新聞記者にとって、記事を書く上で最も重要なのが、「裏を取る」ことだ。これは、報道する内容が真実か否か、証言者から確固とした言質を取ったり、証拠となるものを確認することを意味する。裏付けが無ければ、安易に情報を流さない。これは、読者はもちろん、社会全体が持つマスコミへの信用を汚さないためのルール。真実だけを伝えることが、報道する側の最大の責務なのである。
しかし、インターネットで飛び交う情報には、何が真実で何が嘘なのか、よくわからないものがある。これは発信者が、裏取りを疎かにしていることはもちろん、その匿名性にも、大きな原因があるだろう。
誰でも発信者になり得るツイッターなどは、手軽にリアルな情報を発信できる便利なツールだが、発信できる文字数はわずか140文字。短文の中に情報を詰め込もうとすれば、どうしても内容を省略しなければならず、いわゆる「ワンフレーズ」に集約されかねない。これでは、どこまで正確に情報を伝えることができるのか、疑問が残る。
そして、言葉の使い方を誤ると、発信した内容が自分が意図したこととは違う方向に誤解され、批判を受けたりする。そして恐ろしいことに、その批判は連鎖し、あっと言う間に「炎上」する。
たった一言の呟きが、その人の人間性までも破壊してしまうこともある。ネット社会は、そんな恐ろしさを秘めていると、自覚するべきであろう。不特定多数の人に、簡単に情報を流せるという便利な道具は、それ相当のリスクが潜んでいるのだ。
さて、この「誰が技を繋いでいくのか」の稿を書き始めたのは、一人の西陣織職人がツイッターで発信した内容が多くの人に批判され、炎上したことが契機となっている。
「脈々と続いてきた織技術を誰かに残したい」、彼はその一心で職人を募集したのだが、半年は無給で、その先の仕事の有無は保証できないなどと書いてしまったので、世間から「ブラック」と烙印を押され、批判を受けた。
けれども、このツイッターの短文の中には、西陣だけではなく、業界全体が抱える問題を多く含んでいる。それは、世間からは全く判り難いことであり、業界では「見て見ぬ振りをしていること」だ。そこには、作り手の後継者不足や低賃金労働、さらにその背景にある歪んだ流通体系などが透けて見える。これらは、伝統産業を自負する呉服業界で生きる者なら、誰もが問題意識を持つべきことと思う。
前回の稿からは、かなり時間が経過してしまったが、今日はこのテーマの最後として、織職人たちが置かれている厳しい現状を、今後どのように改善したら良いのか、小さな小売屋の立場から考えてみたい。もちろん現状を考えれば、実現することは難しく、空論であろう。だが、私が理想とするところをお話してみよう。
西陣手織協会で発行している手織り帯であることの証明書・手織の証。
先日、京都のある染メーカーの社長と、職人の分業制度について話をしてみた。このメーカーは、数はそれほど多くはないが、絵羽モノや付下げ、小紋、長襦袢などを自社製作している。
無論この会社も、自分のところで社員として職人を抱えている訳ではなく、プロデューサーの役割を果たしているだけ。実際の仕事は、ディレクターである悉皆屋(染匠)の親方の所へ持ち込んでおり、そこから、各々の職人へ分散されていく。いわば、伝統的な「分業システム」に則って、モノ作りが進められている。
この社長も、職人の高齢化と後継者不足という厳しい現状は、重々承知をしている。この問題が近い将来、モノ作りに大きな影響を及ぼすことも、容易に予測出来ると話す。けれども、具体的にどのような解決策があるかということになると、答えは出てこない。これは、このメーカーに限らず、モノを作っている会社なら、どこでも同じらしい。
話の中で、一番問題になる点は、従来の分業システムにあるという。これは、西陣の帯も京友禅も同じである。染、織ともに、一つの品物が完成するまでに、多くの工程を経る。そこには、その仕事のスペシャリストと言うべき職人が存在し、品物は職人の間をぐるぐる巡っていく。
さて、その分業で成り立つ西陣織や京友禅ではあるが、職人それぞれには、所属している組合がある。西陣織を統括しているのは、メーカー各社が会員として加盟する西陣織工業組合であることは、ご承知の通りだ。では、帯の製造に関わる職人達の組合は、どのような組織になっているのか。
帯を織るにあたって、まず考えなければならないのは、どのような図案にして、どんな色、また性質の糸を使って織り上げたらよいのかということだ。この、帯の設計図=紋意匠図を描く職人が所属する会社・個人が加盟しているのが、西陣意匠紋紙工業組合である。半世紀ほど前までは、膨大な紙媒体を使って紋図を起こしていたが、現在はデジタル化され、一枚のフロッピーデイスクで完結するようになった。
