バイク呉服屋の忙しい日々

職人の仕事場から

補正職人 ぬりや 塗矢さん(7) 胡粉の引き直し

2016.01 17

女性は、いつの時代から化粧を始めたのか。赤い顔料で色どられた女性の埴輪などが出土していることから、5~6世紀の古墳時代には、すでに身づくろいがされていたと考えられる。

日本女性の化粧姿を、はっきりと確認させてくれるのは、正倉院宝物の「鳥毛立女屏風(とりけだちおんなびょうぶ)」。これには、化粧をして唐風衣装をまとい、樹の下で佇んでいる女性の姿が描かれている。

この宝物は、756(天平勝宝8)年、聖武天皇の七回忌に、遺愛の品として妻・光明皇后が東大寺盧舎那仏(大仏)に献納したものである。屏風は六枚で構成されていて、輪郭を墨で描き、中には鳥の毛が貼り付けられている。そのことから「鳥毛立」と呼ばれているのだが、現在残っているものでは、毛はほとんど欠落している。

 

屏風に描かれている女性は、鮮やかに彩色が施され、化粧をしていることが一目でわかる。顔には白粉(おしろい)を塗り、唇には紅が引かれている。また、この時代に見られる特徴である、花鈿(かでん)と靨鈿(ようでん)という独特なメークも見られる。

花鈿というのは、眉間に花や星などの模様を描くことで、靨鈿とは、唇の両側に黒や緑色で点を描くこと。このような化粧の方法は、いずれも中国からもたらされたもの。遣隋使や遣唐使は、文物だけではなく、「顔のメーク」までも伝えたのだ。

 

当然、化粧材料の白粉や紅も、始めは大陸から入ってきたものだが、女性の化粧への意識が高まるとともに、国内でも化粧品の製造が始まる。特に欠かすことの出来ない白粉は、聖武天皇期以前に、すでに生産が始まっていた。

日本書紀の、692(持統天皇6)年、閏5月4日の条には、紗門観成と言う人物が作った「鉛粉」が献上され、持統天皇はこの品を大いに褒められた、という記載が見える。そして、供御した紗門観成は、天皇から絹や綿布などを賜っていたこともわかる。

なぜ持統天皇は、鉛の粉をそれほど喜ばれたのか。この天皇は、ご存知の通り「女帝」であり、この粉は白粉として使うものだったのだ。当時の白粉は、鉛から作られる「鉛白粉」であった。

この粉は、「鉛白(えんばく)」という鉛の化合物である。製造方法は、酢を入れた容器を炭火で沸騰させ、その蒸気を鉛に当てるという単純なものだったらしい。つまりは、酢の酢酸から発生する炭酸ガスで、鉛を酸化させたものということになる。

こうして精製された粉は、この時代以降、白粉の他に「顔料」としても使用されていた。平安時代の代表的な大和絵・源氏物語絵巻などにも、鉛白を使った彩色が見られる。「白く描く」時には、どうしても欠かせない材料であった。

 

けれども、顔料として鉛白が使われていたのは、室町期頃までであり、それ以後は「胡粉(ごふん)」がその役目を果たす。中国では、「胡」という国から伝えられたものとして、鉛白そのものを「胡粉」と呼んでいたのだが、日本で桃山期あたりから使用され始めた胡粉は、貝殻を主原料としている。

胡粉は、日本画などはもとより、キモノの彩色染料としても、大変ポピュラーなものであり、現在でも使い続けられている。今日は、この胡粉とはどんなものなのか、そして模様の中の白い色として、どのような役割を果たしているのか、お話してみよう。丁度、劣化した胡粉を引き直す依頼を受けたので、その品物を例に取りながら、稿を進めることにする。

 

(手直し依頼の品 胡粉を多用した、鸚鵡色・大牡丹模様の訪問着)

このキモノは、以前お話したことがある、アメリカ・アリゾナ州在住の日本人女性が、わざわざ当店まで持ってこられたもの。この方は、元々は東京の方だが、このブログに書いてある「直し」の記事を読まれて、メールを頂き、一時帰国の際にお持ち頂き、ご相談を受けた。

簡単なしみや汚れならば、たとえキモノであっても、アメリカのクリーニング店で何とか落とせるだろうが、さすがに「胡粉直し」は無理である。このキモノの白い牡丹模様の染料は、ほとんど胡粉によるもの。これがカビ等によりしみが出来、黄変色してしまったのだ。

 

上前おくみと身頃に付けられた、白い大牡丹の花。赤い蘂は繍だが、その他の白い部分は、ほとんど胡粉。この画像で見る限り、あまり汚れが判らないが、拡大するとしみ、変色があちこちに点在している。これは後の画像でお目にかけよう。

 

古来中国では、鉛白のことを胡粉と呼んでいたと、先ほどお話したが、現在の胡粉は、貝殻を加工するものと、鉱物に含有されるチタンを使うものに大別されている。

古代より、人間が彩色材料として使ってきたものは、土や鉱物を使った「顔料」と、植物の葉や樹皮などの色素を使った「染料」である。そんな中で、鉱物でも植物でもない貝殻を使って抽出される胡粉は、めずらしい着色材料と言えよう。

胡粉を抽出する貝殻は、どんなものでも良い訳ではなく、当然白色度の高い貝が使われる。主に使われているものは、蛤、牡蠣、帆立などである。作り方は、まず長時間天日で干して、貝殻を風化させる。その上でそれを砕き、水で解いてペースト状にし、板の上に延ばす。さらに、これをまた天日にさらす。そうすると、顆粒状になった胡粉が完成する。

