建築物の配置や装飾品の図案では、色や形状が中心軸を境に左右とも、同形で均等に配置されていることが多い。この相称性のことを、シンメトリーと呼ぶ。人の心理として、左右にズレや歪みがなく、均等であるものに対しては、自然と美しさや安定感が喚起される。つまりシンメトリーは、人に最も好印象を残す様式美だと言えるだろう。
そのため、古来より洋の東西を問わず、多くの建築物にはシンメトリーが採用されている。自然な美しさだけでなく、威厳や重厚さをも感じさせることが出来るため、有名な宗教的建造物や美術館、王宮などに、その形状を多く見ることが出来る。
例えば、パリの有名な建造物でも、ノートルダム大聖堂(1345年竣工)・ヴェルサイユ宮殿(1682年建築)・ルーブル美術館(1793年開館)と、どれもが意識的に左右対称の姿として映し出されている。現在日本でも、このシンメトリーの美しさは、国会議事堂や東京駅の駅舎に代表され、その姿を見ることが出来る。
日本の建造物におけるシンメトリーの始まりは、やはり仏教寺院の伽藍配置からではないだろうか。6世紀の仏教伝来を期に、多くの寺が建立されたが、聖徳太子建立の最古の寺・四天王寺から始まり、飛鳥寺や法隆寺、薬師寺、東大寺、大安寺など、伽藍様式は異なるにせよ、いずれもシンメトリーを採用している。
四天王寺は、鐘楼と経蔵を左右対称に置き、他の建造物は南大門から北へ一直線上に配置されている。また、法隆寺では塔と金堂、経蔵と鐘楼が左右対称、薬師寺や東大寺は、二つの塔が東と西に向き合って建てられている。仏教が広まるに従い、荘厳な建造物を建立し、その配置にはシンメトリーを使って、美しく見せる。この様式の美しさは、1500年も前から、全く同じように捉え続けられているのだ。
仏教が伝わって以降、最も信仰心の厚い天皇と言えば、東大寺・国分寺の建立を指示した聖武天皇以外にはあるまい。御本尊・盧舎那仏(大仏)は、工期7年、約250万人もの人々を動員して完成させている。この規模こそが、天皇の信仰の深さを象徴しているだろう。
聖武天皇が亡くなったのは、756(天平勝宝8)年5月のこと。この四十九日法要(七七忌)の際に、后である光明皇后が、天皇の冥福を祈って遺愛の品々や多数の宝物を、東大寺の盧舎那仏に献納した。これが、正倉院の始まりである。
数々の献納品は、目録・東大寺献納帳に記載される。この「国家珍宝帳」に記載している品物が、宝物と認定され、収蔵された。袈裟や帯、刀や念珠などの服飾品や書を始め、琵琶、琴、笛、笙の楽器類、さらに棊局などの遊戯具、弓や刀剣の武具、鏡や屏風などの調度品に至るまで、宮廷生活で使用された多くの品々が、含まれている。
そんな数々の遺愛品には、天平という時代を彩った、様々な装飾デザインが見られる。そしてやはりその文様にも、美しいシンメトリーの姿が見て取れる。今日は、そんな正倉院の文様をモチーフにした、龍村の袋帯を二点、ご覧頂くことにしよう。
(若草色地 オリエント壇文様 袋帯・龍村美術織物 笛吹市・I様所有)
古代オリエントとは、ナイル川流域のエジプト、チグリス・ユーフラテス川流域のメソポタミア、さらにペルシャを含む地域を指し、年代は、紀元前4000年~400年あたりまでである。現在の国名で言えば、エジプト・イラク・シリア・イラン・アフガニスタンということになり、今まさに混迷を深めている中東の地にあたる。
文明発祥の地であるオリエントでは、多くの文様が形成される。この代表的なものが唐草・唐花文様であり、その形状は多種多様を極める。これが、西アジアから、シルクロードやインドを通り、中国、朝鮮を経て日本に伝わってきた。文様は、通過した個々の地域でアレンジされ、変容したものも多い。遣隋使や遣唐使制度が確立され、定期的に大陸と直接繋がるようになった飛鳥から天平期は、文様の流入と共に、大きく装飾が変化した時代となった。
唐花・唐草については、今まで何回かこのブログでも御紹介してきたが、文様の形ごとに、ある一定の法則が見られるように思う。これは、それぞれの模様が発祥した地域の特徴や、歴史的な経緯、さらにモチーフとした植物の種類によって、様々に形成されているからであろう。
では、今日御紹介する帯の文様には、どのような意味があるのか、考えてみよう。
帯にあしらわれた文様の中心は、大きな円の中の8枚の花びら。それはまるで太陽のようにも見える。また中心には、図案化された二匹の鳥が向かい合っている。
この帯図案のように、花弁が放射状に広がる円形の花文様のことを、「ロゼット」と呼ぶ。すでにこの形は、紀元前4000年頃のメソポタミアの守護女神・イナンナのシンボル(円柱状に編んだ藁束)に見ることが出来る。
唐草・唐花文様の基礎になっている植物の中で、アカンサス(葉アザミ)・パルメット(忍冬)・ロータス(スイレン)は最も重要視されるだろう。アカンサスとパルメットを繋いだ唐草は、波状唐草と呼ばれ、それは後にアラベスク文様の基礎となる。生き物の表現が制約されるイスラム教において、この文様は重要な役割を果たし、モスクなど多くの建築物の内部装飾にあしらわれてきた。現代でも、イスラム美術の中では、欠かせない文様になっている。
ヨーロッパでは、円形花文=ロゼットの原型植物をバラとしている。しかし、オリエント地域に見られるロゼットでは、バラの花を想起出来ない。では、どの植物かと言えば、それはスイレンである。
