バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

諦めないで、使い道を考えてみよう  小紋を名古屋帯に作り変える

2015.12 02

「背が高くなりたかったら、牛乳を飲みなさい」と、母親から言われたことがある方は多いだろう。牛乳に含まれるカルシウムには、背を伸ばす作用があるとわかっているからだ。

牛乳ばかりではなく、豆腐や小魚なども同じ理由で子どもに食べさせる。カルシウムは背を伸ばすだけでなく、骨も強くする。人の成長期にはとても大切な成分である。

 

けれども、カルシウム以上に必要なのが、たんぱく質。肉、魚、卵に含まれる動物性たんぱく質は、体を作るのに無くてはならない物質。このたんぱく質が欠乏した食生活を送ると、人間の体は大きくならない。それを証明する資料がある。

現在、日本人女性の平均身長(30歳)は、158.7cm。これが65年前の、1950(昭和25)年では、148.9cmである。今と比べようもなく食糧事情が悪い頃なので、この差は当然だが、戦後70年の間に、10cm近くも身長が伸びている。

女性の身長は戦前も、明治、江戸期やそれ以前も、ほぼ140cm台半ばで推移している。だが、150cmを越えている時代があった。それは意外にも、古墳時代以前の弥生・縄文期である。

 

なぜ、古代の女性は大きかったのか。それは、日常の食生活に理由がある。弥生期になって稲作が始まり、米を主食とする習慣が生まれたのだが、それ以前は狩猟や漁猟が営みの中心だった。弥生以後は、もちろん米も食べていたが、依然として狩で獲った獣の肉や魚が、重要な食料源だったのだ。

つまりは、肉や魚を多く食べていたこと、これが動物性たんぱく質を多く摂取することにつながり、大きな体格を生み出した。それが奈良期以後、第二次大戦が終わるまで、穀類を中心とした日本人の食生活はあまり変わることがなく、動物性たんぱく質の摂取量が増えなかった。これが長い間、日本人の身長が低いままだった大きな要因である。

 

戦後の高度成長期が進むにつれ、食糧事情が豊かになるとともに、日本人の食べ物の嗜好も変化した。戦前とは比べ物にならないほど、肉や卵の摂取量が増え、これに伴って身長も大きく伸びたのだった。

日本人女性の平均身長が、150cmを越えたのが、1960(昭和35)年、155cmを越えたのが、1985(昭和60)年。現在では、160cmに限りなく近づきつつある。今、背の高い女性と言えば、165cm以上の方であり、170cmを越える方も、決して珍しくはない。

 

さて、この著しい女性の体格の変化により、呉服屋の仕事の中にも大きな影響が出ている。以前、裄の長さが大きくなったことで、反物の巾が広がっていったことをお話したが、平均身長が大きく変わり、寸法が変化したことで、品物を受け継ぐ、あるいは古いモノを仕立て直して使うことが難しくなっている。つまりは、「再生」という仕事に大きな影響が出ているのだ。

今日は、直せる寸法とはどの程度が限界なのか、一枚のキモノを例にとって説明してみよう。このことは、これまで何度かブログの中で書いてきたので、重複する内容になることをお許し願いたい。また、寸法的にキモノとして使えない場合、どんな方法で他のアイテムとして使うことが出来るのか、小紋から名古屋帯に作り替えた品物を例にして、御紹介してみたい。

 

名古屋帯として再生された、切り込み模様の江戸小紋。

直しモノの相談を受ける時、ほとんどのお客様はキモノは、キモノとして使おうと考えられている。寸法を測らせて頂き、寸法的に不可能とわかった時点で、品物として使うことを諦めてしまうことが多い。キモノがキモノにならなければ、使いようが無いと考えているからだ。

だが、違う品物として再生する道は、幾つも残されている。羽織・道行コート・道中着・名古屋帯・子どもキモノ。そして長襦袢の袖や裏地に代用することも考えられる。

難しい汚れがあれば、そこを避けて仕立てをし、生地が足りなければ、表に出ない部分に、ハギを入れる。キモノというものが、身頃、おくみ、袖、衿の四つのパーツで出来ていて、それが全て直線裁されている。この至極単純でわかりやすい構造だからこそ、別のモノとして、再生が可能になる。

