蒸しと水元(水洗い)という仕事は、友禅の作業工程の中で最も地味であり、あまり知られてはいない。下絵や糊置き、色挿し、さらには箔・縫、絞りとそれぞれの工程にいる職人達の技は、品物の上に姿が表れる。
加賀友禅は、下絵の図案描きと色挿しをする「職人」が「作家」であり、その技量が、品物の出来を左右する。京・江戸友禅でも、図案や挿し色、縫や箔などの各種あしらいをする職人が、友禅仕事の中では花形といえるだろう。
もちろん、蒸し・水元という工程にも、それぞれの職人がいる。一般の方がその仕事ぶりを、品物そのものから伺い知ることは難しい。けれども、この作業を欠かしては、品物は仕上がらない。それほど重要な仕事である。
蒸しの目的は、染料を定着させること。地染や色挿しが終わったところで、生地は「蒸し箱」の中に入れられる。80℃ほどの蒸気の熱により、生地の温度が上がり、そこで出てきた水が生地に吸収される。それにより染料が溶けて、繊維の奥まで浸透する。
この工程を経ると、地色として使った染料や、模様の挿し色として使った染料が、しっかりと生地の中に納まる。そして色を定着させるだけではなく、染料そのものが持つ「色相」をも、はっきり映し出す役割を果たしている。
水元と呼ぶ、水洗いの作業は、蒸しが終わった後。これは、生地に残った糊や染料、薬剤などを洗い流すためのもの。この仕事を疎かにすると、後に生地そのものにスレが起こったり、染料が定着する度合いが低くなったりする。
この水洗いの別名が、「友禅流し」。この言葉に、聞き覚えのある方も多いだろう。以前、京都では、鴨川や堀川、金沢では、犀川や浅野川などで作業が行われてきた。しかし河川環境の変化により、今では作業場の中に水を引きこんで仕事をしている。
人の目に付き難い仕事だが、どうしても必要なもの。こんな仕事をする職人が、激減している。とくに蒸しを専門とする加工場は、ほとんど消えてしまい、京都でも1,2軒しか残っていない。
裾野の広い友禅の職人仕事は、一つでも欠かすことは出来ず、一部でも職人が枯渇すると、影響は仕事全体に及ぶ。これは、友禅だけに限らず、モノ作りの現場全てに、同じような状況が見られる。それは、品物を加工する人たちも同様で、和裁士や紋章上絵師(紋職人)、補正職人や洗張り職人の高齢化と後継者難は、厳しさを増している。
これほど、将来の展望が見通せないことに対して、危機感を抱いている業界人はどれほどいるだろう。もちろん、モノ作りや加工の現場では、相当深刻に受け止められているが、小売屋の間で語られることは、驚くほど少ない。
職人がいなくなる最大の理由は、とにもかくにも仕事の減少に尽きる。おそらく職人達は、自分の子どもに後を継がせることをためらうだろう。将来、この仕事で飯を喰うことが難しいと、わかっているからだ。けれども、自分の技術だけは何とか守り、誰かに受け継いで欲しいと願っている。
前回からご紹介している、色染職人の近藤さんも、同じ思いだ。厳しい時代に、自分の技を生かすために、どのような仕事をしているのか。今日は、そんな姿をお話しよう。
近藤染工さんの仕事場。染め作業のシンクは、大きな窓のすぐ傍、外光が入りやすい明るい場所に置かれている。
この日、近藤さんが染めていた材料は、布ではなく葦(よし)。イネ科の多年草・葦の茎は、古来より簾の材料として使われてきたが、その色は、茎の色そのもの。和の家ではマッチするが、今時の家で使うと、少し古くさく感じられる。そこで、材料の葦を色で染めてカラフルにして、需要を増やそうと考え、この仕事が持ち込まれた。
色を染める手順は、布も葦も同じ。まず、湯に材料を通して表面を洗い、色を掛ける準備をする。
色見本帳を見ながら、発色させる色を決める。キモノの白生地や八掛を染める時には、出来る限り、注文された色に近づけることが求められるが、この仕事では、自分の感覚で、色を自由に出すことが出来る。
石畳の床に置かれた、染料の入った壺や容器。今年4月から、ガンを発症する可能性が指摘されていた「アゾ染料」の使用が禁止されたため、使えなくなった色も多数あると言う。今までの染料でしか出せない色があるので、困っているそうだ。
萌黄色から、支子(くちなし)色に染められる葦。目的とする色を出すためには、まず大まかな色の配合を考える。例えば、萌黄色であれば、使う染料は黄系と緑系と僅かな黒といった具合だ。これが基本の色となるが、どんな色を配合すれば、どんな色の系統になるか理解するのは、色染めの手始めに過ぎない。
難しいのは、見本帳の色により近づけるために、染料の微調整をすること。どの色をどのくらい足せば良いのか、それを見極めること。ここが、ポイントとなる。
染料の中に入れた葦を引き上げ、色を確認する。布を染める場合には、傍に通っているパイプの上に置いて瞬時に乾かし、色を見る。
