弁(わきま)えるとは、物事の違いを見分けて、ふさわしい行動をとるという意味である。つまり事の本質(道理)を心得て、筋道をはずさないということになろう。
道理とは何か。それは正しいこと、あるいは常識的なことにあたるだろう。
昨日、各地で行われた成人式の様子が報道されていたが、相も変わらず、式の主旨を逸脱している不心得者が多い。大人になるということは、物事の分別が付く年齢に達したということなのに、それを全く弁えていない。
成人式が、民間で自由に開催されているものならともかく、公の立場にある市町村が、税金を使って主催しているものである。とすれば、出席者は「式」の意味を理解した上で、臨まなければならない。それが出来ない者には、参加する資格がないと思える。酒を飲んで暴れたり、式の進行を妨害したりすることなど、もってのほかである。
「振袖」というものを、どのように捉えるか。成人式の時だけに、クローズアップされるもの、式へ参加するための「制服」のようなものと考えるならば、この品物が持つ本来の意味にはそぐわない。
振袖は、あくまで未婚女性の第一礼装として、扱われれてきた。そして、ふさわしい着姿というものが守られてきた。この姿は、畏まったものであり、誰から見ても、きちんとしていると見なされなければ、これに当たらない。
最近の成人式に見られる振袖の着姿は、本来の有り様からは、段々遠ざかっているように思える。大きな造花を髪や帯に飾り立てたり、真珠のようなものを巻きつけたりする小物の使い方や、不必要に髪の毛を盛り上げたり、極端に衿を抜いたりする姿は、とても慎ましやかな姿には見えない。
「振袖=第一礼装」という意識が欠如し、「振袖=成人式衣装」とだけ認識される。振袖の扱い方が、本来の筋道を離れつつあるというのは、私には道理に合わないことと思える。
すでに多くの呉服屋が「振袖屋」と化し、第一礼装である意味をどこかに置いてきてしまった。売り手の方で、品物の本質を弁えるという意識が、薄らいでいるのだから、今の着姿になっても、やむを得まい。「晴れの日」に着る「晴れ着」としての意味を、もう一度考え直す時は、果たして来るのだろうか。
バイク呉服屋にとって振袖は、特別なアイテムではない。紬や付下げや小紋や浴衣と一緒で、「扱っている品物」の一つに過ぎない。品物を依頼された時に、着る人にふさわしいコーディネートを考えることは、他のアイテムとも何ら変わりはない。
ただ、振袖が他の品物と違っているとすれば、「第一礼装」として使うものにふさわしいかどうかである。わざわざ偏屈なバイク呉服屋に、振袖を依頼されるお客様には、明確にこの意識がある。振袖を、成人式だけの衣装と考える方は、うちには来られない。また、来られても、対応出来ない。
今年最初のコーディネートでは、「晴れの日」にふさわしい、重厚で華やかな振袖を使って、考えてみたい。もちろん、第一礼装であることを、十分意識したものということになる。
(黒地 紗綾型小唐花地紋織 立涌文様に楓・撫子・笹模様 型友禅振袖・菱一)
黒地のキモノというのは、どちらかと言えばシックで大人っぽさを演出しやすいものだが、振袖に使うとなれば、華やかで若々しさをも感じさせる模様と配色が必要となる。
そして、大胆さや重厚さ、その上かわいらしさも出していかなければならない。この振袖の場合、立涌をキモノ全体に配し、その中に楓・撫子・笹模様を大きめに散りばめ、意識的に黒地の無地場を作り出して、模様を浮き立たせている。また、黒地であることを意識して、色挿しがされていることもわかる。
文様の基本は、直線・曲線・円など幾何学的なものを、様々にアレンジすることで生まれている。例えば、菱文様の基本は平行な斜めの線を交差させて出来るもの、麻の葉や亀甲は、正六角形を基本として形作られている。これらはいずれも直線で描かれる。
立涌は、その形状から曲線に入るものだが、この文様には、模様と模様を区切る「割付」的な役割を果たす時と、文様そのものを模様とする場合とがある。この振袖の場合には、どちらの役目も果たしているように思える。
うねうねと瓢箪のような形状で上に伸びる立涌。ご覧になっておわかりのように、朱の型疋田と金箔の縁どりで表現されている。立涌文様を、振袖の模様としてより強調する意図が伺える。
文様としての立涌の歴史は古い。平安中期には、貴族の衣装の中の織文様としてすでにその姿が見える。つまりは、「有職(ゆうそく)文様」である。先日のブログで、源氏物語の中に見える「胡蝶」をモチーフにした帯を御紹介したが、立涌文様も、これと同時代に生まれた、日本固有の「国風文様」である。
貴族が使う束帯や十二単には模様がなく、単に色を重ねて使うものだけに、織り生地の模様で変化を付ける必要があった。織り出される模様には、意味があり、階級や格により使えるものが決められていた。有職文様には、この立涌の他に、七宝や蝶の丸、藤の丸などがあるが、いずれも格式のある重厚な文様と言えよう。