また、帯の原料である糸をコーティングする職人の組合もある。京都金銀糸工業組合は、金銀糸を加工する会社が所属する団体で、現在33社が加盟している。金銀糸には、和紙に箔を押して製造する本金糸と、ポリフィルムに色を蒸して吸着させて作る糸とがあるが、いずれにせよ金銀糸の生産に携っている。
この金銀糸を生み出すためには、箔押、蒸し、裁断、着色、撚りと様々な工程があるが、そこにも専門の職人を有する会社・個人の存在がある。金銀糸全ての工程を含めた、いわゆる一貫生産をする会社もあるが、多くは工程ごとに存在する専業の会社へ仕事を出す。原料の金銀糸一つを作ることもまた、分業なのだ。この工程ごとの仕事を請け負う会社・個人が所属しているのが、京都金銀糸振興組合。現在の加盟社は35。組合のHPを見ると、加盟している会社は、箔押部・着色部・スリッター(裁断)部・丸撚部など、工程別の部会に分けられている。
紫紘の織場にある巨大なジャガード機。糸が出来上がり、織り作業に入る前の準備工程として、整経と綜絖がある。
整経(せいけい)とは、精練された糸を、帯に必要な長さと巾に均一に揃えて、ドラムに巻き取った後、千切(ちぎり)と呼ぶ円柱状のものに巻き取る作業。ほとんどの場合、この仕事も専業とする職人に委託される。この職人は多くが個人経営で、西陣整経組合という同業者団体に所属している。
また、綜絖(そうこう)は、「西陣織工程の肝」とも言うべき大切な作業。上のジャガード機でも判るように、何千本もの経糸があるが、織作業の前には、帯の模様に合わせて経糸を引き上げ、緯糸の通る杼の通り道を作らなくてはならない。そのため、数千本もの経糸の長さを揃え、一本一本結んでいく。その後経糸は、決まった巾の筬(おさ)に引き通される。筬は、薄い竹の間に糸を通すことで、糸の並び方を一定に整える「櫛」のような役割を果たしている。これにより、緯糸を手前に打ち込んで、織り上げることが出来る。もちろん、この重要な綜絖工程にも、専門とする職人があり、仕事が発注される。この職人達の組織が、西陣織綜絖組合である。
これまで、一本の帯を製作する分業の工程を辿り、そこに存在する職人集団と組合の存在があることを記してきた。では、最終段階として肝心な帯を織る工程は、どうなっているのか。
メーカーでは製織を、自分の会社内で織職人を社員として雇い、織作業を行う・内機(うちばた)と、外注に任せる出機=賃機に分けている。これまで話してきたそれぞれの工程も、外注に出すことがほとんどであり、帯を織る作業も同様に、内機は少なく、出機に任せることの方が多い。
ツイッターで物議をかもした織職人も、メーカーから委託を受け、出来高払いで仕事を請け負う出機(賃機)職人の一人だ。この賃機職人達には、他の工程の職人と、決定的に環境が違うことがある。それは、組合が無いこと。つまり、賃機職人同士の横の繋がりが無く、それぞれ孤立した存在になっているのだ。
もし、賃機職人にせめて組合があれば、団結して低賃金の仕事に異議ををとなえることも出来よう。そして、条件闘争に持ち込むことも出来るかもしれない。だが現在のように、同業組織を持たない個人経営では、メーカーの無理な要求に抗うことは、非常に困難である。それだけ、弱い立場に追いやられている。
織仕事だけでは、生活が苦しく、他にアルバイトをしなければ生きてはいけない。最盛期に比べれば、帯そのものの生産本数は激減しており、それだけでも苦しいのに、その上織工賃まで不当な低価格に抑えられてしまっては、どうにもならない。最初のこの稿でもお話したように、今の工賃は、現在仕事をしている職人の平均年齢が75歳であり、すでに年金が支給されているからという、きわめて身勝手なメーカー側の考えで設定されていることが多く見受けられる。
これでは、何のために織り仕事をしているのか、わからなくもなろう。そこから、生活の糧を見い出すことは、非常に困難である。こんな状況では、自分に子どもがいたとしても、後を継がせようなどとは、考えもしないだろう。
では、この苦しい環境を少しでも変えるには、どうすれば良いのか。それは、何はともあれ、職人同士が結束することだと思う。組合を作り、団体で価格交渉をする。賃機といっても、力織機を使うところ、手機のところ、つづれ機のところ、と織工程に違いはある。だが、メーカーから仕事を請け負っていることに変わりはない。
もっと劇的に変えるのなら、組合ではなく、会社組織としてまとまってしまうほうが、早いかもしれない。例えば社名を、「西陣請負機工業」などとして、今存在している個々の賃機職人は、そこの社員となる。そうなるとメーカーは、現在のように、個別に仕事を発注することが出来ず、必ず、この会社を通さなければならなくなる。
