女性は、いつの時代から化粧を始めたのか。赤い顔料で色どられた女性の埴輪などが出土していることから、5~6世紀の古墳時代には、すでに身づくろいがされていたと考えられる。
日本女性の化粧姿を、はっきりと確認させてくれるのは、正倉院宝物の「鳥毛立女屏風(とりけだちおんなびょうぶ)」。これには、化粧をして唐風衣装をまとい、樹の下で佇んでいる女性の姿が描かれている。
この宝物は、756(天平勝宝8)年、聖武天皇の七回忌に、遺愛の品として妻・光明皇后が東大寺盧舎那仏(大仏)に献納したものである。屏風は六枚で構成されていて、輪郭を墨で描き、中には鳥の毛が貼り付けられている。そのことから「鳥毛立」と呼ばれているのだが、現在残っているものでは、毛はほとんど欠落している。
屏風に描かれている女性は、鮮やかに彩色が施され、化粧をしていることが一目でわかる。顔には白粉(おしろい)を塗り、唇には紅が引かれている。また、この時代に見られる特徴である、花鈿(かでん)と靨鈿(ようでん)という独特なメークも見られる。
花鈿というのは、眉間に花や星などの模様を描くことで、靨鈿とは、唇の両側に黒や緑色で点を描くこと。このような化粧の方法は、いずれも中国からもたらされたもの。遣隋使や遣唐使は、文物だけではなく、「顔のメーク」までも伝えたのだ。
当然、化粧材料の白粉や紅も、始めは大陸から入ってきたものだが、女性の化粧への意識が高まるとともに、国内でも化粧品の製造が始まる。特に欠かすことの出来ない白粉は、聖武天皇期以前に、すでに生産が始まっていた。
日本書紀の、692(持統天皇6)年、閏5月4日の条には、紗門観成と言う人物が作った「鉛粉」が献上され、持統天皇はこの品を大いに褒められた、という記載が見える。そして、供御した紗門観成は、天皇から絹や綿布などを賜っていたこともわかる。
なぜ持統天皇は、鉛の粉をそれほど喜ばれたのか。この天皇は、ご存知の通り「女帝」であり、この粉は白粉として使うものだったのだ。当時の白粉は、鉛から作られる「鉛白粉」であった。
この粉は、「鉛白(えんばく)」という鉛の化合物である。製造方法は、酢を入れた容器を炭火で沸騰させ、その蒸気を鉛に当てるという単純なものだったらしい。つまりは、酢の酢酸から発生する炭酸ガスで、鉛を酸化させたものということになる。
こうして精製された粉は、この時代以降、白粉の他に「顔料」としても使用されていた。平安時代の代表的な大和絵・源氏物語絵巻などにも、鉛白を使った彩色が見られる。「白く描く」時には、どうしても欠かせない材料であった。
けれども、顔料として鉛白が使われていたのは、室町期頃までであり、それ以後は「胡粉(ごふん)」がその役目を果たす。中国では、「胡」という国から伝えられたものとして、鉛白そのものを「胡粉」と呼んでいたのだが、日本で桃山期あたりから使用され始めた胡粉は、貝殻を主原料としている。
胡粉は、日本画などはもとより、キモノの彩色染料としても、大変ポピュラーなものであり、現在でも使い続けられている。今日は、この胡粉とはどんなものなのか、そして模様の中の白い色として、どのような役割を果たしているのか、お話してみよう。丁度、劣化した胡粉を引き直す依頼を受けたので、その品物を例に取りながら、稿を進めることにする。
(手直し依頼の品 胡粉を多用した、鸚鵡色・大牡丹模様の訪問着)
このキモノは、以前お話したことがある、アメリカ・アリゾナ州在住の日本人女性が、わざわざ当店まで持ってこられたもの。この方は、元々は東京の方だが、このブログに書いてある「直し」の記事を読まれて、メールを頂き、一時帰国の際にお持ち頂き、ご相談を受けた。
簡単なしみや汚れならば、たとえキモノであっても、アメリカのクリーニング店で何とか落とせるだろうが、さすがに「胡粉直し」は無理である。このキモノの白い牡丹模様の染料は、ほとんど胡粉によるもの。これがカビ等によりしみが出来、黄変色してしまったのだ。
上前おくみと身頃に付けられた、白い大牡丹の花。赤い蘂は繍だが、その他の白い部分は、ほとんど胡粉。この画像で見る限り、あまり汚れが判らないが、拡大するとしみ、変色があちこちに点在している。これは後の画像でお目にかけよう。
古来中国では、鉛白のことを胡粉と呼んでいたと、先ほどお話したが、現在の胡粉は、貝殻を加工するものと、鉱物に含有されるチタンを使うものに大別されている。
古代より、人間が彩色材料として使ってきたものは、土や鉱物を使った「顔料」と、植物の葉や樹皮などの色素を使った「染料」である。そんな中で、鉱物でも植物でもない貝殻を使って抽出される胡粉は、めずらしい着色材料と言えよう。
胡粉を抽出する貝殻は、どんなものでも良い訳ではなく、当然白色度の高い貝が使われる。主に使われているものは、蛤、牡蠣、帆立などである。作り方は、まず長時間天日で干して、貝殻を風化させる。その上でそれを砕き、水で解いてペースト状にし、板の上に延ばす。さらに、これをまた天日にさらす。そうすると、顆粒状になった胡粉が完成する。
