我々世代の男子が、針を持つ授業を受けたのは、小学校5、6年の時だけである。糸の玉結びや玉止めを覚え、返し縫いの練習を繰り返して、ボタン付けをしたり、ミシンを使って、雑巾を縫ったりもした。バイク呉服屋は、手先がひどく不器用だったので、この、家庭科の課題には、悪戦苦闘した記憶がある。
その後、中学校では、技術・家庭科となってカリキュラムが男女別に分れ、高校になると家庭科という科目そのものが、男子には無かった。つまりは、裁縫の経験がほとんどないまま、大人になってしまっている。
中学校における男女別の家庭科というのは、1962(昭和37)年の学習指導要領の改訂によって始まり、1980(昭和55)年まで18年間も続いた。この時の男子・技術科の内容は、製図・木材加工・金属加工・機械・電気など、女子・家庭科は、食物・被服・住居・保育などであった。
1981(昭和56)年から1992年(平成4)年までは、それまで男女別に分れていた内容を統合し、その中から自分で学ぶ項目を選択する方式となる。ただこの時は、項目全てが自由に選べるわけではなく、男女別に必修内容が分れていた。
この家庭科・男女別履修は、80年代の初め頃から、「女性差別」に抵触するのではないか、という批判を受ける。それが、「男女共修」の流れとなり、1993(平成5)年に、男女同一のカリキュラムとなったのである。
以前の家庭科には、「被服」という学習項目があり、ワンピースやスカートを作る授業があった。だが、洋服は縫っても、和服に関わることは、ほとんど教えられていなかった。それでもまだ、70年代までは、一部の学校では浴衣などを縫うこともあったようだが、90年代になると完全に姿を消した。
「女性は家庭の中に生きる」とされていた戦前では、今と比べ物にならないほど、女子の家庭科教育は重要視されており、中でも「裁縫」は、一つの教科にもなっていた。当時は、洋服を着用出来たのは上流階級の一部で、庶民のほとんどが和装だった時代。子どもの頃から、キモノや帯の縫い方を覚えなければ、日常の家庭生活を送ることが出来なかった。
だから、戦前教育を受けた方は、自分のキモノは自分で縫うことが出来たのだ。そればかりか、自分でキモノを解いて汚れを落とし、洗張りまでした。今でも、昔おばあちゃんが使った「張り板(洗張りに使う長い板)」が残っている、というような家もあるだろう。
時代は移り、自分でキモノや帯の仕立や手入れが出来る人はいなくなり、全ての加工や管理を、呉服屋が担うようになった。これだと、請け負う側の店の仕事次第で、品物が良くも悪くもなる。
どのような職人を使い、どのように仕事を依頼しているか、それにより結果は大きく異なる。それは、品物を間において、店と職人がどのような向き合い方をするのか、ということになる。
そこで、数回に分けて、うちの店と職人の関わりについて、話をしてみようと思う。まず今日は、加工仕事の中心・和裁士から始めてみる。
店で、飛び柄小紋の柄積もり(模様を置く位置を決める)をする、職人の保坂さん。
職人との関わりの中でもっとも重要なのは、「正しい情報を正しく伝える」ということだ。加工を依頼するお客様と、実際に仕事をする職人が、直接相対することはほとんどない。双方の間に立つのは呉服屋であり、依頼人の寸法を正しく測り、それを職人に正しく伝えなければ、きちんとした品物を仕上げることが出来ない。
「正しく伝える」ための大前提は、「正しく情報を得る」こと。これを誤ると、全てが崩れてしまう。もし、呉服屋が寸法取りを間違えると、職人は、その誤った情報の通りにしか仕事を進めない。結果として、着難くくなったり、酷い時は着用不能となる。
「お客様の寸法を測る」というのは、呉服屋の仕事として、基本中の基本だが、きちんと覚えるには、ある程度経験が必要になる。キモノや帯の誂えに必要な寸法は、身長や体重などから、ある程度割り出すことが出来るが、それだけでは上手くいかないことも多い。
