列車に乗れば、「ガタンガタン」とレールの継ぎ目を跨ぐ音が聞こえる。眠気を催している時など、継ぎ目を通る時の僅かな揺れは、何とも心地よい。もし、この微妙な揺れがなければ、鉄道の魅力は半減するだろう。
金属を組み立てて装置を作る時には、接合部分に僅かな隙間を作ったり、緩みを持たせたりする。これを「遊び」と言う。この遊びは、装置を作動させている時には、何の影響も持たない。だが、安全性を高めることにおいて、重要な役割を持つ。
レールの継ぎ目にも、僅かな「遊び」がある。レールは金属の塊なので、気温の寒暖により変化が起こる。暑い時には、伸びてしまうし、寒いときには、縮む。もし継ぎ目に隙間がなければ、伸びた時はレール同士がぶつかって曲がってしまい、縮むと切れてしまうだろう。遊びは、重大事故に繋がる要因を未然に防ぐ、大切な施しである。
どんな物事でも、二つの対峙する事象の衝突を和らげる、緩衝的なものの存在無くしては、成り立たないだろう。論語の中に、「中庸(ちゅうよう)」と言う言葉があるが、一方に偏らず通常の感覚で、冷静に物事を判断出来ることを意味する。まさしく、レールの継ぎ目にある「遊び」と同じ役割である。
さて、キモノや帯にも、「晴れ」に使うモノと、「褻(け)」に使われるモノがある。黒留袖や色留袖、訪問着、さらに振袖などは、晴れの日に使うモノ、紬などの織物類は、褻に限定されるモノと、決まったルールとしてきちんとすみ分けられている。
けれども、品物によっては、どちらにも対応できるようなモノがある。その一つが、名古屋帯である。無論、名古屋帯なら何でも、晴れでも褻でも自由に使えることはなく、作り方や模様によって、当然使い道が変わる。
一部の名古屋帯には、「レールの継ぎ目」、つまりは晴れと褻の間に位置しているような面を持っているものがあり、どのようなものがそれに当たるのかという判断が難しい。もちろん「晴れ」と言っても、第一礼装のキモノでは使えず、準礼装の色無地紋付や、軽い模様の付け下げ、紋を付けた江戸小紋などの場合である。
かなり以前に、ブログの中で小紋の多様性について書いたことがあったが、名古屋帯も同じように、品物としては多面的である。品物ごとに材質に違いを持たせ、染めと織りを自由に駆使して作られるもの。名古屋帯ほどバリエーションに富むアイテムはないだろう。
今日はまず、名古屋帯の種類や、仕立て方などを御紹介し、次回に名古屋帯の種類ごとの使い分けや、「晴れと褻」の境界にあるような品物は何かを、具体例を挙げながらお話することにしよう。
バイク呉服屋のブログテーマには、重箱の隅をつつくようなものが多いが、たまには基礎的ことも書かなくてはいけないだろう。
名古屋帯が生まれたのは、大正末期。帯の名前に、「名古屋」の地名が付いている通り、名古屋女学校(現在の名古屋女子大学)の創始者・越原春子が考案したものである。春子は、学校創始者として、多忙な毎日を送っていたが、この当時使われていた丸帯では、着装に時間がかかったため、どうにかして身支度を短時間で済ませたいという思いから、帯の改良を思い立った。
最初に春子が考え出したものは、太鼓部分を一重にして、他を二重に仕立てた軽装帯であった。これが現在の名古屋帯の原型である。長さが、丸帯の半分で済むために、一本の帯で二本の軽装帯が出来るという、合理性も考慮されていた。
春子は、学校が創設された1915(大正4)年頃から、この軽装帯を着用していたようだが、その数年後に、彼女の元へ出入りしていた中村呉服店(後のオリエンタル中村百貨店・現在の名古屋三越)社員・小澤義男の目に止まり、商品化されることになる。
生産が始められて、中村呉服店の店頭に初めて並んだのが、1924(大正13)年のこと。ここでこの帯は、小澤義男により「名古屋帯」と命名された。もちろんそれは、名古屋の地名と名古屋女学校・越原春子にちなんで付けられたものであった。
では、名古屋帯を種類別に見ていくことにしよう。
(九寸 織名古屋帯 七宝文様・西陣 斉城織物)
名古屋帯は、太鼓部分が一重なので、袋帯と比べると総丈は短い。袋帯が1丈2尺(4m50cm)前後なのに対して、9尺7,8寸(3m70cm)程である。帯巾は、八寸のものと九寸のものがあり、作り方は、織で模様を出したものと、染で描かれたものに分かれる。
上の画像の帯は、九寸巾で織模様。九寸帯の場合、模様出しが織であれ染であれ、中に芯を入れる。そして、生地により芯の厚さを微妙に変える。大概は、綿を使いそこで厚みを調節するが、品物により帆布のような厚手のものを使うこともあれば、薄手の絹芯を入れる場合もある。
帯巾は、袋帯であれ名古屋帯であれ、八寸が標準。九寸帯なので、まず巾を八寸にしなければならない。その上で、仕立て方には幾つかの方法があり、それにより仕上がった時の形が違ってくる。
