バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

品物を、仕入れる呉服屋、仕入れない呉服屋(後編)

2016.04 30

在庫を持たず、必要なモノを、必要な量だけ、必要な時に生産する方式。世界に冠たるトヨタ自動車が産み出した生産方式、「ジャストインタイム」である。

自動車は、製品として完成させるまでに、多くの製造過程と、沢山の部品を必要とする。トヨタでは、この工程別の部品を在庫として極力持たず、生産する車に使う量だけを、受注している。こうすると、無駄がなくなり、利益が上がる。在庫を持たない究極の生産の方法は、注文があった分だけを作る完全受注方式だが、これに近い方法を実践していると言えるだろう。

 

ジャストインタイムには、作りすぎの無駄、手持ちの無駄、在庫の無駄、動作の無駄など、無駄を省く7つの原則が定義されており、この徹底的に効率化を図るしくみが、利益の源泉となっている。

トヨタに部品を納入している業者は、工程ごとに業者間で「帳票(生産指示書)」を回す。前工程から後工程へ、作る分だけの部品を発注していく。こうすることで、生産する時に必要なモノを、必要なだけ使うことになり、無駄が出ず生産コストも下がる。

経営効率を上げる優れた方式ではあるが、納入者にとっては大変な仕組みである。それは自分の都合でモノ作りをすることが出来ず、全てはトヨタのさじ加減一つで仕事を運ぶしかなくなる、という点だ。

量も納期も、云われた通りにしなければ、事は運ばない。作る数は、多すぎても少なすぎても駄目、納める時間は厳守である。もしこの二つが守れなければ、生産全体に大きく影響してしまう。災害などで、部品工場が被災し、組み立てラインが止まるニュースを耳にすることがあるが、背景にこのような生産システムがあるためである。

 

モノ作りの現場では、「作る分」だけ部品の仕入れをすれば、儲けも大きくなるだろうが、流通の現場ではどうだろうか。

呉服業界には、「売れた分」だけ品物を仕入れるという商いの方法が、蔓延している。特に顕著なのが、小売店の展示会方式による販売方法である。品物を自分で仕入れて店の棚に置き、自分で捌いていくという、ごく当たり前の商いではなく、展示会の開催期間だけ問屋から品物を借り、売れた分だけを決済する方式。これだと、仕入れの必要が無くなり、無駄な在庫も残らない。

けれども、仕入れをしないことで起こる問題は、山のようにある。現在この業界に巣食う弊害の最大要因が、ここにあると言っても言いすぎではないように思える。

今日は、前回の続きで、仕入れをしない呉服屋はどのように商いをしているのかお話し、そのことで何が失われ、どんな問題が出ているのか、考えてみたい。

 

先日、二日だけ在庫セールをした時の店内。バイク呉服屋では、年に一、二度だけバーゲンをする。けれども、案内を送るお客様は県内の方だけで、それもせいぜい50人程度。もう私は、この手の準備をすることはかなり面倒になっていて、完全に手抜きである。いつもより、少し品物を見やすく展示するくらいであろうか。

普段の商いでも、その都度価格の相談に応じているので、この催しの値段は特別なものではない。そもそも、在庫を並べているだけなので、催しではなく、ましてや展示会などという大仰な代物でもない。

品物は買い取っているので、価格をいくら下げようが自分の自由である。しかも、どの商品もほとんど仕入先への支払いは終わっているので、つい適当になってしまう。

昨年売れ残った浴衣や半巾帯の在庫。値札を安く付け替えるのも面倒なので、一律の割合で値引きをしてしまう。竺仙の品物などは、色や模様に流行がなく、一年経ったからと言って品質が落ちるものでもない。価格を下げる必要はない品物だが、4月までは、オフシーズンの商品なので。

 

うちのように、在庫をそのまま並べて催しの真似事をするのと違い、世間で行われている大概の展示会の品物は、借りモノである。裏を返せば、品物を仕入れない呉服屋=在庫を持たない呉服屋にとっては、展示会の場でしか品物を消費者に提示することは出来ないことになる。

バイク呉服屋の大嫌いな数学に、必要条件・十分条件という項目があるが、図式であてはめると、品物を仕入れない呉服屋の商い→展示会(必要条件)になり、展示会→品物を仕入れない呉服屋の商い(十分条件)になろうか。つまり、品物を仕入れない呉服屋にとって展示会は、「なくてはならないもの」であり、展示会は仕入れない呉服屋にとって「あるだけでよいもの」ということになる。

