バイク呉服屋の忙しい日々

ノスタルジア

昭和の加賀友禅(6) 奥原一就・九谷絵皿模様 黒留袖

2018.09 10

国が、歴史的に地域に根付いた手工業による産品、いわゆる伝統的工芸品の認定を始めたのは、今から43年前の1975(昭和50)年のこと。その数は昨年11月末で、230品目にも及ぶ。

伝統的工芸品として認められるには、100年以上の歴史を持ち、現在も継続して作られているという条件がある。そこでどの地域に、どれだけ伝産品があるのか分布を調べてみると、地域各々の歴史的な背景との関わりが見えてきて、興味深い。

都道府県別に伝産品指定数を見ると、最も多いのが東京と京都の17品目。次いで新潟・16品、沖縄・15品、愛知・14品、石川10品と続いている。江戸と京都は都であると同時に、文化の発信基地でもあったために、多くの伝産品が生まれている。

地方に目を転じると、新潟は塩沢・小千谷・十日町と地域ごとに特色のある織物や、燕や加茂の金工、長岡の仏壇などが指定品。沖縄の伝産品は、15品のうち12品までが染織品で、首里・八重山・久米島の織物や琉球紅型など。愛知は、有松や鳴海地方で古くから続く絞り工芸の他に、瀬戸や常滑の陶磁器が認定を受けている。

 

多くの伝産品は江戸期に勃興し、今に続いているものだが、この特色ある手工業が生まれ育った要因は、地域を治めた為政者の政策方針と、関わりが深い。

それは、自分の藩独自の製品を生み出し、財政を豊かにしようとする産業奨励策の推進。領主が、美術工芸に対する見識を高く持っていることは、人の手による美しい工芸品の価値を見出すことに繋がり、ひいては産業化する。

この典型的な例が、加賀藩の地場産業・文化振興であり、それは、現在石川県に多くの伝統的工芸品が残ることで証明されている。加賀友禅・牛首紬・加賀繍・九谷焼・輪島塗・山中漆器・金沢漆器・金沢仏壇・七尾仏壇・金沢箔の合計10品目が、現在認定されている伝産品。染織・陶磁器・漆加工・仏壇加工・箔細工と多岐にわたっているが、このほとんどは400年前から、加賀前田家が、文化奨励策として手厚く保護してきた手工業品である。

そんな加賀の工芸品の中で、今も多くの人々に知られているのが、加賀友禅と九谷焼であろう。そこで今日は、この二つを融合したような昭和の加賀友禅の逸品を、ご覧頂くことにしよう。

 

(奥原一就 九谷絵皿模様 加賀友禅・黒留袖  1980年代 甲府市・M様所有)

九谷焼が生まれたのは、17世紀半ばの江戸・明暦時代。石川県最南端・旧山中町(現在は加賀市)を流れる大聖寺川の源流部・九谷で陶石を発見したことが、事の始まりであった。当時この地を治めていた加賀支藩・大聖寺藩では、陶石を生かした陶磁器作りを試みるため、職人を有田に派遣し、技術を習得させた。

そうして生まれた九谷焼は、まず九谷陶石を原料とした粘土で素地を作り、そこに細かく丹念に模様を描く。そして、線描きされた模様の上に、赤・紫・紺青・黄・緑の「九谷五色」で上絵付けをする。この状態で窯に入れると、染め付けた色が炎の熱でガラス質に変化し、色鮮やかに発色する。この模様から浮かび上がる色こそが、煌びやかな九谷焼の特徴となった。

こうして開かれた九谷の窯だが、50年ほど経った18世紀初頭・寛政年間には、突然閉じてしまう。この初期の九谷焼のことは、現在「古九谷」と称されている。

 

加賀・前田家では、廃れてしまった九谷を何とか再興しようと考え、京都から京焼上絵付の名工として名高い青木木米(あおきもくべい)を招き、金沢郊外の春日山に窯を開いた。1807(文化4)年のことで、この時の藩主は11代目・前田斉広である。

その後、文政年間から嘉永年間(1818~1848)の三十年の間に、次々と窯が生まれ、九谷焼は隆盛を極める。それは、加賀藩が他藩からの陶磁器持込を禁じたことからも、理解出来る。各窯には、それぞれ特色を持った作風が生まれ、それは京焼の雰囲気を持つものであったり、古九谷を忠実に踏襲するものであったり、また有田焼に近いものであったりした。

さらに江戸末期には、九谷庄三(くたにしょうざ)の手で、当時輸入されたばかりの西洋顔料を使った絵付けが始まり、九谷焼は新たな時代を迎えた。模様に顔料で絵付けをし、その上から金を盛り込む「彩色金襴手」の技法が確立したことで、九谷の印象は、より豪華で煌びやかなものになっていった。