例えば、先日お話した裄の寸法などは、呉服屋側とお客様側で長さの意識に違いがあり、話を詰めておかないと思わぬ失敗をする。また、つっ丈(おはしょりのないもの)で使う長襦袢を作る場合などは、きちんとお客様に尺さしを当てて測らなければ、正しい襦袢丈が把握できない。そして、羽織丈やコート丈なども、お客様の好みで長さが変わるため、相談しながら長さを確認する必要がある。
お客様から情報を頂くことは、寸法取りばかりではない。例えば、すでにある襦袢に合わせてキモノを作る場合などは、その襦袢をお借りしなければ、寸法は割り出せない。
お客様からはよく、「キモノと襦袢の裄や袖丈がまちまちになっていて、どれとどれが合っているのか判らない」という話を聞く。これは、「襦袢に合わせる」という意識がないまま、呉服屋が仕立てを受けてしまったことに、他ならない。キモノを作るごとに、襦袢を作るようなことはなく、一枚の襦袢は、多くのキモノに使われる。呉服屋側に、「裄と袖丈を統一しておく」という意識が無ければ、こんな不具合も起こる。
和裁職人に渡す「仕立伝票」。呉服屋の多くは、自分の店の名前が入った「オリジナル伝票」を使っている。昔は、一人の和裁職人が、何軒もの呉服屋から沢山の仕事を受けていた。だから、どこの店から依頼された品物なのか、判るようにしておく必要があったのだ。今は、専属で仕事をしてもらっているので、「店名入り伝票」を使う必要は無いのだが。
伝票記載のある項目以外に、注意しなければならない点があれば、摘要欄に書いて置く。例えば、身巾は狭いのに、極端に裄が長い人や、すこしふくよかな体型なので、抱巾やおくみ巾を上まで広くしておく場合、さらにくりこしを多く取る時や、袖の丸みを通常より多く付ける場合などである。
うちの場合、品物は必ず職人に手渡しするので、口頭で留意点を話すが、忘れてしまわないように、必ず書き残す。そしてもし、新しく作る品物に合わせる襦袢をお客様から預っていれば、それも渡す。
とりあえず、寸法書きを付けた品物を渡しておけば、それで終わりという訳ではない。品物の種類によっては、相談しながら仕事を進めて行かなければいけないものもある。
最初の画像でお目にかけた「店での柄積もり」は、飛び柄小紋や、不規則についた縞の紬を仕立てるような時に、行う。これは、裁ち方一つで模様の出方が変わるため、職人が勝手に決める訳にはいかない。
このような品物を求められた時には、予め「どのような模様にしたいのか」を、私が、お客様に聞いておかなければならない。特に問題になるのは、おくみと衿の模様である。反物上では、おくみと衿は同じ位置のところを半分ずつ使う。そのため、飛び柄小紋などでは、おのずと模様の出方が変わってくる。衿を無地っぽくするなら、おくみには模様が多くなる。また、その逆もある。この違いだけでも、品物の雰囲気はかなり変わる。
マチ針で生地を止めて、模様の入り方を確認する。上の画像は、背にあたるところ。
お客様の希望を理解した上で、それをどのように実現させるか考えるのが、私と職人が店で行う「柄積もり」なのだ。寸法を確認しながら、反物をあちこちにずらし、模様の配置を考える。最終的にどの柄がどこに来るのかまで、すべて確認して、OKとなったところで、裁ちを入れる。一度鋏を入れてしまったら、後戻りは出来ないので、慎重の上にも慎重に事を運ぶ。
反物を裁つ瞬間が、一番緊張すると、保坂さんは話す。鋏を入れる前には、もう一度お客様の寸法を確認しつつ、模様の位置を見る。
相談が必要なのは、不規則な模様の品物だけではない。予め、模様位置が決まっている絵羽モノ(仮縫されている品物)の黒・色留袖や振袖、さらに訪問着、付下げなども、着用する方の身巾の寸法により、少し工夫が必要となる。
付下げの模様の中心となる、上前のおくみと身頃。
着姿として一番目立つ、上前の合わせは、おくみと身頃の模様がピタリと重ならなければ、美しい仕上がりにはならない。付下げなどは、後まで模様の繋がりのあるものは少ないが、裾模様がぐるりと連なっている留袖や訪問着などでは、上前を合わせるだけではなく、後へと繋がる脇部分でも、模様を合わせなければならない。