模様の中心となる、上前おくみと身頃。立涌の間にあしらわれている楓・撫子・笹模様が、裾の方へ向かうにつれ、その形が徐々に大きくなっている。単純な模様の付け方でも、大きさを変えるだけで全体にメリハリが付けられる。
上前おくみの模様を拡大してみた。中心となる二枚の楓には、それぞれ違うあしらいが見える。笹は赤紫の染型疋田、右端の撫子は、鮮やかな緋色が付けられている。
縁どりと蘂に駒繍を使った大楓。中には亀甲と菊の花が見える。まだら状に箔を貼り付けることで、模様を浮き立たせている。
縁どりに駒繍を使い、中に橘の花と七宝を組み合わせた大楓。手描き友禅ではなく、型糸目をつかった品物だが、模様一つ一つの技法には変化が付けられ、より華やかさを表現する工夫が見える。
さて、この伸びやかな立涌を使った黒地振袖には、どのような帯を合わせたらよいか。キモノの特徴がより生かせるような、華やかな色と模様でなければならない。
(緋色 菱取り向い蝶模様 袋帯・紫紘)
先日御紹介した、「胡蝶の舞」の帯と同様、製作したのは紫紘である。同じ「蝶」をモチーフにした帯でも、振袖に使うものであれば、こんな華やかさが必要である。紫紘が若い人に向けて作り出す帯には、色と模様を思い切り大胆に表現し、使う振袖をカチッと押さえ込んでしまうような、力のある品物が多い。
蝶を使った文様は、その姿の愛らしさから、子ども向きの衣装に用いられることが多い。三歳・七歳の祝着や祝帯の模様として、ポピュラーな柄の一つである。蝶の中でも、あしらわれるものは、ほとんどが揚羽蝶であり、その優美で華やかな姿を使って、若々しさが表現される。
この帯の図案のように、二羽の蝶が向き合って一つの文様を形作っているものは、向い蝶文様である。これは、黒地振袖に付けられた立涌文様と同様、有職文様であり、歴史の古い古典的和文様の一つ。
では、コーディネートしてみよう。
振袖の黒地を引き立たせ、かつ若々しさを出すことを考える時、帯地の色は限定されるように思える。金、銀、白地などでは、よほど中に施されている色と模様が大胆でなければ、キモノに負けてしまう。
鮮やかな帯地の緋色は、それだけで黒地に負けないほどの色の主張があり、黒との相性も良い。その上、振袖の中の模様の一つ、撫子の挿し色とも関連がある。振袖が立涌を使った総模様なので、帯は細かい模様ではなく、はっきりとポイントのあるメリハリの付いたものの方が、押さえが利く。
前の合わせ。菱文の中に向き合った蝶は、かなり迫力がある。この帯は菱文が割付の役割を果たし、模様同士を繋いでいる。また、左右対称のシンメトリーが強く意識されており、そのことが立体感のある帯姿を形作っている。
小物の合わせ。帯〆と帯揚げは、鶸色を少し蛍光色っぽくしたような緑青色を使う。黒と緋の間に入る色を考える時、緑系の色が一番自然に映るように思える。刺繍衿は、白地に小花模様でさりげなく。そして、着る時には衿を出しすぎない方がよい。キモノと帯にこれだけ華やかさがあれば、あえて衿を強調する必要はないだろう。
(緑青色 絞り帯揚と帯〆・雪輪に小花模様 白地刺繍衿 いずれも加藤萬)
草履とバッグは、帯地の緋色とリンクさせ、同系色の龍村美術織物・五葉華文(ごようかもん)を使ってみた。
黒と緋という個性的な色を組み合わせ、さらにキモノも帯も、古典的な「有職文様」を使ったものを結びつけてみた。重厚な中にも、若々しく華やかさを表現するというテーマで考えてみたが、如何だっただろうか。
振袖というものを、第一礼装の品物として意識するならば、やはり華やかな中にも、きちんとしたある種の「重さ」のようなものが必要かと思う。
もちろん、このような品物を使う場合、髪や帯などに余計な飾り物などを付けることは、かえって雰囲気を壊すことになり、出来るだけシンプルに着て頂きたい。
最後に、今日御紹介した品物をもう一度どうぞ。
「道理」の反対語は、「無理」です。諺に、「無理が通れば、道理が引っ込む」というものがありますが、昨今の振袖の扱い方は、どことなくこれに当たるような気がします。「第一礼装」とする「道理」はどこかに引っ込んでしまい、式典その場限りの衣装として「無理」な扱いを受けています。
これは、消費者の意識が変わったというよりも、ほとんど売り手である呉服屋そのものに、起因するものでしょう。
「弁える」ということも、式服を扱う呉服屋にとって、とても大切なことに思います。お客様がどのような場で使うか、またそこにどのような立場で列席するのか、それを弁えていないと、それぞれの場面でふさわしい着姿を演出することが出来ません。
年の初めなので、もう一度衿を正し、呉服屋としての自分の立場を弁えながら、一年間仕事を続けて行きたいと思います。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。