品物をある程度仕入れる呉服屋には、在庫が店の中にあるのだから、展示会を必ずしも必要としない。つまりは必要条件には当たらなくなる。もちろん、仕入れをする店でも、展示会を開催する店があるが、それは単に商いの機会を増やすために使うのに過ぎない。

 

ではなぜ、品物を持たない呉服屋が、展示会を開くことが出来るか。それはもちろん、「品物を貸す者=問屋」の存在があるからだ。この展示会という商いの場を見ていくと、呉服業界の問題点が浮かび上がってくる。ここに話を進めていくことにしよう。

 

呉服屋は、いつ頃から展示会を開くようになったのか。今、全くその手の催しをしなくなったバイク呉服屋でも、父や祖父の代では盛んに行われていた。手元に、昭和30年代後半と思われる展示会の写真が残っているので、50年前にはすでにこの商いの方式が出来ていたと考えられる。

昭和37.8年頃と思われる当店の展示会。画像の中心にいるキモノ姿の人物が、私の祖父。白地浴衣が800円、紺地浴衣が1000円と、当時の価格が写真に残されている。

 

展示会と言っても、今とは様子が違い、自分の在庫に問屋からの応援商品を足した商品構成であった。店側が売りたい品物はあくまで在庫であり、借りた品物は付け足しに過ぎない。もちろん、商いをするのは店の者であり、他人の手など借りない。

当時、呉服は必需品であり、今では考えられないほど沢山の品物が動いた。在庫だけではお客様の要求に答えることが出来ないのと同時に、せっかく広い会場を借りるのだから、品物で埋め尽くしたいという気持ちもあったと思われる。

私は、小学生の高学年の頃から、展示会の設営の準備や後片付けを手伝っていたが、当時沢山の問屋の社員達が来ており、置かれた品物の量はかなりのものだった。そして展示会の朝には、入り口に待ちかねたお客様が並ぶという、今では考えも出来ない光景が広がっていた。

 

展示会が変容して行ったことと、呉服需要の急速な落ち込みは、関連がある。品物が売れていた時代は、日常の店頭商いが中心であり、展示会は補足的な商いの場に過ぎなかった。店頭商いをするためには、品物が無ければ始まらない。すなわちある程度の在庫は不可欠である。在庫を持つことは、仕入れをするという意味だ。

それが、日常着としてキモノの存在が消える頃には、呉服屋から客足が遠のくようになる。店頭商いが衰退したために、展示会を開いて何とか客集めをして、そこで商いをしようとしたのである。客が来店しなければ、品物を見せる機会もない、つまりは、店先に品物を置いておく必要が無くなった=仕入れをしないという所に繋がる。

呉服屋の店頭には欠かせない、帯〆や帯揚げなどの和装小物。先日、小物メーカーの龍工房の社長に聞いた話だが、初めて取引を求める小売屋でも、最初から堂々と「浮き貸し」を要求するそうだ。小物まで借り物にしようとするなんて、どういうつもりなのかと呆れていた。もちろん、そんな店との取引は断ったそうである。一生懸命モノ作りをしているマトモなメーカーは、商いの仕方を見て、きちんと取引先を選んでいる。

 

展示会の商いなら、品物は問屋から借りれば良い。そして売れただけ決済すれば良い。問屋の方でも、品物を以前のように仕入れてくれなくなった小売屋に対して、何とか品物を売ろうとして、品物を貸す。こうして、小売屋と問屋、双方の思惑が重なったことが、以後の商いを、なお変容させていく。

商いの立場においては、当然小売屋が問屋より優位に立つ。問屋にとって小売屋は、いわばお客様にあたる。品物を仕入れなくなった呉服屋は、客と言う立場を利用して、次々に問屋へ法外とも言える要求を出すようになる。

 

仕入れをするということは、品物に対する知識が無ければ出来ないことであると同時に、自分でお客様に売り切る力が求められる。店頭商いは、その呉服屋の実力が試される最大の場であることは、前回にお話した。

