バイク呉服屋は、まだまだ知識が浅いので、このブログを書くにあたっては、様々な資料を参考にしている。今は、ネットで検索すれば、ある程度の情報を得ることが出来る。例えば、ネットの百科事典とも言うべき「Wikipedia(ウィキぺディア)」を見れば、物事に対して、凡その概要を掴むことは出来よう。
けれども、それをそのまま鵜呑みにして原稿を書いてしまったら、それこそ何の工夫もなく、それは自分で調べたことにはならない。やはり、資料を探った上で、自分で物事を理解し、それを噛み砕いて説明出来るようにならなければ、自分の力も付かず、知識も深まらない。
私がネットの中で参照するのは、様々な統計データや論文の類である。例えば、各産地の生産状況を知るためには、組合や業界団体、自治体などが出している統計を見れば良い。また、研究者が書いている様々な論文には、私が今まで知り得なかった情報が沢山詰まっており、それを読んだことにより、初めて理解出来る事象も多い。だからこの稿では、統計の数字から見えてくるものを読み取り、論文の記述から判ることを自分なりに消化してから、自分の言葉で書くように心掛けている。
また、染織の技法や歴史的背景に関わることを記す際には、書籍を参考にすることが多い。最近では、この手の資料になり得る本は、ほとんど出版されていないので、自ずと古い書物を探す必要が出てくる。そのため、東京へ出張した際には、神田・神保町界隈の古本屋をうろうろしている。
その神保町のすずらん通りに、「風月洞書店」という行きつけの古本屋があった。ここは扱う本を、染織関係と茶道、骨董美術品に特化して商いをしていたので、私も重宝していたのだが、昨年の暮れに店を閉じてしまった。今年の正月明けに訪ねた時には、シャッターが閉まり、閉店した旨の張り紙がしてあったが、何も知らされていなかったので、少しショックであった。
古本と言えども、専門書になると高いので、これまで泣く泣く購入を見送った本もある。こんなことならば、買っておけば良かったと後悔しきりだが、後の祭りだ。元々、十坪ほどの狭いスペースに本を山積みにして、それを老夫婦だけで切り盛りしていた店である。おそらく後継者もいなかったのだろう。残念だがこれで、また別の店を開拓しなければならなくなった。だが神保町には、まだ沢山の古本屋が軒を並べているので、風月洞に代わる店も、たぶん見つかるように思う。
140軒もの古本屋が集まる神田・神保町。明治期にこの界隈に大学(明治・中央・専修大など)が創設されたことを期に、学生達に対する本の需要を見込んで、本屋が立ち並ぶようになったのが、始まりとされている。そして時代が進むにつれて、各々の本屋は置く本のジャンルを絞り、次第に専門に特化した商いをするようになっていく。
本の街として知られているだけに、三省堂や東京堂などの大型店も、もちろんある。けれどもその狭間で、小さな個人専門店が頑張っている。それぞれが得意とする分野を持ち、そこにこだわることで、小さくとも商いを続けることが出来ている。そこに集う客は、その専門性の高さこそを求めているのだ。
この専門性の高さを生かす商いというのは、我々のような小さな呉服屋の商いとも、良く似ているように思える。店主が自分のセンスで選んだ品物を置く、いわゆる「セレクトショップ」でなければ、店の個性は到底出せない。デパートやNCには無い、商う人の個性が表現できなければ、「呉服専門店」としての存在意義は、無いだろう。
では、どのようにしたら、呉服屋としての個性を出すことが出来るのだろうか。そこで、その方策として、バイク呉服屋が心掛けている「小さな専門店のあり方」を、これから「現代呉服屋事情」の稿の中で、何回かに分けてお話することにしよう。
旬の花「梅花」を意識した、今日のウインド。 左・紅白枝梅 友禅付下げ 中央・梅肉色 絞り梅花名古屋帯
和装が洋装と決定的に違うのは、着姿で季節を表現出来るところかと思う。無論洋装でも、着姿に季節を感じることはある。けれどもそれは、色においてのみと言っても良いだろう。パステル色のブラウスで春を装ったり、ビビッドカラーのセーターで、深まる秋を感じさせることは出来る。けれども、キモノや帯のように、四季折々の図案をモチーフに使うことは、まずあるまい。梅や桜柄を様々にデザインしたブラウスや、流水に楓を散らしたセーターの模様など、見かけたことも無い。またあったとしても、誰も着用しないだろう。
季節ごとのモチーフを、写実的に、時には図案化して、様々に意匠化する。その着姿は、見る者に季節の訪れを感じさせてくれる。もちろん、図案だけでなく、その挿し色や地色でも旬を表現出来る。こんな芸当が出来るのは、和装においてのみであろう。
そしてこの旬を意識させる着姿こそが、和装の中でも、もっとも贅沢であか抜けた装いとなるように思う。それは、精緻を尽くした上質な品物を使った時とは、また違う意味での美しさとなる。
本来ならば、フォーマルモノ・カジュアルモノを問わずに、季節感を前に出した品物を扱うことが、もっとも望ましいと思うが、なかなかそうはいかない。だが以前は、フォーマルの代表格である黒留袖にも、春向き・秋向きと、それぞれの季節に相応しい意匠をほどこした品物があった。これは、仲人をすることが多い方や、親族が多い方などが、それぞれの季節に着用するために、複数の黒留袖を準備したからである。そして、この二枚に盛夏用の絽の留袖を加えて、三枚の留袖を持つ方もいた。
