迷走していた台風が去ったと思ったら、熱波の到来である。甲府も、ここ2、3日は37℃を越える日が続き、うだるような暑さだ。
長年バイクで外仕事をしていると、感覚的にその日の気温が判って来る。35℃以下なら、走っていれば風は心地よく、ある程度の暑さは凌げる。ただ、38℃近くになると、信号で止まった時に、強い陽射しで「靴が溶けるような感覚」に陥る。そして、全身からは汗が噴出し、くらくらとめまいがする。
こんな暑い日の盛りだと、街を歩くことは大変危険だ。日傘をさして太陽の光を遮っても、通常の体温バランスを保つことは難しい。そこに脱水症状や、血管が拡張することによる血圧の低下がおこり、めまいや頭痛、果てはけいれんや意識障害を引き起こし、ひいては命の危険にも繋がりかねない。
特に都会では、クーラーの室外機から吐き出される熱と、アスファルトに蓄積される熱が、日中の高い外気温と重なり、夜になってもなかなか温度が下がらない。この、熱を溜め込んで逃がさないヒートアイランド現象は、近年の異常気象と密接な関係がある。
昭和30年代の高度成長が始まった頃、人々が憧れたものは、白黒テレビ・冷蔵庫、洗濯機の、いわゆる「三種の神器」と呼ばれた耐久消費財であった。その後時代が進んで、昭和40年代になると、新たに豊かさの象徴となるモノが、もてはやされる。これが、カラーテレビ・クーラー・車で、三つとも頭文字にCが付くことから、3Cと言われた。
3Cの中で、一番普及が遅れたものが、クーラーだった。1970(昭和45)年の普及率を見ると、まだ10%以下でしかない。多くの家では、せいぜい扇風機くらいしか、夏を過ごす道具を持っていなかった。
この時代、人々は暑さから逃れるために、窓を開け放ち、風を入れた。そして、光を遮断するために窓辺にはヨシズを張り、夕方には家の前で打ち水をした。ほとんどの家が木造でクーラーが無いとくれば、家を開け放つしか、手段がなかったのである。
だが機械に頼らず、自分で夏を乗り切る努力をしていたからこそ、この時代の人たちは、体温調節機能が高かったように思う。無論、今と昔では随分住環境も、気候も違うので一概に比較は出来ないが、今ほど「熱中症の危険」が、叫ばれてはいなかったように思える。
さて、こんなに過ごし難くなった日本の夏にも、まだ夏のカジュアルキモノが残っている。今日はそれを、呉服屋の女房の着姿で、ご覧頂くことにしよう。
(山鳩色 井戸枠にフグ浮袋模様・夏琉球絣 生成色 朝顔縞・紗博多八寸帯)
普段は、家でキモノを着て、そのまま車を運転してくる家内だが、夏だけは、着用するモノを何点かを置いておき、店に来てから着替える。借りている駐車場から店までは、7、8分歩くので、その間に汗をかくことが嫌だからだ。
夏に着用するものは、ほとんど浴衣だが、気分を変えたい時や、人と会って外で食事をする予定がある時などに、この夏琉球絣を使っている。もともとは、彼女の母親が持っていた品物だが、これを一度洗張りした後、自分の寸法に仕立直して使っている。
キモノの地色は、抹茶色を黄白っぽくして、少しくすませたような色で、グレーにも緑にも感じられる、なんとも微妙な色合い。絽の白い襦袢に重ねて着用すると、涼やかな色の映りとなる。
染色家・吉岡幸雄は、この色を麹黴(きくじん)色・麹カビのくすんだ緑色、あるいは青白橡(あおしろつるばみ)色・青い状態のドングリの実の色と位置付けている。双方の色は、平安期には同じ色とみなされ、律令細則の一つ・延喜式にも、この色の染色法の記載が見える。(青白橡綾一疋。苅安草大九十六斤。紫草六斤。灰三石。薪八百四十斤 延喜式・巻14 縫殿寮・雑染用度条)
この麹黴・青白橡色は、太陽の色・黄櫨(こうろ)色と同様に、天皇の着衣にしか着色出来ない、禁色(きんじき)の色であった。ほの暗い室内では、黄色みがかった薄茶にも見える色が、太陽の光の下では、不思議な緑色に変化する。
吉岡は、延喜式記載の方法に忠実に従い、染色を試みている。定められた植物染料の刈安と紫根、吉岡にはこの二つの発色を促進するものがアルミニウム塩と判っており、媒染剤を椿の灰汁と見定めた。試したところ、もともと紫根の染色は難しく、そこに刈安を重ねてこの色を出すことは、至難なことと述べている。
この色は、山に生息する鳩の、少し黄色っぽく見える緑の羽色に似ていることから、「山鳩色」とも呼ばれている。
絣の主なモチーフは、カーヌ・ティカー(井戸枠)とビーギャ・ヌ・ミーマガリ(針の付いたフグの浮袋)。どちらも、スタンダードな琉球の絣模様。
