バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

いかにして、個性的な呉服屋足り得るか(1) 品物に旬を意識する

2019.02 02

バイク呉服屋は、まだまだ知識が浅いので、このブログを書くにあたっては、様々な資料を参考にしている。今は、ネットで検索すれば、ある程度の情報を得ることが出来る。例えば、ネットの百科事典とも言うべき「Wikipedia(ウィキぺディア)」を見れば、物事に対して、凡その概要を掴むことは出来よう。

けれども、それをそのまま鵜呑みにして原稿を書いてしまったら、それこそ何の工夫もなく、それは自分で調べたことにはならない。やはり、資料を探った上で、自分で物事を理解し、それを噛み砕いて説明出来るようにならなければ、自分の力も付かず、知識も深まらない。

 

私がネットの中で参照するのは、様々な統計データや論文の類である。例えば、各産地の生産状況を知るためには、組合や業界団体、自治体などが出している統計を見れば良い。また、研究者が書いている様々な論文には、私が今まで知り得なかった情報が沢山詰まっており、それを読んだことにより、初めて理解出来る事象も多い。だからこの稿では、統計の数字から見えてくるものを読み取り、論文の記述から判ることを自分なりに消化してから、自分の言葉で書くように心掛けている。

また、染織の技法や歴史的背景に関わることを記す際には、書籍を参考にすることが多い。最近では、この手の資料になり得る本は、ほとんど出版されていないので、自ずと古い書物を探す必要が出てくる。そのため、東京へ出張した際には、神田・神保町界隈の古本屋をうろうろしている。

 

その神保町のすずらん通りに、「風月洞書店」という行きつけの古本屋があった。ここは扱う本を、染織関係と茶道、骨董美術品に特化して商いをしていたので、私も重宝していたのだが、昨年の暮れに店を閉じてしまった。今年の正月明けに訪ねた時には、シャッターが閉まり、閉店した旨の張り紙がしてあったが、何も知らされていなかったので、少しショックであった。

古本と言えども、専門書になると高いので、これまで泣く泣く購入を見送った本もある。こんなことならば、買っておけば良かったと後悔しきりだが、後の祭りだ。元々、十坪ほどの狭いスペースに本を山積みにして、それを老夫婦だけで切り盛りしていた店である。おそらく後継者もいなかったのだろう。残念だがこれで、また別の店を開拓しなければならなくなった。だが神保町には、まだ沢山の古本屋が軒を並べているので、風月洞に代わる店も、たぶん見つかるように思う。

 

140軒もの古本屋が集まる神田・神保町。明治期にこの界隈に大学(明治・中央・専修大など)が創設されたことを期に、学生達に対する本の需要を見込んで、本屋が立ち並ぶようになったのが、始まりとされている。そして時代が進むにつれて、各々の本屋は置く本のジャンルを絞り、次第に専門に特化した商いをするようになっていく。

本の街として知られているだけに、三省堂や東京堂などの大型店も、もちろんある。けれどもその狭間で、小さな個人専門店が頑張っている。それぞれが得意とする分野を持ち、そこにこだわることで、小さくとも商いを続けることが出来ている。そこに集う客は、その専門性の高さこそを求めているのだ。

この専門性の高さを生かす商いというのは、我々のような小さな呉服屋の商いとも、良く似ているように思える。店主が自分のセンスで選んだ品物を置く、いわゆる「セレクトショップ」でなければ、店の個性は到底出せない。デパートやNCには無い、商う人の個性が表現できなければ、「呉服専門店」としての存在意義は、無いだろう。

では、どのようにしたら、呉服屋としての個性を出すことが出来るのだろうか。そこで、その方策として、バイク呉服屋が心掛けている「小さな専門店のあり方」を、これから「現代呉服屋事情」の稿の中で、何回かに分けてお話することにしよう。

 

旬の花「梅花」を意識した、今日のウインド。                 左・紅白枝梅 友禅付下げ 中央・梅肉色 絞り梅花名古屋帯

和装が洋装と決定的に違うのは、着姿で季節を表現出来るところかと思う。無論洋装でも、着姿に季節を感じることはある。けれどもそれは、色においてのみと言っても良いだろう。パステル色のブラウスで春を装ったり、ビビッドカラーのセーターで、深まる秋を感じさせることは出来る。けれども、キモノや帯のように、四季折々の図案をモチーフに使うことは、まずあるまい。梅や桜柄を様々にデザインしたブラウスや、流水に楓を散らしたセーターの模様など、見かけたことも無い。またあったとしても、誰も着用しないだろう。

季節ごとのモチーフを、写実的に、時には図案化して、様々に意匠化する。その着姿は、見る者に季節の訪れを感じさせてくれる。もちろん、図案だけでなく、その挿し色や地色でも旬を表現出来る。こんな芸当が出来るのは、和装においてのみであろう。

そしてこの旬を意識させる着姿こそが、和装の中でも、もっとも贅沢であか抜けた装いとなるように思う。それは、精緻を尽くした上質な品物を使った時とは、また違う意味での美しさとなる。

 

本来ならば、フォーマルモノ・カジュアルモノを問わずに、季節感を前に出した品物を扱うことが、もっとも望ましいと思うが、なかなかそうはいかない。だが以前は、フォーマルの代表格である黒留袖にも、春向き・秋向きと、それぞれの季節に相応しい意匠をほどこした品物があった。これは、仲人をすることが多い方や、親族が多い方などが、それぞれの季節に着用するために、複数の黒留袖を準備したからである。そして、この二枚に盛夏用の絽の留袖を加えて、三枚の留袖を持つ方もいた。