大概の絵羽モノは、前巾6寸5分・後巾8寸でピタリと模様が重なるように、作られている。この巾は、前・後ともに、通常より5分ずつ広い。そのため、普通の身巾で仕立てをする時には、少し工夫をしなければ、模様が合わなくなる。
例えば、前巾6寸・後巾7寸5分のような、細身の方であれば、当然模様の調節をしなければならない。やはりこのような時は、職人だけで判断することが出来ないので、私と相談しながら模様合わせをして、最終的な巾の寸法を決めて行かなければならない。
和裁職人は、実際にお客様に会っていないので、許容される寸法の範囲がわからない。「前巾を寸法より2分広げると、模様がピタリと合うのですが、どうしましょう」、と私に判断を仰ぐ。私は、その方の体型を直接確認しているので、変えることの出来る寸法の限度が判る。そこで、最終的な判断は、私が下して、ようやく仕事にかかることが出来る。
お客様の寸法通りの身巾で、模様をピタリと重ね合わせることが出来た付下げ。画像でスジの付いている下側が上前のおくみ、上が上前身頃。
上の画像のように、お客様の寸法を調整することなく、模様がピタリと合えば、一番良い。だが、いつもこのように「上手く収まる」ことはない。目立つ上前だけ模様を合わせておき、脇の方が少しずれてしまうことに目を瞑らなければならない時もある。難しい判断をするときは、呉服屋が全ての責任を負うことで、職人の仕事が進んでいく。
稿が長くなってしまうので、簡単にお話するが、新しい品物を仕立る時よりも、むしろ、古い品物の寸法直しをする時の方が、問題が多い。
例えば、裄を広げるために、袖付と肩付部分を解いてスジ消ししたところ、表地にはきちんと縫込みが入っていたが、裏地が入っていないようなケース。こういうことは、良くある事だが、足りない裏地をどのようにカバーするかは、呉服屋が判断して、職人に対処法を指示しなければならない。
袖部分の裏地をそっくり替えてしまうか、それとも足りないところだけにハギを入れて裏を足すかなど、その時々で方策は違う。お客様の希望通りの寸法に手直しする時など、それこそ品物の状態はまちまちであり、職人が手を付け始めて、初めて気付くこともある。
問題にぶつかるたびに、職人と店が協力して対応策を練り、一番良い方法を探す。呉服屋と職人の双方が、常に意思の疎通を図っておかなければ、スムーズに仕事は進んでいかない。お客様から依頼を受けた呉服屋も、実際に仕事に携わる職人も、「納得のいく品物に仕上げる」という目的は同じだ。
だから、品物を出す呉服屋が主で、請け負う職人が従ではない。どちらも、同じ立ち位置で、品物に向き合わなければ、良い結果は出ない。
呉服屋は、高い技術の職人がいるからこそ、良い品物が扱えるし、職人は、店から依頼された仕事があるからこそ、自分の技術が発揮できて、賃金も得られる。主従関係ではなく、対等の立場で、お互いを尊重しながら理解し合うことが、一番大切であろう。
次回は、洗張り職人、補正職人との向き合い方をお話したい。
小学校の時の成績評価は、◎(たいへんよくできました)、○(よくできました)、△(もう少しがんばりましょう)の三段階。バイク呉服屋の家庭科成績は、小5の一学期から、小6の三学期まで、6回連続して△印が並び、「もう少しがんばりましょう」の完全コンプリート。手先の不器用さが、如何なく発揮されました。
技術科となった中学校の成績も、当然ながら酷いもの。当時の評価方法は、相対評価だったので、1と2の間を行ったり来たりしていました。また、美術も、「どんな風景画を描いても、抽象画になってしまう」ような、特異な画風であり、やはり酷い成績でした。
不思議なもので、一番苦手な家庭科や美術に関わることを、生業としています。人間、「覚えなければ困る」と思えば、何とかなるものです。それもこれも、職人さんたちが助けてくれたおかげですね。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。