バイク呉服屋は、仕事用ズボンの「持ち」がすこぶる悪い。半年ほど使い続けていると、生地が痛んで薄くなり、ひどい時には穴が開く。薄い夏用などは、ひとシーズンで駄目にしてしまい、ほぼ使い捨てとなる。そして不具合が起こる箇所は、膝と決まっている。これは、呉服屋ならではの仕事場の環境と、大きく関わりがある。
皆様は、呉服屋の店舗内に必ず備わっているものと言えば、何を想像されるだろうか。それは、畳のスペースを持っていることである。畳敷きは、他の物販業には見られない「呉服屋固有の特徴的な設え」であろう。
うちの店は、お客様と向かい合って話が出来るように、四脚のイスを置いている。お客様はイスに腰掛けているが、私が座っているところは畳敷き。そして、話をしている時には、私はずっと正座をしたままだ。この居ずまいを正した「正座状態」で仕事をするというのは、呉服屋くらいのもので、他の職種ではちょっと考えられない。
あぐらを組んだり、足を投げ出していては、みっともなく格好が付かない。やはりきちんと居ずまいを正して、来店する方と正対するというのが、呉服屋としてのあるべき姿である。そして品物を広げたり、コーディネートしてみたり、お客様に着せ掛けたりするのは、畳を敷き詰めている店の一角。ここを「座売り」と言う。読んで字の如く、店の者が「座ってモノを売る場所」である。もちろん、ここで商いをする時には、正座をしたままだ。
座売りは、商売の場面以外でも毎日使う。例えば、手直し品の汚れ状態を確認する時や、新しい品物の値札を付ける時、そして預り品を一時的に置くスペースにも使っている。この、商い以外で品物を扱うときにも、正座をして仕事をすることが常だ。だから、正座=畳に膝を擦り付ける時間が長い=どんなズボンの膝でも早く駄目になる、ということになる。
これまでこの稿では、様々な呉服屋の道具をご紹介してきた。寸法を測る「尺ざし」を始めとして、仕立てモノに針が入っていないか否かを確認する「検針器」や、品物を展示する道具の「衣桁や撞木」、そして色や模様を決める「見本帳」等々。
道具の話は、一通り済ませたつもりだったが、肝心なものを忘れていた。それが畳である。畳が敷いてなければ、呉服屋の仕事は何も始まらない。これは、相撲の土俵と同じだ。ということで今日は、あまりにも当たり前の存在で気付かなかった「呉服屋の道具・畳」を取り上げて、話を進めてみたい。
先週、新調したばかりの「座売り・畳」。店の中に一歩入れば、イグサの芳しい香りが漂っている。青々しい畳は、見た目にも爽やかで、気持ちが洗われる。
今回畳の話をしようと思ったのは、先週の金曜日に、数年ぶりに畳替えをしたからである。半年くらい前から、畳表がホケ立ち、細かいくずが舞い始めた。これでは、預った品物の汚れを確認したり、誂え品をたとう紙に入れる時に、畳の切れ端が品物に付着しかねない。要するに、安心して畳の上で、キモノを広げられなくなっている状態なのである。とりあえず応急処置として、畳の上に敷き紙を置いて品物を扱っていたが、それも限界に近づいたので、畳替えを決めた。
畳の表面が擦れて、脱落した状態。色もヤケを起こしたように、変色している。普通の住宅の居間にある畳とは、比べ物にならない頻度で使用するため、かなり痛みも早い。
さて、畳替えをすることに決めたものの、問題は、どこの畳屋さんに依頼するかということだ。うちでも、数年に一度は畳替えをしているが、前回仕事をして頂いた職人さんの仕事は、いま一つだった。ウインドや衣桁、撞木を置く薄縁は、途中で浮き上がり、寸法もきちんと合ってはいなかった。
下の台が見えてしまった薄縁。縁そのものが、ずれている。きちんと台に固定されていないので、こんな状態になってしまう。寸法も違う。
そこで新たに、腕の良い方を探すことにしたものの、どうすれば出会えるのか、その方策に悩んでいた。そんな時、あるお客様の家へ、手直し品を届けに行った。このお宅は、古い和様式で、立派な和室が設えられている。話をしている中で、畳替えの話になったので、ふとどこの職人さんに依頼しているのか、聞いてみたくなった。しかも、このお客様の家は、建築設計の仕事をしている。「畳仕事の良し悪しを判断する目」は、厳しいに違いない。
お客様から、「40代の若い職人さんだけど、意欲的で、仕事も丁寧。技能競技会にも度々参加して、優秀な成績を収めている。メンテナンスにも気軽に応じてくれる。実直で真面目な良い方です」とのお話を伺い、心が動いた。「この方の情報ならば、間違いない」、そう考えて、早速この畳屋さんと連絡を取ることにした。
