は宴席で、目の前にいるのが元妻と知り、「女主人が酌をしなければ、酒は飲まない」と言い放つ。元妻が盃を差し出した時、肴として添えられていた橘の実を手に取りつつ、この歌を詠む。そこで彼女は、元夫の自分への想いを知ることとなるのだが、その後には、勝手をしてしまった自分を恥じて、尼になってしまう。
平安の時代、この歌はかなり「衝撃的」であったようで、これ以降「橘の花」を題材にして詠む歌は、そのほとんどが、昔の恋を思い起こすものとなっていった。花言葉が「追憶」とされているのは、こんな理由からなのである。
現代においても、甘酸っぱい「柑橘系の香り」は、誰もが心地良さを感じる香料として、香水やシャンプー、ソープ等のフレグランスばかりでなく、衣服を柔らかく仕上げる柔軟剤にも入っている。おそらく、花橘の香りで、昔の恋に思いを馳せた平安びとたちのように、今もこの薫りで、別れた人のことを懐かしく思い起こす人もおられるのではないだろうか。
日本の伝統的な青の色とは違う、鮮烈なブルー。深く澄み渡った海や空を思わせる青で、まさに「コバルトブルー」と呼べる色。キモノや帯の地色として、これだけ鮮やかな青色を使うことは珍しい。
この帯であしらわれている模様は、橘の花だけ。キモノや帯の中で見られる橘は、花も葉もほぼこの図案と同じであり、意匠として定型化されている。これは、紋章としての「橘紋」も同形。この花を写実的に描くことはほとんど無いので、橘はいつもこの形で表現されていることになる。
紋帳の中に記されている橘紋。「丸に橘紋」が二つ見えるが、右が江戸紋で、左が京(平安)紋。どちらもこの紋として間違いではないが、よく見ると蘂の数が違っている。うちで紋をお願いしている西さんでは、平安紋の方を入れる。花や葉の形を見れば、紋も帯図案と同様に定型化されていることが判る。
この画像にあるのが、全て「橘」の紋。手元にある紋帳に記載されているものだけで、52種類もある。そして他に、この紋帳に載っていない橘紋もある。ポピュラーな橘紋と言えば、やはり最初の紋画像にある「丸に橘」、あるいは「丸無しの橘」。
呉服屋は仕事の性格上、紋と関わることが多い。黒、色留袖や喪服は必ず紋を入れなければならず、色無地のほとんどにも紋を施す。だから、ポピュラーな紋ならば、ほとんど形を覚えているので、わざわざ紋帳を開かずとも良い。橘紋も、そんな中の一つ。
紋には、「五大紋」あるいは「十大紋」と呼ぶものがあり、これが日本の家紋として最も多く存在する紋章。五大紋は、片喰(かたばみ)・木瓜(もっこ)・鷹の羽(たかのは)・柏・藤。十大紋はこの五つに、桐・蔦・梅・橘・目結(四つ目とも呼ぶ)を加えたもの。
紋章には由来があり、それぞれの家で家紋として使うようになった理由があるのだが、苗字から家紋を類推出来ることもある。例えば、「藤紋」だが、これは苗字に藤の付く家が多い。ただ、藤が付く家は全て藤紋という訳ではなく、鷹の羽違いのこともあれば、五三の桐のこともある。
この藤紋のルーツを辿ると、藤原氏に行き着く。中大兄皇子と共に大化の改新を断行した中臣鎌足を祖とし、平安栄華を極めた摂関家・藤原氏である。藤原という姓は、天智天皇となった中大兄皇子から賜ったもので、それは、長年手を携えて政治を担ってきた鎌足の功に報いるものであった。
藤原氏の家紋は下がり藤だが、分家は上がり藤。紋所でその出自を分けている。藤原氏の縁続きは、「十六藤(じゅうろくとう)」と呼ばれ、苗字に藤が入り、「とう」あるいは「どう」と読ませる。日本で一番多い苗字の佐藤を始めとして、加藤、遠藤、斉藤、伊藤などがそれに当たる。だから、藤紋が多いのである。
話は少し逸れているが、橘氏も藤原氏と同じような経緯を辿っている。橘を名乗る人物は、やはり飛鳥期から奈良・平安期にかけて政治中枢で活躍しているが、特に橘諸兄(たちばなのもろえ)は、聖武天皇期に、太政官として権勢を揮っている。
橘という氏は、やはり天皇から賜ったもので、祖は県犬飼三千代(あがたのいぬかいのみちよ)という女性。県犬飼は、ヤマト王権を担った豪族の一つだが、三千代は女官として、天武から元正まで五代の天皇に仕えており、その労に報いる形で、橘姓を授かった。姓を与えたのは、鎌足に藤原姓を与えた天智天皇の娘・元明天皇である。そして三千代は、鎌足の息子・不比等の後妻となって、聖武天皇の后・光明子を産んでいる。
(ベージュ地 立枠に橘模様 小紋・菱一)
ランダムに付いた立枠の中に、小さな橘だけを散りばめた小紋。最初の染帯同様、橘の配色が、空色を基調としている。この花の色のイメージは橙系なので、この小紋のような色挿しは珍しい。前の帯の雰囲気とよく合いそうなので、後で「橘尽くし」のコーディネートを試してみよう。
橘という植物が、日本の歴史に登場してきたのは、かなり古い。古事記の記述によれば、11代垂仁(すうじん)天皇の時代に、新羅からの渡来人・天日槍(あめのひぼこ)の後裔・田道間守(多遅間毛理・たじまもり)が、理想郷・常世国(とこよのくに)に派遣されて、非時香菓(ときじくのかくのこのみ)を探している。
この当時から、非時香菓は特別な霊薬であり、その実を食べれば不老不死の命を与えられると信じられていた。田道間守は、これを持ち帰ったものの、すでに天皇は亡くなっていて、食べさせることは出来なかった。古事記の本文中には、非時香菓は「是今橘也」と記されているため、橘が不老不死の樹と認識されていたと理解出来よう。
その後、時代が下がっても、橘が代々の天皇に愛されていたことに変わりは無く、それは、平安王朝時代の内裏・紫宸殿の前に、この樹が植えられていたことでも判る。これが、「右近の橘、左近の桜」である。
こうして橘は、「追憶」あるいは「不老不死」の花として、人々が愛しみ、今に至っている。なお、キモノや帯の文様としては、不老不死の意味合いが強く、「吉祥文」として位置付けられている。
橘を尽くしたキモノと帯のコーディネート。青い橘の小紋と、コバルトブルー地の中に「白抜きした橘」「青い型染疋田の橘」が並ぶ帯を合わせると、何とも爽やかな印象が残るように思う。帯〆に少し濃い目の黄色を使って、明るくまとめてみた。
(ちりめん卵色地 橘に小菊模様 小紋・千切屋治兵衛)
こちらは、柑橘色・橙を意識した配色の「橘小紋」。やはり型染疋田を使って模様を描いている。橘のあしらいには疋田が多いが、このハート型の可愛い図案には、この技法が相応しいということになるのだろう。
今日は、初夏の花・「橘文様」について、お話してきた。この花を「追憶の花」として愛しむか、「不老不死の花」として愛しむか。皆様はどちらだろうか。
バイク呉服屋にとって、「昔の人を思い起こさせる花」は、かすみ草。それも、束ねてドライフラワーにしたものです。どうしてなのかについては、書かないでおきましょう。昔のことは、心の奥にそっとしまっておく方が、良いに決まっていますので。
読者の皆様は、それぞれ、どんな追憶の花をお持ちなのでしょうか。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。