多くの人は、50歳も半ばを過ぎてくると、定年を意識する。組織に属していれば、第二の人生をどのように過ごすか、否応無く思いを巡らせることになる。自分の趣味に生きようとする人、まだ働く意欲があるので、「第二の職場」を探す人、何をすれば良いのかわからない人。立場や経済的な要因、家庭環境などによって個人差はあるだろうが、一つの分岐点であることに違いはない。
現在、日本人の平均寿命は、男性が約80歳、女性に至っては86歳。仕事を終えた後には、まだかなりの時間が残されている。「働く」こと以外に、何を見つけるかで、老後が変わる。「残り時間の過し方」が、人の一生の中においては、かなり大きな課題と言えよう。
最近友人達には、「オマエは、定年が無いから、うらやましい」などと、よく言われる。もちろん個人経営者には、予め決められた区切りはなく、仕事をどうするかは、すべて自分次第である。とりあえず、年齢によって「強制終了」させられることは無いが、それが良いのか悪いのかは、よくわからない。
事業主の中には、「仕事こそ、わが人生」として、一生現役で働くと決めている人もいるが、バイク呉服屋には、そこまでの執着が無い。後継者がいないこともあるが、もともと自分勝手で気まぐれな性格なので、先のことが決められない。とりあえず、今のまま10年くらいは、仕事を続けるかと、漠然と思っているだけである。
呉服屋になって、三十年。これまでのお客様は、ほとんど自分より年上の方だったが、ふと気が付けば、今は同年代か、若い方ばかりである。特に、ここ2、3年は顕著で、キモノに興味を持ち始めた30~50代の方がよくお見えになる。
店主としては、そんな方々に、キモノを長く楽しんで頂けるように、様々なことを伝えて行かなければならない。それは、質の良い品物を提案するだけでは駄目で、使い回しや手直し、手入れなど、キモノの扱い方全般にわたり、役に立つ智恵や情報を、お話しておくことが大切だ。
そして、私が店を閉じた後でも、自分が伝えたことをお客様に思い出して頂き、役立てもらえるようにしておきたい。還暦が近くなった私の、とりあえずの目標である。
さて今日と次回の二回に分けて、カジュアルな長羽織を二枚、ご紹介してみよう。どちらも、いわばキモノビギナーとも言うべき、若い方からの依頼品。日常着の楽しさを理解され始めたお二人にとっては、「初めての羽織」になる。「木枯らし1号」の便りが舞い込んだ、今の季節にふさわしい品物になろうか。
(柿色 揚羽蝶飛び模様小紋・長羽織 お客様持込品)
このブログを読んで、店を訪ねて来られる方のほとんどが、30歳代~50歳代。中でも一番多いのが、カジュアルなキモノに関心を持ち始めた若い方である。
キモノを、フォーマルな席での「特別な装い」ではなく、日常に楽しむことの出来る「お洒落着」として捉える。そんな方々にとって、品物を選ぶことや、コーディネートを考えることは、日常の中のささやかな「潤いの時間」のように思われる。
和装が、「趣味の一つ」として位置付けられていれば、やみくもに費用は掛けられない。そのため、ほとんどの方は、自分の出来る範囲で、無理なくキモノライフを楽しもうと工夫される。今や、インターネットという便利な道具を使えば、何も難しいことではない。ITの普及は、和装の敷居を確実に下げたと言えるだろう。
一昔前までは、「初めてのキモノ」を作ろうとすれば、呉服屋の暖簾をくぐるしかなかった。若い方など、一人で店を訪ねることには、かなりの勇気が必要であり、おいそれと近づくことも出来なかったに違いない。それに、一般的にキモノや帯の価格は、「高いもの」と認識されていて、「とても自分が買えるような品物ではない」と考えられてもいた。
ネットは、そんな「手の届き難いモノ」を身近にした。品物は、入り難い店など行かずとも、自由に見ることも出来るし、面倒な会話もせずに購入することも出来る。また、価格を比較することも、欲しいモノを探すことも容易に出来る。