リスクを背負って仕入れをしなくなると、どうしても力が落ちる。それに呉服屋としての勉強もしなくなる。いや出来なくなるといった方が良いかも知れない。

展示会に商いを依存すると、品物を買い取らないだけに、知識が必要でなくなる。それと同時に自分で商いすることもままならなくなる。そして、お客様に対して、キモノと帯をコーディネートすることすら難しくなる。では、困った呉服屋はどうしたか。それは、品物を借りた問屋に、小売の役目を果たさせることにしたのである。

 

小売屋は、品物と同時に「売る人間」をも問屋に要求した。展示会に行ったことのある方には、アドバイザーと称するキモノ姿の販売員を思い出して頂きたい。この存在こそが、自分で売ることの出来ない今の呉服屋の現状を示している。

大きな展示会を開く呉服屋では、何軒もの問屋から品物を借りると同時に、その問屋ごとに派遣された何人ものアドバイザーが会場をうろうろしている。展示会のブースごとに問屋が違えば、アドバイザーも違う。それぞれの販売員は、何とか派遣元の問屋の品物を売ろうとする。それが出来なければ、自分の存在価値は失われ、問屋の期待にも答えられず、小売屋の売り上げにも繋がらない。だから、売り方が強引になったりする。

例えば、相手をしている消費者に、本当に似合う品物が隣のブースにあったとしても、それを奨める訳もない。自分のところの品物をいかに売るか、それだけしか考えられない。これでは一体、どちらを向いて商いをしているのか、疑わざるを得ない。主人公であるお客様の、着姿や雰囲気を感じ取って品物を奨めていくような、丁寧な仕事には到底ならないだろう。

 

私は、アドバイザーの方々に責任があるとは思わない。この方達は、派遣元から依頼された自分の仕事をこなしているだけである。問題は、このような商いのシステムを作り上げた呉服屋と問屋にある。特に呉服屋には、この弊害の重大な責任があると思う。

品物のリスクは負わず、その上自分でも売ることが出来ない。結果として消費者にしわ寄せが行ってしまう。危惧されるのは、品物を求めることに慣れていないため、この方式に疑問を持つ消費者が多くないということだ。だから、このような展示会はいつまでたっても無くならない。

 

そして、問題は売り方ばかりではない。価格の付け方にも大いに疑問がある。展示会に問屋が出品する品物(浮き貸し)は、小売屋がリスクを負う買取仕入れの価格から考えれば、割高になって当然である。だいたい3割~5割増しといったところだろうか。だから、展示会の商品は、店頭に置かれている品物より、高くなっている。呉服の価格に不慣れな消費者は、それを見抜くことも出来ない。

価格の件は、もっと重大な問題をはらんでいる事例も多いが、これは稿を変えて別の機会にお話しよう。書くことも憚られることが多すぎて嫌になるが。

 

モノも仕入れず、自分で売らない呉服屋の仕事は何か。それは展示会へいかに人を集めるかという、その手管を考えることだけである。

ある取引先から最近聞いた話だが、某呉服屋が跡継ぎの息子の修行先に選んだのが、上記のような展示会を派手に開く呉服チェーン店。何を学ぶかといえば、「人集めの方法」だそうである。もう呉服屋には、智恵も知識も、品物を仕入れようとする気概もないのかと、怒りを通り越して情けなくなった。

 

この業界の良識ある人達は、こんなことが何時までも続くはずはないと思っている。よく問屋の社員は、「浮き貸しの弊害」を嘆くが、現実にはこのやり方を止める気配がない。判っていながら変えられないのでは、どうにもならない。ただ、これを放置しておけば、この仕事に未来は無くなることだけは確かであろう。

「自分で仕入れて、自分で売る」。こんな当たり前のことが出来なくなった業界は、どこへいくのだろうか。

 

バイク呉服屋が仕事をするのは、もう10年から先は知れたものでしょう。いくら嘆いてみても、もうこの現状は変わりませんね。本音を言えば、他所のことはどうでもよいことで、私は自分のやり方で、仕事をまっとうするだけです。

仕入れをする呉服屋が無くなれば、きちんとモノを扱う問屋も無くなり、同時にきちんとモノ作りをする職人や、モノを加工したり、直したりする職人もいなくなるでしょう。残念ながら、これだけは間違いありません。

 

今日は、とても長い稿になってしまいました。最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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