見本帳の色と比べながら、足りない色を判断し、染料を加える。この決断に時間を掛けてはいけない。「先代(近藤さんの父)は、染料を三回足せば、ピタリと思う色が染め出せた」と、近藤さんは話す。
何回も染料を継ぎ足すと、どんどん色が離れていく。腕の良い職人は、短時間で結果を出す。これは、様々な仕事を経験することでしか身に付かない。
思う色に染まったと判断した瞬間に、引き上げる。これも、一瞬のことで、そこを間違えると、色がどんどん離れていく。
白生地を無地染めする場合、注文された色に近づくのは、一度きりだそうだ。そこを逃せば、やはり色が遠ざかる。大切なのは、色相が同じなこと。どのように染めても、見本帳と全く同じ色には染まらない。けれども、色相が変わらなければ、少しの誤差があっても「違和感」が出ない。
例えば、見本帳にある青磁系の色を求められた場合、色相が合っていれば、発注者からクレームは付かない。青磁といっても、色相は何通りにも分かれる。青に近い色、グレーが僅かに感じられる色、白さが求められる色。色相とは、「色の雰囲気」とも言い換えられる。
「色の雰囲気が理解出来れば、色染職人としては一人前」と近藤さんは話す。これは、手染めでも機械染めでも同じで、一番大切なこと。身に付くまでには、最低でも10年は経験を積まなくてはならない。
支子色に染めた葦は、水洗いをした後、乾かされる。葦は、布と違って染料が浸透し難いため、染める手間が、余計に掛かる。
簾材料として染められた葦の最終形。一本の茎を多色で染めた鮮やかなものもある。
こちらは、同じように色染めした葦を使ったランチョン・マット。ご覧の通りの「歌舞伎幕カラー」。歌舞伎座の売店で、扱っている品物だそうだ。
数週間前に、近藤さんへ依頼した色染めが仕上がり、昨日送られてきた。折角なので、どのような仕事になったのか、見て頂こう。
色見本として送ったのは、濃い墨グレー色の八掛。同じ色に染められた胴裏生地。この裏地は、結城無地紬に使うものだが、「白い胴裏を八掛と同じ色で染めて、仕立て直したい」というお客様の要望に答えた仕事。
見本として使うのは、見本帳ばかりではなく、裏地やキモノのハギレなども使われる。生地の質が違うので、全く同じ色にはならないが、納得出来る色になっている。
こちらは、菱一の色見本帳・芳美を使って色染めした白生地。この品物は、かなり濃い紫無地だったが、色抜きが上手く出来て、ご覧のようなワイン色に染まった。
紫とえび茶、双方が感じられる微妙な色。色見本と染め上がった品物を比べると、完全な一致ではないが、違和感がない。これこそ、色相が同じということであり、「色の雰囲気」が同じということなのだろう。
近藤染工さんの仕事の跡を継ぐ、息子さんの慎治さん。この日も、真剣な眼差しで、機械染めの仕事をしていた。
父であり、親方でもある良治さんによれば、慎治さんはこの道に入って10年となり、かなりの仕事を任せられるようになったそうだ。そして、「色の雰囲気を見極める」ところに、もう少しで届くとのこと。この仕事は、経験したこと全てが糧となる。慎治さんには、自分らしい仕事を極めて欲しいものだ。
「色染め職人として生き残るには、多角的に仕事を受けていく以外にない」と近藤さんは言う。染料は化学剤はもちろん、多様な植物染料を使うことが必要となり、染める材質も、布だけにこだわっていては、仕事の広がりが生まれない。
代々、呉服関係の仕事だけで食べていけたが、それはもう過去のこととして、割り切らなければ、未来が覚束ない。もちろん、今までのような白生地や八掛染めの仕事が、全て消えることは無いにしろ、それだけでは生活出来ない。
「考えた通りの色に染められる」という技を、どこに生かせるのか考えることが、生き残る道に繋がる。職人自身が、広い視野に立ってモノを作っていくことが、何より大切なのだと、近藤さんの仕事場を訪ねて、改めて思い知らされた。
歌舞伎カラーの葦製・ランチョンマットを手にする、近藤染工の主人・近藤良治さん。
忙しい仕事の合間に、沢山のお話を伺わせて頂き、ありがとうございました。この場を借りて、お礼申し上げます。
呉服屋の仕事の中で、「色」は切っても切り離せないものです。キモノや帯の地色や挿し色から始まり、裏地や小物に至るまで、色を考えないで品物を扱うことはありません。
そして、どの色を取って見ても、全く同じ色というのは、ほとんど無いと言っても良いでしょう。一つ一つの色は、色染職人さん達の気の遠くなるような努力の上に現れた、それぞれの色です。
私は、職人の仕事場を訪ねるたびに、この仕事の奥深さを感じます。普段ではあまり知ることの出来ない、この国の民族衣装を支え続ける方々のことを、これからも少しずつ書き続けていこうと思います。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。