明治に入り、1873(明治6)年のウイーン万国博覧会に出品したことが契機となって、欧州での人気が高まり、特に彩色金襴手を施した品物は、ほとんど輸出に回った。この時代、九谷焼は日本の貿易主力品の一つであった。

 

九谷焼は、伝統的工芸品の指定が始まった最初の年、1975(昭和50)年に、いち早く認定を受けている。石川県の伝産品では、加賀友禅と輪島塗、山中漆器が、九谷焼と同時に認定された。

ついぞ、九谷焼の話が長くなってしまい、申し訳ない。何時になっても本題に入らないバイク呉服屋の悪いクセは、どうにも直りそうにない。遅くなってしまったが、彩り鮮やかな九谷絵皿をモチーフにした「加賀友禅・黒留袖」を早速ご覧頂こう。

 

上前おくみから、身頃、そして後身頃にかけて、大小9枚の九谷絵皿を描いている。

加賀友禅に限らず、黒留袖には写実的な風景模様を描くことが多い。だが、稀に一つの図案を切り取ったような大胆な構図とか、黒の無地場を生かした個性的な模様のものを見掛ける。この九谷絵皿を並べてモチーフにしたものも、そんな品物の一つ。

模様の中心・上前身頃と後身頃の図案。春秋の花鳥を描いた大皿二枚と、波や唐花図案を描いた小皿が四枚、あしらわれている。どのように表現しているのか、一枚ずつ見ていくことにしよう。

 

上前おくみの大皿には、春模様を描く。紅白の牡丹と時鳥を思わせる鳥。皿の周囲を雲にも見える唐草で、縁取っている。

九谷の絵付け方法は、およそ三つに区分される。一つは、滲み難い特性を持つ赤い絵の具だけを用いて、細かく模様を描いていく「赤絵」。この技法は、描き手の技術がそのまま模様の表情となる。赤絵には、絵付け模様の上に金を重ね塗りする金襴手を併用するものが多い。そして、素地に余白を残さず、器全体に色を塗りこんで描くのが、「青手」。緑の絵具を効果的に使い、濃密な印象を残す。この青手にも金襴手を併用するものがある。

そして残る一つが、「色絵・五彩手」。これは、九谷五彩としている五色の絵具を駆使し、写実的に描いたもの。金襴手を使うことが少ないので、どうしても絵画的な作品が多くなる。彩色は細い筆を使い、丹念に塗りこむ。金を使わない五彩手は、古九谷を思わせる。

この五彩手と加賀友禅には、共通点が多い。九谷絵付に「九谷五色」があるように、加賀友禅にも「加賀五色(臙脂・黄土・草色・藍・古代紫)」と呼ぶ彩色の基本色がある。そして、金を用いずに、図案の写実性を最大限生かすことで、品物の印象がどちらも絵画的になること。

おそらく、この黒留袖のモチーフとして描いた絵皿は、五彩手を使ったものと想像出来る。おそらく作家にもその意識があったのだろう。だからこの作品が、九谷焼と加賀友禅を融合しているように思えるのだ。

 

牡丹と時鳥を拡大したところ。大ぶりな花弁を紅白に色分けた牡丹の花は、「百花の王」と呼ぶにふさわしく、華麗に描かれている。加賀独特の外から内側に暈かされるぼかしの技法を巧みに使い、薄ピンクに滲んだ色合いは、まさに絵画的である。

この鳥は、形状から時鳥(ホトトギス)ではないかと想像出来るが、本来の時鳥の色は、雄雌でほとんど変わらない。模様では、あえて色鮮やかに表現した上で、表情で雄雌を分けて描いていることが判る。おそらく赤い鳥が雄で、藤色が雌。こうしてよく見ると、赤鳥の目は雄らしく険しい。

 

後身頃に配された絵皿は、菊に百舌鳥(モズ)。皿の縁取りも、不思議な欄干型になっている。そして皿の地色も、先ほどの黄土色よりもおとなしい鶸色を使っている。

菊花と百舌鳥を写してみた。菊は紅白と橙ぼかし、この鳥図案が百舌鳥という確証は無いのだが、形状や秋に目立つ鳥であることを考え、あえて百舌鳥としてみた。二羽の鳥は、同じ色を使っているものの、部位を違えて対称的に挿してある。胴に朱赤を使う画像の鳥は、顔立ちからして雄に思える。

 

この絵皿模様は、後身頃のおくみにかけて付いているので、着姿にはあまり出て来ない。しかし、見えない部分だからと言って、仕事の手を抜いてはいない。この皿の縁は、公園の柵のような垣根模様。

花は椿で、赤・橙・白に染分けている。鳥は、羽根が白いので鷺かと思ったが、嘴が尖っていないので、雁かも知れない。花は何をモチーフにしているのか判りやすいが、鳥は難しい。バイク呉服屋には鳥の見識がほとんど無いので、致し方ない。