依頼した「塩沢畳店」は、甲府市の隣・昭和町に店を構える。私の電話を受けて、店名入りの軽トラでやってきたのは、この店の二代目・塩澤政博さん。仕事ぶりを紹介してくれたお客様の話の通り、まだ40代前半と思われる若い方である。
畳の状態や、店舗の様子を見て頂くために、ウインドや中の品物を片付けておく。上の画像では、外から店の中が素通し。すぐに畳や薄縁の現状をみてもらい、どのように使っているのかも、話をする。
塩澤さんは、どのような材料を使えば、どれくらいの価格になるのか、ということを丁寧に説明してくれる。中でも、国産の天然イグサと、海外産との違いを、わかりやすく教えてくれる。やはり、畳を良い状態で長く使うことを考えれば、原材料の質は落とせない。この辺りは、良質な白生地や糸を使うことが、上質なキモノや帯を作る上では欠かせないというのと、同じだ。
トラックの荷台には、「くまモン」の姿。熊本県は、国内最大のイグサ産地。生産シェアは、何と98%。くまモンが、「畳、好きだモン」と言うのも無理無かろう。一通り話を伺い、見積価格を提示してもらったところ、納得出来るものだったので、仕事を依頼することに決めた。新しい畳は、一日あれば用意出来るとのことなので、店が休みになる前日の夕方に古い畳を撤去し、休み明けの朝に搬入してもらうことにした。
薄縁を外す、塩澤さん。「丸に畳印」の黒いTシャツが格好良く決まっている。いかにも、若手職人の姿だ。
座売りの畳も、すっかり外された。塩澤さんの話だと、床の状態は良いらしい。湿気のために、カビが発生していることもあると言う。築30年以上にしては、きれいなのかもしれない。
ウインドの薄縁を剥がしていく。ウインドも含め、薄縁を敷く台はどれも形が異なり、不規則。そのため、丁寧に寸法を測っていく。もし寸法がずれると、薄縁がピタリと納まらない。撤去された畳は、くまモントラックに積んで運び、処理される。
搬入の日の朝は、雨。新しい畳は、ピタリと納まる仕様の軽ワゴン車で、やってきた。仕切り棒や、間仕切り板を作り、運搬中車の振動で畳が動くことのないように、工夫されている。
六畳半の座売り畳は、最初に周囲を埋めて、最後に真ん中の一枚をはめ込む。当たり前なのだが、ピタリと納まった姿は見事だ。
畳それぞれに段差を出さないように、ゴザを切って、畳の下に置く。畳と畳の間に微妙な違いがあれば、使う時に違和感が出る。
縁を手で押さえて、しっかりと畳を合わせる。手の感覚、足の感覚を使い、フラットな畳姿に仕上げていく。どうなれば良い姿になるのか、体が覚えているのだろう。
この日は、塩澤さんのお父さんもやってきた。「畳は任せてもらっていますが、薄縁を作る腕は、父の方がまだ上です」と話す。職人さん親子の共同作業が、何とも微笑ましい。父が縁を留め、息子が支える。仕事を真近で見ることが、跡継ぎの次のステップになる。私も父の仕事を見ながら、呉服屋として育ってきた。
寸分の狂いも無く、ピタリと台に吸い付いたような薄縁。う~ん、美しい。
気持ちのこもった職人さんの手で誂えた、真新しい座売りの畳。きっとこの畳なら、広げるキモノや帯が格段に美しく見えることだろう。そして、ウインドや衣桁・撞木に飾る品物も、青々とした薄縁ならば、いっそう飾り映えがする。
今回、良い職人さんに巡り合えたことは、本当に幸運だった。彼の仕事ぶりからは、畳への愛情と意欲が十分に感じられた。そして、お父さんと一緒に仕事をしている姿がまた良い。立派な後継者を得ても、体の続く限り仕事を続ける父と、懸命に励む息子。そんな二人の姿を見ると、「職人という生き方」の素晴らしさが実感出来た気がする。
改めて美しく設え直した畳を見ると、私も新たな気持ちで、仕事に臨むことが出来る。呉服屋にとって畳は、やはり特別な道具である。
仕事が終わった後、塩澤さんに、「どうしてお父さんの跡を継いだのですか」と聞いてみました。彼は、子どもの頃から畳屋になると決めていたそうです。そしてまだ小学生の息子さんも、「畳屋になると言ってますよ」と、嬉しそうに答えてくれました。
「親の背中を見て子は育つ」とは言うものの、家業を受け継ぐことが難しい時代。迷い無く生きる道を選ぶ人は、潔く清々しい。こんな職人さんの手で、伝統産業が支えられていることを、忘れてはなりませんね。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。