春用の留袖には、梅や桜、牡丹など、春の花だけで構成された花筏文や、花の丸文、花籠文があしらわれ、秋用には、菊や撫子、ススキなどの秋草だけで構成された図案や、川の流れの中に色づいた楓の葉が浮かぶ風景文・竜田川文などが、あしらわれていた。そして絽の留袖は、夏の植物である鉄線や露芝、朝顔等をモチーフにしていた。
図案そのものに季節が溢れていたので、まさに旬の品物なのだが、結婚式のあり方が変容し、着用する機会が減少したことを受けて、季節ごとの留袖を用意する方は、ほとんどいなくなった。
それに伴い、図案も特定の季節を表現したものが、ほとんど作られなくなる。例えば、花筏文様を描いたとしても、春植物の桜と秋植物の菊を一緒にあしらったものや、春秋どちらでも使うことが出来る松竹梅文等の吉祥文が増えた。それでも今となっては、一枚でも留袖を用意される方は、まだ和装で式に臨む意識の高い方で、レンタルで済ます人のほうが、多くなってしまったのが現実である。
このように、時代と共に、図案の中で旬を表現することは難しくなったが、カジュアルモノや付下げのような軽いフォーマルモノ、そして稀に訪問着や色留袖などの重い礼装品で、僅かながらまだ、そんな品物が作られている。
そこで呉服屋の主として、和装本来の嗜みが、着用する人それぞれが工夫し、自由に自分の個性を表現すると考えるとするならば、この少なくなった「旬」の品物をどのように扱うか、自ずと答えは次のようになるだろう。
やはり、「装う人」の個性を演出する道具として、また美しい日本の四季を彩る民族衣装として、旬の品物は欠かせない。だから、このお手伝いをするべく、季節感溢れる品物を用意することは、店の使命となる。そしてそれは、振袖を最大の商材と捉えるような多くの呉服屋とは違う、個性的な専門店の姿を作る一つの武器にもなると。
店内の衣桁には、枝垂れ梅の訪問着を掛けている。これも、2月ならではのこと。
画像で判るように、今、店内には梅だけをモチーフにした品物を飾っている。小梅を付けた枝だけを描いた付下げ、枝梅を上から垂らした図案の訪問着、そして図案化した梅花を絞りで描き、地色を梅色にして、より梅を印象付けた名古屋帯。三点とも、今が旬とすぐに理解出来る、季節感を前面に出した品物。
だが、このような品物は、着用される方に季節を尊重して着姿を作る意識がなければ、求めて頂くことは出来ない。だから、思い切って仕入れをしても、売り先の見込みが付き難い。つまりは、呉服屋にとって「リスキー」な品物となるのだ。個性的な呉服屋を作る武器になるが、反面リスクも背負うことになる、まさに「諸刃の剣」である。
このブログを熟読されている方は、お気付きかもしれないが、枝梅の付下げと、枝垂れ梅の訪問着は、以前ブログの中でご紹介したことがある。枝梅は3年前の2月に、枝垂れ梅は、5年前の3月である。ということは、この二つの品物は、すでにかなり長い間店に残っていることになる。この事実は、旬を意識した品物を扱うことの難しさを、よく表している。
商いというものが、利益を優先し、商品の回転効率を重視して進められるとすれば、売り上げ予測がつき難い品物を扱うことは、誰もが避けたがる。つまり、わざわざリスクを背負う必要はないと考えるのが、普通である。
そして、昨今の呉服屋は旬の意識どころか、品物を仕入れて、店に置くことすら避ける傾向がある。商いは展示会を中心にし、普段の店頭商いを軽視する。展示会で扱う品物は、すべて問屋からの借り物(委託商品)で、そこで売れた分だけ商品の支払いをする。売れるか否か判らない仕入れは、利益を損なう行為とまで、考えているフシがかいま見える。採算を考えれば、それが経営者として当たり前かもしれないが、それでは呉服屋としての矜持は、保たれまい。
だが、周りがどのような商いをしようとも、個性的な呉服屋足り得る条件の一つは、やはり旬を重視することと思う。それは先に述べたように、「季節を映す着装には、和装だけが持つ美しさがある」からだ。お客様は、一人一人の好みが異なり、それぞれが工夫を凝らして和装を嗜まれている。旬を重視する方々がいる限り、品物を選ぶ際の選択肢を増やすことは、大げさかもしれないが、我々専門店の使命と思う。
それは、たとえ利益に結びつかず、品物が店の棚に残り続けるリスクがあろうともだ。主人が自分の好みを持ち、これと見極めて店に並べる。呉服屋は、究極の「セレクトショップ」と認識して、仕事に当たるべきだろう。
今日テーマにした「旬を意識すること」は、店で扱う品物を考える時の一つの側面でしかない。次回は、色や模様、そして質にどのようにこだわり、個性を出していくのか、その辺りのお話をすることにしよう。
バイク呉服屋の品物の回転率は、一年に3分の1回転もしないでしょう。言いかえれば、その年に仕入れた品物の7割は、売れ残ることになります。これで、呉服屋の商いが、いかに非効率なものかということが判ります。
けれども、年に数回ですが、仕入れをして店に置いてから、一週間足らずで買い手が付くことがあります。こういう品物は大概、「旬を意識した品」です。私のツボと、お客様のツボが重なったタイムリーな商いが出来た時の嬉しさは、格別なものがあります。これが、呉服を扱う者の醍醐味ですね。
しかし、なかなか見初める方に出会えず、品物が棚の隅で、「タコツボ」に嵌ったように残ってしまうことも、珍しくありません。仕入れこそ、店主のセンスと先見性が試される仕事です。おそらく、呉服屋を終えるまで、私は試行錯誤を繰り返すことになるでしょう。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。