春用の留袖には、梅や桜、牡丹など、春の花だけで構成された花筏文や、花の丸文、花籠文があしらわれ、秋用には、菊や撫子、ススキなどの秋草だけで構成された図案や、川の流れの中に色づいた楓の葉が浮かぶ風景文・竜田川文などが、あしらわれていた。そして絽の留袖は、夏の植物である鉄線や露芝、朝顔等をモチーフにしていた。

図案そのものに季節が溢れていたので、まさに旬の品物なのだが、結婚式のあり方が変容し、着用する機会が減少したことを受けて、季節ごとの留袖を用意する方は、ほとんどいなくなった。

それに伴い、図案も特定の季節を表現したものが、ほとんど作られなくなる。例えば、花筏文様を描いたとしても、春植物の桜と秋植物の菊を一緒にあしらったものや、春秋どちらでも使うことが出来る松竹梅文等の吉祥文が増えた。それでも今となっては、一枚でも留袖を用意される方は、まだ和装で式に臨む意識の高い方で、レンタルで済ます人のほうが、多くなってしまったのが現実である。

 

このように、時代と共に、図案の中で旬を表現することは難しくなったが、カジュアルモノや付下げのような軽いフォーマルモノ、そして稀に訪問着や色留袖などの重い礼装品で、僅かながらまだ、そんな品物が作られている。

そこで呉服屋の主として、和装本来の嗜みが、着用する人それぞれが工夫し、自由に自分の個性を表現すると考えるとするならば、この少なくなった「旬」の品物をどのように扱うか、自ずと答えは次のようになるだろう。

やはり、「装う人」の個性を演出する道具として、また美しい日本の四季を彩る民族衣装として、旬の品物は欠かせない。だから、このお手伝いをするべく、季節感溢れる品物を用意することは、店の使命となる。そしてそれは、振袖を最大の商材と捉えるような多くの呉服屋とは違う、個性的な専門店の姿を作る一つの武器にもなると。

 

店内の衣桁には、枝垂れ梅の訪問着を掛けている。これも、2月ならではのこと。

画像で判るように、今、店内には梅だけをモチーフにした品物を飾っている。小梅を付けた枝だけを描いた付下げ、枝梅を上から垂らした図案の訪問着、そして図案化した梅花を絞りで描き、地色を梅色にして、より梅を印象付けた名古屋帯。三点とも、今が旬とすぐに理解出来る、季節感を前面に出した品物。

だが、このような品物は、着用される方に季節を尊重して着姿を作る意識がなければ、求めて頂くことは出来ない。だから、思い切って仕入れをしても、売り先の見込みが付き難い。つまりは、呉服屋にとって「リスキー」な品物となるのだ。個性的な呉服屋を作る武器になるが、反面リスクも背負うことになる、まさに「諸刃の剣」である。

このブログを熟読されている方は、お気付きかもしれないが、枝梅の付下げと、枝垂れ梅の訪問着は、以前ブログの中でご紹介したことがある。枝梅は3年前の2月に、枝垂れ梅は、5年前の3月である。ということは、この二つの品物は、すでにかなり長い間店に残っていることになる。この事実は、旬を意識した品物を扱うことの難しさを、よく表している。

 

商いというものが、利益を優先し、商品の回転効率を重視して進められるとすれば、売り上げ予測がつき難い品物を扱うことは、誰もが避けたがる。つまり、わざわざリスクを背負う必要はないと考えるのが、普通である。

そして、昨今の呉服屋は旬の意識どころか、品物を仕入れて、店に置くことすら避ける傾向がある。商いは展示会を中心にし、普段の店頭商いを軽視する。展示会で扱う品物は、すべて問屋からの借り物(委託商品)で、そこで売れた分だけ商品の支払いをする。売れるか否か判らない仕入れは、利益を損なう行為とまで、考えているフシがかいま見える。採算を考えれば、それが経営者として当たり前かもしれないが、それでは呉服屋としての矜持は、保たれまい。

 

だが、周りがどのような商いをしようとも、個性的な呉服屋足り得る条件の一つは、やはり旬を重視することと思う。それは先に述べたように、「季節を映す着装には、和装だけが持つ美しさがある」からだ。お客様は、一人一人の好みが異なり、それぞれが工夫を凝らして和装を嗜まれている。旬を重視する方々がいる限り、品物を選ぶ際の選択肢を増やすことは、大げさかもしれないが、我々専門店の使命と思う。

それは、たとえ利益に結びつかず、品物が店の棚に残り続けるリスクがあろうともだ。主人が自分の好みを持ち、これと見極めて店に並べる。呉服屋は、究極の「セレクトショップ」と認識して、仕事に当たるべきだろう。

今日テーマにした「旬を意識すること」は、店で扱う品物を考える時の一つの側面でしかない。次回は、色や模様、そして質にどのようにこだわり、個性を出していくのか、その辺りのお話をすることにしよう。

 

バイク呉服屋の品物の回転率は、一年に3分の1回転もしないでしょう。言いかえれば、その年に仕入れた品物の7割は、売れ残ることになります。これで、呉服屋の商いが、いかに非効率なものかということが判ります。

けれども、年に数回ですが、仕入れをして店に置いてから、一週間足らずで買い手が付くことがあります。こういう品物は大概、「旬を意識した品」です。私のツボと、お客様のツボが重なったタイムリーな商いが出来た時の嬉しさは、格別なものがあります。これが、呉服を扱う者の醍醐味ですね。

しかし、なかなか見初める方に出会えず、品物が棚の隅で、「タコツボ」に嵌ったように残ってしまうことも、珍しくありません。仕入れこそ、店主のセンスと先見性が試される仕事です。おそらく、呉服屋を終えるまで、私は試行錯誤を繰り返すことになるでしょう。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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