 

この二枚の絵皿は、十六弁と八弁の花弁を複合させた、正倉院の唐花文様・宝相華文を題材にしている。実際の植物をスケッチしておいて、写実的に描くことが多い加賀友禅では、空想の唐花を使うことが珍しい。

蔓が伸びた唐花で区切った、三つ割りの小丸文。これも、正倉院的な図案。

こちらは菱重ねに揚羽蝶で、有職文をアレンジしたような文様。

上は、図案化した羊歯文で、下は波紋。付属的に付いている6枚の小絵皿は、リアルな草花に捉われず、文様化した図案を取り入れている。だからこそこの黒留袖が、加賀友禅としては珍しい、モダンで垢抜けた姿になっているのだろう。そこに、この作家の秀でたセンスが伺える。

 

作者・奥原一就(おくはらいっしゅう)の落款。落款では本名に使っている「一」の字が、「逸」になっている。

この作家・奥原一就のことを調べてみると、実に興味深いことが判った。それは、彼はどの作家の系譜にも属しておらず、独学で加賀友禅の技術を習得し、たった一人で落款登録する作家として大成したということだ。このような作家は、他に例を見ない。

加賀友禅の作家になるためには、まず師匠に弟子入りし、その下で技術を習得し、腕を磨く。こうした修行期間を経て、一人前の作家として技術保存協会に落款登録する。もちろん、独立するまでには、かなりの時間を要する。

師弟関係を調べる手段として、加賀友禅系譜図があるが、これを見ると誰がどの師匠の弟子で、独立後誰を弟子に採ったのかが、一目瞭然に理解出来る。例えば、人間国宝・木村雨山には6人の直弟子(毎田仁郎・金丸充夫・松本節子・押田正義・奥野義一・嶋達男)がいるが、毎田仁郎は、百貫華峰や白坂幸蔵を、押田正義は大村洋子や杉村典重を、金丸充夫は柿本市郎や上田外茂治を弟子にしている。さらに、その弟子達は、また新たな弟子を育てており、雨山にとって孫弟子や曾孫弟子にあたる作家が、数多く生まれていることになる。

このように加賀の作家は、大概どこかの系統に属しているのだが、奥原には無い。系譜図を見ると、奥原一就だけが「独学」と記されている。そして、吉田正夫という人物を弟子にしていることが判るが、この人は現在落款登録されておらず、作家にはなっていない。

 

加賀染振興会が落款登録を開始した年・1978(昭和53)年に発行された最初の落款名簿には、すでに奥原一就の名前が見える。現在は物故されているが、かなり長い間第一線で活躍したのは間違いない。しかし、どのような人物だったのか、ほとんどわからない。

どうして作家を志したのか、またどのようにして「独学」で技術を身につけたのだろうか。この「孤高の作家」のことは、もう少し調べてみようと思う。また判ったら、ブログでご報告したい。

 

この黒留袖は、所有しているお客様が手直しのために、当店に持ってこられたもの。お母さまが残されたものだが、この方は「面白い図案のキモノが箪笥にあるなぁ」と以前から思っていたそうだ。けれども、バイク呉服屋で「加賀友禅の逸品」であることが判り、大変驚かれていた。

これから子どもの婚礼も控えているので、着用したいと話される。この方には、お嬢さまもおられるので、ぜひ受け継いで頂きたい品物である。美術的に価値の高い加賀友禅は、どんなに時間を経ても、色褪せることは決して無い。

最後にもう一度、九谷絵皿・加賀友禅黒留袖の画像を、ご覧頂こう。

(上前)

(後身頃)

 

関西を襲った台風に続き、北海道での直下型地震と、立て続けに災害が起こり、被災された方々の姿を見るにつけ、「普通に生活出来ている」ことが、何か申し訳ないように思えてしまいます。

バイク呉服屋が愛してやまない北海道は、一時全道が停電となり、まさに想定外の事態となってしまいました。未だに電力受給は綱渡りで、不自由な生活を余儀なくされています。一日も早く、元の日常に戻ることが出来るように、祈らずにはおられません。

考えてみれば、今年は、6月の大阪地震、広島や岡山を襲った猛烈な7月の豪雨、そして各地で40℃を越えた8月の酷暑。さらに今回の台風と地震と、自然災害に日本中が振り回された夏でした。気象変動が引き起こす災害は、この国のどこでも起こりうると覚悟する必要があり、災害は教訓とならなければ、亡くなられた方々に申し訳が立ちません。

私も、自然と共生することの難しさを心に留めて、毎日の生活を送りたいと思います。そう、「当たり前に暮らせることは、決して当たり前では無い」ということを。

今日も、長い話にお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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