では、どのような経緯を辿って、帯として再生されたのか、順を追ってお話しよう。

 

お客様が持ってこられた時の品物の状態。白地に、少し灰色が掛けられたような薄茶色で染め出された江戸小紋。松葉・楓・竹など数種類の模様が切り込まれたもの。このように、何種類もの柄がモザイクのように入れられたものは、模様の分だけ型紙を使うことになり、手が掛けられた品物と言える。

もちろんお客様の目的は、ご自分の寸法に合ったキモノとして使えるようにすること。

 

直し依頼の際、まず呉服屋がやらなければならないのは、品物の状態を見ることだ。しみや汚れ、変色などがないか確認し、その上現状の寸法を当たる。

最初に、このキモノのキモノ丈(身丈)を測る。3尺9寸である。これで、以前着ていた方の身長は148cm前後だったことがわかる。そしてキモノの中にどれくらい縫いこみがあるか確認する。いわゆる「中揚げ」がどれくらい入っているかということだ。これは、1寸5分程度と判る。これにより、身丈が、どんなに長くても、4尺5分程度にしかならないことが判明。つまり、このキモノを使える人は、せいぜい155cmくらいまでとなる。

次に裄を測る。ここは、1尺6寸5分。昔の女性の並寸法(標準的な寸法)である。袖(袖付)と肩(肩付)の境界には、生地の縫込みがあるので、測ってみる。両方で1寸2分ほど。これにより、縫込みを全部出したとしても、最大の裄の寸法は1尺7寸5分とわかる。これは、昔の男性の並(標準)寸法であり、昔の反物巾では、ここが限界になっているものが多かった。

袖丈の現状は、1尺2寸。身長が低い人が使っていたキモノは、袖丈が短いことも多い。袖下の縫込みは1寸5分。これならば、標準的な袖丈寸法の1尺3寸にすることが出来る。

身巾に関しては、直すことに問題が出て来ない。反物の巾が、最低でも9寸はあるからだ。どんなに体格が良い方でも、9寸を越えるような身巾が必要な方はいない(お相撲さんなどは別だが)。女性の並寸法は、前巾が6寸、後巾が7寸5分。バイク呉服屋が経験した最大身巾でも、前巾が7寸3分、後巾が8寸2分である。

寸法と縫込みを測り終わり、このキモノの現状が見えてくる。しみ、汚れはほとんどなく、大変良い状態ではあるが、身長155cm以下で、裄が1尺7寸5分以下の方でないと、キモノとして使えないことがわかったのだ。

 

良い品物だけに、何とかキモノとして使って頂きたかったのだが。

さて、問題になるのは、新たに自分で使おうとしているお客様の寸法である。身長が168cm、現在使っているキモノの身丈は、4尺5寸5分。このキモノで作る最大寸法、4尺5分からは5寸(約19cm)も足りない。これだけで、キモノとして使うことが難しくなった。唯一キモノとして使う手段は、帯の下に入るおはしょりの部分にハギを入れる(いわゆる「胴ハギ」をすること)ことだが、このキモノに残り布はなく、そのためには、新たに別生地を使わなければならない。この話をしたところで、お客様は、この品物をキモノとして使うことを断念する。

 

残念ではあるが、仕方がない。けれども諦めるのは、まだ早い。キモノにならなくても、他のアイテムとして、再生する方法は幾つも残されている。幸いなことに、汚れもしみもなく、品物そのものの状態も大変良い。

違う品物を作るとして、まず考えられるのは、羽織やコート類である。キモノを使って作るなら、かなり丈の長いものを作ることが出来る。だが、今回は、これも難しかった。何故ならば、「裄」の寸法が出なかったからだ。