一般的な仕立て方は、胴に巻きつける部分から手先までを半分に折っておく。つまり、予め前に出る部分が折られているもの。その他に、手先のみを半分に折る「松葉仕立」や、袋帯同様の形で、途中で折られることなく、太鼓巾のまま(八寸巾)フラットに仕上げる「おそめ仕立」もある。この二つの仕立て方だと、自分で前に出る模様の巾を自由に折ることが出来る。
また帯の長さであるが、元の9尺7,8寸では長すぎるので、使う人の寸法に合わせて長さが変えられる。標準的な長さは、9尺3寸(3m45cm)程度だが、体格によりそれより詰めたり、広げたりして仕立てられている。
(九寸 染名古屋帯 松に福良雀模様・菱一)
形は上の帯と同じ九寸帯だが、模様は織りではなく染めで施されている。帯というものは、織屋で作られるものだが、この染名古屋帯(通称・染め帯)だけは、染屋が作る。
フォーマルな染モノと同じように、手で糸目糊を置いたものあり、型糸目を使ったものあり、模様の中に繍や箔を施したものあり、と多彩である。手描き友禅であっても、模様が太鼓部分と前部分にしかない、いわゆる「太鼓腹」と呼ばれる模様付けの帯が多いため、模様を描く嵩が少なく、手描きの訪問着や付下げなどに比べれば、価格は安い。
この帯の前部分。模様の片方にしか、福良雀が描かれていない。なぜ両方が同じ模様になっていないかというと、作り手の手間を抑えることで、帯の価格を下げることが狙いと思われる。この帯ならば、片方の福良雀を省略する分だけ、安く出来るということ。
但し、このような前模様の場合、注意しなければならないことがある。人によっては、帯の手の廻し方が逆であることだ。我々は「逆手」と呼んでいるが、これだと福良雀の方が出てこなくなり、松模様だけの方が前に来る。両方に同じ模様が付いていれば、この不具合は防げるのだが、そうなっていない品物も多いので注意されたい。
(京袋帯 唐花雙鳥長斑錦文様・龍村美術織物)
お馴染みの龍村の光波帯。京袋とは、袋帯同様に、表と裏二枚を縫い合わせてあるが、長さは短く一重太鼓にしかならない。従って、名古屋帯ということになる。先ほどお話した、おそめ仕立と同じ形状なので、前部分は自分で自由に折って締めることになる。
光波帯や元妙帯といった龍村・京袋帯は、このように全て仕立上がった状態で売られている。ロゴマークが入った龍村オリジナルの裏を使い、太鼓部分にはわざわざギャザーを入れて、「二重太鼓」に見せかけるような工夫がなされている。
(八寸 織名古屋帯 インカ裂文様・帯屋捨松)
この帯は最初から八寸巾なので、芯を入れずに帯の両端をかがるだけで使うことが出来る。八寸は、上の品物のような紬や緞子生地、さらに綴など生地に厚みがあったり、しっかりと織られているものが多い。博多献上帯のような、独特の堅い質感のものもある。
この帯も九寸帯と同様に、全通(帯全体に柄の通っているもの)・六通(模様が六割を占めるもの)・太鼓柄(お太鼓と前部分にしか模様が無いもの)がある。八寸に関しては、ほぼ全てが織のもので、染のものを見かけたことがない。染め帯に使われる塩瀬やちりめんでは、芯を入れなければ生地が軟らかすぎて締め難いので、当然といえば当然であろう。
名古屋帯について、一通りの種類別に分類して、仕立て方や特徴などをお話してきた。これをどのように使い分けるのか、ここが肝心である。カジュアルだけにしか使えないもの。無地や軽い付下げなどの準礼装もに使えそうなもの。それは、どんな種類のキモノを使うかにより、締める名古屋帯も変わってくることになる。
一例を挙げれば、飛び柄の小紋などは、お茶会や簡単な集まりなら着ることが出来そうで、単にカジュアルモノとは言いにくく、仕訳が難しい品物である。このような時の名古屋帯は、どうすれば良いのか。もちろんそれは、帯の図案やほどこしによっても違ってくるだろう。
次回の稿では、これらの名古屋帯に見られる微妙な格を見極めて、それぞれのキモノにふさわしい帯姿を探すことにしよう。
鉄道のレールは、「遊び」のような見えない緩衝的な要素により、安全が保たれています。けれども、電車を運転する者が、基準以上のスピードを出せば事故が起こり、この施しは何にもならないでしょう。
国家も、レールと運転手の関係に良く似ているように思えます。レールにあたるのが憲法で、運転手が為政者。万が一、政治を司る者が暴走すれば、国家の行く末は暗澹たるものになるでしょう。
鉄道にはATS(自動列車制御装置)のように、暴走を止める装置がありますが、全てが多数決で物事が決まるこの国には、それがありません。
最近、この国の未来を預る方々は、スピードを出し過ぎているような気がしますが。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。