この文様の起源となったエジプトでは、朝に開き夜に閉じるこの花を、太陽に見立てて慈しんだ。つまり、ロゼットという文様は、太陽の光がスイレンの花に投影されたものということになる。だから、この帯文様の図案を見ても、光を放つように円の中心から、放射状に花弁が描かれており、それが太陽のように見えているである。現在でも、エジプトの国花はスイレン。いかにこの花が、この国の歴史と強く結びついているかが、わかる。
地色は、鮮やかな若草色。模様の配色はインパクトのある朱と空色にほぼ限定されている。ロゼットの周囲には、忍冬をモチーフにしたパルメット唐草の姿もある。図案と配色それぞれは、上下・左右に対称的なシンメトリーの形式を、きちんと取っている。
中国・唐代に生まれ、天平期に日本にやってきた宝相華(ほっそうげ)文様は、唐花(八つのことが多い)を環状に繋げた形状のモノが多いが、モチーフは、牡丹あるいは蓮とされている。蓮は、仏教においては象徴的な花であり、仏教美術には欠かせないものだ。やはり蓮という植物は、唐草文のモチーフとして、重要な役割を果たしていたと言えるだろう。
正倉院の宝物の装飾では、パルメット唐草、ロゼット、宝相華と、様々な唐花・唐草の形を見ることが出来る。それぞれの文様には、辿ってきた経緯や歴史が内包されているように思え、興味が尽きない。
なお、花弁を太陽に見立て、放射状に描くロゼットの特徴は、日本の文様の中にも見受けられる。天皇家の象徴紋・十六弁菊がそうだ。皇室の租神・天照大神は太陽神であることを考えれば、この図案の意とするところは、エジプトも日本も同じことになる。
この帯を合わせたキモノ。室町期の幻の染・辻が花模様の付下げと、オリエント・ロゼット文様の組み合わせ。柔らかな橙地色のキモノに合わせると、インパクトのある着姿が演出出来る。かなり個性的なコーディネート。文様の起源が全く異なるモノを結び付けられるのも、和装の面白さであろう。
(白地 聖樹瑞鳥文様 袋帯・龍村美術織物 山梨市・I様所有)
先ほどのロゼット文様の中にも、一対の鳥が描かれていたが、正倉院の宝物装飾の中で、特徴的に見られる構図が、樹木の下に一対の鳥、動物が描かれているもの。文様名は、「樹下聖樹文」である。
古代オリエントでは、樹木は命の源として、信仰の対象としてきた。この木のことを、「生命の木」と呼ぶ。メソポタミアの地で生命の木とされたのは、ナツメヤシ。おそらく、この地域の乾燥した気候の中でも、決して枯れることのない生命力を、見てのことと思われる。樹木の下に、一対の動物や鳥を描く意味は、聖なる木から恵みを受ける姿を映すためである。生命の木の下は、楽園になると、言いたかったのであろう。
この文様が、ササン朝ペルシャ(226~651年)で重要視されたことと、正倉院宝物の中にこの文様を数多く見受けられることは、関連がある。ササン朝ペルシャの晩期は、日本の天平期にあたることから、この樹木聖獣文をあしらった装飾品が、シルクロードを通じて唐の都・長安に運ばれ、そこから日本に伝来したと、容易に想像が付くからである。
正倉院宝物でも、樹木の下に置かれた対の動物、鳥には色々なものがある。例えば、「花樹獅子人物文橡綾」では、対の獅子(ライオン)が、「深縹地花樹双鳥文夾纈絁」では、対の鴛鴦、さらに「鹿草木夾纈屏風」では、対の鹿を描いている。また、対ではなく、一つだけを単独で描くものもある。「羊木﨟纈屏風」と「象木﨟纈屏風」では、羊と象が一頭ずつ見える。いずれの装飾文様でも、樹木にナツメヤシが使われていることから、やはり「聖樹文」として、図案を意識していると理解が出来よう。
この帯を使ったキモノは、雲取り切り込みが特徴的な、慶長文様の京友禅振袖。こちらは、桃山期の文様とササン朝ペルシャのコラボ。改めて帯姿を見ると、この樹下聖獣文様が、ナツメヤシの木を真ん中に置き、その下に二対の動物・鳥を相対させる、典型的なシンメトリー模様と理解出来る。左右対称の美しさを、特に感じさせる文様だろう。
今日は久しぶりに、龍村帯に見られる正倉院文様について、お話してきた。今日御紹介した帯は、いずれも30年ほど前にお求め頂いたもの。どちらも、母から娘へと代を受け継いで使われている品物である。だから手入れのために、店へ里帰りしてくる時には、改めて文様の美しさを再確認できる。これも、長く龍村の帯を扱ってきた、一つの恩恵かと思う。
また折りに触れて、特徴的な正倉院文様をあしらった龍村の帯を、御紹介したい。
シンメトリーの持つ印象の良さは、人間の姿でも感じられるようです。人の体は、左右対称に出来ていますが、肩肘をついたり、足を組んだりすると、その形が崩れます。正しい姿勢で正対することが、好印象を受けることに繋がるというのは、理解出来るところでしょう。
という訳で、バイク呉服屋も自分の姿を鏡に映してみました。確かに、顔や体の作りは、一応左右対称になっているように思えますが、顔は怖く、体型も酷いものです。いくらシンメトリーだからと言っても、元々の素材が悪ければ、印象もヘチマもありませんね。駄目だ、こりゃ。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。