織工賃は、この織職人集団の会社と、メーカーという、いわば会社同士の交渉となる。個々の賃機職人は、自分の立場を強くすること以外に、今の状況を抜け出すことは無理である。それぞれの個人の事情はあるだろうが、まず何より「大同団結」する必要があろう。
職人会社の設立は、織工賃の改善以外にも、メリットは沢山ある。それは、社員となった働き盛りの職人に、より多く仕事を回して、沢山給料を取ってもらうことも出来るということだ。
現在の職人平均年齢が75歳で、そもそも若い世代の職人は少ない。ベテラン職人にも、仕事が出来るうちは、社員としてこの会社に入っていてもらうが、実際に機を動かすことよりも、技術指導という立場で、会社に貢献してもらう。そして、働き盛りで生活のかかる若い世代には、手厚い給料を、ベテラン達には、少し抑え目に給料を払う。
ベテランと若手が一体となって会社で仕事をすれば、そこは、高い技術を継承する場ともなり得る。生活の安定と技術の継承という今の課題を、一挙に解決出来る可能性を秘めているのではないだろうか。
この「会社化」は、賃機職人ばかりではなく、数が少なくなっている整経や綜絖職人でも、同様に考えられよう。双方ともすでに組合があるのだから、これを会社化してしまうことは、賃機よりも実現性はあるだろう。(それでもハードルはかなり高いが)。
個々の職人が、メーカーから直接仕事を請け負うという、これまでの分業の慣習に任せたままでは、いずれどうにもならないところに追い込まれる。個人では、将来が見通せない現状だと、いつ仕事を辞めてしまうかわからない。分業という形態は変わらずとも、職人が一つの塊となって、仕事を請け負うならば、それは職人個々の立場を強くし、仕事の継続にも繋がるように思う。
本来は、メーカーが全ての工程の職人を社員として雇い、一貫生産出来たならば、こんな問題は生まれてこない。だが、職人達が独立したそれぞれの持ち場で技術を磨き、仕事を請け負ってきた分業制度は、効率的にモノ作りをするために考え出された、西陣の智恵であった。
すでにメーカーの力は衰え、社員を抱える余裕は、ほぼ無い。とすれば、分業制度を残しつつ、職人を維持する道を考える以外に、方策は無いだろう。現状のまま朽ちていくことを、「時代の流れで仕方が無い」と為すがままにしていれば、何も解決しないことだけは間違いない。
現在、どの工程に置いても、西陣の職人が請け負う仕事は減っている。メーカーは、より安い工賃で仕事を請け負う、丹後地域への仕事を増やしている。特に賃機には、その傾向が強い。帯一本を織り上げて、工賃が千円にも満たないといった耳を疑うような話も、漏れ聞こえてくる。
こんな現状を考えると、賃機職人をこぞって集め、会社組織にするなど、夢のまた夢であろう。何とか業界の中から、危機意識を持って、現状を打破しようとする人物は出てこないものか。我々のような立場では、そんな淡い期待を持つより、方策は見つからない。
かつて西陣は、賃機職人の家の隣に、図案師の仕事場があり、その隣には、綜絖職人の家が軒を並べるというように、様々な職人が混在して町が出来ていました。それは、西陣全体が、一つの工場となっていた証とも言えましょう。
分業は、個人単位で仕事を請け負うという、小規模で零細な形態を継続させてきました。メーカーが仕事を出していた所は、ほとんどが代を繋いで人間関係を維持してきた、職人個々です。まさに仕事のやり取りは、長年培われてきた信頼を土台にしてきたのです。
この人間くさいやり取りこそが、西陣織を今に残す原動力でした。そして、西陣の町姿は、この分業の形態を如実に示していました。今、職人の仕事場だった西陣の町屋は、一軒また一軒と姿を消しています。中には、観光客向けのお洒落なカフェや雑貨店に、姿を変えている家もあります。
こんな現状は、消費者の方々からは、ほとんど見えてこないでしょう。煌びやかな帯だけを見ていれば、西陣の生産現場のことを伺い知ることなど、到底不可能です。ですが私は、こんな「陰」の部分があることを、ぜひ皆様に知って欲しかった。
僅か数文字でつぶやかれた賃機職人の言葉には、彼の仕事を取り巻く厳しい環境が、隠されています。それを知らずに、言葉尻を捉えてただ批判をするだけでは、本質が見えてきません。
簡単に情報発信できる今の社会ですが、どんなことでも、一度立ち止まって熟考すること、そして自分で裏を取り、何が真実なのか深く知ることが必要ではないでしょうか。日常の中で、「情報を鵜呑みにしない」ことは、私自身も自戒したいと思います。
今日も、長い話にお付き合い頂き、ありがとうございました。