このキモノで作ることが出来る最大の裄寸法は、1尺7寸5分。お客様の現状は、1尺8寸5分であり、その差1寸。羽織やコートとして、どんなに長く裄を作ったとしても、現在お客様が着ているキモノの裄よりは、短いものにしかならない。つまりは、羽織からキモノが飛び出してしまうのだ。裄寸法のキモノと羽織・コート類の関係は、上に着る羽織・コートの方が、キモノより2~3分程度長くならなければいけない。この方の羽織・コート類を作る時に必要な裄寸法は、1尺8寸7~8分になる。

 

キモノにも、羽織・コート類にも出来ないとなると、考えられるのは帯ということになる。

帯は、生地の再生を考える時、とても便利なアイテムである。なぜならば、表面に出る部分が少なく、ハギが入れやすいからだ。キモノからでも、羽織やコート類からも、はたまた全然別のどんな生地からでも、帯は作ることが出来る。「困った時の帯頼み」なのだ。

お客様にも、名古屋帯に再生することを提案する。このような染小紋で作れば、オリジナルな染帯となる。染帯は、前と太鼓にしか模様がないものが多く、総柄のものは少ないのだが、締める時を考えれば、総模様の帯の方が、使い勝手が良い。

このキモノは、単色使いで、細かい切り込み模様の小紋。総模様なので、すこし太鼓の位置をずらして締めれば、出てくる模様が変わり、違う雰囲気になる。その上、色の少ない帯だけに、帯〆の色を変えるだけで着姿が変わり、バリエーションも付けやすい。

ここまでお話したことで、お客様は名古屋帯として再生させることを決められた。

 

帯の丈というものは、どんなに華奢な方でも最低9尺は必要になる。体格が良い方なら、9尺5寸、あるいは1丈以上必要になる場合もある。キモノのパーツのうち、もっとも長いのは、身丈に使っているところだが、ここはどんなに長くても、9尺以下だ。

このキモノの身丈は、3尺9寸なので、その二倍の7尺8寸が現状の長さである。つまりは、キモノに付いている一枚の布を、そっくり使っても帯の長さに出来ないということになる。だから、どこかで布を繋ぎ合わせなければならない。

布を繋いで、ハギを入れたところ。当然、表からは見えない。太鼓や前に出るところは、帯全体から見ればほんの一部に過ぎないので、ハギを入れる部分を苦労して探すことはない。特に、このような総模様の小紋ならば、仕事は難しくない。

 

名古屋帯として、再生された小紋。自分で前巾が決められる「額仕立」なので、折り目がなくフラットな帯姿になっている。

帯への再生をお奨めしやすいのは、掛かる費用が少ないこと、つまりお客様の負担が少なくて済むことにある。キモノの状態だったものを、一端解き、それを洗張り、あるいはすじ消しをして、元の縫い目を消す。そして、帯芯を入れて仕立てをするだけ。どんなものも、ほぼ2万円台で仕上がる。

キモノとして再生出来ず、羽織やコートにも難しい品物であったが、帯という新たなアイテムで、使う場が生まれた。品物にあしらわれている模様は、違う形になれば、また違う表情を見せる。キモノとして見ていた模様が、帯になれば、違うものとなる。

それは、新しい品物にはない、自分だけの「オリジナル品」であり、直すことにより、品物の質自体が落ちるようなことはない。ぜひ皆様にも、知っておいて頂きたい、再生方法である。

 

最後に、「どんな布からでも帯に出来る例」として、バティックで作った品物を御紹介して、今日の稿を終わりにしよう。以前のブログの中でも、バティック帯について書いた事があったが、先日また、依頼があったので、御参考までに載せておきたい。

 

今、「品物を再生する」ということは、形を変えることを意識しないと、うまく対応出来ません。

お母さんの品物ならば、当時の平均身長は155cm。おばあちゃんの品物ならば、150cmくらい。やはり、現代女性の平均身長から考えると、そのままキモノとして使えるケースは、確実に少なくなっています。

けれども、アイテムを変えることで、思いの外使える品物として蘇えることも、よくあります。皆様も、寸法が合わないからと諦める前に、ぜひ使い道を考えてみて欲しいと思います。方法は沢山ありますので。

 

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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