バイク呉服屋の忙しい日々

その他

2016年 申年を終えて

2016.12 28

バイク呉服屋の仕事納めは、ここ数年、判で押したように、12月28日。ということは、お役所の仕事納めと同じである。一昔前までは、どんな店であれ、大晦日まで営業することが当たり前だったことを考えると、隔世の感がある。

最近では、大半の納品や集金は25日くらいで終わる。その後2日くらいかけて、店の煤払い(大掃除)をする。普段はおざなりになっていた掃除も、本格的にやるとなれば時間がかかる。

煤払いとは、正月の準備を始める「事始め」の一つで、年神様を迎えるために、神棚や仏壇の埃や塵を払い、きれいに清める行事。煤を落とすほどに、「迎える年の神様からご利益が受けられる」とされているため、念入りに掃除が施されてきた。そんな訳で、今も神社・仏閣では、年末の大掃除のことを、「煤払い」と呼ぶ。

バイク呉服屋も、たくさんのご利益は期待しないが、何とか無事に来年も仕事が続けられることを願い、隅々まで埃を落としておいた。

 

さて今年も、去り行く干支・申に関わる文様をご紹介して、稿を終えることにしよう。

 

(チャンカイの申 光波帯・龍村美術織物)

毎年、この最後の干支文様の稿で使うのが、龍村の光波帯だが、それだけこの帯のモチーフが、多彩ということだろう。

この帯の猿は、何とも不思議な図案。帯を縦に眺めると、渦巻きのヒゲが左右に付いた瓶の中に、一対の顔のようなものが見える。「チャンカイの申」と帯に名前がついているので、「猿の顔」らしきものと思われるが、そうでなければ、何だかよくわからない。

 

「チャンカイ」というのは、西暦1000年~1470年頃まで、南米・ペルーのチャンカイ川流域で栄えた文明・チャンカイ文明のことである。この場所は、現在の首都・リマの北方、70キロほどのところにある。

ペルーの世界遺産といえば、険しい山の尾根に残された「天空都市・マチュピチュ」。15世紀にこの地を支配した、インカ帝国の遺跡である。マチュピチュの標高は2400mだが、この国の首都だったクスコは、ここからさらに1000mも上にある。

 

インカ帝国の前身は、13世紀初頭にケチュア族が作った「クスコ帝国」である。1438年、皇帝・パチャクテクが即位すると、他民族の制圧に乗り出し、最盛期には、北はコロンビア、南はチリまで、80の部族・1600万人を支配し、ほぼアンデスの文明圏の全てを掌握する、広大な国家となった。

ペルー中部にあったチャンカイも、当時・クイスマンク王国の支配下にあったが、15世紀後半、インカ帝国により滅ぼされる。

アンデスの文化は、文字を持たず、鉄器がほとんど使われていない。その代わりに、土器が発達し、他では見られない独特の装飾や形のものが作られている。また、古くから染織技術が進み、地域ごとに個性的な織物が生産された。インカ帝国以前のアンデス文化は、「プレ・インカ」と呼ばれるが、チャンカイ文化もその一つであり、遺跡からは、個性的な土器と、多様な織物が見つかっている。

 

図案を横に拡大してみた。こうすると、確かに猿で、渦巻きのヒゲは尻尾で、壺のように見えたのは、二匹の猿が手を組み合っているところである。

チャンカイから出土した土器は、白地に黒模様のものが多く、中でも、人形の形をした壺は、人の顔をユーモラスに描いているものが多い。他のモチーフは、鳥や魚、果物、そして特有の幾何学文様なども使われている。

 

アンデス文明は、紀元前3000年に、南米中部の太平洋沿岸(現在のペルー)で起こり、紀元前2500年には、すでに綿織物とおぼしきものが織られていた。

材料は、アルパカ・リャマなどの獣毛と木綿。とりわけ綿は、毛先が長くて細い、いわゆる長繊維綿が使われており、現代の稀少品・海島綿の原型とされるものであった。アンデスの人々は、このしなやかな糸を紡いで、多様な織物を作った。

アンデスの染織品には、時代や地域ごとにそれぞれの特色がある。例えば、ナスカ文化(AD1~600年)・ティワナク文化(AD1~900年)・ワリ文化(AD800~1000年)等々。チャンカイの織物には、それまでの技法をほとんど網羅するかのように、多種多様な手の込んだ品物が見られる。

 

例えば、刺繍のように見える「縫い取り」は、模様を表現しているのは緯糸で、地糸とは異なる色糸で、織られている。モチーフには、鳥が多く、猫や猿、蛇などの文様も見られる。アンデス文明は、文字が無いため、織物に使われる図案には、何かを伝える意図がかい間見えることもある。

また、二重織やチャンカイ・レースなど、アンデス特有の技法を駆使したものがあり、交差した経糸を緯糸で止め、文様を表す捩(もじり)織は、中国や日本の羅と同じように、経糸を複雑に絡み合わせた「編み物」のような織物である。チャンカイの染織品からは、現代の日本の織物技術を、幾つも見ることが出来る。

糸の染料も、赤い色は茜やコチニール(カイガラムシから抽出されたもの)、青は藍、また黄色はウコンなど、それぞれに天然素材が使われている。これを多様に組み合わせて、多彩な色が生まれており、その色数は、200色にも及んでいる。

 

日本に「チャンカイ文化」を伝えたのは、秋田県出身の実業家・天野芳太郎。戦前、日本の事業で得た資金を持って、中南米・パナマに渡り事業を始める。その後、チリやエクアドル、ペルーと順調に事業を拡大したものの、太平洋戦争でアメリカと開戦すると、スパイ容疑で拘留される。

終戦後、一時日本へ戻ったものの、再びペルーに渡って事業を再開。同時に、リマに在住していた天野は、アンデス文明の研究を志し、1953(昭和28)年にチャンカイでの発掘調査を開始。そこで見つかった土器や染織品を、日本に紹介したのである。1964(昭和39)年、リマに天野博物館を開館し、貴重な織物や土器を数多く展示している。

 

龍村の帯文様を辿ると、沢山の知識が得られる。この「チャンカイの申」でも、アンデスの織物の歴史はもとより、文様の礎とも言える人物にまで行き着いた。

申年は去ってしまうが、来年も様々な文様のことを伝えていきたい。少しでも皆様に興味を持って頂けるように、楽しく、丁寧にお話したいと思う。

 

今年76回目になる最後の稿を、ようやく書き終えることが出来ました。今年、このつたないブログを訪問してくれた14万人もの方々に、本当に感謝致します。下手な文章でも、読んでくださる方の存在は、何よりの励みとなりました。

来年も、同じようなペースで、呉服屋に関わる多くのことを、書いていこうと思います。日々の仕事の中で気になったことや、職人さんの仕事、品物のことなど、内容が偏らないように、工夫していくつもりです。

最後に、今年このブログを通して、お会いすることが出来た多くの方々、本当にありがとうございました。遠方からわざわざおいで下さった方、またお邪魔させて頂いた方、私にとって、そんなご縁を頂けたことが、何よりの喜びです。来年も、多くの方とお会い出来ることを願いつつ、今年の稿を終わることにします。

皆様、来年もどうぞよろしくお願いいたします。良い年を、お迎え下さい。

 

なお、来年のブログは、1月6日か7日に再開する予定です。また店の営業は、1月7日の土曜日からです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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