品物を安く手に入れることを考えるならば、実在店舗やネット専業店よりも、オークションで探す方が手っ取り早い。出品されているものは、仕立て済みの古着も多いが、反物のままのモノもかなりある。買ってはみたものの、仕立てをすることなく家の箪笥に眠っていた「個人からの出品」や、品物を見切った「呉服屋からの出品」など、出所は様々である。
いわば、「新古品」である反物の価格は、驚くほど安く、1万円以下で落札されるものもかなり多い。少し品物の知識のある方ならば、思わぬ品物が安く手に入ることもあるだろう。
「選んだ品物が失敗しても、安い価格ならば、痛手が少ない」と若い方は話すが、なるほどその通りかと思う。ネットでの買い物は、全てが「自己責任」なので、リスクは避けたい。キモノ初心者ならば、なおその思いは強い。
呉服屋へ行けば、それなりの品物は保証されるだろうが、価格は高いし面倒でもある。それに自分に見合う店がどこなのか、それを探すことだけでも大変なことだろう。
オークションが、品物を手に入れる一つのツールとして、一定の役割を果たしていること。我々小売屋は、それを認めて、理解しながら、お客様の希望に寄り添う役目を果たす必要がある。
今日ご紹介する羽織も、若いお客様が「オークション」で落札して、店に持参された品物。うちで依頼された仕事は、反物の検品整理と、湯のし・パールトン加工、裏地、仕立である。
湯のしを終えた反物と、選ばれた羽裏。
この品物は、予め「しみ汚れ」があると明記されて、オークションに出品されていたもの。最初に、反物全般の状態を見て、汚れの箇所を確認するところから仕事を始める。
特に目立つしみ汚れは、一ヶ所のみ。まずは、補正職人のぬりやさんに送って、汚れを落とす。幸いなことは、色ヤケが起こっていなかったこと。古い品物には、生地の位置により、地色が変わってしまうモノがある。特に店舗に長く置かれたモノは、反物の端と、中に巻き込まれているところでは、色が変わりやすい。飾って表面に出た生地が、店の照明などが原因で、ヤケを起こしてしまうからだ。
色ヤケは、「色ハキ・地直し」という補正の仕事で直すことが出来るが、それが生地の広範囲にわたっていれば、厄介になる。もしも、直しきれない時は、仕立の工夫で、変色したところを使わずに除いたり、表に出て来ない「下前」に入れることを考えなければならない。品物を出品する際に、「しみ」は判っているが、「ヤケ」を確認していないこともあるので、ここは注意を払う必要があるだろう。
柿色というより、「サーモン・ピンク」と呼ぶべき地色。明るいが、こっくりと深みがあり、それでいて優しい色。また、季節が深まる秋をも感じさせてくれる。この色なら、茶やグレー、濃紺など、すこし渋めで地味な地色のキモノの上に羽織っても、華やかになる。
模様も、無地場の多い飛び柄で、かわいい揚羽蝶。総柄の小紋や絣、縞や格子のキモノの上にも使いやすく、若々しい品物。インクジェットではなく、きちんと型紙が使われている小紋で、地色や模様もよく、質も確か。このお客様は、良い品物を選ばれたと思う。
丈の長い羽織は、どうしても、着尺(キモノ用として使える長さ)小紋を使わなければならないが、この小紋というアイテムには、様々な意匠があり、選択の幅が広い。それだけに、選ぶのが難しい品物とも言える。
選んで頂いた羽裏。白に近い生成地色で、四角の中に多彩な文様を描いている、少しモダンな裏地。
羽裏は、脱いだ時にチラリと見えるだけだが、隠れたお洒落でもある。お客様には、5~6点の裏地をお目にかけて、その中から選んで頂く。羽裏の色や模様などは、それこそ「好み」で付けて良く、決まりなど何も無い。
仕立上がった長羽織の後姿。
仕立の前には、当然寸法取りをしなければならない。以前この方には、浴衣を誂えて頂いたことがあったので、おおよその寸法は判っていた。だが、今回は羽織なので、一緒に使うキモノを見せて頂き、改めて寸法を確認する。
羽織は、袖丈や裄がキモノと合っていなければ、不具合を起こす。例えば、必要以上に羽織の袖丈が長ければ、中のキモノの袖が外へ飛び出してしまい、羽織の裄が、キモノより短いような時には、羽織の袖先からキモノが出てしまう。
常識的な袖丈や裄寸法は、羽織をキモノより2~3分(1cm)程度長くしておく。僅かに寸法差を付けることで、双方がピタリと収まり、格好の良い着姿となる。