天然の貝を材料にするため、胡粉として仕上がった時に、素材により違いが出てくる。例えば、蛤から作る胡粉は、やや硬質だが白さが目立ち、帆立のものは、白より少しクリーム感のある柔らかい色になる。また、同じ貝を使っても、貝の上蓋と下蓋では質感が違う。貝殻を良く見てみると、上蓋の方が白みが強く、それに比べて下蓋はややグレーっぽくなっている。当然上蓋から抽出された胡粉の方が、上質となる。
模様の中心となる大牡丹の花を拡大したところ。こうしてみると、胡粉で描かれた白い花びらの中に、点々と大小の黄色い変色やしみ汚れが付いていることがわかる。
キモノの彩色の道具として、胡粉を使う意味は、模様であしらわれる白い色を、より際立たせるためでもある。最初のキモノ生地は、当然何色にも染まっていない白生地なので、単純に白を表現しようとすれば、なにも施さないで、そのままにしておけば良い。しかし生地そのままだと、模様の中に埋没してしまい、平板な色になってしまう。胡粉を使うことで、ツヤのある白さとなり、他の色と比較しても遜色のない質感になる。
他の花びらにも、同様のしみがある。この花の汚れは薄いが、変色の範囲が広い。
胡粉を使ったところは、白いだけにその汚れも目立つ。原因は、材料の貝殻がたんぱく質を含んでいるため、カビが発生しやすくなっていることにある。このキモノに付いている黄色変色の正体もカビであり、箪笥などで長期間保管しているうちに付いたものと思われる。
このような胡粉汚れを直すのは、補正職人の仕事だ。まず、汚れを浮かせて出来る限りしみの色を薄くし、その上から新たに胡粉を引き直す。その際、他の模様に色が侵蝕しないよう、また糸目を消さないように注意を払う。
胡粉を引きなおした模様をお目にかけよう。
最初の花びら部分の胡粉引き直し。白くかけ直されたことにより、変色汚れがほとんどわからなくなっている。右下端の花びらの先に、僅かに残った変色の跡が見える。また、白の色をよくよく見ると、引き直した部分と、そうでない部分とに違いがあることがわかる。
この画像の方が、より判りやすい。画像中央の細長い二枚の花びらの白色と、そうでない部分とでは、白さの質の違いは明らか。
こちらの牡丹の花は、ほぼ全ての花びらの胡粉を引き直した。全体が際立つ白さになっていることがわかる。
現在、胡粉引き、あるいは胡粉直しに使われるものは、貝殻胡粉ではなく、チタン胡粉が主流になっている。チタンは、鉱物に含まれる主成分・元素の一つである。チタンを含有する鉱石は、金紅石(きんこうせき)、別名ルチル。
鉱物を使って白い顔料を作ることは、鉛白と同様である。このチタンを酸化させたもの(チタニウム・ホワイト)が、チタン胡粉として使われている。これは、貝殻胡粉よりも安価であり、流通量もかなり多い。チタン胡粉も顔料なので、そのまま使うことは出来ず、カゼイン水というタンパク質を含んだ水で練り合わせ、適度な濃さにしておいて使う。
このチタン胡粉と貝殻胡粉とでは、白の表情に若干の違いが出る。チタンは金属質の青みがかった白、貝殻は天然素材らしく、ややクリーム色が感じられる。
胡粉は、白い色を表現するだけでなく、他の色と混ぜて使うこともある(このような染料のことを「具入り・具絵の具」と言う)。こうすることで、色調を柔らかく見せ、より存在感のある模様に出来る。
具絵の具として、胡粉を使う場合、チタン胡粉は、隠蔽力が強いために他の染料を消してしまうが、貝殻胡粉では、それがない。チタン胡粉で作る具絵の具は、このことから、相手の色を喰ってしまう「狼色」と呼ばれている。そのため、他染料と混合する時には、その割合には注意を払う必要がある。
胡粉を引き直し終わり、仕上がった訪問着。遠目に見ても、白の色に濃淡が付いていることがわかると思う。濃く見えるところが、引き直した部分である。偶然ではあるが、直したことで花びらの色にアクセントが付き、最初の模様の印象とは、少し違って見える。
このキモノは、白牡丹だけの模様であり、胡粉は彩色の大部分を占めている。だから、胡粉を手直しすることは、一つ一つの牡丹の花の雰囲気を変えることになり、それは新たな姿として、キモノそのものを蘇えらせることに通じていた。
今日は、普段あまりお話することのない彩色材料・胡粉についてお話してきた。呉服屋の間でも、「白く染める時に使うもの」と単純に認識されているものだが、なかなか奥が深い。理科が大変苦手なバイク呉服屋なので、上手く説明出来ていないだろう。
読まれている皆様には、「色を極める」ことの大変さを知って頂くだけでも、十分である。これから、キモノの模様に染められている「白」にも、少しだけ注目して欲しい。
先日、このキモノを依頼して頂いたアリゾナ州のSさんから、ご自分の着姿を写した画像がメールで送られてきました。私より年上の妙齢な方なのですが、パロット・グリーンとも言える鮮やかな鸚鵡色が、本当によく似合っていました。
アメリカ・西海岸の抜けるような青い空の下なら、大胆な白牡丹の花が、ひと際映えるでしょう。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。