天然の貝を材料にするため、胡粉として仕上がった時に、素材により違いが出てくる。例えば、蛤から作る胡粉は、やや硬質だが白さが目立ち、帆立のものは、白より少しクリーム感のある柔らかい色になる。また、同じ貝を使っても、貝の上蓋と下蓋では質感が違う。貝殻を良く見てみると、上蓋の方が白みが強く、それに比べて下蓋はややグレーっぽくなっている。当然上蓋から抽出された胡粉の方が、上質となる。

 

模様の中心となる大牡丹の花を拡大したところ。こうしてみると、胡粉で描かれた白い花びらの中に、点々と大小の黄色い変色やしみ汚れが付いていることがわかる。

キモノの彩色の道具として、胡粉を使う意味は、模様であしらわれる白い色を、より際立たせるためでもある。最初のキモノ生地は、当然何色にも染まっていない白生地なので、単純に白を表現しようとすれば、なにも施さないで、そのままにしておけば良い。しかし生地そのままだと、模様の中に埋没してしまい、平板な色になってしまう。胡粉を使うことで、ツヤのある白さとなり、他の色と比較しても遜色のない質感になる。

他の花びらにも、同様のしみがある。この花の汚れは薄いが、変色の範囲が広い。

胡粉を使ったところは、白いだけにその汚れも目立つ。原因は、材料の貝殻がたんぱく質を含んでいるため、カビが発生しやすくなっていることにある。このキモノに付いている黄色変色の正体もカビであり、箪笥などで長期間保管しているうちに付いたものと思われる。

このような胡粉汚れを直すのは、補正職人の仕事だ。まず、汚れを浮かせて出来る限りしみの色を薄くし、その上から新たに胡粉を引き直す。その際、他の模様に色が侵蝕しないよう、また糸目を消さないように注意を払う。

 

胡粉を引きなおした模様をお目にかけよう。

最初の花びら部分の胡粉引き直し。白くかけ直されたことにより、変色汚れがほとんどわからなくなっている。右下端の花びらの先に、僅かに残った変色の跡が見える。また、白の色をよくよく見ると、引き直した部分と、そうでない部分とに違いがあることがわかる。

この画像の方が、より判りやすい。画像中央の細長い二枚の花びらの白色と、そうでない部分とでは、白さの質の違いは明らか。

こちらの牡丹の花は、ほぼ全ての花びらの胡粉を引き直した。全体が際立つ白さになっていることがわかる。

 

現在、胡粉引き、あるいは胡粉直しに使われるものは、貝殻胡粉ではなく、チタン胡粉が主流になっている。チタンは、鉱物に含まれる主成分・元素の一つである。チタンを含有する鉱石は、金紅石(きんこうせき)、別名ルチル。

鉱物を使って白い顔料を作ることは、鉛白と同様である。このチタンを酸化させたもの(チタニウム・ホワイト)が、チタン胡粉として使われている。これは、貝殻胡粉よりも安価であり、流通量もかなり多い。チタン胡粉も顔料なので、そのまま使うことは出来ず、カゼイン水というタンパク質を含んだ水で練り合わせ、適度な濃さにしておいて使う。

このチタン胡粉と貝殻胡粉とでは、白の表情に若干の違いが出る。チタンは金属質の青みがかった白、貝殻は天然素材らしく、ややクリーム色が感じられる。

胡粉は、白い色を表現するだけでなく、他の色と混ぜて使うこともある(このような染料のことを「具入り・具絵の具」と言う)。こうすることで、色調を柔らかく見せ、より存在感のある模様に出来る。

具絵の具として、胡粉を使う場合、チタン胡粉は、隠蔽力が強いために他の染料を消してしまうが、貝殻胡粉では、それがない。チタン胡粉で作る具絵の具は、このことから、相手の色を喰ってしまう「狼色」と呼ばれている。そのため、他染料と混合する時には、その割合には注意を払う必要がある。

 

胡粉を引き直し終わり、仕上がった訪問着。遠目に見ても、白の色に濃淡が付いていることがわかると思う。濃く見えるところが、引き直した部分である。偶然ではあるが、直したことで花びらの色にアクセントが付き、最初の模様の印象とは、少し違って見える。

このキモノは、白牡丹だけの模様であり、胡粉は彩色の大部分を占めている。だから、胡粉を手直しすることは、一つ一つの牡丹の花の雰囲気を変えることになり、それは新たな姿として、キモノそのものを蘇えらせることに通じていた。

 

今日は、普段あまりお話することのない彩色材料・胡粉についてお話してきた。呉服屋の間でも、「白く染める時に使うもの」と単純に認識されているものだが、なかなか奥が深い。理科が大変苦手なバイク呉服屋なので、上手く説明出来ていないだろう。

読まれている皆様には、「色を極める」ことの大変さを知って頂くだけでも、十分である。これから、キモノの模様に染められている「白」にも、少しだけ注目して欲しい。

 

先日、このキモノを依頼して頂いたアリゾナ州のSさんから、ご自分の着姿を写した画像がメールで送られてきました。私より年上の妙齢な方なのですが、パロット・グリーンとも言える鮮やかな鸚鵡色が、本当によく似合っていました。

アメリカ・西海岸の抜けるような青い空の下なら、大胆な白牡丹の花が、ひと際映えるでしょう。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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