夏琉球絣は、別名首里上布とも呼ばれるが、麻織物ではなく絹である。この織物に使う原料糸は、壁糸や駒糸だ。壁糸は、下撚りをかけた太糸と、撚りをかけない細糸を合わせ、太撚糸とは逆方向に撚りを掛ける。こうして出来た糸は、細糸が太糸に絡み付いて、波打ったような姿となる。これを緯糸に使うと、独特のシボ感を持つ織生地となる。
また駒糸は、下撚をかけた糸を数本合わせた諸撚糸(もろよりいと)で、これを最初の下撚とは逆方向に撚りを掛けたもの。固く、シャリ感のあるこの糸を使うと、サラリとした風合いの織生地に仕上がる。
このキモノに触れてみると、この糸質を生かした織物であることが、理解出来る。少しだけざらつきのある、シャリシャリとした手触りは、いかにも肌離れが良く、軽やかな着心地を想像することが出来る。実際に着用している家内に聞いてみても、あまり暑苦しくはならないようだ。下に襦袢を使っていても、綿コーマや綿紬の浴衣を着用した時と比べれば、格段に風が通るとのこと。
合わせた帯模様は、生成色のような地色に、朝顔を織り出した少し太い縞と、抹茶色の細縞を組み合わせたもの。朝顔縞の配色は、ワイン色、薄橙、グレーの三色。この色があることで、単調になりがちな縞模様に変化が付く。
このキモノは、絣模様もシンプルで地色も押さえられ、どちらと言えば地味な印象を持つ。それだけに、使う帯により雰囲気が変わる。後の帯姿を見ると、六本並んだ縞は大胆だが、これくらい帯が強調されないと、着姿が沈んでしまうだろう。そして、ちょっとだけ覗いた朝顔の花文様が夏らしく、明るい地色も爽やかだ。
帯〆と帯揚げは、うっすらと感じられるキモノの緑色と、帯の緑縞を意識して、緑系の色を使っている。緑青色の羅織帯〆と若草色の絽帯揚だが、どちらも明るい色を使い、着姿を和らげる工夫が見られる。
この日は、仕事の合間をぬって久しぶりに東京から戻ってきた長女に誘われて、山梨出身の直木賞作家・辻村美月さんの講演会に出掛けていった。という訳で、履いていった草履と、持っていたバッグも御紹介しよう。
カレンブロッソの草履。軽くて履き心地が良く、楽に使えるので、夏のカジュアル用として重宝しているようだ。偶然だが、台と鼻緒の色がキモノの色とリンクしている。別に、この琉球絣に使うために求めたものではないが、この色だと、薄物に多い白や藍色系のキモノにもよく合う。要するに「便利な色」なのである。
奈良上布のバッグ。これは彼女の母が持っていた品物。またまた偶然だが、草履の台とほぼ同じ芥子色を使っている。製作したのは、1716(享保元)年創業、宮内庁ご用達で奈良晒の老舗・中川政七商店。伝統的な麻織物の技術を生かしながら、現代感覚に溢れた品物を作っている、意欲的なメーカーである。バッグのデザインは、キモノにも洋服にも使えそうな、シンプルなもの。芥子色の布部分が、麻の織生地。
呉服屋の女房と言っても、盛夏に着用するモノは、それほど多く持っていない。毎日の仕事場では、ほとんど浴衣で済ましているので、あえて誂えることは躊躇される。だから、自分の母や、私の母が遺した品物が、とても重宝しているようだ。
今日御紹介した夏琉球絣は、駒糸や壁糸という特徴のある素材を使って織っているために、小千谷縮や近江縮などの麻モノとは、また違う着心地を感じることが出来る。盛夏の薄物は、着用期間が限られているだけに、自分で着用する機会を作る必要がある。そうしなければ、なかなか出番が廻って来ない。
バイク呉服屋は、家内が夏モノを着用する時には、どんなに暑くても、涼やかな表情をして欲しいと思う。これは、酷暑の甲府盆地では無理難題なことと思うが、今のところ、彼女は苦にしていないようだ。嫁いできて30年が過ぎて、少しはこの土地に慣れた証なのかも知れない。では、最後に着姿をもう一度どうぞ。
7日に立秋を迎え、暦の上ではもう秋なのですが、しばらくは暑さから逃れることは出来ないでしょう。特に今年は、梅雨明け以降の天気が安定せず、地域によって暑さに差が出ているようにも感じられます。
ここ数年は、9月になっても気温が高く、従来のようにすぐ「薄物から単衣へと」切り替えられるような気候にはなっていません。着用する日の気温にもよりますが、夏琉球絣のような薄物も、来月10日頃までは使って良いように思います。
夏織物をお持ちの皆様には、この夏、ぜひ着用の機会を作って頂きたいですね。その時には、どんなに暑くとも、涼やかな笑顔をお願いします。
なお、17日までの一週間、休業させて頂きます。その関係で、次回のブログ更新は、20日頃になります。今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。