日本の休日制度は、1876(明治9)年の太政官布告により、初めて法的に定められた。最初に対象となったのは官庁で、毎週日曜日を休日に、そして土曜日を半休としたのである。この時の週休制の導入は、欧米の制度に倣ったものだが、最初は公的機関以外に広がりが見られなかった。
それもそのはずで、その頃の日本には、まだ「会社・企業」と呼べる組織がほとんどなく、あったとしても商家くらいで、しかもそのほとんどが家業形態であった。明治以前、商家で働く者の休みは盆暮れの節季のみで、他に定期的な休暇は無く、ほぼ無休。文明開化の時代になったと言えども、その慣習を変えることは難しかったのである。
会社組織が整備されるに連れて、民間でも日曜休み・週休制度が普及し始めたが、家業経営の商売の家は、いつまでも古い慣習を引きずっていた。うちの店でも、私が小学生の頃(昭和40年代)にはまだ、月に2日(5日と20日)だけが休みで、週休制度を採っていなかった。その後高度成長期を過ぎた頃、ようやく週休制(木曜日休み)を導入したが、個人経営だけに、一般企業のような隔週週休2日や、完全週5日制を望むべくもなかった。
しかし先代が引退して、夫婦二人だけで仕事をするようになり、また自分達の年齢も上がってくると、「店を開け続けるこだわり」が薄くなった。3年ほど前からは、木曜日の休みに加えて、隔週水曜日も休日とし、世間から20年以上遅れて、ようやく隔週週休2日制が実現した。そしてこれに止まらず、盆と正月の他に、5月のゴールデンウイークにも、まとめて休日をとるようになった。
だが現在、店を閉めている日は多くなったものの、実際には仕事をしている。数えてみると、バイク呉服屋の休日は、月に2~3日しかない。これでは、昭和40年代と同じである。しかし、お客様から仕事依頼があるからこそ休めないということなので、これはこれで、有難いと受け止めなくてはならない。
今年も、今日から始まる連休後半は休みを頂くことにしたが、ブログは更新しておきたい。そこで昨年5月の連休同様、少し手抜きをさせて頂き、これまでの稿でご紹介した品物を、画像で振り返ってみよう。昨年は加賀友禅であったが、今年は帯。帯と言っても沢山掲載してあるので、今回はその中から「紫紘」の帯に限定して、ご覧頂くことにする。
なお、品物を詳しくお知りになりたい方、また改めて記事をお読みになりたい方は、画像の下に記してある期日の稿を、ご参考にして頂きたい。では、始めてみよう。
(紫紘 西陣・東千本町 本社玄関前)
(小袖几帳重ね文様 袋帯 2013.7.21)
(荒磯文様 九寸名古屋帯 2013.6.4)
(ペルシャ花文様 袋帯 2014.3.26)
(桜文様 袋帯 2014.4.20)
(光琳流水に四季花文様 袋帯 2014.12.10)
(横笛文様 袋帯 2015.2.11)
(雲取大扇面重ね文様 袋帯 2015.3.5)
(雨垂れ雫文様 紗袋帯 2015.7.20)
(波紋文様 紗袋帯 2015.8.2)
(胡蝶の舞文様 袋帯 2016.1.8)
(菱取向い蝶文様 袋帯 2016.1.12)
(唐花に瑞鳥文様 袋帯 2016.8.19)
(ヴォン・ボヤージュ文様 袋帯 2016.9.21)
(白砂名庭文様 袋帯 2017.1.10)
(左から 大彩波文・雲取能衣桐蝶文・七宝大華文 袋帯 2017.1.29)
(白鷺に秋草文様 袋帯 2017.3.14)
ウイリアム モリス・木に鳥文様 九寸名古屋帯 2017.3.29)
(松重ね文様 袋帯 2018.1.20)
(菊唐草菱花文様 袋帯 2018.4.29)
この5年の間で取り上げた、紫紘製作の帯・21点をご覧頂いた。改めてこうして揃えてみると、この織屋の懐の深さがよく判る。小袖几帳文や横笛文などは、このメーカーの得意とする平安王朝的な貴族文様であり、ヴォン・ボヤージュやモリス・木に鳥には、既存の題材に捉われないモダンさが、見て取れる。また、振袖や若々しい訪問着に合わせる帯は、大胆な構図を取りながら、カチッと着姿を抑える、いわゆる「決まる帯姿」になっている。
古典文様を尊重しながらも、今の時代に受け入れられる、斬新なモノ作りを続ける紫紘の帯を、これからも折りあるごとに、ご紹介してきたい。
最初にお話したように、今日の稿は、手抜きをさせて頂くつもりでしたが、それぞれの帯を紹介した稿や画像を探すことは、予想以上に大変で、逆にいつもより、時間がかかってしまいました。
それでも、読まれた皆様が、連休の暇つぶしにでもなっていたのなら、嬉しいですね。私も、3日ほど休ませて頂きます。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。