表から中に付けた羽裏を写したところ。
各々の寸法を確認した上で、新たに測って決めなければならないのは、羽織の丈。この長さは、決まっているものではなく、お客様の考え方次第で変わる。
測る際に使うのは、「尺メジャー(目盛が尺・寸になっているもの」だが、これを背中に当てながら、どのくらいの長さにするのか、相談させて頂く。私が一応の目安としているのが、「膝の裏あたり」が羽織の裾端になる長さ。測りながら、「この辺りでいかがですか」とお聞きして、寸法を決める。
この方のキモノ身丈は、4尺1寸5分で、身長は156cm程度。羽織丈の長さは、2尺4寸5分(約93cm)になっている。後ほど、着姿を写した画像をお目にかけるので、この長さがどのように映るのか、参考にされたい。
飛び柄なので、バランスのとれた模様配置が求められる。舞い飛ぶ揚羽蝶を、偏って付けてしまうと、この羽織の良さが無くなってしまう。工夫一つで、模様が変わってしまう「飛び柄小紋」は、職人と呉服屋のセンスが試される品物であろう。
出来上がった羽織を見ると、このお客様は良い品物を選ばれたと、改めて思う。
オークションで求めたものは、必ずどこかで裏地を手当てし、仕立てを依頼しなければならない。たとえ満足の行く「モノ選び」が出来たとしても、質の良い裏地を付けたり、自分の寸法に合った仕立をしなければ、満足の行く「着姿」にはならない。「品物」も重要だが、きちんとした「誂え」も同じくらい重要で、この二つの条件が揃って初めて、「お客様が納得出来る品物」となる。
これからの呉服専門店では、この「誂える」ということが、ますます重要となり、多くの消費者から求められることになるだろう。この仕事は、お客様と相対で向き合わなければ、なかなか上手くは行かない。もちろん、ネットの中だけで、仕立まで受ける業者は多く存在するが、やはり品物とお客様を前にして意思を通わせ合う「リアル店舗」の方が確実で、安心感が違う。
きちんとした裏地を付けることや、腕の良い和裁職人による仕立ては、「ネット」だけでは、なかなか辿りつくことが難しい。そこにこそ、専門店としての存在意義がある。
「上質な品物」を提供することは当然だが、「上質な誂え」が出来るかどうかが、これからの呉服屋には問われることになる。それは、店で腕の良い職人を確保しなければならないことと同時に、呉服屋自身にも、寸法の知識や、裏地のセンスが求められるということだ。やはり、呉服商いを生業とする者は、自分でしっかりと基礎を磨いておかなければ、この先生き残ることは難しいように思える。
最後に、今日の品物を依頼されたお客様が、着姿を見せに来られたので、その画像をご覧頂こう。
キモノは薄紫地色に、流水四季花文様の小紋。合わせた帯は臙脂色の秋草文様染帯。少し控えめなキモノを帯で引き締め、サーモンピンクの羽織を使うことで、柔らかな着姿になる。また、キモノも帯も模様が密なので、無地場の多い飛び柄の羽織は、すっきりとした印象が残る。
写し方が稚拙なので、画像では羽織の地色が沈んでしまったが、後姿はこんな感じになる。ご自分で探した「初めての長羽織」は、満足出来る仕上がりになったようだ。このお客様はこの後、クラッシックのコンサートへ出掛けられた。Aさま、撮影へのご協力ありがとうございました。
次回は、今日の「飛び柄」とは対照的な、「大胆な総柄小紋」で誂えた長羽織をご紹介したい。
若い方が、自分の出来る範囲で、キモノを楽しむことが出来る。私は、とても良い時代になったと思います。これも、ネットの普及があったからこそ、ですね。
けれども、まだネットだけでは、難しい仕事が残されています。本文でも書きましたが、それが「誂えの仕事」ではないでしょうか。
良質な品物を扱うことと、良質な誂えが出来ることは、車の両輪のようなもので、呉服屋としてどちらも欠かすことが出来ません。若い方々には、ぜひ「良い誂えをして、品物を着用する」ことにも意識を置かれて、これからのキモノライフを楽しんで頂きたいと思います。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。